諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

182 近未来からの風#19 OECDの提言「ニュー・ノーマル」

2022年08月28日 | 近未来からの風
テーマ設定の山  稜線歩き 長い長い秩父の主稜線 この先2日歩くと東京都最高峰 雲取山に着くはずです。

「VUCA」(Volatility・Uncertainty・Complexity・Ambiguity)(不安定,不確実,複雑,曖昧)という未来像での学校教育はどうあるべきか、各国の有識者はどう考えるのか、「OECD(経済協力開発機構) Education 2030 プロジェクト」から見て行きたい。
テキストは、
白井 俊『OECD Education2030プロジェクトが描く教育の未来:エージェンシー、資質・能力とカリキュラム』ミネルヴァ書房 (2020/12/22)
参考のHP
OECDにおける Agencyに関する議論について - 文部科学省

第1章 2030年の世界 から

この章のキーワードは、“メガ・トレンド”と“ニュー・ノーマル”である。
いずれも「VUCA」の未来像の中の教育のありようを考える賢明な整理である。

「メガ・トレンド」とは、「社会変化のトレンドのうち主要なもの」ということだ。
これまでの日本の学習指導要領などでも、社会の現状や今後の変化を展望しながらつくられてきた。
では、このプロジェクトのいう「メガ・トレンド」とは何か。

AIの発達や移民の増加は、2000年代に入っての大きなトレンド(傾向)として考えられるが、他にも、例えば、地球温暖化による環境の変化や女性の社会進出による家族の形態の変化など、様々な変化が生じている。もちろん、未来を完全に予測することには限界があるが、一方では、これまでのトレンド(傾向)を踏まえることで、「より正確と考えられる」予測につなげることができる。そこで、Education2030プロジェクトでは、コンピテンシーやカリキュラムについての議論を前提として、社会変化のトレンドのうち主要なものをメガ・トレンドとして、今後の社会変化についての将来予測を行うこととしたのである。

つまり、「VUCA」な未来ではあるが、できるだけクリアに捉えてみよう、という意志なり決意があるということである。
そして、それをその後のカリキュラムの議論に沿うかたちで、
(1)社会における変化
(2)経済面での変化
(3)個人における変化
という3つの観点で、取り上げ分析していく。
そして、それにしても!、ほとんどすべての課題は日本の課題だし、日本の課題はそのまま世界の課題でもあることに改めて驚く。それほど教育が国内での議論には収めきれないところにきているのだろう。内容を全部取り上げるのは難しいので、項目と若干の引用にとどめる。(青字は私が着目したキーセンテンスです。)

「メガ・トレンド」

(1)社会における変化
①移民の増加
日本など少子高齢化の進行が予測される国については、一定の外国人移民を受け入れることが必要になってくることも考えられる。そうなれば、外国人の生徒の教育に関する課題も、これまで以上に多く生じることになるだろう。
②地球環境の変化
少なくとも過去20年を見る限りでは、世界全体における温室効果ガスの排出は増加の一途をたどっている。現状のままでは、COP21で定めた気温上昇を2%未満に抑えると言う目標を果たす事は厳しい状況にあることも指摘されている。
③自然災害の増加
日本においても、地震や津波、台風、洪水等が頻発しているが、環太平洋地域においては、地震が重大な問題を引き起こしている。
年ごとの変化はあるものの全体として増加傾向が見られる。こうした増加傾向の背景には地球温暖化が進んだことによる平均気温の上昇も指摘されている。

④政府に対する信頼の低下
政府に対する信頼の低下は、政治家や公務員不信と言うことで済む問題ではなく、より深刻な問題をはらんでいる。と言うのも、政府に対する信頼が欠けていると言う事は、政府が策定する各種の法令や様々なルールを守ろうとする意識が失われている可能性があるからである。例えば投資家や消費者の立場からすれば、コンプライアンスの意識に欠けているような国において、積極的に投資したり、消費するという意欲にはつながらないだろう。
⑤テロやサイバー犯罪の増加
インターネットを介したサイバー犯罪として、例えばオンラインでの詐欺や偽物・違法コンテンツの取引なども活発化している。

(2)経済面での変化
①経済的な格差の拡大
現代では「富めるもの」の中でも特に「上位1%」と呼ばれる超富裕層に富が集中している。
「勝者総取り型」の経済問題は、企業のオートメーション化が進んで、生産性が向上しても、その結果が労働者の賃金の上昇にはつながらず、その利益が資本家に集中していくことにある。すなわち、富の格差の拡大につながっているのである。

②雇用オートメーション化
明確な傾向が見られるのが、ルーチン的なタスク(仕事)に対する需要の減少である。
簿記や事務、単調な製造業務等であるが、こうしたタスクについては、コンピューターによって代替されたり、労働力の安い途上国にとって変わられてしまうことが予想される。

③失業率
様々な業務のデジタル化が進んでいる影響があって、多くのOECD加盟国において労働市場は深刻な状況にある。近年では「ギグ・エコノミー」と呼ばれるような経済のあり方が拡大しつつある。「ギグ・エコノミー」とは、インターネットを介して単発の仕事を請け負うことで成り立つような経済のあり方で(中略)、こうした単発の業務を受注する労働者(ギグ・ワーカーと呼ばれる)の場合には、簡単に仕事を受注できると言う意味で高い利便性を享受できる一方、そうした仕事が、今後も安定的に存在し続けると言う保証があるとは言えないだろう。

(3)個人レベルでの変化
①家族の形態の変化
OECD加盟国において概ね共通する傾向として見られるのが社会全体の高齢化である。社会における高齢化の進行は、経済や社会福祉をどのように維持していくか行くのかと言う大きな問題を投げかけることになる。
家族の形態に関するその他の変化要因として、女性の社会進出と結婚率の低下が挙げられる。結婚する夫婦の割合が減少している一方で、離婚率が増大したり、あるいは制度上の結婚と言う形にとらわれず一緒に暮らすと言う選択肢も増大している。こうした変化は、従来とは異なる形の過程のもとで生まれ、育てられる子供が増えていくと言う事でもある。

②肥満や自殺の増加
2020年現在、世界全体での肥満は1975年から3倍になっていると言う。5歳から19歳までの幼児や若者についてみると、1975年には標準以上の体重か、あるいは肥満なのは4%に過ぎなかったが、2016年には18%になっている。世界中では、年間約800,000人の自殺者が出ていると推計されている。自殺の原因は様々であり、うつ病や双極性障害(躁鬱病)、統合失調症などの精神疾患を抱えるものも多い。また所得の低さや失業、アルコールや薬物、社会的孤立なども、自殺の原因になっていると考えられている。
③政治への市民参加の低下
OECD加盟国においては、軒並み、投票率の顕著な低下が見られる。投票は市民が社会を変えるための重要な行動の1つであるにもかかわらず、その機会を活用せずに放棄している層が相当の割合でいると言うことである。

以上の現状と未来の想定を踏まえて、教育におけるコンピテンシーやエージェンシー、ラーニング・コンパスの方針検討していくと言うことになる。
そしてその前に、教育のこれからの新常識として「ニュー・ノーマル」を8点提起していく。
(その8点を「伝統的な教育」→「ニュー・ノーマル(新常識)の教育」という表記にして、キーセンテンスを加えます。)

「ニュー・ノーマル」

(1)教育制度を単体として捉える
教育制度をエコシステム(生態系)の視点から捉える
家庭のあり方、国民の意識、経済や財政も状況、都市化や過疎化の進行など、様々な要素を踏まえたうえで、教育制度について考えていく必要がある

(2)一部の選ばれた人による意思決定
より広い関係者による意思決定
雇用者や保護者、生徒や地域の人々など多様な関係者が意思決定にかかわり、責任を共有していくことが重要になってくる

(3)役割分担
一人一人の教育に(生徒自身もふくめて)皆が責任をもつ
管理職や担当する教師、保護者も含めて皆が共同して取り組み(中略)、生徒自身も自ら教育に責任を負うと言う事である

(4)インプットとアウトカム
インプット、プロセス、アウトカム(特にプロセスの重視)
アウトカムとしての学習到達度だけでなく、学習のプロセスについても、それ自体が固有の価値をもつものとして認識される

(5)生徒の直線的な発達を前提にした、標準化されたカリキュラム
生徒の非線形の発達モデルと想定する
生徒一人ひとりにそれぞれの学習経路(path)があり、また、学校に入る段階でも、それぞれの家庭環境などの違いによって、既に知識やスキル、態度などが異なっているのは当然である(中略)。そうした違いを前提にしながら、非線型の発達もでるを考えていく

(6)標準化されたテスト中心の評価
「学習のための評価」、「学習としての評価」を含めた講義の評価
標準化されたテストのスコア類置かれがちだった。評価すること自体が学習へのステップとなると考える考え方

(7)説明責任とコンプライアンス
システム改善のためのフィードバック
こうした対応ができているかといった結果を細かく追うことより、システム全体をどのように改善していくべきかと言うフィードバックを重視し、より建設的・双方的なアプローチを重視する

(8)教師は生徒を指示し、生徒は教師の指示をうける
→生徒の能動的な学習へ参画を重視する
生徒もエージェンシーを発揮して教育に積極的に参加し、教師と協働する存在として期待される

以上、ごく簡単な内容紹介だが、近未来からの風に向ての教育のありようが少しずつ見えてきたところである。そしてこれから、具体的な学習の枠組みとして取りまとめへと入っていく。


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181 近未来からの風#18 OECDの提言「コンピテンシー」

2022年08月21日 | 近未来からの風
テーマ設定の山 奥秩父の雄大な尾根 遥か向こうが国師岳、その先に金峰山

「VUCA」(Volatility・Uncertainty・Complexity・Ambiguity)(不安定,不確実,複雑,曖昧)という未来像での学校教育はどうあるべきか、各国の有識者はどう考えるのか「OECD(経済協力開発機構) Education 2030 プロジェクト」から見て行きたい。
テキストは、
白井 俊『OECD Education2030プロジェクトが描く教育の未来:エージェンシー、資質・能力とカリキュラム』ミネルヴァ書房 (2020/12/22)

参考のHP
OECDにおける Agencyに関する議論について - 文部科学省
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/142/shiryo/__icsFiles/afieldfile/2019/01/28/1412759_2.pdf

序章 コンピテンシーに関する議論の展開 から

この本の冒頭に掲げるように、コンピテンシーの設定がこのプロジェクトの重要テーマの一つなのである。
そして、この聴き慣れないコンピテンシーとは、

ある職務又は状況に対し、基準に照らして効果的、あるいは卓越した業績を生む原因として関わっている個人の根源的特性

と定義づけられるという。

つまり変化の激しい近未来にむけて、根源的な力とは何かをまずは押さえようということだ。
馴染みのある言い方だと、「教育目標」だったり、「望まれる人間像」でもあるし、「重要徳目」でもあり、「人間力の構成要素」なんて言ってもいいのだうろう。

ただし、これを教育の過程で育むわけだから、

・学習可能であること
・様々な文脈における重要で複雑なニーズを満たすために役立つこと
・誰にとっても重要であること
・メタ認知など高次のスキルを含むこと
・社会的に高い価値が認められる結果につながること


と言った条件が必要だという。
そして、そのコンピテンシーをもつことで、

個人及び社会全体の2030年におけるウェルビーイング(Well-being)の推進力になる

という普遍的価値につながるというゴール設定がされる。

ウェルビーイング(Well-being)、

「個人の権利や自己実現が保障され、身体的、精神的、社会的に良好な状態にあることを意味する概念」(厚労省定義)

に近づいていく
そして、

伝統的に、どの国においても、教育の手段は「何を学ぶのか」と言うコンテンツを中心として形成されてきた。すなわち「どのような力がついたか」と言う結果よりも、「どのような形内容を扱うのか」と言うインプットに焦点が当てられていたと言える。

と、これまでの学校教育の傾向が反省される。「学校で習ったことの意味は、後でわかる」という言い方はこれなのだろう。

そして、プロジェクトは議論の末、次の3点のキー・コンピテンシーに到達する。

責任ある行動をとる力(Creating new value)
新たな価値を創造する力(Coping with tensions and dilemmas)
対立やジレンマに対処する力(Taking responsibility)


いかがだろう。さっと読むと簡単な感じだが、想像力と創造力を働かせ考えると、やはり含蓄のある3つのカテゴリーだと言えるのではないか。

そして、こうした議論の結果、各国でコンピテンシー重視のカリキュラム改革が進んでいるという。
以下は、ニュージーランド、シンガポール、日本のカリキュラムの構造図である。
(不鮮明で恐縮です)









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180 近未来からの風#17 OECDの提言「序文」

2022年08月14日 | 近未来からの風
テーマ設定の山 甲武信小屋のテント場 背負ってきた我が家を設営

いつも読んでいただいてありがとうございます。
「近未来からの風」という重いシリーズ、そろそろまとめていきたいと思います。
現場の教師として、重要で無関心であってはならないけど、優先順位の下がること、これをどう自分に位置付けるかということを考えつつ進めています。自分の勉強ですが、何かの助けになれば幸いです。

近未来は不確定だという。そのことは国際的には「VUCA」(Volatility・Uncertainty・Complexity・Ambiguity)(不安定,不確実,複雑,曖昧)という熟語になっているそうだ。

そもそも、学校教育は、未来への想定から、そこに備える準備を次世代に託すという当たり前の原則があるべきだが、それがなりたたない。
また、教育には教育の固有の意義や原則があるはずだが、それを語りきれない状況があるらしく、そこにも未来の教育への解を見つけにくいようだ。

そんな中、それまで、それぞれの国家が独自に企画、経営してきた教育についても、今世紀になってグローバルの流れが出てきている。
その一つが、これから取り上げていく「OECD(経済協力開発機構) Education 2030 プロジェクト」である。
「近未来からの風」は、地球規模の季節風として、共通認識されつつある。しかも、具体的に動きがある。

元来、教育は地方分権の原則がある。子どもた達は、それぞれのコミュニティに属するから教育はその小さな単位の意志を尊重されるべきだと。
特に日本では戦前の国家主義的な教育への批判もあり、教育の自治は一つの理念として尊重されてきていた。
ところが、こうしたコミュニティの課題もそれが、掌握できる範囲を簡単に超えてしまう。つまり教育の目的も内容も地方分権では収まりきれないジレンマが、グローバル化につながっているとも言えるだろう。

一国の地方の課題は、即、世界につながってきている。

例えば、こんなモードで表現できるかもしれない。
誰でもそのデジタル技術を共有しうるオープンソース、次々の表れる変幻自在なプラットフォーム、一国の貨幣にとらわれないブロックチェーンの3つの概念は、どれもバーチャルのよう気分でバイアスなく国境を越えて、いつの間にか、便利なもの、心地よいものとなって私たちにも身近なものになっおり、自覚のないままにバーチャルのはずだったそれに取り組まれたりしている。
「バーチャル」はいつの間にか、実態として産業構造や生活感を変化させている。
他の現代の問題も含めて、変化というのはこういうことだと遅ればせながら自覚すると、いつの間にうけ入れた技術や仕組みは本質的に「人を担保する」性質のものではないことに気づくのである。

そこで、人が人としてのあるべき姿をどこかで補完する必要が生じる。しかもそれぞれがグローバルな視点でということになる。

さて、その「OECD Education 2030 プロジェクト」だが、意外なほどそれぞれの国の事情や個性(思想や宗教)を越えて、議論がかみ合っている印象を受ける。それだけ各国の課題がグローバルな視点が必要になっているということと考えてよいのかもしれない。
各国には、それまでの歴史の厚みがあり、風土と根づいた宗教や特別な志向もあることが教育を考える前提だったはずだ。
それが、少なく、各国の教育関係者が近未来に向けて協調している感じは、率直にほっとする。
そして、その中身も私たちの立場からも違和感の少ない真摯なものなのである。
ちょっと大げさにいうと〝世界の教育界も、捨てたものではない”という印象だ。

次回から、このプロジェクトに文科省から参加されていた白井 俊さんの著作から学んでいこうと思う。

で、これに先立って、まず「The future of education and skills Education 2030」という小冊子(PDF)の「序文」を紹介する。

グローバル化の進展や技術の進歩の加速によって,我々は,社会,経済,環境など様々な分野において前例のない変化に直面している。こうした変化は,一方では,人類の進歩のために多くの新たな機会を提供するものでもある。未来は不確実であり,予測すること
は困難である。しかしながら,我々は常に将来の変化に対して開かれており,かつ準備ができていなければならない。2018 年に学校に入る子供は,2030 年には成人として社会に出ていくことになる。現時点では存在していない仕事に就いたり,開発されていない技術を使ったり,現時点では想定されていない課題を解決することなどについて,学校は子供たちに準備しておくようにすることができる。そうすることは,子供達が機会をつかみ,解決策を見つけるために果たすべき,私たちの共同責任となるだろう。
そうした不確実な中を目的に向かって進んでいくためには,生徒は好奇心や想像性,強靭さ,自己調整といった力をつけるとともに,他者のアイディアや見方,価値観を尊重したり,その価値を認めることが求められる。また,失敗や否定されることに対処したり,
逆境に立ち向かって前に進んでいかなければならない。単に自分が良い仕事や高い収入を得るということだけでなく,友人や家族,コミュニティや地球全体のウェルビーイングのことを考えられなければならないのである。
教育を通じて,学習者は,自らの人生を形作り,また,他者の人生に貢献していくためのエージェンシーや目的意識,必要なコンピテンシーを身に付けることができる。そのためにどうするのが一番よいかについて,経済協力開発機構(OECD)では,「教育とスキル
の未来 2030」プロジェクトを実施してきた。このプロジェクトの目的は,各国が以下の2つの大きな問いに対する回答を見つけることを手助けすることにある。

〇現代の生徒が成長して,世界を切り拓いていくためには,どのような知識や,スキル,態度及び価値が必要か。
〇学校や授業の仕組みが,これらの知識や,スキル,態度及び価値を効果的に育成していくことができるようにするためには,どのようにしたらよいか。
(後略)


何かほっとするものがある。

次のHPから引用しました。
https://www.oecd.org/education/2030-project/about/documents/OECD-Education-2030-Position-Paper_Japanese.pdf


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179 石垣と楠木

2022年08月07日 | エッセイ
テーマ設定の山 甲武信岳山頂! 何度か立った山頂ですが、いつも新たな感慨があるものです。テント、重かった分?。

司馬遼太郎さんが『街道を行く』の中で山口市を訪れ、ある老舗の旅館に逗留しているくだりで、こんなエピソードを紹介している。

(旅館で供された)その菓子(ういろう)を1口食ってから、
「おかしいところがありませんね。」
といった。風間さん(旅の同行者の挿絵の作家)は、
「宿というのはね‥。」
と言う。
「一代や二代の宿屋の主人がえらくたって、こうはいきませんよ。何代もかかっておかしいところを直していかなきゃこうはいきません。それも雑な土地じゃぁだめですね。雑じゃない土地でなきゃこういう宿は出来上がりませんね。」
とも言った。
「これで長州の気分が少しわかりましたよ。」
と言った。

いかにも司馬さんの紀行記らしい引用だか、NHKによって映像になったものを見ると、たしかにきちんと時を経てきた旅館の居住まいがいい。


こういう感性で、訪問する小中学校を見ると、これと似た感慨をもつことがしばしばある。

その時を経てきた感じから、60年以上も前、小学生だったおじいちゃんやおばあちゃんもが毎朝通ってくる姿をこの校門横の楠木は見ていただろうし、お父さんやお母さんも登ったりしたであろう石垣は、今も小学生の元気に応えていて、教室は、時々の地域の子ども達をうけ入れ、壁には子ども達の歓声がしみ込んでいる、なぜかそれが実感されたりする。
「雑な時間を経ていたら、こうはいきませんねぇ」
現在も安心で安全な学校づくりのため地域の方が交差点に立ち、ICT教育によってさまざまな機材が、特別講師とともに加わわたり、PTAには新しい委員会ができたりしている。

そして、その雰囲気は、一種の文化財のように各地域、各学校に蓄えられている。

全国の沢山の学校でこういう伝統をもっているように思う。

ところで、今、VUCA(予測困難で不確実、複雑曖昧)な時代にあって、OECD(経済開発協力機構)は「ニュー・ノーマル(新常態)の教育」という概念を提唱してきている。
教育のグローバル化の流れである。
そして、その主たる理念として、「開かれた意思決定を行う」という方向性が示されている。教育の責任の所在の変更を促している。

伝統的に、教育政策に関する意思決定や学校での判断等は、例えば政治家や行政官、教育学者、あるいは校長や各授業を担当する教師など、限られた人によって行われる傾向があった。例えば、カリキュラムの大枠は国が定めて、具体的なカリキュラム内容を学校が決めることが多く見られるが、そうなると、例えば、政府や学校などの個別の意思決定の妥当性について、決定を行った国や学校の責任ばかりがクローズアップされるようになってしまう。しかしながら、意思決定に対する責任を追及しても、それが次への改善につながらない場合も多く必ずしも生産的ではない。ニュー・ノーマルの教育では、限られた人だけが意思決定を行うのではなく、雇用者や保護者、生産や生徒や地域の人々など多様な関係者が意思決定に関わり、責任を共有していくことがより重要になってくると考えられる。
(白井 俊『OECD Edudation2030プロジェクトが描く教育の未来』ミネルヴァ書房)

筋の通った考え方だが、“おらが街の学校”はもともとそういう立派な伝統をもっているように思う。
「このことは、世界に誇れることと言っていい。」
と、司馬さんは言うように思う。




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