諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

100 シャボン玉

2020年09月26日 | エッセイ
富士山! 秋 朝霧高原から

夏休みが明け、午後の時間も再開する日。コロナのこともあって久しぶりである。

朝、スクールバスの誘導でいつもの松の木の下に待機している。
今日も暑くなりそうで空を見上げたりしていると、昇降口の方からら若い担任の先生が走ってくる。

なんだろう?。

何だか笑顔。走るほどの急用でもないようだ。

「先生、今日から昼休みがあるんで、(指を折りながら)〇〇さんと、〇〇くんと、〇〇さんとシャボン玉やりたので、教材室のシャボン玉セット、お借りしてもよろしいですか」
という。

彼は、高校時代、甲子園を目指して本格的に野球をやっていた。大学でも体育会野球部。
日ごろからやりとりが礼儀ただしく丁寧だ。

「ああ、それはいいですね」
久しぶりの昼休みを子どもたちと楽しもうと思ったのであろう。
その気分が伝わってきたこっちも嬉しい。いいじゃないか。
いくらでも?貸してあげたい。

「100個ですか、200個ですか?」
と少しふざけると、浅黒い顔は少し困ったあと、ぱっと大きな笑顔になって、
「300個お願いします!」
という。

もちろんそんなにある訳がないが軽口の好意が分かっている。

「じゃ、全部使ってください」
というと、また笑って慣れた感じで黙礼して、大きな背中はベンチならぬ昇降口に駆け戻っていく。

暑い日の青空に子どもたちと大きなシャボン玉を作ってくれるといい。


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99 ある場面に際して

2020年09月20日 | エッセイ
富士山! 夏 南ア 塩見岳から

軽度の知的障害の生徒は、日常生活を送るスキルは十分ある。若さと健康もある。
でも、うずくまって授業に参加できない。

その授業が自分の将来に資するものか判然とはしないこともあると思うが、一緒にやっていった方がずっと楽になるように感じる。そののち何かが見え始めることは十分ある。

自意識に気がつき、自分が生を受けてしまっていることに呆然としてしまっている生徒(場合によっては保護者)をどうするか。
学校という組織教育の難しさはこうした“とどかない”ことだ。 
「どうして分かってくれないのだろう」と付き合い続けることでもある。
 
神父の井上洋治は、子どものころ病弱で、正月に家族が賑やかにしている間も隣の部屋で臥せていた。
床の中で自然に考えたことは「人はみな死んでいくのにそれまで生きている意味ってなんだろう」ということだった。
「ずっと向こうまで白い砂の浜辺がつづいていていて時おり、風が吹いて、こそっと砂の一部が動く、そしてもとの動かない浜辺にもどる。人間はその砂粒の一つに過ぎないと感じていた」と。この虚無感から抜け出す努力が神父の出発点になる。

救いになったのは19世紀末のシスター、テレーズであった。
「神様はいつでも私たちをみてくださって、後押ししてくださっている」
テレースの心にふれて感激した井上はその心の源泉を知るためにフランスの修道会に入り修行する。

しかし、7年に及ぶ厳しい修行の中で感じたのことは、必ずしも日本人の心にフィットしないキリスト教観だった。その神はあくまで強者で、弱き自分に同伴しているものと感じられない存在。

日本にもどった井上は司祭として「日本人の自分に合った服」を求めるようにキリスト教を仕立て直すことに生涯をかけることになる。

ずっと後年、井上は「南無 アッバ 南無 アッバ」と唱え、祈るようになる。
南無(なむ)は南無阿弥陀の南無。帰依する、すべてをおまかせするという意味のもちろん仏教の言葉。
アッバは当時のパレスチナの言葉、それも幼児語の「ぱぱ」に近い言葉で、聖書学の研究によってイエス自身が神のことをこう表現していたことがパウロの手紙等から分かっているという。
「南無」の委ねる感じ、「アッバ」の神への親近感、合わせて唱えたときの語感が、虚無感に危機感を覚えた少年時代を経た神父の万人に向けて祈りとなった。

呆然とする生徒が、生に失望し、大きな虚無を抱えて生きること、ニヒリズムによって社会に背を向けることのないよう、明確な答えのないまま手を尽くすことが教育の一つの真実なのだろう。

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98 技術後の時間

2020年09月12日 | エッセイ
富士山! 夏 八ケ岳から

鼓(つづみ)という邦楽器がある。
これをマスターするためには、師匠に弟子入りする。

洋楽器等とも比較して技巧的には難しくないらしいが、師匠に認められるのにはかなりの時間を要するという。
この間、ひたすら繰り返し練習する。4種類のたたき方が基本にある。

そしてかなり経ってゴールを意識しなくなったころ、「よし」と言われて免許皆伝?になる(らしい)。

技術的には出来たあとの時間、そこで何かが成就したということだろう。

同様のことを舞踊や洋楽器のコンクールの時にも感じる。

素人の感覚ではあるが、上位の人たちは、演技や演奏が自分のものになっている印象をうける。
振り付け師や作曲家の意図を踏まえながらも「その人」がそこに現れるというのか。
その作品にコミットしている姿として。

芸術ほど顕著ではないのだが、仕事の上でも感じることがある。

技術的と簡単に言ってもいけないが、それを超えて仕事全体を自分のものしている人がいるものだ。
そこにもやはり一種の美しさがある。


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97 視線の先

2020年09月05日 | エッセイ
富士山! 夏 箱根スカイラインから

職員室にもどると、訪問教育の先生たちが集まって何かを覗きこんでいる。
文書の箱を抱えたままの教頭先生も肩越しにそれを見ている。
非常事態?、…でもなさそう。

近づくと、タブレットの動画である。
皆、無言で注目している。
時折、あるタイミングで、
「あー、」とか「おー、」
と言う。
無意識に頷く先生もある。

視線の先の画面には訪問教育の生徒の表情が映っているのだ。

「ちょっと戻してみて」
と一人の先生がいうと、隣の先生は眼鏡に手をやって「その一瞬」に集中している。

そこで何が分かるのか、ここからでは分からないのだが、意図は分かる。
子どもからの発信を見逃すまいとしているのだ。

動画が終わると、緊張が解けたように、
「ふーん」「あ、そうか」
と口々にいう。
教頭先生も何かを納得したように、続きの作業にもどっていく。

後で、聞くと、新しい教材に対して、どこにそれを提示すると彼の視覚として認識できるのか、そしてそれを顔の表情や、全身のおそらくは小さな動きで判断できないかを、見ていたという。


果たして、三日後。
ベッドサイドの左側でPK戦のできる小さなサッカー盤が完成した。
随意に動かせる右手の甲でビー玉を押し出し、彼が見渡せる35センチ先のゴールを狙える。
ゴールキーパーの人形は日本代表カラーの服だ。

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