諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

186 近未来からの風#22 OECDの提言「頑張れ! agency」

2022年09月24日 | 近未来からの風
秋の山で2 明野町から甲斐駒ケ岳

「VUCA」(Volatility・Uncertainty・Complexity・Ambiguity)(不安定,不確実,複雑,曖昧)という未来像での学校教育はどうあるべきか、各国の有識者はどう考えるのか「OECD(経済協力開発機構) Education 2030 プロジェクト」から見て行きたい。
テキストは、
白井 俊『OECD Education2030プロジェクトが描く教育の未来:エージェンシー、資質・能力とカリキュラム』ミネルヴァ書房 (2020/12/22)
参考のHP
OECDにおける Agencyに関する議論について - 文部科学省

第3章 エ―ジェンシー

前回のラーニング・コンパスが、学びの方向性を指し示す羅針盤であることに対して、それに沿って歩こうとする意志や体力の養成が必要になる。
こうした生徒の主体性のことを「エージェンシー(agency)」と呼ぶ。
OECDの定義では、「変化を起こすために、自分で目標を設定し、振り返り、責任を持って行動する能力」としており、白井さんも「ラーニング・コンパスにおいて、その中核的概念」としている。

ただ、「生徒等の主体性の実現」は、似た表現のものも含めるとほぼすべての学校の教育目標に取り上げられているし、教育基本法にも「公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し」として、いわば学校教育の普遍的な概念と言える。
このことについて白井さんはOECDでの議論を踏まえて、次のように言う、

実は「主体的」や「主体性」の捉え方は曖昧であることも多い。実際、教師の指示に誤りなく従ったり、宿題を忘れずに提出するといった行動が、「主体的」と考えられている場合もあったりする。ただ「主体的」や「主体性」が本来目指すところが、単に教師の指示通りに行動することがことではないとしても、反対に、生徒による自発的な行動であれば何でも良いと言うものではない(OECD、2019)。

ややもすると、思考停止になりがちなこの概念をVUCAとなる時代において、OECDがどのようなイメージで捉え直しをし、再生しようと試みるのかを追ってみよう。

エージェンシーが、なぜラーニング・コンパスの中核的な概念として位置づけられるかと言えば、よりVUCAとなる未来において、私たちが実現したい未来(The Future We Want)」を実際に実現していくために、エージェンシーが必要になるからである。すなわち、「私たちが実現したい未来を」を実現していくためには、生徒が、教師から支持されたことをこなすだけであったり、あるいは、労働者が企業から求められるスキルを身に付けていくだけでは足りない。コンピテンシーに関する議論を含めて、従来の教育のあり方に関する議論が、ややもすれば、「(企業等からの)人材ニーズに応えていくために、どうしたら良いのか」、と言う観点から議論されがちであったのに対して、より本質的に重要なのは、自分たちが実現したい未来を、そもそも自分で考えて、目標設定し、そのために必要な変化を実現するために行動に移していくことである。

という差し迫った現状を踏まえた上での主体性(エージェンシー)と言うのが、ややもすると態度主義的だった主体性のイメージとかなり異なることなる。
そして、日本の現場においては、このエージェンシーの形成は喫緊の課題と言える。以下の表では、日本の教育におけるエージェンシーが極端な低さを表しているとして本書にも取り上げられている。



(日本財団(2019) 18歳意識調査)

白井さんが、このデータを取り上げたのは、OECD加盟国の中にあっても、日本が際立ってこのエイジェンシ―への課題の大きいことを感じていることを示しているように思われる。切迫感と言ってもいいのではないか。

さて、この会議場エージェンシーをどう提案していくのかについて、イギリスの文筆家であり教育実践家であるチャールズ・リードビーターさんと言う方が積極的な発言をしプロジェクトの議論をリードしていったようである。

リードビーターは、現在の教育システムが、教師による一方的な授業が中心であり、真の学びにつながっていないと言う危機意識を前提にして、「ダイナミック・ラーニング」の基本となる4つの要素として、①知識、②自己に関するスキル、③社会的スキル、④エージェンシー、を提案した。

そして、彼自身の問題意識を次のように表明している。

過去20年で、途上国を中心により多くの生徒が学校に通うことになったのは、教育における大きな成果である。しかし、生徒が学校で学んでいることのうち、彼らがその後の人生で直面する課題に取り組むために役立つ事は、極めて少ない。学校に入るとしても、ほとんど何も学んでいないのである。たとえ、優れた成果を出している国(あるいは教育制度)の生徒で、テストの点が良い点をとっている場合でも、実社会における変化や不確実性に対しては、充分には適当でない適応できていないだろう。より変化が激しく先の見通せない世界では、イノベーションや企業がより大きな影響を持つ。そのような世界で、新しい技術に適応しそれらを最大限に活用していくためには、子供たちは単に決まったルーティンを行うだけでなく、世の中で自分なりの道を切り開いていく力をつける必要がある。チャンスを見つけることや自らの目標を持つこと、リスクをとったり時間や労力を使うこと、複雑な問題を解決したり共通の目的を達成するために他者と協調できるようになる必要がある。

過去20年の学校教育は人生で直面する課題にとって無価値だったという。
少し乱暴に感じるが、この意見に対しては、(エージェンシーのモデルが個人レベルから地域レベル社会レベルへと徐々に広い世界に拡大していくと言う直線的なイメージであったことに対して、エージェンシーは個人や地域、社会との相互の往還関係の中で育っていくものではないかと言う批判が示されることになったようだが)、大筋同意を得て、新しいエージェンシー(生徒の主体性)の概念形成や目標設定、イメージ作りを主導したようだ。
そして、こうした議論の中で確認されていった部分やそれを踏まえた白井さんの文を断片的だが、引用する。
つまりあらたなエイジェンシーの姿の参考である。

エージェンシーは必ずしも1人だけで発揮されるものではなく、共同で発揮されるものであるとして、「共同エージェンシー(Co-agency)の概念が提唱されるなど、理論的な整理が行われた。

単に行動さえすれば、その結果は問われないと言うものではない、と言うことである。すなわち、エージェンシーには、生徒一人一人が社会の一員として、社会がより良くなるように考え、行動していくと言う責任があることが願意されているのである。

なお、しばしば誤解されがちだが、生徒がエージェンシーを発揮する事は、教師の専門性や教師による指導を否定するものではない事は注意する必要がある。もちろん、エージェンシーは、教師が一方的に生徒を指導したり、評価したりするといった古典的な教育に対する挑戦と言う側面はあるかもしれない。しかしながら、生徒がエージェンシーを発揮すればするほど、教師は、それを受け止めるだけのいっそう高い専門性が要求されるのであり、そうした力を備えた教師に対する需要がますます高まってくると考えられる。

エージェンシーとは単に個々人がやりたいことをやることではなく、むしろ、他者との相互の関わり合いの中で、意思決定や行動を決めるものである。

エージェンシーが、一人一人が成長する社会的・文化的な文脈において、親や仲間、地域の人々等との関係性を通して育まれるものであると言う事は、エージェンシーが、生まれながらにして変えられない性格や性質といったものではなく、学習することができるもの(learnable)であるとし、変えることができるもの(malleable)であることにも留意したい。


以上のように、議論の中で主題にきたるべき近未来に向けてのエージェンシーの有り様が姿を現してきたようである。

次回はこのエージェンシーをどう指導に取り込むかについて学んでいきたいと思う。


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185 近未来からの風#21 OECDの提言「学びの羅針盤!」

2022年09月18日 | 近未来からの風
秋の山で🈟 北沢峠

「VUCA」(Volatility・Uncertainty・Complexity・Ambiguity)(不安定,不確実,複雑,曖昧)という未来像での学校教育はどうあるべきか、各国の有識者はどう考えるのか「OECD(経済協力開発機構) Education 2030 プロジェクト」から見て行きたい。
テキストは、
白井 俊『OECD Education2030プロジェクトが描く教育の未来:エージェンシー、資質・能力とカリキュラム』ミネルヴァ書房 (2020/12/22)
参考のHP
OECDにおける Agencyに関する議論について - 文部科学省

第2章 プロジェクトの背景と議論の経過(つづき)

SDGsの指標ともマッチしたウェルビーイングの指標を目指した形で、3つのコンピテンシーを策定したプロジェクトは、ラーニングコンパス(学びの羅針盤)をしめしていくことになる。

その意図と経緯を長くて恐縮だがそのまま引用しよう。

Education2030プロジェクトにおいては、当初考えられていたのはコンピテンシーに関する学習枠組み(learning framework)を策定することであった。(中略)
その意味ではIWGにおいても、「Education2030学習枠組み(Education2030 Learning Framework)」などの言葉が暫定的に用いられてきたのであるが、なぜ「ラーニング・コンパス」と言う表現になったのだろうか。
ラーニング・コンパスは、日本語に直訳すれば「学びの羅針盤」であるが、明らかに比喩的な表現である。第1章で述べたように、AIの発達や移民の増加、サイバー・セキュリティーなどの新しい課題が続々と登場してくる中で、「生徒が、単に決まりきった指導を受けたり、教師から方向性を支持されるだけでなく、未知の状況においても自分たちの進むべき方法を見つけ、自分たちを舵取り(navigate)していくための学習の必要性を強調する」(OECD、2019)ことが意図されたのである。生徒が直面するコンテクストを大きく分けると、“Time”と(時間的コンテスト;過去、現在、未来)と“Space”(空間的コンテクスト;家族、コミュニティー、地域、国家、デジタル空間などの社会的空間)があり、人生の様々な場面で積極的に行動していくためには、こうしたコンテクストを縦横無尽に動いていかなければならない(OECD、2018b)。そのために必要なのが、自分のアイデンティティーをしっかりもちながら、自分がしたいこと、すべきと考えることを、行動に移すことである。大切なのは、「誰かの行動の結果を受け止めるよりも、自分で行動することである。形作られるのを待つよりも、自分で形作ることである。誰かが決めたり選んだことを受けることよりも、自分で決定したり、選択すること」(OECD、2019)である。
(上述のように)この「学習の枠組み」については、様々な議論が行われ、またそのイメージ図についても各国の行政機関や研究者、実務家、さらにはデザインの専門家なども協議しながら改良が重ねてきた。その結果コンパスのような形を設けることとし、(中略)学習枠組みの名称について「ラーニング・コンパス」とすることが提案されている。「コンパス」は方角を示すものであるが、「ラーニング・コンパス」が示唆する方向とは、「私たちが実現したい未来(The Future We Want)」の方向と言うことである。よりVUCAとなる世界において、目指すべき方向にナビゲートしていくことを象徴するものとして用いられているのである。

としており、以下は3種類が代表的なデザインで議論を経て変化してきている。
(文字がつぶれないように濃淡を補正してあります)









「VUCA」(不安定,不確実,複雑,曖昧)という未来にむかってこれらのコンパスで歩んでいくということだ。
こうしたイメージをもとに日本を含めた各国が教育の改善・改革をすすめる主原料にしていきつつあるのだ。

ところで、この「学びの羅針盤」は各国を代表する教育学者や心理学者、そして哲学者が参加して作りあげたものである。プロジェクトの中でこの方々が盛んな議論をし、白井さんは議論の過程を丁寧に本書に取り上げている。
紙幅の限界もあり、ランダムな引用を許していただいて、その一部を紹介する。

ブルーム・タキソウのみにおける認知面、精神運動面、上位面と言う分類を踏まえると、教育プログラムの一般的な要素として考えられるのは、知識、スキル、態度に相当する3つの要素と言うことになる。(中略)プロジェクトの開始当初、議論の参考となる「たたき台」が必要ということで、暫定的にいくつかの素材が検討に用いられていた。
(非公式な会合(IWG)でも)X軸、Y軸に示されている知識やスキルだけでなく、Z軸方向に態度(attitudes)が盛り込まれていること、また、近年重視されているメタ認知(meta-cognition)が全体を通底する概念として示されている。

メタ認知の位置づけについては、(上記のように)、ドメイン全体に通底する概念として捉えられていた。プロジェクトにおいては、これらのような形で、メタ認知を知識やスキルとは異なる、それらよりも高次な別種のものとして扱うべきか検討が行われた。たしかに、自らの知識の質や量についてメタ認知することも、自らのスキルのレベルについてメタ認知することも、また自らの態度や価値観のあり方についてメタ認知することもあり得る。しかし、そもそもコンピテンシーのの統合的性格を前提とすると、メタ認知という個別のスキルのみを、このように特別に扱うことが適当なのか、という疑問が示されたのである。また、メタ認知スキルも認知的スキルの1類型であることから、これを別枠に整理する事は概念整理として適当でないとの指摘も出され、後にメタ認知スキルを認知的スキルの一環として整理することで合意が得られたところである。

態度などに関する側面を整理する際のラベリングの仕方についてである。態度(attitudes)と言う軸が設けられているが、態度は一定の道徳や倫理に基づいて表出されるものでもあることから、問題になったのは、道徳や倫理を含めた価値観を、態度などに関する側面のラベリングにおいてどのように考えていくかと言う点である。(中略)
議論の過程において、“character qualities”(人的資質)などの用語を提案されたこともあったが、これもキャラクターと本質的に同じ問題があるとして、最終的に、態度(attitudes)に価値観(values)を加える形で「態度及び価値観」(attitudes and values)という言葉で合意を得たところである。

以上、断片的で申し訳ないが、似た議論は以前から国内でも何度も行われ、これからも行われていくだろう。「メタ認知の通底」やコンピテンシーを自律的な力(intre-personl)と集団での相互関係での力(intre-prasonal)に分ける考えなどは、議論の上でも新鮮で白井さんもここにレポートする価値を感じられたのかもしれない。

そして、その成果は、現に今度の学習指導要領にもいかされており、

文部科学省が示している学習指導要領においても、資質・能力の3つの柱である「知識及び技能」「思考力、判断力、表現力等」「学びに向かう力、人間性等」が、バランスよく育成されなければならないとされているが、コンピテンシーの統合的性格についての正しい理解に基づくものと言える

と本書にも書いている。
ただ、要点である「統合」して表されたことは、可視化も定量化もしにくく、それが有効性も評価しずらい。だから現場としては扱いにくい印象をうける。いかに統合的にそれぞれの要素を含み込ませるか、ということなのだが、その答えたは実践の積み上げの先ある、ということなのかもしれない。
上の初期、中期のイメージ図は「知識」「スキル」「態度及び価値観」がお互いが編み込まれる流れとしてあらわされ、「統合」を際立てようとしている。

資質・能力の3つの柱それぞれを意識する事は重要であるとしても、本来のコンピテンシーの考え方からすれば、3つの柱を別個独立のものとして捉える事は現に避けねばならない。

と、白井さんはくり返している。

次回は、子ども達が学習の主体者であるべきとするプロジェクトの趣旨を担保する「エージェンシー」について学んでいく。

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184 肺胞のはたらき

2022年09月12日 | エッセイ
テーマ設定の山🈡 
山小屋の主人が拓いた道を登り、5月の残雪を踏み、遥か稜線を仰ぎ、背負ってきたもので自炊し、中世以来の峠道をいくと、さすがに心に何かが芽ばえます。写真は「雁も超えた」伝説の峠に続く道です。


「肺」というと、そこで呼吸をし、体内に酸素を供給するところ、ということになる。
体中の血液は肺静脈を通って、肺にもどり、不要になった二酸化炭素を出し、代りに体外から得た酸素を溶け込ませ再び肺動脈と通って体内各所へと流れていく。
全身の細胞は生存のためには、血液によるガス交換が順調に行われなければならない。
だからこそ、医療的なケアが必要な子は、バイタルチャックとして血中酸素濃度の測定を定時におこなうが、つまりはこのガス交換が順調に行われているかを確認しているのである。

以上の説明は、概ね妥当だろうし、「肺」の役割の重要性は理解できるだろう。

ところがである。
この「総論」では、体内のリアリティまでも網羅していないとも言える。
血液のガス交換を行っているのは、「肺」ではなく「肺胞」である、という見方である。
もちろんこれは視点の置き所の問題で、誤りを指摘するものではない。
ただ、実際視点を変えてみると、肺胞という小さな組織は肺の中に3億も存在し、気管支の末端でそれぞれの肺胞は毛細血管を経て流れてきた血液から二酸化炭素を放出させ、代りに酸素を担わせるというリアルを行っているのである。
そして実際にこの肺胞個々の働きなければ、概念上の肺はその役割を果たせないのである。
たしかに、「3億個のはたらき」というと想像しにくいし、「肺」という概念にまとめているのだが、3億の肺胞の絶え間ないはたらきが生命維持に不可欠だというのも思い出すことも必要である。

同様な構造が、教育を語る上でも生じる。
子ども達の日々のガス交換を行うのは、全国約2000万の家庭(あるいは家庭的環境)である。
この個々のはたらきがあって子ども達のリフレッシュが行われる。
概念上の教育はこの上に成り立っているという以上に、それが子どもの成長に不可欠なのである。
そのことを教師は日々実感している。

家庭という「末梢部」が教育を(ひろくとらえれば社会をも)維持させている。
これは「VUCA」の時代であっても当然変わらない。
営みともいえる家庭内の教育は教育という枠では捉えられないほどの大きさで子どもたちを育んでいることをときどき思い出す必要がある。
視点を変えれば、2000万の組織の健康はそれそのものが近未来への資産と言える。

肺機能の実質を担う肺胞は、その重要さに反して一度失われると再生しにくい組織だという。



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183 近未来からの風#20 OECDの提言「循環型」

2022年09月04日 | 近未来からの風
テーマ設定の山 ここは甲斐の国(山梨)と武藏の国(秩父盆地)とを結ぶ「雁坂峠」という要衝だったところです。トンネルができる1998年までこの山道が国道だったそうです。

「VUCA」(Volatility・Uncertainty・Complexity・Ambiguity)(不安定,不確実,複雑,曖昧)という未来像での学校教育はどうあるべきか、各国の有識者はどう考えるのか「OECD(経済協力開発機構) Education 2030 プロジェクト」から見て行きたい。
テキストは、
白井 俊『OECD Education2030プロジェクトが描く教育の未来:エージェンシー、資質・能力とカリキュラム』ミネルヴァ書房 (2020/12/22)
参考のHP
OECDにおける Agencyに関する議論について - 文部科学省

第2章 プロジェクトの背景と議論の経過

序章では3つのコンピテンシーについて述べた。
コンピテンシーは今後の社会改善・学校教育の指針言って良いものである。

責任ある行動をとる力(Creating new value)
新たな価値を創造する力(Coping with tensions and dilemmas)
対立やジレンマに対処する力(Taking responsibility)


である。
また第1章では「ニュー・ノーマル」の方向性が示された。
それは学校教育のイメージを変える必要を述べている8項目であった。

そして、第2章は、こうした指針やイメージの変更を迫る大きな理念と経緯にについて触れていく。

OECD Education2030プロジェクトはその先駆け的なプロジェクト(2000年に行われたDeSeCoプロジェクト)を踏まえており、それをお手本としたり、あえて批評的に扱ったりして発展させているという。
15年前との状況の変化があり、意識も変わってきたらしい。
今回のプロジェクトの冒頭、その決意として、OECD教育大臣会合において次のような発言がなされていると言う。

持続可能な開発と社会的連帯(social cohesion)は、すべての人々のコンピテンシー ―すなわち知識やスキル、態度及び価値観を構成すると理解されるもの― にかかっている

そしてそれが前述したウェルビーイング(well-being)に向けて設定されるべきであることが改めて強調されたようである。そのことによって抽象的でやや不統一でつたコンピテンシーも具体的に実行可能な枠組みの策定を伴うようになつてきたと言うことらしい。

ところでなぜ、経済協力開発機構が教育問題をとりあげるのか。
これにも時代情勢が強く関係する。

OECDは各国の経済発展を目的として設立された組織であり、OECDにおける教育関連のプロジェクトも、経済に資するための教育と言う側面が強いとの批判が示されたこともあったが、近年ではOECDのミッション自体が、単純な「経済的成長(Economic growth)」から「包括的成長(Inclusive growth)」へと変わってきている。すなわち、従来の「経済的成長」の指標とされてきたGDPなどに着目するだけでは、仮に、GDP自体の増大が見られたとしても、そのおかげで貧困などの問題が拡大していくといったことも十分に考えられる。こうした格差などの問題にも配慮しながら全体としての成長を目指していくことが、現在OECDが目指そうとしている「包括的成長」の含意するところである。

と言うのである。
それを表したものが新たに改定されたOECDのミッションの標語「より良い暮らしのための、より良い政策」であり、その指標としてつくられたのが、「より良い暮らし指標(Your Better Life Index)」のアップデート版らしい。

これに関連してOECD事務総長のアンヘル・グリアさんも、

以前から、世界中の人がGDPを超えた(指標)を求めている。この指標は、そのために作られたものであり、『より良い暮らしのための、より良い政策』を進めていく上で、大きなポテンシャルを持っている。

と言っている。

その中身は、有名な国連の持続可能な開発目標(SDGs)の17の目標と一致しているものが多いのである。



(下の表は、外務省のHPから)
こうしてOECDのウェルビーイングの指標は、従来のGDPの指標とは異質な、より普遍性の高いものとして、またSDGsと矛盾することのないものとして策定されつつある、と言う。

GDPの議論を超えたウェルビーイングはどう実現されるのだろう。下の表はその達成がその達成は循環システムの中でらせん的に実現されていくことを示しているようである。




こうした循環的なシステムはこの後述べる教育の達成の経路図、
「ラーニング・コンパス」
にも引き継がれていく。

確かに、GDPの目標は単一の物差しで直線的な比較を受ける目標である印象がある。
対して、持続化可能ということのキーワードには循環型であり、いわばシェアしながらの相互支援的なニュアンスが強い。

前に書いたが、日本はGDPは第3位だが、幸福度ランキングは62位なのである。
夏休み明けの若年層の自殺の問題は現実に学校でも緊張感がある。
経済規模、資源消費は人々のウエルビーングとは直接は関係がないことが国際的にも認知されてきている。





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