諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

245 保育の歩(ほ)#35 歩の進め方(まとめ)

2024年09月16日 | 保育の歩

のんびり八ケ岳  最後に南八ケ岳の本領発揮、見上げるよう急こう配、随所に鎖がついてます。

本シリーズを振り返りたい。

はじめの”エピローグ”に次のように書いた。

予定調和を期待するシステムの中で、つい子どもの行く末も固定的に考え、教育もそれに向けて目的的に機能させないと落ちるかない、そのいうことが問題だという。

人生の長い時間、それと最初に対峙するする子ども時代の感性が一生を左右するなんて自伝や文学はたくさんある。大人に与えられた目標を達成するために子ども時代から離れた予定調和から解放され、白紙にクレヨンで自由に描くような時間、それを実現する教育ってどんなものだろう。

学校教育の原則、目標設定、適切な方法、評価、という連鎖から逸脱ということでもある。

そのことを保育の世界に見出してみたい。

このことへ回答できたのだろうか。

 厚生労働省発行の『保育所保育指導解説』では、保育のありよう、子ども姿が丁寧に親切に説明されていた。いかにも子どもがよく見える。「この時期の子どもは…」という言葉が多く、ほとんど学習指導要領にはない。

学習指導要領は、教科の部会ごとに編集される。教科の側の目標が上位にあり、学年ごとのディテールが構成される。そこには子ども論が入りにくい。

もちろん、児童福祉と学校教育は違うのだし、発達段階なり学齢も違うので当然といえばそれを否定はできない。

ただ、明らかに保育では子どもに健康な「居場所」を提供しようとする意志がある。

乳幼児期は、一生にわたる人間形成にとって極めて重要な時期である。

保育所は、この時期の子どもたちの「現在」が、心地よく生き生きと幸せなものとなるとともに、長期的視野をもってその「未来」を見据えた時、生涯にわたる生きる力の基礎が培われることを目標として、保育を行う。

その際、子どもの現在のありのままを受け止め、その心の安定を図りながらきめ細かく対応していくとともに、一人一人の子どもの可能性や育つ力を認め、尊重することが重要である。(保育の目標の設定について)

よい記述ではないか。また、具体的な保育目標の筆頭に、

(ア)十分に養護の行き届いた環境の下に、くつろいだ雰囲気の中で子どもの様々な欲求を満たし、生命の保持及び情緒の安定を図ること。

保育は、「十分に養護の行き届いた」「くつろいだ雰囲気」が最初に大きく謳われているのある。

 

次に取り上げたのは、『世界の保育の質評価』(明石書店)である。

一方、保育は公的なものである。

いろいろな社会の実情に影響される。たとえば、早期の教科教育、女性の社会進出、移民、そして社会的格差の問題が保育所のありようを決定する大きなファクターになる。

結果、社会保障を充実のために公的資金(税金等)に頼らざる得ない。

すると、各保育所の一定水準が担保されべきで、監督機関のもとの評価と管理が強くなり、保護者の参加も重視される。公的に保育者の育成や研修も求められる。

これら保育行財政の議論のなか、それぞれのシンクタンクのもつアカデミックな知見が光る。

ニュージーランドの「テ・ファリキ」は、エンパワメント、ホリスティックな発達、家庭と地域、関係性の4つからなる理念で、これに基づてたカリキュラムのもと、有名なラーニング・ストーリーを普及させている。

保育者が「気づく」「認識する」「応答する」「記憶する」「再検討する」と言う形成的な評価の流れを活用しており、子どもの能力の変化をたどり、可能な学びの筋道を考え、それを支える計画を立てることができる

という。優れた仕組みが、丁寧な実践を後押しする好例である。

また、シンガポールはより立体的な枠組みをもっている。

ECDA (幼児期開発局)というのが、「精神科学や子どもの発達理論など、様々な科学的知見を結集させて内容の見直し」を行い。EYDFという相関図を作成した。

横軸はニュージーランドと同じように、

「子ども発達」「意図的なプログラム」「専門職としての保育士」「家庭との連携」「地域社会との連携」

として、それぞれがどう深化させるべきか、縦軸がある。

「乳幼児に期待させる質」「柱と指導原理」「望ましい結果」そして「望ましい結果」をさらに説明する「結果の下位項目」

がそれである。

いずれにしても、こうした状況をこの本の編者は「諸外国における制度設計や改革のスピードには圧倒される」というが、それが子どもたち個人個人に実際としてどう機能しているのか、そこはわかない。

単に制度や仕組み論では語りきれない面があるのが保育(教育)といえる。

 

そして、その個人個人の実際を探究したのが『保育者の地平』(ミネルヴァ書房)である。

津守さんの愛育養護学校は幼稚部と小学部からなる私立の学校という条件で、自由な枠組みで純粋に子どもとのやり取りの中から確かなものを見出そうとしている。

だから、「べきだ論」がなく、エピソードの中の視座を紹介したり、小さなやり取りや配慮が綴られている。

そして、決まったカリキュラムはないこの学校では、子ども遊びに寄り添いながら、子ども中にカリキュラムを見出していく。

そして、まさに子どもを見ること、保育者間での「省察」(振り返り)の両輪でこの学校回っており、保育者育成もこの中にある。

この純粋さが保育への関心をぐっと引き付けるのだろう。

 

以上、35回にわたって保育について考えてきた。

どうやら、保育は条件や仕組だけては語れないようだ。

AよりもB、BよりCなのかもしれないが、それ以前に子どもがいる。

さまざまな条件の中で子どもはいたし、今もそうだろ。保育者はその子の中に何を見出すか、なのではないだろうか。

それがなければ、優れた環境や保育システムは空しいものになる。

子どもに追随して、彼らが次々に出くわすことの中に、大きな拡がりを期待さながら歩を進めること、それがたぶん子どもが子ども時間をより充実させる支援者の姿であろう。

 

                         保育の歩(ほ)了

 

 


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243 保育の歩(ほ)#34 津守さん自身のコメント 2/2

2024年09月01日 | 保育の歩
のんびり八ケ岳 行者小屋のテント場でザックをデポして見上げると、阿弥陀岳の高度感。のんびりでもないか!

引き続き

『シリーズ授業10 障害児教育発達の壁を乗り越える』岩波書店1991年

から、津守さん自身のコメントである。

その一日が子どもにとって満ちたりたものでなかったら、次の日は生まれてこないでしょう。そこで子どもと大人の一日の生活がどのようにしてつくられるかを述べたいと思います。

ずっと読んできた津守さんの実践ですが、最後に保育の1日をまとめおられる部分を取り上げる。
朝の出会い子どもとの交わり日々(その日)の形成、そして、一日を振り返る省察である。
その心構えも含めて、私たちのために説明しているようにも感じる。

どの一日も同じ日はありません。どの一日も、完全な日はありません。一日は、それぞれの大人が、自分のまわりの子どもたちとしっかりと生活することによってつくられます。人はそれぞれ違いますが、子どもと交わるときには共通のことがあります。そのことについて次に述べます。

《出会う》
一日の生活は、朝、子どもと出会うところからはじまります。
朝、子どもが学校に来たとき、大人から喜んで迎えられたという実感があって一日が出発します。大人の側からいうならば、子どもと出会ったひととき、お互いに親しみの気持が湧くように、自分自身を子どもの方に向けることです。
どの子どもと出会うかは、かなり隅然に左右されます。たまたま出会った子どもとその日一日つき合うことになる場合もあります。また、ひととき親しむだけで通りすぎることもあります。子どもはいろいろの大人と出会うことによって、親しみの輪がひろがるでしょう。
朝学校に来た子どもが自分からし始めたことを、私は大切にしたいと思っています。子どもが自分から始めたことの中にその子の心があります。

《交わる》
子どもの心の思いにそのままにふれるように、大人は自分自身をととのえることがまず最初です。昨日まで考えていたことは一度わきにおいて、じかに子どもの心の肌にふれることができるように、これはむつかしいことですが日々新たに必要なことです。
それから、今日の一日、子どもにこたえて一緒に生活を作ろうという、未知の未来への挑戦の精神が子どもとの交わりを継続させます。
この人となら安心して自分らしく振舞えると子どもが思うような関係がつくられると、そのあとは、ひとつひとつの行為をどう見るか、それにどのように答えてゆくかが大人の課題です。つまり表現と理解の問題です。理解とは、大人の知識の網の目の中に子どもを位置づけることではありません。むしろそのようなことばによる知識を取り去って、子どもの側から見ることができるように自分が変化することです。


《現在を形成する》
子どもと一緒にいるときに、その「今」を楽しむことを、私は毎日を子どもと過ごす中で学びました。早く切り上げて次のことをしようと思ったら、その時は子どもにも大人にも充実した「今」にはなりません。子どもは大人が本気でそこにいるかどうかをすぐに見抜きます。たとえ2、3分でも、子どもと共にいるその「今」に腰を据えて楽しめるようにする時、そこから次の時間が展開します。

子どもは、自分自身が過去から引きずっている悩みがある時、それを「今」の行動に表現します。「今」をゆっくりと付き合ってくれる人に見せるのです。

「今」を生命的に生きられるようにする時、子ども自身が自らの過去を新たな目で見るようになります。今の生き方によって過去は変化するのです。

《省察》
子どもが眼前から去ると、大人はさし迫った要求から解放されて、子どもとの間の体験を振り返ってみることができます。そこまでを含めて私は一日の実践と考えます。
一日が終ったあとで、一緒に実践の場にいた人たちとお茶をのみながら子どものことについて話すときを私は大切と考えます。そうすることによって、違う人の視点を加えて子どもの全体像が見えてきます。職員の間で、また職員会で子どものことについて話し合うときが少なくなったら、どんなに行事が影然と運営されても、学校全体のモラルが低下すると考えてよいと思います。
さらにまた、自分ひとりになったときに、その日のことを思いめぐらすことにより、行為の意味はいっそう明瞭になります。毎日実の中にある人には、ひとりで省察する時間はそんなに残されません。省察には結論はありませんが、それが次の日の実践の下地です。


そして、この後、津守さんは、「発達の危機」ということについて書いている。

省察のときには、その日のことだけでなく、おのずからにそれまで積み重ねられた日々の全体が思い起こされます。そしてそれぞれの子ども自身が力動的に変化してきた過程が見えてきます。それは子ども自身が体験している変化です。もしかしたら生きることに積極的にかかわることを放棄することになったかもしれない危機を乗りこえた体験です。それは大人との関係の中のできごとなので、大人にも関係の危機として体験されることがしばしばです。
これまで私がいろいろの子どもとの間で経験したことから、次のようなことは人間に共通の発達の危機と考えます。

① 存在感の危機‐子どもが自分らしく生きる実感をもつことは、生きていく上の基盤です。子どもをとり巻く周囲の状況にはそれを脅やかす危機が多くあります。

② 能動性の危機‐自分で選択して何かをするところに、人間であることのよろこびがあります。しかし実生活には能動性を発揮することを承認されず、能動性の芽がつまれる危機が多くあります。

③ 相互性の危機‐他人と心を通じ合ってやりとりする交わりを人は求めています。しかし機械的なしつけや自分が関与しないきまりに取り巻かれて、相互性が阻まれる危機が多く起こります。

④ 自我の危機‐関係はそれぞれ主体的な人間の間のことです。個が関係の中に埋没して、自分と他者との境界がなくなったら、人間としての尊厳がやかされます。しばしば子どもはそのような関係に取りこまれることを拒否します。そのことにとくに敏感な子どももいます。

発達を危機として考えることは、自分自身の発達に本人が関与することです。危機を自分が生きる上のチャンスとするか、マイナスにするかは、本人がその事態をどうとらえ、どう生きるかによります。子どもの場合には、かかわる大人の見方、生き方がそれを左右します。

この4つは多くの人が納得することだと思うのだが、津守さんは改めて整理し取り上げ、珍しく箇条書きで強調しているのである。
保育(教育)はその意図に反して、知らずしらずに、子どもの、また大人の発達をも阻害する作用が生じやすいことをいっている。
実際にどれをとっても〝すぐそこにある危機″という実感があるのである。


愛育養護学校の実践は、発達心理学者の野村庄吾さんが指摘するように諸条件の違いから単純に一般の保育園や学校には持ち込めない。
ただ、子どもの発達の筋道を追い続けた津守さん等の実践記録は、確かな足がかりとして今後も生き続ける特別な意味があるのである。


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242 保育の歩(ほ)#33 津守さん自身のコメント 1/2

2024年08月25日 | 保育の歩
のんびり八ケ岳 美濃戸口から沢沿いの道をつめてきて行者小屋に到着 晩秋のこの時期小屋じまいしてます。

引き続き

シリーズ授業0 10障害児教育発達の壁を乗り越える』岩波書店1991年

から、津守さんの在籍していた当時の愛育養護学校の実践についての多彩な編集委員の方の批評を取り上げたい。

そして今回と次回は津守真さんご自身のコメントである。
テキストでは津守真さんが校長の立場として編集委員になり愛育養護学校の実践について語っている。
校長としてどのように自校の保育(教育)を述べるのであろう。

ところで、これまで4人の方の批評を取り上げてきた。

「教師はひとりひとりの子ども自身が知識というものを「内側から見る」ことを、そのことのみを、最大限に援助する」こと(佐伯)

「「希望を失わずに、傍にいること」は、心理療法の根本ではないか、と筆者は考えている。多くの遊戯療法で、根本的にはこのような治療者の態度に支えられ、子どもたちは自らの力で立ち直ってゆくのである」(河合)

「大人である教師のからだが(ことばも含めて)子どもにほんとにふれているか、ふれることができるだけひらかれているか、いっしょに息をしているか」(竹内)

「子どもが抱えている発達の「障碍」や「壁」を洞察し共有し合い、その「障碍」や「壁」を子どもと大人が協同で克服する挑戦が日々の営みをとおして実践されている」(佐藤)

印象的なセンテンスを思い出しながら、次の津守さんの記述を読むと、保育(教育)を作り上げる者のメンタリティが鮮明になってくる。また、それは研究者としての発達観の大きな転換を経たものとして改めて述べている。

《発達観の転換》
子どもが遊ぶ姿を見ていると、最初は何をしているのかよくわからないが、そのうちに熱を帯びてきて、こちらが予想しなかったおもしろい遊びを始めます。それは実生活の中で起こることです。子どもにとっても新鮮なエネルギーに満ちた時間に、時間的制約なしに十分に遊びきることを許された状況の中で起こることです。そこには大人が必要です。はじめのうちは大人にべたべたくっついたり、要求したりします。子ども同士の悶着も多く、その間に入ってどちらの子も自分の関心を追求することができるように助ける大人が必要です。その時間を心身を労してはたらく大人が持ちこたえると、そのあとは子ども自身が遊びを生み出します。そのときは子どもにとって真剣で創造的な時間です。その中には子ども自身が解決しようと追求している課題があります。それをやり遂げたとき、子どもははればれとして違った自分自身になっています。こういう日がつづいてゆくと、数週間、数か月の間に、子どもは外部から見ても変化がはっきりとわかります。

《人間の発達に関わる》
1960年代、70年代は、心理学の分野では、実験的操作による研究が数多くなされました。これらの研究には精密をきわめたものが多くありますが、研究の原資料となっているものに目を向けてみると、子どもの実生活の遊びや生活を中断させ、実験室につれてきて定められた指示のもとに活動させ観察するという方法です。
そこでは子どもの生命性は失われています。そこから導き出された法則や教育プログラムを実践に応用することは、子どもの生活全体を歪めることになりかねません。


《生活に参与する中で》
子どもの行動を観察するのも、描画を見るときと同じことがあります。行動も子どもの内的世界の表現です。それまで客観的に観察しうる行動だけをとり出して、それに攻撃的行動、依存的行動などと名づけ、そこから逆に行動を分類していた。それでは子どもの側からの理解にはなっていないことに私は気づきました。全部はじめからやり直しです。子どもと出会ったときのひとつひとつの行動を、子どもの世界の表現として見よう。そう見たときにはどうなるか。私はわくわくする思いで、それから保育の実践の場に出てゆくようになりました。そのことについては拙著『保育の体験と思索』(大日本図書、1980年)に記しました。

行動は子どもの内的世界の表現です。同時にそれはだれかに対する表現です。子どもは自分の世界をだれかに見てもらいたい、理解してもらいたいと思っています。大人が子どもの行動からその願いや悩みを見ることができるとき、その大人との関係の中で、子どもはそれをいっそう明瞭に表現するようになります。つまり子どもの行為が展開してゆきます。
大人と子どもとのこのようなやりとりを、第三者として観察するのも興味深いことです。しかし、その大人が子どもの何を見ているか、どのように思って自らの行為の仕方をきめているかは、本人でなければわからないことがあります。ことに子どもとの間で大切な部分は、ごく小さなことが多いのです。その些細なことに気づいて、大人がそれに応答するかどうかによって、次の子どもの表現がかわってきます。表現はこのような関係の継続的プロセスの中で、その姿をかえてゆきます。これが保育の実践です。
ここにおいて、人間を育てることにかかわる科学では、実証科学とは全く違う考え方をとることに気がつきます。
後者では、相手を対象化し、研究者自身は外部の不動の地点に立っています。前者では、相手の生活に参与しつつ考えます。実証科学では、その知識が完全になるほど、対象を支配することが可能になります。前者では、相手も自分も変化しながら考えるのであって、完全な知識体系をつくることは最初から放棄しています。専門性についても、実証科学では、素人は知らない知識をもっているのが専門家です。人間を育てる科学においては、子どもも親も、専門家と同列の人間です。自分を加えてどの人も人間の見方を磨いてゆくようにするのが専門の仕事です。専門家の方がより多く知っているとはかぎりません。


子ども自身が環境に働きかけていくことにより、子どもが自ら未来を拓いていく、その過程で「大人が必要」で、その大人は「自分を加えてどの人も人間の見方を磨いてゆく」ことが求められのである。
これは、知識を得る形の保育の専門性とは違う次元の話である。

このあと、津守さんは、「子どもと交わる実践の1日」として項をあらためて、出会い、交わる、現在を形成する、省察として愛育養護学校の1日を時系列にして実践をさらに具体的に説明していく。
次回も津守さんご自身の批評を追う。



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241 保育の歩(ほ)#32 佐藤 学さんのコメント

2024年08月18日 | 保育の歩
のんびり八ケ岳  行者小屋に向かう途中 横岳が見えてきました。このルートは南八ケ岳の峰々に囲まれてきます。

つづいてのコメントは、佐藤学さんである。
佐藤さんは、同書の企画の中で、ビデオの撮影を担われていて、コメントとしては、

『学びとケアで育つ‐愛育養護学校の子ども・教師・親』小学館

に詳しい。

ところで、保育と教育についての語の使い方について、津守さんは、

ここで保育という語を用いますが、これを教育と養護ということもできます。実際にはこの二つは個別の機能ではなく、両者は分かち難く結びついており、養護の中に教育があり、教育の中に養護があります。(中略)日本語には保育という語があり、私はこれを幼児に限定せずひろく用いたと思います。

という。津守さんの愛育養護学校での実践は教育と養護を包含する「保育」として紹介されている。
(ちなみに、以前紹介した『保育所保育指針解説』においても保育所の特性として「養護及び教育を一体に行うこと」としている。)
そして、今回は全国の小中学校の授業を積極的に観察され、「学びの共同体」を提唱していた佐藤さんが、愛育養護学校の実践を批評する。

小中学校のいわば組織化されたカリキュラムの中の授業と、愛育養護学校の生徒の主体性に寄り添う実践とはどう相対されるのだろう。
特に後半はここでの学びとカリキュラムの考えた方にも言及している。

愛育養護学校における教師と子どもとの関わりは、一見するとそっけない。一人ひとりの子どもに寄り添い、絶えず暖かく細やかなまなざしがそそがれているのだが、どの教師と子どもも自然体であり、ゆっくりと濃密な時間が過ぎてゆく。教師の関わりがそっけなく見えるのは、教師たちが励ましや称賛の言葉をほとんど発していないからである。事実、この学校では、教師による「頑張れ!」という叱咤激励の言葉もなければ、「すごーい!」という仰々しい称賛の言葉もない。一人ひとりが自分を忠実に生きる日々の粛々とした営みが連綿と続いているだけである。
最初の数年間、私は、同校を訪問するたびに、なぜ、この学校の教師と子どもの関わりは、そっけないほど自然体なのだろうかと考えた。私が見出した答えは次の二つである。
一つは、この学校では子どもも教師も親も一人ひとりが「主人公(protagonist)」だからである。
どの子も一人ひとりが自らの願いと意志によって一日の生活と学びを創造している。教師も同様である。一人ひとりが自らの願いと意志によって一日の生活と実践を創造している。その一人ひとりの「主人公」としての日々の営みがオーケストラのように響き合って学校の一日をかたちづくっている。したがって、愛育養護学校では同じ光景は一度もない。一人ひとりの行動を観察していると、同じ行為がくり返されているように見えるのだが、その風景と経験を仔細に観察すると同じものは一つもない。緩やかな螺旋階段を一段一段昇るように、子どもも教師も一人ひとりが「主人公」として生活と学びを創造し続けているのである。
もう一つの答えは「発達の壁」あるいは「障碍」の捉え方にある。能力主義の社会で生きてきた私たちは、障碍を抱えた子ども(人)の「障得」をその子ども(人)の能力における「障得」と捉えがちだし、その子ども(人)の能力の発達の「壁」と捉えがちである。だからこそ、障得を抱えた子ども(人)は能力が「劣っている」と見られ、その能力の訓練が「教育」の名において施されることとなる。しかし、愛育養護学校における「障碍」や「発達の壁」は、子ども個人に内在するものとは捉えられていない。
子どもの学びと発達の「障碍」や「壁」は、その子どもの能力にあるのではなく、それ以上に、その子と社会の関係の中にあり、その子と大人との関係の中に埋め込まれている。
実際、愛育養護学校における子どもの発達は、その子と大人との関係の中にある「障碍」や「壁」を洞察し、その「障碍」や「壁」を子どもと大人が協同で克服することによって達成されている。教師や親の発達が先行して「障碍」や「壁」を乗り越え、子どもの発達がもたらされることも珍しくない。この事実は、これまでの教育学における「学び」や「発達」や「教育」の概念を根本から認識し直す必要を示唆している。
これらの事柄を認識しない人々にとって、愛育養護学校の実践は「自由放任の教育(保育)」あるいは「ユートピアの教育(保育)」として誤解されがちである。確かに、同校の子どもたちには活動の自由が与えられている。しかし、活動の自由が目的になっているのでもなければ、自由な教育を追求しているわけでもない。一人ひとりが「主人公」として自らの学びと生活を創造し、その関わり合いをとおして一人ひとりの子どもが抱えている発達の「障碍」や「壁」を洞察し共有し合い、その「障碍」や「壁」を子どもと大人が協同で克服する挑戦が日々の営みをとおして実践されているのである。

愛育養護学校のカリキュラムも来訪者には理解しがたい事柄である。同校の一日を観察しても、一般の小学校や幼稚園に見られるカリキュラムらしいものを見出せないため、カリキュラムが存在しない学校と誤解されがちである。
この誤解は二つの誤解に基づいている。一つは「カリキュラム」という概念そのものの誤解である。日本において「カリキュラム」は、通常、子どもの学びに先立って準備されている「計画」や「プログラム」を意味するものとして認識されている。
しかし、「カリキュラム」は、そもそも「人生の履歴」という意味を含意していることが示すように、「学びの履歴」を意味するものとして認識すべきだろう。すなわち、「カリキュラム」は欧米において「学びの経験の総体」として定義されているように、学びの経験とその経験を構成する活動内容や環境や人の組織を含みこんだものとして認識すべきだろう。「計画」や「プログラム」は「カリキュラム」の一部に過ぎないのであり、「カリキュラム」の創造と「学びの経験」の創造とは同義である。「カリキュラム」は「学びの履歴」であり、一日の終わりにつくられ、年度の終わりに編成されるものとして再定義する必要がある。


とは言え、「カリキュラムを「学びの経験(履歴)」としてどう洞察し構成するかは、愛育養護学校の教師たち自身にとっても難問の一つである。子どもの日々の活動を学びの経験として洞察し認識しなければ、子どもにとっても教師にとっても学校生活は容易に惰性へと転落するし、子どもも親も教師も充実した日々を過ごすことは不可能になる。同校の教師たちの研修と研究において「省察」が中心課題として設定されてきたのは、日々の活動の「省察」なしでは、子どもの活動経験を「意味ある経験」として創造することは不可能だからである。

子どもは、大人とかかわりながら、自ら道を照らして歩いていく、その足跡をトレースしていった筋道上で得たことこそがその子のカリキュラムということだろう。その慎重な作業を「省察」と呼ぶ。
ついた道に誘導されて歩くのと違う脚力がつきそうな学力観が見える。





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240 保育の歩(ほ)#31 竹内俊晴さんのコメント

2024年08月11日 | 保育の歩
のんびり八ケ岳 ここが有名な美濃戸口の八ケ岳山荘 さすがまだ暗いのに中は賑わってます。ヘッドライト点けてボチボチ出発

引き続き

『シリーズ授業 10障害児教育発達の壁を乗り越える』岩波書店1991年

から、津守さんの在籍していた当時の愛育養護学校の実践についての多彩な編集委員の方の批評を取り上げたい。

今回は演劇・人間関係学の竹内俊晴さんである。
竹内さんは自身も聴覚障害があり、その中で演劇界で活躍され、言葉と体についての鋭い感性をお持ちである。また定時制高校などの学校現場でも経験をもつ。

竹内さんの立場からは保育者の「居ること」の意味がさらに深まる。

私が障害児に限らず、一般にいわゆる教育の現場について言いつづけてきたことは、たった一つの視点でしかない。大人である教師のからだが(ことばも含めて)子どもにほんとにふれているか、ふれることができるだけひらかれているか、いっしょに息をしているか、を問うことであった。

ある熱心でもあり信頼できる養護学校の青年教師とレッスンしていた時のことである。彼は大柄ながっしりした体格で、相手の人は小柄な若い女性だった。彼がやさしく彼女に働きかけ手をさしのべると、彼女はまじまじと彼の目を見つめながら後退りする。また改めて手をさしのべる、とちょっと首をかしげる。それでもさまざまなやりとりの後、彼は彼女の手を取り、やさしく抱きしめた。一見二人はしっくりとけあったかに見えたが、彼女はやがて彼の手を解くと、少し首をかしげながら離れて立ち、そして去った。彼の納得し切れない顔。
彼は初め彼女を見た時、小さな心細そうな女の子に見えたと言う。かわいそうだな、とふと思った。そしてなんとか支えてあげたいと思って働きかけたのだ、と言う。だが彼女はどこかしっくりしない、と言う。抱かれた時もほんとに安心し切れなくて、と。
私は彼の抱いた時の姿をまねして見せた。両手を彼女の背に廻してしっかり抱きしめているみたいなのだが、腰は微妙に離れている。てのひらは背を抑えているが、指先はやや反ったまま宙に浮いていて、彼女のからだに触れていない。見ている人たちの「似てる!」という声と共に彼の顔が硬くなった。少しずつ話しあった後で私たちが気づいて来たことは!彼は心から彼女を力づけたいと思っていたのだけれども、からだは彼女をほんとのところでは避けていたのじゃないか、ということである。彼は彼女を「かわいそう」と思った。それが彼の出発点で、そこから彼は善意に満ちて前進した。しかし、ほんとうは、「かわいそう」というイメージを作り上げる前の彼が大切なのではないか。彼はほんとに彼女をどう感じたのか。あ、いい感じだな近づきたい、親しくなりたい、触れたい、と感じたのか。それとも逃げたい、関わりたくないと感じたのか。ひょっとしたら、そこはフタをして、「かわいそう」と感じることから安心して、日常生活で訓練している行為のパタンをくり出していたのではないか。

愛育養護学校の仕事は、かって遠山啓さんが八王子養護学校での実践を呼んだ名づけにならって言えば「原教育」とでも呼ぶべきことだろう。それがまず満たされねば人間の教育など始まりようもないことだ、有りがたいことだ、と思った上で、コムニタスと構造の問題が重く現れて来る。前節にのべたような健常者と障害者のお互いの浸透を思った上でなおかつ、「障害」とは「人間であること」の根本的ななにかの障害になりはせぬのかという疑いが私に生れて来ている。今のところそれは主に言語と精神ということのつながりについてであるが。それを含み、なおそれを超えて「人間である」とはなにか。

障害児教育を「原教育」とすれば、健常者は障害者ではないリアリティを思えば、健常者はその原点に本当に立てるのかと言っている。


いづれにしても、「大人である教師のからだが(ことばも含めて)子どもにほんとにふれているか、ふれることができるだけひらかれているか、いっしょに息をしているか」というテーゼをまっすぐ受け止めることが前提になる。
これはもちろん健常者に対するときも共通する。




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