(写真)火の見櫓の横のアヤメ。
鎌田実さんは高校生の時、親に「頼むから勉強しないでくれ」といわれたという。全部自分で賄うからと言って、東大医学部にいった。
当時の大学進学率は20%台だった。大多数は18歳で地域社会で働いた。第二子以降は「東京に出て」働いたのかもしない。
18歳で、地域社会のファンダメンタルとして働くことは自然だった。
18歳まで育てれば、子どもは家族や地域のの力となり、学校教育も家庭教育も成就する。余裕がないからこそ子沢山になり、家族の力としたかった。沢山の子どもの中から自然にリーダー的な者が現れ家族や地域のバランスを保ったことだろう。
大学進学率は50%になった。
「マーチ」や「ニットウコマセン」をランクキングみたいにならべて争う。
4年間で一人500万円かかる。進学塾や諸経費をいれると3人とも大学生は難しそうなので子どもが多いことは経済的負担になる。家族や地域の援軍になる前に家計が立ち行かない。誰でもはじめから計算できる。
50年前ならいたはずの兄弟姉妹は、学費等の教育費負担感の影で誕生しないことは容易に想像がつく。
そもそも仕事は「やりたい仕事」として陳列されている訳ではない。誰かがやらないと困るからあるのが仕事だ。やりながらスキルを身に着け、やりがいもあとからついてくる。そのことは大学教育歴とはそれほど関係がない。
「父は、煙突掃除の仕事をしてるんだ」というドイツの少年は、父の太い腕っぷしを誇りにしているようだった。
堺屋太一さんは「高等教育を受け、企業に就職し、子どもはせいぜい2~3人、郊外にマイホームをもうけて、子どもも大学にやる、っていう人生観が定着した」という。官僚が主導したというがそれは分かららない。
また、教育書によると1960年前後には「教育ママ」という言葉が登場する。家庭教育ブームという現象が生まれ、家庭教育が学校教育の下請け的な性格をもち、あらゆる階層が学歴獲得競争に巻き込まれはじめた、という。これを家族の戦後体制というらしい。
大学などの高等教育が、職業選択と必ずしも直結しないことを確認することが、子育ても、学校教育も、職業観も楽に、豊かにするのではないか。
しかし、この仮説も、戦後体制にほぼ順応して歩を進めてきたわれわれには確信をもって言いにくい。
鎌田実さんは高校生の時、親に「頼むから勉強しないでくれ」といわれたという。全部自分で賄うからと言って、東大医学部にいった。
当時の大学進学率は20%台だった。大多数は18歳で地域社会で働いた。第二子以降は「東京に出て」働いたのかもしない。
18歳で、地域社会のファンダメンタルとして働くことは自然だった。
18歳まで育てれば、子どもは家族や地域のの力となり、学校教育も家庭教育も成就する。余裕がないからこそ子沢山になり、家族の力としたかった。沢山の子どもの中から自然にリーダー的な者が現れ家族や地域のバランスを保ったことだろう。
大学進学率は50%になった。
「マーチ」や「ニットウコマセン」をランクキングみたいにならべて争う。
4年間で一人500万円かかる。進学塾や諸経費をいれると3人とも大学生は難しそうなので子どもが多いことは経済的負担になる。家族や地域の援軍になる前に家計が立ち行かない。誰でもはじめから計算できる。
50年前ならいたはずの兄弟姉妹は、学費等の教育費負担感の影で誕生しないことは容易に想像がつく。
そもそも仕事は「やりたい仕事」として陳列されている訳ではない。誰かがやらないと困るからあるのが仕事だ。やりながらスキルを身に着け、やりがいもあとからついてくる。そのことは大学教育歴とはそれほど関係がない。
「父は、煙突掃除の仕事をしてるんだ」というドイツの少年は、父の太い腕っぷしを誇りにしているようだった。
堺屋太一さんは「高等教育を受け、企業に就職し、子どもはせいぜい2~3人、郊外にマイホームをもうけて、子どもも大学にやる、っていう人生観が定着した」という。官僚が主導したというがそれは分かららない。
また、教育書によると1960年前後には「教育ママ」という言葉が登場する。家庭教育ブームという現象が生まれ、家庭教育が学校教育の下請け的な性格をもち、あらゆる階層が学歴獲得競争に巻き込まれはじめた、という。これを家族の戦後体制というらしい。
大学などの高等教育が、職業選択と必ずしも直結しないことを確認することが、子育ても、学校教育も、職業観も楽に、豊かにするのではないか。
しかし、この仮説も、戦後体制にほぼ順応して歩を進めてきたわれわれには確信をもって言いにくい。