諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

63 理想論の習慣

2020年01月25日 | エッセイ
箱根旧街道(山中城跡の辺り)にて

 世にでる前の若い龍馬と桂小五郎が東海道中で一緒に富士を見上げて、まだなんの目標も決まってないのに、
「やろう!」「やろう!」
誓いあう場面が『竜馬がゆく』にある。

 若者の荒唐無稽な志へのエネルギー。
それが後年成就していく、その過程がこの人気小説のエッセンスだ。

 一方、小説から転じてわが身を振り返ると、日々の仕事や生活のなかで、無理な理由をたくさん見つけてしまう。
時間の不足、お金の不足、体力の不足…。
あるいは、気分の不足。

 しかし、不足の多い現実は、未来にもつながった現実でもある。不足にひっぱられない未来志向も時には必要だ。
個人でも組織でも、そういう思考をする工夫が必要なのではないか。
 

 中村哲さんと緒方貞子さんが亡くなったニュースがあった。
その仕事が回顧されると、お二人の特別な能力と専門性に圧倒される思いがするのだが、同時に、その背後に若いころからずっと持ち続けたピュアな志があったことにも気が付く。

 理想を語ることで失うものはない。
 そして時にそれが成就する。

※気になった読み返すと、竜馬と小五郎のくだりは、相州 三浦半島でのものでした。(後日訂正)



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62 生体としてのインクルージョン#08 シャッター 1/3

2020年01月18日 | インクルージョン
高尾山は初詣を兼ねた山行

「この地区は歴史があって、80歳のおじいちゃんやおばあちゃんもこの小学校の出身なんですよ」
と小学校の校長先生。
地域連携の教育相談でこの学校に来ている。
校長室には明治の文豪のような歴代の校長先生の肖像写真がこっちを見ている。

 「学制」が公布されたのが1872年なのだから、創設100年を超える小中学校はざらである。
最近は「コミュニティーススクール」と敢えて提唱されているが、もともとそんな雰囲気がある学校。

 石垣沿いの道を歩いて来て、角をまがって坂を上っていくと石の門柱に出迎えられる。そして大きな楠がある。
昔から変わらない道程。
 この同じ道を80歳のおじいちゃんやおばあちゃんも通っていた。
学校に農地を貸してくれている〇〇さんも、民生委員の〇〇さんも、子ども会をまとめている友達のお母さんも、駅前の商店街の人の中にも先輩がいる。

 だから自然に現在の小学生(中学生)を見ても、かつての自分と重ね合わせて、ある種の好意をもって見守っている。
優しいし、ときには厳しく叱ったりもする。ゲストティーチャーとして実際に学校に呼ばれることもある。
 学校は学校教育の場でもあり、地域社会のもつ教育力の心理的な基盤となっているように感じる。

「今年、いろいろ考えて遠足の場所を歩いて行かれる場所に変えたら、PTAは「やっぱりバスに乗せてあげたい」という。だけど、地域の方からは「子どもは歩いて遠足に行くべきだ」と逆の意見が出たんですよ」
という。校長先生もやや当惑気味だったが、地域の学校の運営を住民がやっている感じがよくわかる。


 特別支援学校は都道府県に設置が義務づけられたのが1979年だから学制から100年後だ。
歴史が浅い上、ほとんどの学校の設置者が都道府県だから所在する市長村との関係も小中学校の場合とは異なる。
「おらが町の学校」になりにくい。
その上生徒の通学範囲が広い。スクールバスに1時間乗ってくる。付属の寄宿舎に泊まり込んでいる子どももいる。
生徒が7つや8つの市町村から来ていることもまれではない。

 そうなると、小学校(中学校)のような地域との自然な交流はやや得にくい。
「地域社会とのかかわりは条件的に難しいのか」
などと思いながら、本校の近隣を歩いてみると、地域も高齢化がすすんで人通りが少ないし、商店街もシャッターが下りているお店が目立ってきていることに改めて気づいたりする。
 「インクルーシブ社会と言ったって…」

 ちょっとしんどいなと思ったとき、出来事があった。
生徒が授業を抜け出して校外に駆け出したのである。

                        (つづく)

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61 人、社会、技術

2020年01月12日 | エッセイ
定番、三つ峠山からの富士山


 教育観とは社会観
であるという。
「こんな社会ならいいなあ」という大人の想いがその社会を構成していく子どもたちの教育へと託される。
教育を明るく捉えるとき、この原理がはたらいている。

 しかし、一方で、現実の時世はそんな楽観を許さない。
 社会情勢によって家庭教育も学校教育もあえなく浸食されてきた。
戦時教育はその最たるものであが、そこまで極端ではなくとも、子どもを社会化させることが教育の一つの目的なら時々の社会からの要請は当然である。
 

 18世紀、社会の要請で子どもがほんろうされる予感してきたころ、ルソーが現れた。
そして、果敢に言った。
「人間の教育はわたしたちの力が及ばない「自然の力」(能力と器官の内面的発展)に沿って組織されるべきだ」
と。

 果たして、今日の学習指導要領の議論もこの社会時世の流れと子ども発達に配慮した流れの2つが対抗軸となって落としどころを探す構造になってきた。

 
 とくろが昨今第3軸が急速に顕在化してきた。
1960年代三島由紀夫が「技術ってのは自己目的もってますからな」となにやら技術に人格があるかのように言ってから50年、技術が社会のありようも人間のありようも変える勢いだ。

 ルソーのいう「自然の力」、社会からの要請、そして急速な技術による生活や環境の変化。

 あるAI関係のシンポジウムでお坊さんは「その社会で人間は幸せになるんですかねえ」といい、科学者も「だったらコンセントを抜いたらいい」というが、人間の業(ごう)見たいなもので、人間は技術の自己目的性を暗黙で歓迎しているのである。
 
 間違いなく、人間性を担保する条件について考える必要がある。

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60 生体としてのインクルージョン#07 空地

2020年01月04日 | インクルージョン
 学校の裏の空地に立っている。
文化祭、駐車場整理。PTAの黄色いはっぴを着て、手に赤い誘導棒をもっている。

 車はまだ見えない。A地点とB地点に先に誘導するからここには当分車はこなさそう。

 校舎の中は、文化祭の準備で慌ただしいのだが手伝いようもない。
ここにいなければならないから仕方がない。
そう割り切ると、次第にその場にいることに馴染んでいく余裕がでてきた。

 秋晴れが気持ちいい空地で、見上げると雲が高い。
学校で空を見上げることなんてない。


 向こうに校舎の背中が見える。校舎の外壁はモルタルで少しくすんで年季を感じる。
思えば、この校舎の中でほぼずっと働いている。

 毎朝、バス停を降りてからは、今日やることを整理しながら歩く。
気がかりなことを思い出してはその対応を頭の中の「To Do リスト」に加える。
 更衣室でいつも執務兼介助の服装に着替えて、PCを起動させつつ、剥がれかけた掲示物を直し、挨拶しながら、「気がかりA」?を教頭先生に相談したりする…。

 そんな勢いで「To Do」に追われて1日が過ぎる。退勤するのは夜だ。その間校舎を出ないこともある。

 だからこの空地にいることや空地からの景色をほぼ意識したことはない。


 見渡すと新しく建った住宅が多い。新築マイホーム。外壁が白く光っている。

 しばらくして、数人の子ども達が家から出てきて、自転車で遊びだす。
「小学生がいたのか」

 その隣の家のおじいちゃんがポストの新聞を取りに出てくる。おかあさんが布団を干している。
そんな平凡な光景だったが、それが新鮮に感じた。

 たぶん、同じころここに来たこの人たちにはきっとそれなりの繋がりがあり、一緒に暮らしている感触があるに違いない。
今日はこの人たちのいつもの日曜日なのだ。


 こんな光景を識った上で、改めて学校を振り返る。
個々の家の窓からは学校の校舎が見えている。校舎は圧倒的に大きい。
「これって結構な存在感なのだろうな…」

 それにしても、こんなこと、今頃気づいている。もう何年もここに勤めているのに。

 などと考えていると、自転車の小学生達の一人が泣き出した。思わず小走りで近づいて、
「どうしたの?、大丈夫?」
と金網越しに聞く。
「こいつが自転車貸さないから…」
と言う。ケガではなさそうだ。

 はじめてこの子たちとしゃべった。なんでもないやり取り。
同時に、なんだか気分が晴れない感じが残った。
 
 ここにも子どもがいるという実感と、これまで認知していなかった後ろめたさ?。 

「自分は、あのモルタル校舎の中だけで「先生」なんだ」

と。


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