秋の山で 5 男体山と湯ノ湖 金精峠から
「VUCA」(Volatility・Uncertainty・Complexity・Ambiguity)(不安定,不確実,複雑,曖昧)という未来像での学校教育はどうあるべきか、各国の有識者はどう考えるのか「OECD(経済協力開発機構) Education 2030 プロジェクト」から見て行きたい。
テキストは、
白井 俊『OECD Education2030プロジェクトが描く教育の未来:エージェンシー、資質・能力とカリキュラム』ミネルヴァ書房 (2020/12/22)
参考のHP
OECDにおける Agencyに関する議論について - 文部科学省
第4章 2030年に求められるコンピテンシーの要素(つづき)
3 2030年に求められる「態度及び価値観」
(1)態度及び価値観の重視へ
コンピテンシーを十分に発揮していくためには、知識とスキルだけでは不十分であると考えられる。例えば、移民の増加に象徴されるように、社会が多様化するにつれて、他者や他の文化に対する敬意や、公平、責任、誠実さ(integrity)などが、これまで以上に重要になってくるだろう。
知識やスキルに加えて、態度や価値観も重要であるという「21世紀型スキル」に典型的に見られる考え方は、日本人からすれば、特段目新しい考え方とは言えないだろう。というのも、日本の教育では、伝統的に態度や価値観が重視されてきたからである。教育基本法が「人格の完成」(第1条)を教育の目的に掲げていることからはじまって、そもそも学校教育全体として、「知・徳・体」のバランスのとれた育成が重視されている。
近年、PISAの結果を伸ばしていることで注目されるエストニアにおいても価値観は重視されており、正直さや思いやり、生命の尊重、正義、人間の尊厳、自他の尊重などの「一般的人間的価値観(general human values)」と、自由、民主主義、母語や母文化の尊重、文化的多様性、寛容さなどの「社会的価値観(social values)」が、カリキュラム上の目標とするべき価値観として続いている。
(2)態度及び価値観と知識・スキルの発達
省略。
(3)AI時代における態度及び価値観
AIによって代替される可能性が低い職種の特徴が、他者との関係性が求められると言うことである(Frey & Osborne,2013)。具体的には、説得や交渉など、複雑な関係性を読み解いた上で、柔軟に対応していくことが求められる職種である。
今後も必要とされ続けるためには、知識だけでなく、スキルや態度及び価値観を獲得しなければならないし、生涯を通じて新しいコンピテンシーを獲得していくような柔軟さや積極的な態度が必要になってくるだろう。
「完全自動化された自動車は、人間が運転する自動車よりも安全で効率的なのか。事故が起きた場合の責任は誰が得のか」、「3Dプリンターは従来の製造工程を短縮し、より停電で素早く商品を届けるようになるか。もし3Dプリンターが、家庭での重機製造や、一人ひとりに個別化した薬の製造に使われるようになったら、一体どのようにどのようなことになるか」、「ソーシャル・メディアや商店のディスカウント・カードの利用、ネット・ショッピングなどをする際に、私たちがどれだけの量の情報を企業などに渡しているかと言う事について、どれくらい考えているか」
こうした倫理的判断を行っていくためにも、態度及び価値観は今後より一層重要になると考える。
4 3つのドメインの構成要素(コンストラクト)
(1)コンストラクトのリスト
このドメインとコンストラクトとの関係は、
知識、スキル、態度及び価値観と言う3つのドメインを見てきたが、それぞれのドメインを構成する要素がコンストラクトである。例えば、批判的思考力は認知的スキルの重要な構成要素であるし、平等や公平といった概念は価値観の重要な構成要素であると言えるだろう。
という。ここについては、私の理解が及ばない、というか、ドメインに共通して存在する要素を分析して果たしてどんな意味があるのかがつかみきれない。
そこで、以下の表がまとまっておりそのままのせたい。
(2)エージェンシーや変革をもたらすコンピテンシーのコンストラクト
省略。
変革をもたらす要素をコンストラクトのレベルで検討してもどうなのだろう、と考える。
以上、2回にわたり「2030年に求められるコンピテンシーの要素」を見てきた。
不安定,不確実,複雑,曖昧な近未来に必要な“学力観”とか“能力群”と和訳?するとこの国際会議の内容も身近なものになるのだろうか。
「知識及び技能」「思考力・判断力・表現力など」「学びに向かう力、人間性など」の源泉がこの会でのコンピデンシーの「知識」「スキル」「態度及び価値観」に対応している分かる。
だからこの会での様々な概念の趣旨の多くは、学習指導要領の方向性と概ね一致していると考えててもいいだろう。その上で少しまとめたい。
教科教育のところ、
「「教科の知識」が、新しい知識を身に付けたり、教科横断的な知識やエピステミックな知識、手続き的知識を獲得していくための基盤となる以上、これが欠落している場合、その生徒は将来の可能性が奪われてしまうことにもなりかねない。」
「教科の知識は2030年においても引き続き不可欠なものであることには変わらないだろう。」
の部分は光る。現実の生活様式も変化が見える中、教室にもタブレット端末が配置になり、これまでの教科教育の価値がやや色あせて見えることがある中「基盤となる」という指摘は、現場にとっても大きい。
「遠い転移(far transfer)」という概念も面白い。知識は相互に結びつき「既有知識と新たな状況の間の概念的な近似性や構造的な近似性を見いだす」というのはつまり想像性の発揚ということだろう。それをどう「教師が支援していくか」はアクティブ・ラーニングということだろう。
「エピデミックな知識」というのも新しい知識観なのでないか。
かつて森毅さんの中世以来の数学者の話を聞いたことがあったが、例えば、ダーウィンは、医師の道を断念し…、とか、レーウェンフックが顕微鏡の発明してミクロの世界に仰天する話など、生徒たちに学ぶことへのイメージを肯定的に膨らませる。それらは単にエピソードとして扱う以上のものではないのだろう。
「スキル」が多様化・専門化しているのも今日の問題だ。個別のスキルからそれらを網羅する横断的なスキルまで縦横無尽で変化も激しい。その変化に対応するのもスキルと言えるらしい。ただ、変わらないものもある、その整理が更新されていくのだろう。
「態度及び価値観」は、信念とか生き方にかかわる幹の部分のことだ。難しい局面ではこの部分が判断の根拠になったり、原動力になっていく。
そして、まとめきれなかった「コンストラクト」については、次章「2030年に求められるコンピテンシーの基盤」に引き継がれ、学ぶことの意味を深めていく。
「VUCA」(Volatility・Uncertainty・Complexity・Ambiguity)(不安定,不確実,複雑,曖昧)という未来像での学校教育はどうあるべきか、各国の有識者はどう考えるのか「OECD(経済協力開発機構) Education 2030 プロジェクト」から見て行きたい。
テキストは、
白井 俊『OECD Education2030プロジェクトが描く教育の未来:エージェンシー、資質・能力とカリキュラム』ミネルヴァ書房 (2020/12/22)
参考のHP
OECDにおける Agencyに関する議論について - 文部科学省
第4章 2030年に求められるコンピテンシーの要素(つづき)
3 2030年に求められる「態度及び価値観」
(1)態度及び価値観の重視へ
コンピテンシーを十分に発揮していくためには、知識とスキルだけでは不十分であると考えられる。例えば、移民の増加に象徴されるように、社会が多様化するにつれて、他者や他の文化に対する敬意や、公平、責任、誠実さ(integrity)などが、これまで以上に重要になってくるだろう。
知識やスキルに加えて、態度や価値観も重要であるという「21世紀型スキル」に典型的に見られる考え方は、日本人からすれば、特段目新しい考え方とは言えないだろう。というのも、日本の教育では、伝統的に態度や価値観が重視されてきたからである。教育基本法が「人格の完成」(第1条)を教育の目的に掲げていることからはじまって、そもそも学校教育全体として、「知・徳・体」のバランスのとれた育成が重視されている。
近年、PISAの結果を伸ばしていることで注目されるエストニアにおいても価値観は重視されており、正直さや思いやり、生命の尊重、正義、人間の尊厳、自他の尊重などの「一般的人間的価値観(general human values)」と、自由、民主主義、母語や母文化の尊重、文化的多様性、寛容さなどの「社会的価値観(social values)」が、カリキュラム上の目標とするべき価値観として続いている。
(2)態度及び価値観と知識・スキルの発達
省略。
(3)AI時代における態度及び価値観
AIによって代替される可能性が低い職種の特徴が、他者との関係性が求められると言うことである(Frey & Osborne,2013)。具体的には、説得や交渉など、複雑な関係性を読み解いた上で、柔軟に対応していくことが求められる職種である。
今後も必要とされ続けるためには、知識だけでなく、スキルや態度及び価値観を獲得しなければならないし、生涯を通じて新しいコンピテンシーを獲得していくような柔軟さや積極的な態度が必要になってくるだろう。
「完全自動化された自動車は、人間が運転する自動車よりも安全で効率的なのか。事故が起きた場合の責任は誰が得のか」、「3Dプリンターは従来の製造工程を短縮し、より停電で素早く商品を届けるようになるか。もし3Dプリンターが、家庭での重機製造や、一人ひとりに個別化した薬の製造に使われるようになったら、一体どのようにどのようなことになるか」、「ソーシャル・メディアや商店のディスカウント・カードの利用、ネット・ショッピングなどをする際に、私たちがどれだけの量の情報を企業などに渡しているかと言う事について、どれくらい考えているか」
こうした倫理的判断を行っていくためにも、態度及び価値観は今後より一層重要になると考える。
4 3つのドメインの構成要素(コンストラクト)
(1)コンストラクトのリスト
このドメインとコンストラクトとの関係は、
知識、スキル、態度及び価値観と言う3つのドメインを見てきたが、それぞれのドメインを構成する要素がコンストラクトである。例えば、批判的思考力は認知的スキルの重要な構成要素であるし、平等や公平といった概念は価値観の重要な構成要素であると言えるだろう。
という。ここについては、私の理解が及ばない、というか、ドメインに共通して存在する要素を分析して果たしてどんな意味があるのかがつかみきれない。
そこで、以下の表がまとまっておりそのままのせたい。
(2)エージェンシーや変革をもたらすコンピテンシーのコンストラクト
省略。
変革をもたらす要素をコンストラクトのレベルで検討してもどうなのだろう、と考える。
以上、2回にわたり「2030年に求められるコンピテンシーの要素」を見てきた。
不安定,不確実,複雑,曖昧な近未来に必要な“学力観”とか“能力群”と和訳?するとこの国際会議の内容も身近なものになるのだろうか。
「知識及び技能」「思考力・判断力・表現力など」「学びに向かう力、人間性など」の源泉がこの会でのコンピデンシーの「知識」「スキル」「態度及び価値観」に対応している分かる。
だからこの会での様々な概念の趣旨の多くは、学習指導要領の方向性と概ね一致していると考えててもいいだろう。その上で少しまとめたい。
教科教育のところ、
「「教科の知識」が、新しい知識を身に付けたり、教科横断的な知識やエピステミックな知識、手続き的知識を獲得していくための基盤となる以上、これが欠落している場合、その生徒は将来の可能性が奪われてしまうことにもなりかねない。」
「教科の知識は2030年においても引き続き不可欠なものであることには変わらないだろう。」
の部分は光る。現実の生活様式も変化が見える中、教室にもタブレット端末が配置になり、これまでの教科教育の価値がやや色あせて見えることがある中「基盤となる」という指摘は、現場にとっても大きい。
「遠い転移(far transfer)」という概念も面白い。知識は相互に結びつき「既有知識と新たな状況の間の概念的な近似性や構造的な近似性を見いだす」というのはつまり想像性の発揚ということだろう。それをどう「教師が支援していくか」はアクティブ・ラーニングということだろう。
「エピデミックな知識」というのも新しい知識観なのでないか。
かつて森毅さんの中世以来の数学者の話を聞いたことがあったが、例えば、ダーウィンは、医師の道を断念し…、とか、レーウェンフックが顕微鏡の発明してミクロの世界に仰天する話など、生徒たちに学ぶことへのイメージを肯定的に膨らませる。それらは単にエピソードとして扱う以上のものではないのだろう。
「スキル」が多様化・専門化しているのも今日の問題だ。個別のスキルからそれらを網羅する横断的なスキルまで縦横無尽で変化も激しい。その変化に対応するのもスキルと言えるらしい。ただ、変わらないものもある、その整理が更新されていくのだろう。
「態度及び価値観」は、信念とか生き方にかかわる幹の部分のことだ。難しい局面ではこの部分が判断の根拠になったり、原動力になっていく。
そして、まとめきれなかった「コンストラクト」については、次章「2030年に求められるコンピテンシーの基盤」に引き継がれ、学ぶことの意味を深めていく。