諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

242 保育の歩(ほ)#33 津守さん自身のコメント 1/2

2024年08月25日 | 保育の歩
のんびり八ケ岳 美濃戸口から沢沿いの道をつめてきて行者小屋に到着 晩秋のこの時期小屋じまいしてます。

引き続き

シリーズ授業0 10障害児教育発達の壁を乗り越える』岩波書店1991年

から、津守さんの在籍していた当時の愛育養護学校の実践についての多彩な編集委員の方の批評を取り上げたい。

そして今回と次回は津守真さんご自身のコメントである。
テキストでは津守真さんが校長の立場として編集委員になり愛育養護学校の実践について語っている。
校長としてどのように自校の保育(教育)を述べるのであろう。

ところで、これまで4人の方の批評を取り上げてきた。

「教師はひとりひとりの子ども自身が知識というものを「内側から見る」ことを、そのことのみを、最大限に援助する」こと(佐伯)

「「希望を失わずに、傍にいること」は、心理療法の根本ではないか、と筆者は考えている。多くの遊戯療法で、根本的にはこのような治療者の態度に支えられ、子どもたちは自らの力で立ち直ってゆくのである」(河合)

「大人である教師のからだが(ことばも含めて)子どもにほんとにふれているか、ふれることができるだけひらかれているか、いっしょに息をしているか」(竹内)

「子どもが抱えている発達の「障碍」や「壁」を洞察し共有し合い、その「障碍」や「壁」を子どもと大人が協同で克服する挑戦が日々の営みをとおして実践されている」(佐藤)

印象的なセンテンスを思い出しながら、次の津守さんの記述を読むと、保育(教育)を作り上げる者のメンタリティが鮮明になってくる。また、それは研究者としての発達観の大きな転換を経たものとして改めて述べている。

《発達観の転換》
子どもが遊ぶ姿を見ていると、最初は何をしているのかよくわからないが、そのうちに熱を帯びてきて、こちらが予想しなかったおもしろい遊びを始めます。それは実生活の中で起こることです。子どもにとっても新鮮なエネルギーに満ちた時間に、時間的制約なしに十分に遊びきることを許された状況の中で起こることです。そこには大人が必要です。はじめのうちは大人にべたべたくっついたり、要求したりします。子ども同士の悶着も多く、その間に入ってどちらの子も自分の関心を追求することができるように助ける大人が必要です。その時間を心身を労してはたらく大人が持ちこたえると、そのあとは子ども自身が遊びを生み出します。そのときは子どもにとって真剣で創造的な時間です。その中には子ども自身が解決しようと追求している課題があります。それをやり遂げたとき、子どもははればれとして違った自分自身になっています。こういう日がつづいてゆくと、数週間、数か月の間に、子どもは外部から見ても変化がはっきりとわかります。

《人間の発達に関わる》
1960年代、70年代は、心理学の分野では、実験的操作による研究が数多くなされました。これらの研究には精密をきわめたものが多くありますが、研究の原資料となっているものに目を向けてみると、子どもの実生活の遊びや生活を中断させ、実験室につれてきて定められた指示のもとに活動させ観察するという方法です。
そこでは子どもの生命性は失われています。そこから導き出された法則や教育プログラムを実践に応用することは、子どもの生活全体を歪めることになりかねません。


《生活に参与する中で》
子どもの行動を観察するのも、描画を見るときと同じことがあります。行動も子どもの内的世界の表現です。それまで客観的に観察しうる行動だけをとり出して、それに攻撃的行動、依存的行動などと名づけ、そこから逆に行動を分類していた。それでは子どもの側からの理解にはなっていないことに私は気づきました。全部はじめからやり直しです。子どもと出会ったときのひとつひとつの行動を、子どもの世界の表現として見よう。そう見たときにはどうなるか。私はわくわくする思いで、それから保育の実践の場に出てゆくようになりました。そのことについては拙著『保育の体験と思索』(大日本図書、1980年)に記しました。

行動は子どもの内的世界の表現です。同時にそれはだれかに対する表現です。子どもは自分の世界をだれかに見てもらいたい、理解してもらいたいと思っています。大人が子どもの行動からその願いや悩みを見ることができるとき、その大人との関係の中で、子どもはそれをいっそう明瞭に表現するようになります。つまり子どもの行為が展開してゆきます。
大人と子どもとのこのようなやりとりを、第三者として観察するのも興味深いことです。しかし、その大人が子どもの何を見ているか、どのように思って自らの行為の仕方をきめているかは、本人でなければわからないことがあります。ことに子どもとの間で大切な部分は、ごく小さなことが多いのです。その些細なことに気づいて、大人がそれに応答するかどうかによって、次の子どもの表現がかわってきます。表現はこのような関係の継続的プロセスの中で、その姿をかえてゆきます。これが保育の実践です。
ここにおいて、人間を育てることにかかわる科学では、実証科学とは全く違う考え方をとることに気がつきます。
後者では、相手を対象化し、研究者自身は外部の不動の地点に立っています。前者では、相手の生活に参与しつつ考えます。実証科学では、その知識が完全になるほど、対象を支配することが可能になります。前者では、相手も自分も変化しながら考えるのであって、完全な知識体系をつくることは最初から放棄しています。専門性についても、実証科学では、素人は知らない知識をもっているのが専門家です。人間を育てる科学においては、子どもも親も、専門家と同列の人間です。自分を加えてどの人も人間の見方を磨いてゆくようにするのが専門の仕事です。専門家の方がより多く知っているとはかぎりません。


子ども自身が環境に働きかけていくことにより、子どもが自ら未来を拓いていく、その過程で「大人が必要」で、その大人は「自分を加えてどの人も人間の見方を磨いてゆく」ことが求められのである。
これは、知識を得る形の保育の専門性とは違う次元の話である。

このあと、津守さんは、「子どもと交わる実践の1日」として項をあらためて、出会い、交わる、現在を形成する、省察として愛育養護学校の1日を時系列にして実践をさらに具体的に説明していく。
次回も津守さんご自身の批評を追う。



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241 保育の歩(ほ)#32 佐藤 学さんのコメント

2024年08月18日 | 保育の歩
のんびり八ケ岳  行者小屋に向かう途中 横岳が見えてきました。このルートは南八ケ岳の峰々に囲まれてきます。

つづいてのコメントは、佐藤学さんである。
佐藤さんは、同書の企画の中で、ビデオの撮影を担われていて、コメントとしては、

『学びとケアで育つ‐愛育養護学校の子ども・教師・親』小学館

に詳しい。

ところで、保育と教育についての語の使い方について、津守さんは、

ここで保育という語を用いますが、これを教育と養護ということもできます。実際にはこの二つは個別の機能ではなく、両者は分かち難く結びついており、養護の中に教育があり、教育の中に養護があります。(中略)日本語には保育という語があり、私はこれを幼児に限定せずひろく用いたと思います。

という。津守さんの愛育養護学校での実践は教育と養護を包含する「保育」として紹介されている。
(ちなみに、以前紹介した『保育所保育指針解説』においても保育所の特性として「養護及び教育を一体に行うこと」としている。)
そして、今回は全国の小中学校の授業を積極的に観察され、「学びの共同体」を提唱していた佐藤さんが、愛育養護学校の実践を批評する。

小中学校のいわば組織化されたカリキュラムの中の授業と、愛育養護学校の生徒の主体性に寄り添う実践とはどう相対されるのだろう。
特に後半はここでの学びとカリキュラムの考えた方にも言及している。

愛育養護学校における教師と子どもとの関わりは、一見するとそっけない。一人ひとりの子どもに寄り添い、絶えず暖かく細やかなまなざしがそそがれているのだが、どの教師と子どもも自然体であり、ゆっくりと濃密な時間が過ぎてゆく。教師の関わりがそっけなく見えるのは、教師たちが励ましや称賛の言葉をほとんど発していないからである。事実、この学校では、教師による「頑張れ!」という叱咤激励の言葉もなければ、「すごーい!」という仰々しい称賛の言葉もない。一人ひとりが自分を忠実に生きる日々の粛々とした営みが連綿と続いているだけである。
最初の数年間、私は、同校を訪問するたびに、なぜ、この学校の教師と子どもの関わりは、そっけないほど自然体なのだろうかと考えた。私が見出した答えは次の二つである。
一つは、この学校では子どもも教師も親も一人ひとりが「主人公(protagonist)」だからである。
どの子も一人ひとりが自らの願いと意志によって一日の生活と学びを創造している。教師も同様である。一人ひとりが自らの願いと意志によって一日の生活と実践を創造している。その一人ひとりの「主人公」としての日々の営みがオーケストラのように響き合って学校の一日をかたちづくっている。したがって、愛育養護学校では同じ光景は一度もない。一人ひとりの行動を観察していると、同じ行為がくり返されているように見えるのだが、その風景と経験を仔細に観察すると同じものは一つもない。緩やかな螺旋階段を一段一段昇るように、子どもも教師も一人ひとりが「主人公」として生活と学びを創造し続けているのである。
もう一つの答えは「発達の壁」あるいは「障碍」の捉え方にある。能力主義の社会で生きてきた私たちは、障碍を抱えた子ども(人)の「障得」をその子ども(人)の能力における「障得」と捉えがちだし、その子ども(人)の能力の発達の「壁」と捉えがちである。だからこそ、障得を抱えた子ども(人)は能力が「劣っている」と見られ、その能力の訓練が「教育」の名において施されることとなる。しかし、愛育養護学校における「障碍」や「発達の壁」は、子ども個人に内在するものとは捉えられていない。
子どもの学びと発達の「障碍」や「壁」は、その子どもの能力にあるのではなく、それ以上に、その子と社会の関係の中にあり、その子と大人との関係の中に埋め込まれている。
実際、愛育養護学校における子どもの発達は、その子と大人との関係の中にある「障碍」や「壁」を洞察し、その「障碍」や「壁」を子どもと大人が協同で克服することによって達成されている。教師や親の発達が先行して「障碍」や「壁」を乗り越え、子どもの発達がもたらされることも珍しくない。この事実は、これまでの教育学における「学び」や「発達」や「教育」の概念を根本から認識し直す必要を示唆している。
これらの事柄を認識しない人々にとって、愛育養護学校の実践は「自由放任の教育(保育)」あるいは「ユートピアの教育(保育)」として誤解されがちである。確かに、同校の子どもたちには活動の自由が与えられている。しかし、活動の自由が目的になっているのでもなければ、自由な教育を追求しているわけでもない。一人ひとりが「主人公」として自らの学びと生活を創造し、その関わり合いをとおして一人ひとりの子どもが抱えている発達の「障碍」や「壁」を洞察し共有し合い、その「障碍」や「壁」を子どもと大人が協同で克服する挑戦が日々の営みをとおして実践されているのである。

愛育養護学校のカリキュラムも来訪者には理解しがたい事柄である。同校の一日を観察しても、一般の小学校や幼稚園に見られるカリキュラムらしいものを見出せないため、カリキュラムが存在しない学校と誤解されがちである。
この誤解は二つの誤解に基づいている。一つは「カリキュラム」という概念そのものの誤解である。日本において「カリキュラム」は、通常、子どもの学びに先立って準備されている「計画」や「プログラム」を意味するものとして認識されている。
しかし、「カリキュラム」は、そもそも「人生の履歴」という意味を含意していることが示すように、「学びの履歴」を意味するものとして認識すべきだろう。すなわち、「カリキュラム」は欧米において「学びの経験の総体」として定義されているように、学びの経験とその経験を構成する活動内容や環境や人の組織を含みこんだものとして認識すべきだろう。「計画」や「プログラム」は「カリキュラム」の一部に過ぎないのであり、「カリキュラム」の創造と「学びの経験」の創造とは同義である。「カリキュラム」は「学びの履歴」であり、一日の終わりにつくられ、年度の終わりに編成されるものとして再定義する必要がある。


とは言え、「カリキュラムを「学びの経験(履歴)」としてどう洞察し構成するかは、愛育養護学校の教師たち自身にとっても難問の一つである。子どもの日々の活動を学びの経験として洞察し認識しなければ、子どもにとっても教師にとっても学校生活は容易に惰性へと転落するし、子どもも親も教師も充実した日々を過ごすことは不可能になる。同校の教師たちの研修と研究において「省察」が中心課題として設定されてきたのは、日々の活動の「省察」なしでは、子どもの活動経験を「意味ある経験」として創造することは不可能だからである。

子どもは、大人とかかわりながら、自ら道を照らして歩いていく、その足跡をトレースしていった筋道上で得たことこそがその子のカリキュラムということだろう。その慎重な作業を「省察」と呼ぶ。
ついた道に誘導されて歩くのと違う脚力がつきそうな学力観が見える。





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240 保育の歩(ほ)#31 竹内俊晴さんのコメント

2024年08月11日 | 保育の歩
のんびり八ケ岳 ここが有名な美濃戸口の八ケ岳山荘 さすがまだ暗いのに中は賑わってます。ヘッドライト点けてボチボチ出発

引き続き

『シリーズ授業 10障害児教育発達の壁を乗り越える』岩波書店1991年

から、津守さんの在籍していた当時の愛育養護学校の実践についての多彩な編集委員の方の批評を取り上げたい。

今回は演劇・人間関係学の竹内俊晴さんである。
竹内さんは自身も聴覚障害があり、その中で演劇界で活躍され、言葉と体についての鋭い感性をお持ちである。また定時制高校などの学校現場でも経験をもつ。

竹内さんの立場からは保育者の「居ること」の意味がさらに深まる。

私が障害児に限らず、一般にいわゆる教育の現場について言いつづけてきたことは、たった一つの視点でしかない。大人である教師のからだが(ことばも含めて)子どもにほんとにふれているか、ふれることができるだけひらかれているか、いっしょに息をしているか、を問うことであった。

ある熱心でもあり信頼できる養護学校の青年教師とレッスンしていた時のことである。彼は大柄ながっしりした体格で、相手の人は小柄な若い女性だった。彼がやさしく彼女に働きかけ手をさしのべると、彼女はまじまじと彼の目を見つめながら後退りする。また改めて手をさしのべる、とちょっと首をかしげる。それでもさまざまなやりとりの後、彼は彼女の手を取り、やさしく抱きしめた。一見二人はしっくりとけあったかに見えたが、彼女はやがて彼の手を解くと、少し首をかしげながら離れて立ち、そして去った。彼の納得し切れない顔。
彼は初め彼女を見た時、小さな心細そうな女の子に見えたと言う。かわいそうだな、とふと思った。そしてなんとか支えてあげたいと思って働きかけたのだ、と言う。だが彼女はどこかしっくりしない、と言う。抱かれた時もほんとに安心し切れなくて、と。
私は彼の抱いた時の姿をまねして見せた。両手を彼女の背に廻してしっかり抱きしめているみたいなのだが、腰は微妙に離れている。てのひらは背を抑えているが、指先はやや反ったまま宙に浮いていて、彼女のからだに触れていない。見ている人たちの「似てる!」という声と共に彼の顔が硬くなった。少しずつ話しあった後で私たちが気づいて来たことは!彼は心から彼女を力づけたいと思っていたのだけれども、からだは彼女をほんとのところでは避けていたのじゃないか、ということである。彼は彼女を「かわいそう」と思った。それが彼の出発点で、そこから彼は善意に満ちて前進した。しかし、ほんとうは、「かわいそう」というイメージを作り上げる前の彼が大切なのではないか。彼はほんとに彼女をどう感じたのか。あ、いい感じだな近づきたい、親しくなりたい、触れたい、と感じたのか。それとも逃げたい、関わりたくないと感じたのか。ひょっとしたら、そこはフタをして、「かわいそう」と感じることから安心して、日常生活で訓練している行為のパタンをくり出していたのではないか。

愛育養護学校の仕事は、かって遠山啓さんが八王子養護学校での実践を呼んだ名づけにならって言えば「原教育」とでも呼ぶべきことだろう。それがまず満たされねば人間の教育など始まりようもないことだ、有りがたいことだ、と思った上で、コムニタスと構造の問題が重く現れて来る。前節にのべたような健常者と障害者のお互いの浸透を思った上でなおかつ、「障害」とは「人間であること」の根本的ななにかの障害になりはせぬのかという疑いが私に生れて来ている。今のところそれは主に言語と精神ということのつながりについてであるが。それを含み、なおそれを超えて「人間である」とはなにか。

障害児教育を「原教育」とすれば、健常者は障害者ではないリアリティを思えば、健常者はその原点に本当に立てるのかと言っている。


いづれにしても、「大人である教師のからだが(ことばも含めて)子どもにほんとにふれているか、ふれることができるだけひらかれているか、いっしょに息をしているか」というテーゼをまっすぐ受け止めることが前提になる。
これはもちろん健常者に対するときも共通する。




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239 保育の歩(ほ)#30 河合隼雄さんのコメント

2024年08月04日 | 保育の歩
🈟 のんびり八ケ岳(美濃戸口~行者小屋~阿弥陀岳)人気ルートなので静かになる晩秋を待って歩いてきました。写真は別ルートから登った赤岳から見えた阿弥陀岳。ここをを行者小屋側から目指します。

引き続き

『シリーズ授業10 障害児教育発達の壁を乗り越える』岩波書店1991年

から、津守さんの在籍していた当時の愛育養護学校の実践についての批評を取り上げたい。
著名な認知心理学者、佐伯胖さんに続いて、今回は河合隼雄さん(臨床心理学者)である。
前回同様、全文を紹介したいところだが、残念ながら特に印象的なパラグラフのみである。

ところで、愛育養護学校に来ているような子どもたちに対する教育はどうなるのだろうか。教頭の岩崎禎子先生によると、そのハンディキャップの程度は、「ことばの出ていない子がほとんどです。中程度の子が五、六人いて、あとは重度と考えていいのではないでしょうか」ということである。何かを「教える」ことが、この子たちにとってそれほど容易でないことは誰しも感じるところであろう。そして何かを教えることで「進歩」があるとしても、それは一般的な見方によれば、相当に遅々としたものであろう。こうしたときに、われわれはいったい何をどのように教えたらいいのだろうか。
障害の重い子に対する教育について考えはじめると、教育の本質について考えざるを得なくなってくる。こうした子どもたちに何かを教えても、「進歩」は望めないのではないかという声もあろうが、それでは「進歩」の早い子どもの場合はどうなのか。ある子どもの例をとると、彼は極端に「進歩」が早かった。勉強は何でもできて、中学も高校も「一流校」に進み、両親の自慢の種であった。そして、「一流大学」に楽々と入学した。ところが、大学に入学して下宿したとたん、彼は何もできなくなってしまった。誰もこれまでのように「勉強するべきこと」を指示してくれない。その上、彼は母親の作ってくれた料理以外のものが食べられなかった。まったく新しい環境のなかでなすすべもなく重症の拒食症となり、結局、心配した親が訪ねて行ったときにはもう救いようがなく、彼は死んでいった。
こんなとき、この青年を責めるのは酷であろう。両親や学校は、どのような「教育」をこの青年にしてきたのかを考えてみる必要がある。死ぬまでは、彼こそ教育の模範的成果と思われていたのではなかろうか。両親や学校の考える「教育」とは、大人たちがすでにもっている知識をできるだけ沢山記憶し、できるだけ効率よく再生可能にすることであろう。彼は「与えられた課題」には素早く反応するが、自ら課題を見つけ出したり、臨機応変に事態の変化に外処するすべなどは、何も学んでこなかったのである。
これはもちろん極端な例だが、しかし、現代日本の教育について考えさせるのには、ぴったりの例である。われわれは現代の教育が知識を教えこむことに性急にすぎて、人間を育てることを忘れているのではないかと、この例からも反省させられる。「教育」の「教」に重点がおかれすぎて、「育」がなおざりにされているのである。「教える」ことによって、子どもがどんどん「進歩」するとして、その行きつく先は何なのか。そう考えると、別に「進歩」とやらをしなくとも、自分の人生を真に自分のものとして生きる人間に「育つ」ことの意義の深さが感じられてくるのである。
障害児の場合も、もちろん「教」も「育」も共に大切であり、「進歩」ということも考えねばならない。しかし、小手先だけの「進歩」という考え方が通用しないことが明らかなだけに、「育」の意味がよく見えてくるのである。


「希望を失わずに、傍にいること」は、心理療法の根本ではないか、と筆者は考えている。多くの遊戯療法で、根本的にはこのような治療者の態度に支えられ、子どもたちは自らの力で立ち直ってゆくのである。
そのように言っても、子どもが危険なことをしようとするときにはどうなるのか。確かにそれに対しては充分に配慮しなくてはならない。「共にいる」ことのひとつの機能として、危険防止は大切である。しかし、「危険」ということにびくびくしすぎると、子どもの自発性を奪ってしまうことになる。共にいる大人自身の不安が高いときには、ちょっとした危険性に対してもすぐに反応してしまう。ところが、大人の許容度の高いときには、子どもの自主性が出て来やすいのである。本書の座談会にも出てくるが、たとえば「火を燃やす」などという行為に対してさえ、じっと見守っていると、子どもたちに面白い変化が見られるのである。
この際、いわゆる「腹をきめる」態度が大切である。「よし最後までつき合うぞ」と思っているのと、「危なくないかな、もうやめてくれないかな」と思っているのとでは、結果はまったく異なってくる。大人の方が不安定な気特でいると、それを感じとった子どもはますます不安定になって、そこでしていることしたとえば火を燃やすことーを本当に「体験」できないので、ますます行動がエスカレートしたり、パニックになったりして、ついには
大人が子どもを拘束せさるをえないようなことになり、逆効果になる。
「共にいる」とは、文字どおり子どもの傍にいるのだが、これも自分が本当に「共にいる」のかどうかを考えはじめるとむずかしくなってくる。子どもの傍にいながら、「三時になって子どもが帰ったら、あの本を読もう」などと他のことを考えていたら、それは「共にいる」ことにならないであろう。
死を迎えるホスピスにいる重症の患者さんが、体温やその日の様子を訊きに部屋にはいってくる看護婦には、「体だけがはいってくる人」と、「体も心もはいってくる人」とあるのがよくわかると言われた、という。体は部屋にはいってきても、心はどこかに行っている、あるいは死んでゆく人の傍に「共にいる」ことができない心がある、ということは、患者の立場からすると、すぐにピタリとわかるのである。これは、子どもたちの場合もまったく同様である。彼らは非常によく知っている。


これもまた含蓄のあるコメントである。
「進歩」ってなんだろう。
「育つ」ための条件としての「共にいる」こととは?


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