諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

33 子ども時代の意味#1 はじめに

2019年06月30日 | 子ども時代の意味
 (写真)夏の白馬岳

 ブログもお陰様で4カ月続きました。
 専門的だし取りとめもなく感じられる内容ですが、読んでくださる方があることは嬉しいものです。ありがとうございます。

 教員が文章を書くというと、仕事で課されたものだったり、行政文書だったり、研究として書くにしても一定のテーマや制約は当然あるものです。

 そこに行くとブログは自由です。主体的に書く気持ちが持続すれば自由に表現できる。日ごろの問題意識を整理するいい機会になることも分かってきました。
 通常取り上げにくい問題も拾えます。これもブログのメリットです。(もちろん、拙文をネット上で公表するわけですから、無責任な表現にならないように慎重にやらねばなりません。)


 そんな特長をいかしながら新しいシリーズを書きます。

 「子ども時代の意味」



 小学校の初任のころ、プールの入水の手順を説明するために、床にプールを見立てた四角形をテープで作って授業開始を待っていました。
 その日の提出物か何かを整理していると、背後でペタペタと床を叩くような音と、なぜか歓声とが聞こえました。

 振り返ると、四角の中で泳いじゃっている。飛び込んでいる子までいる。教室の床の上。………もう水泳大会?。 

 後から思うとこんなことは特別なことではなく、私たちはそんな彼らのユニークな行為ににすっかり慣れて、楽しく思ったり、困ったりを繰り返しています。
 そしてそれぞれの先生は自分なりの尺度や線引きで、その子ども行為を判断し、何らかの評価と指導をしています。
そんな時、無意識に基準にしているのが、
「子ども時代の意味」
なのではないでしょうか。
 

 子どもたちは、小さな大人ではありません。
 自分自身がそうであったように、その成長や発達に応じたその時の存在としてそこにいるので、大人としての適性さの尺度を単純にあてがうことは無理です。

 大人へとつづく子ども時代ではあっても、けして直線ではありません。らせん階段状という言い方もあります。その中で今の彼らをどう見立てるか。結構難しい判断を経験やカンで基準を設けて評価や指導をしているはずです。

「ここは教室です。しかも床の上は汚れているし、行儀も悪いから泳いではいけない。」
とも言わない。
「君たち元気でいいね。それも練習になるね。」
とも言わない。
 たぶんその中間で、出来れば形成的な指導をしたいと思います。


 子どもの子ども時代の学びや経験が、大人の中でどう今生きているかという視点で、「子ども時代の意味」を考えたいと思います。
 ただし実証的なんてできないので、エンターテイメントの小説のようになります。この方が表現しやすいということです。


 経験もカンもない初任の私は、たまたま学校にいらしていた読書教育で有名だった老先生にそのことを伺いました。
 すると、すぐに、
 「(子どもの)先のことはわからないから、今を大切にしてあげることだよ」
 とおっしゃる。たぶんそういうものなのでしょう。
 
 分かりはしないという前提で進めたと思います。


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32 「坊ちゃん」のその後 

2019年06月23日 | エッセイ
(写真)ここにも

 

漱石の「坊ちゃん」の生まれた年代を類推すると概ね1880年(明治13年?)ごろであろう。

坊ちゃんは典型的な明治人である印象を受ける。

和装の書生スタイルで道後温泉の上湯に通うというと、遠いその世界の人に感じる。

 

東京には陸蒸気なり鉄道馬車が文明開化のシンボルのように人目を引いている一方で、随所に江戸時代とさほど変わらない事々がたくさん残っていただろう。そんな時代に坊ちゃんは幼少期を送ったことになる。

 

ところが、坊ちゃんの全生涯を想像すると、そんなセピア色の枠に閉じ込められないことがわかる。

 

坊ちゃん(世代)を年表にしてみる。

 

22歳(1902年)大学卒業 松山へ赴任

24 (1904年)日露戦争

32 (1912年)大正元年

43 (1923年)関東大震災

57 (1937年)日中戦争

65歳(1945年)ポツダム受諾

78歳(1958年)東京タワー完成

84歳(1964年)東京オリンピック

 

明治の江戸っ子気質の青年は、松山の中学校を辞して東京に戻ってくるところで小説は終わるのだが、その後は漱石も想像できなかったであろう変化の激しい時代を生き抜くことになる。

セピア色の明治の写真館の時代から、想像を超えた天災と戦災の時代を経て、オリンピックのあのカラー映像の時代まで坊ちゃんは生きていた。アベベ選手を沿道から応援する群衆の中に一瞬小さく映る老人、それが坊ちゃんかもしれない。そして90歳まで生きたとすると大阪万博で太陽の塔を見上げていたもしれないのだ。

 

もちろんあり得ないことだが、二階から飛び降りて腰を抜かしていた少年の尋常小学校の先生が、もしこの激しい状況の変化を予知でたとしたら少年坊ちゃんに何を伝えるべきなのだろう。

 

先の読めない時代の教育ってどんなことなのだろう。

 

 

東京タワーが完成した時、老境の坊ちゃんが「清にも見せたかった」と思ったかどうか、そんなことすら見当がつかない。

 

 

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31 歌

2019年06月16日 | エッセイ

(写真)湿原は黄色に。花の名はわかりませんが。

 

 

平成になってレコードが売れなくなった時、阿久悠さんが「歌が飛ばなくなった」といった。

 

どういうことか、流行らない。定番と思っていた歌番組もあっけなく店じまいとなった。

その時は社会の成熟し、個人の嗜好も多様化したなんて思った。いつまでも、ジュリー!でもないだろう。

 

しかし、一面では「歌が飛ばなくなった」は「歌に酔えなくなった」と言えるのではないか。

酔いにくい、飲んでも酔えない。それはある意味人生を難しくする。

 

小学校の子ども達に将来のことを聞くと歯切れが悪い。

当面、塾や習い事で繋いでいるという感じ。繋いでいくのが実際の人生であると予感しているのかもしれない。

複雑化して、仕事の内容も断片化し、高度に情報化がすすむ社会を想像しつつ、「当面、繋いでいく」生活を送っていく、のでは威勢があがらない。自分の生が歌(詩)になりにくい。

まして、自分の潜在的な力を発揮する環境にない貧困家庭の子や、虐待、長期の病気によって孤独感が離れない子、障害をうまく捉えられない子などは、生かされていると人生を不条理と感じることもあるだろう。

 

ある作家が「生活と人生とは違う」といった。

生活のために頑張る要素はいつの時代でもある。夢中に、あるいは必死で働くことは避けられない。

 

しかし、一方で広大な時間として人生をどうデザインするか、人生をトータルにとらえ自分をいかに対象化していくかのアイディアが乏しい。

「まじめにコツコツやれば認められるよ」なんて最近言わない。それが美徳として信じられていたころ大人もラブソングを歌ってたのではないか。

 

国家の経済規模とエネルギー消費とは、かなり相関性があるという。経済規模が大きく、エネルギーも沢山消費して、平均寿命も長い我が国は自殺率が高い。その理由が実感としてミクロ単位で理解できる気がする。

 

ミクロといえば、本校の生徒達は随分AKBと嵐にだいぶ支えられているから阿久悠さんの指摘のころの底値からは少し右肩基調に入っている?。

いつの間にか令和という時代になっている。

 


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30 階段

2019年06月12日 | エッセイ
(写真)駅前の花壇で。



 3階からの階段を踏んで、大きな高等部3年の生徒が降りてくる。
柔道家のように大きい。もみあげもある。
うしろに誰かいる。ほぼ隠れて小柄な女の先生。

 一緒に降りてきて、階段を降りきったところで先生だけが立ち止まって、生徒を見送っている。
生徒は、右手に赤い手提げ、小さく見える。でもA4は入る?。

 職員室の方に歩いて行くと、引き戸をあけて、 
「失礼します。」 
と意外にやさしい声。同時に、隆起した肩越しに頭だけだが律儀なあいさつをしている。

 そして、決められた箱の中に、手提げの中の出席簿を丁寧に入れた。
おしごと完了!。

 こっちで、腕を前で組みつつ念を送っていた先生も少し嬉しそう。
「うまく行きましたね。」
というと、
「うん。」
といって、自分に納得するように、3度小さくうなづく。

 帰りも、もみあげの生徒が前、うしろに小柄な先生の隊列は変わらない。 
階段をうまく上って行かれるよう、うしろから見えない手で支えてい感じ。

 就労にむけて実習がはじまる。 


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29 子どもの側の教育計画#6 良いキャラをあげる

2019年06月09日 | 個別教育計画

保育園でこんなゲームがある。


 


椅子取りゲームの要領で、ある椅子に座った人はウサギの真似をする、次の椅子はライオン、


その次はお巡りさん、バレリーナ、お母さん……となり、子どもたちはそれぞれを工夫しながらその役を演じていく。


 


そして最後の椅子には「じぶん」とある。しばらく考える子ども。……やりようが分からない。


 


ここがこのゲームのミソなのだが、ライオンもお母さんもできても、「じぶん」はできない。自分ってどうやるのか。自分というのは自分だけで“こうだ”と決められない。


 


 


理屈っぽくなって恐縮だが、人というのは、誰かの中あって、なんらかのキャラクターをイメージでき、そこで振舞ってみて人格的な居場所を得ていく、のである。


 


こうしたメカニズムだからこそ、一昨日の主幹会議での私のキャラと、同世代の同僚と他愛もない話をするキャラと、若手のグループのメンバーに指示を出すキャラとは(期待されるものが異なるため)微妙に違う。 さらにプライベートもいれると、かなり多くの私がそれなりのキャラをもち、それぞれのキャラにふさわしい振舞いをしている。その総体(全体)が自分なのであろう。


 


だとするとよいキャラを子どもにかぶせてあげることで、良好な自分観を得、自己肯定感を得ながら成長していくことができると言える。


 


そしてどんなキャラとして迎え入れるかは、先生たちの子どもを見立てるセンスによると言っていいだろう。個々の子どもについてそれぞれのセンスを持ち寄っていろいろ彼のことを話してみる。そのことが、心地よい自分が感じられる人格的な居場所をつくるのだろう。


文字表記をするための話し合う教育計画の作成過程で明るい子ども観が共有されることを、計画本体より大事だと子どもたちは思っている。


 


 


さて、ゲームのつづき。「じぶん」ができなくて困っている子をもちろんそのままにしておかない。


 


その様子をこちら側で見ている子に、この子の良いところを発言してもらうのである。「これが君だよ」と。


 


 


 


「子どもの側の教育計画」了。


 


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