諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

68 生体としてのインクルージョン#11 福祉のチーム

2020年02月29日 | インクルージョン
箱根古道。 終点 小田原城に着くとさすがに夕方になってます。

 ある市の自立支援協議会へ出張である。
お役所の5階の会議室。
子ども部会のあと、大研修室で全体会もあるらしい。

 この会議では鈴木さんに会える。
鈴木さんは放課後等デイサービス事業所の作業療法士(OT)さんだ。

 自立支援協議会というのは、自立支援法の成立(平成17年)以降、障害種別に個々に対応していた援助を、横断的な〝支援″として、福祉関係者、医療、労働、そして教育の関係などが会して検討する会議なのである。
 そして、その後の“障害者の権利条約”そのものが行政的な障壁を考慮してないものだから、いっそう自立支援協議会に期待がよせられている。
この会議も世界的な時代の趨勢の中にあると言える。

 鈴木さんとは前回の休憩時間に何気ない会話をした(程度だが)旧知の仲である。
元高校球児。大学でも野球を続けた。でも「神宮大会を目指している時、疲労骨折しちゃいまして」野球から離れたという。
で、作業療法士になろうと決心してアルバイトしながら資格を取ったという。そんな話をした。
 会議にまったく関係のない話なのだが、こういう人に頑張ってほしいと思った。

 他の委員さんも自己紹介などでそれぞれのお立場と生き方?みたいなものを感じている。

 田中さんは社会福祉協議会の人で、同じ社協でも主に地区社協に力を注いでいるという。
この地区はあまり住民の移動もなく、社協の活動も自治会の活動と連動しているらしい。
「地区社協で集まっても、すぐお酒になちゃって、議事が進めないんです」
という。そういうコミュニティなのだ。
 だが、この田中さんは活動力があり、いくつかのボラティア団体を結んで新組織をつくってNPO法人にしようとしている。
いわゆる活動家の雰囲気は少しもなく、日常の地域生活の延長線上で自然体の環境改善をしている。

 山田さんは児童発達支援事業所を経営している。
本校に通う7~8人の児童の名前を挙げ、子ども達の成長の様子が気になるという。
「発達障害の子がどんどん増えている実感がある」
という話は実感があふれる。
その一方で、児童数と職員数が助成金にかかわるという。
経営者でもあるのだ。
「安全のためには、職員の人材確保が必要でしょ。それがなかなかいないんですよ。」
 こういう人達の日々の努力で乳幼児期の療育はなされている。

 また、障害者の移動支援を行うサービスの担当者吉田さんは、障害者の移動のニーズと障害の状況を判断して移動ボランティアさんを紹介している。
障害当事者とその家族もそれぞれ個性があり、ボラさんのできることも個々異なるのでマッチングは難しい。また、地区によってはボランティアさんが集まらない厳しい現状もある。

 いつの時代でも、理想と言えば一定の制限がある中での模索に違いない。
 この最前線の人たちは活躍の場は別々だけど気分はすぐにワンチームで模索を始める雰囲気がある。これが福祉の皆さんの強みでもある。


※今回ももちろん仮名であり、少し脚色もありです。

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67 アキくんの特等席

2020年02月22日 | エッセイ
早朝の三島大社。ここから小田原城下までを「箱根八里」。ほんとに32kmぴったりありました。

  昇降口の縦にならんだ下駄箱の前に小さな椅子がある。
通常、靴を履き替えるために使う。

 赤いラインのスクールバスがそろりと近づいてきて、昇降口前に横づけされ停まる。
前方の扉が開く。もうアキくんが、そこで降りるのを待っている。
 
 右足、左足、最後はジャンプして両足で着地。
着地が決まった体操選手のようにニヤリと笑う。

 先生に手を引かれ、不思議なステップ?を交えて昇降口まで来ると、上履きに履き替える。スムースだ。
訳がある。早く例の椅子に座ってバスを眺めたい。

アキくんはもう特等席にいる。

 子ども達を下したバスが停車場所を開けると、次の色のバスが角度を変えながら入ってくる。
両膝を手のひらで叩いて、次に2~3回拍手。もうバス大歓迎。

 バスが好き。彼はこういう特等席をもっている。
次のバスはまだか、首を伸ばすアキくんの横顔は無心だ。

 そんな様子をこちら側から見ていると、無心であることのが羨ましくも感じる。
子どものころの無心さの中で人は自分の特等席を見つけるのかな?
などとぼんやり考えていると、
「アキくん、そろそろ行くよ」
と担任の先生。

 ずっと特等席にはいられない。そういうものだ。
同級生も上履きに履き替え待っている。ずっとそこにいられない子もある。
その子たちを束ねる担任の先生もこっちを見てる。

 こんな時先生にも「手」がある。
まだバスに未練のある彼に近づき、教室のイラストが描かれたカードを見せ、
「お・わ・り」
と言う。いつも視覚支援。

 すると、特等席をさっと立ち上がり一度大きく手をたたく。
「仕方がない、行くか」
と心の中で言ったかどうか分からない。
 でもその時小さな決意があったことは確かである。
「ずっと座っているわけにはいかないな」
と。

 特等席を離れて現実に向かっていく。
大人になっていくということ?。

 子どもの無心から離れて、折り合いをつけた。
友達と先生と手をつないで、静かに廊下の奥に歩いて行く背中を見送る。頑張ったねぇ。

 思い出して時計を見る。
自分ももうすぐ来客対応だ。その後高等部に応援に入り、報告書2本、会議、打合せもあり今日も退勤は夜だ。
   こっちも「行くか」と思っている。


※「アキくん」は仮名です。

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66 生体としてのインクルージョン#10 シャッター3/3

2020年02月15日 | インクルージョン
三島宿からの坂の途中(箱根石畳は三島からの方が保存、復元がいいかもしれません 余談)

 4回の準備会議を経て町内会の文化祭の当日である。
文化祭の会場は真ん中にある公民館。

 地域の皆さんが中心になり、小中学校、幼稚園、保育園、児童館、老人ホーム、習い事サークルなども一緒に集う。
ミニステージ、ワークショップ、展示、そしておにぎりとトン汁がふるまわれるらしい。
本校も10年来仲間に入れてもらって作品展示で参加していると聞く。

 朝8時、学校から生徒の作品を車に積んで公民館に向かう。ほぼ車満載。
「よろしくお願いしまーす」
会場に入ると皆さん準備に追われている。

 展示室は普段は5~6台の卓球台が設置されている場所。
で、本校展示場所は入口の正面。役員さん達が本校を引き立ててくれているのである。

「ああ、どうぞよろしく。この腕章つけてよ」
と委員長さん。腕章をつけることで係の一員になったようで少し嬉しい。

 一時間かけて、長テーブル2台と掲示用の衝立に作品を展示。
作品の意図や生徒が工夫した点を書いたポップも置いた。よい感じ。
あとは、来られた方に作品の説明と今度学校でやるイベントのチラシを渡すのである。

 ところが、まだ開場まで時間がある。慌てて準備しすぎたか。
回りをみると皆さんの展示もほぼ完成している。

 お隣は、陶芸を本格的にやっている年配の男性だ。
「私は野焼きで、土器みたいに焼くんだよ」
という。野趣ということ?
器と焼いている場面の写真がある。
「迫力ありますねぇ」
というと、にっこり笑う。子どもように両手を腰にやりながら焼き物の歴史を教えてくれる。

 隣は姫路城のレプリカを作成した人。この人自身が隠れちゃいそうな大きさの天守閣の持ち込んでいる。
自慢話にならないようにと思ってるけど、「唐破風の湾曲」のあたりの説明になると力がこもってる。

 向こう側の壁面には老人ホームの方の書道の作品。
書道の手ほどきされている女性が説明にあたるらしいが、「作品づくりにいいアイディアがないか、盗もうと思ってね」と冗談をいいながら他の展示を見ながらいろんな人と話してる。実は立派な先生らしい。

この街にはこんな人達がいるのだ!。

 開場の時間になり、まさに地域の老若男女が通りの左右からやってくる。慌ただしくなってきた。
腕章の効果?で、案内役でもある。
分からないことも多いから、いろいろな方に聞きに回ったり、プログラムを何度も確認したり、名実ともに係員になっていく。

 2階ではミニステージが始まったらしい。吹奏楽の音。
上っていくと、曲の紹介を先月部長になったばかりの男の子が行っている。
さすがに緊張していて少し間違えると、すかさず客席から「頑張れー!」と囃されている。
無事、アンコールまで終わって沢山の拍手をもらって満足そう。

 別の部屋はワークショップ会場。砂絵とか消しゴム印づくりとか切り絵を優しそうなエプロン姿の年配の方々が小学生親子に教えている。
真剣にでも楽しそう。時々手を止めて、顔を上げては先生に尋ねたり、頷いたりしている。

 そして、片付けの際には、児童館の館長さんに手伝っていただきながら、発達障害の子の増加について見識を伺ったりした。

 駅前では降りたシャッターが目立つけど、こんな人々がいる!。

 後日、町内会長さんにお会いした時、
「同じ仕事とか、好きなことが一緒とか、そういう集まりは多いけど、もっと違う人とつきあってみるっていうのが地域だと思う」
とおっしゃる。
いい言葉だと思った。

言わずもがな、学校も生徒もこの街とともにありたい。






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65 ファーブルのその後

2020年02月08日 | エッセイ
箱根旧街道 芦ノ湖から箱根峠に上がる

 今朝もフランスの農夫たちがなだらかな丘陵の向こう側の農場へ向かっていく。
農具を担いぎ、取りとめもない会話をしている。

 すると、途中の草むらに人影がある。背中を丸めて草むらをのぞき込んでいる。動かない。
「ああ、またあの人か」
と農夫たちはこの人に慣れている。

 夕方、仕事を終えた農夫たちが同じ道を戻ってくると、その人はまだ同じ姿勢ままそこにいて背中だけ見える。
これが昆虫記の作者 ファーブルである。

 昆虫記を読むと、昆虫を至近距離で長時間、長期に渡って観察しないと分かりえない克明で迫真的な内容である。
彼の「背中」の意味もよく理解できる。
ほとんど意識されていない昆虫の生態を見て、誰も知らない世界があることを記述せずにはいられなかったことだろう。
だから私たちは彼の視線でその場にいるように読書しなら、だんだん昆虫と彼自身の気持ちに近づいていく。

 一方、この観察者は、かならずしもアカデミックには評価されていない。

 「彼が見ていないこと、想像したことをも、実際に見たかのように思える書き方をしている場合があることである。このような点で、科学者としてのファーブルを支持しない向きもある」(ウイキペディア)
ノーベル賞候補から外れた。

 これについて、ファーブルは、
 「私はこの目で昆虫を見ているんだからね。反対する人は自分で観察してみればいいのだ。きっと私と同じ結果が得られることだろう」
と一蹴する。
見るのは人なのであって、立証的な事実の積み上げではないと言っているかのようである。
 
 後年、彼のこの記述が日本の図書館にならび、多くの読者を得た。
たぶん、ファーブルというフランス人に100年の時を経て好感をもつ人は多いだろう。
そして彼の記述を通じて昆虫の世界の豊かさ不思議さを知った人も多いはずだ。

 個人としてまっすぐに見て、記述し伝えることが普遍性をもった。

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64 生体としてのインクルージョン#09 シャッター 2/3

2020年02月01日 | インクルージョン
箱根旧街道 芦ノ湖から畑宿へ

   授業を抜け出すという学生の心理は、知的障害の有無ではないようで、「そんなもんだろう」とも思う。
   でも、本校の生徒は校外に出て、安全確保の判断力があるとは限らない。

 渡り廊下から校外へ駆け出した生徒を、たまたま2階の窓から見ていた先生があり、
「〇〇君!、左に行った!。黒い上下のジャージ!!。」
すぐに自転車で追いかける。援軍?を呼ぶための携帯電話がポケットで踊る。遠くに行かないうちに。

 坂の下まで来てみたが、見えない。
  ベランダで布団を干しているおかあさんに尋ねると、「あっち、あっち」と2度指をさしいる。
「スミマセン!!」
と叫びながら、ペダルと踏みなおす。
あの指さしのジェスチャーだときっと走って通過していったのだろう。

 次の角に着くと、キャップをかぶったおじさんと犬の散歩をつれたフリースの女性が立ち話をしている。
ここに人がいてくれてよかった。十字路になっており方向が分からない。
「歩いてこっち側に行ったわよ」
さすがに疲れて歩きだしたのかな。

 今度はゆっくり進みながら、入り組んだ住宅地を注意深く探す。
午前中、洗濯干し、家の前の掃除、保育園の送迎の待ち合せ、犬の散歩の人などに躊躇している余裕もなく「黒いジャージの生徒」の行方を聞いた。
皆さんこっちの慌てている立場を理解してくれていてありがたい。

 それにしてもどこにったのだろう思っていると、携帯が鳴り、もう少し先で自転車2号の先生が見つけたという。
やれやれ、バイパスの手前でとにかくよかった。心配ないというのでお役御免。

 
 学校に戻る途中、まだ生徒の行方を尋ねた人たちがいて、自転車を引きながら丁重にお礼を言って回らねばならない。
「お騒がせしました…。」

 元来、学校は地域の皆さんにご迷惑をかけることが多い、と思っている。
生徒が通学路で無軌道な行動をとることもある。校内放送がうるさいこともある。校庭の砂煙が舞うこともある。スクールバスの往来の騒音、来校者の迷惑駐車もあるかもしれない。
 そんなことが固定観念になり、今日も恐縮しならが通常より丁重?にお礼である。


 ところがである。反応が想定と少し違っていた。

「どこにいたの?」
と庭を掃いていた人。
「コンビニで雑誌読んでいたらしいんです」
「ああ、そう。高校生だかねえ」
と声を立てて笑っている。

 また、別の人とは、話がそれて、
「いつも大きな声であいさつする子、随分大きくなったですね」
という。中学部の生徒を知っているらしい。
「いつも、うちの車を眺めていた男の子、もう卒業したの?」
「文化祭の時のバザーには毎年行っているよ」
など、こちらも丁寧にお礼を言ったし、切羽詰まった捜索の同情もあろうけど、こんな感じではないと思っていた。

 地域には「懐」のようなものがある。
 










 



 


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