諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

208 保育の歩(ほ)#4 保育所保育指針

2023年06月25日 | 保育の歩
間ノ岳から北岳へ 間ノ岳から農鳥岳への稜線 この時は歩きませんでしたが。

 ヒトは、未熟児として生まれ、成熟までに膨大な時間を要する。
他の哺乳動物と比較にならないほど長い。
この時間こそ人間の可変性を表しているという。
そして、結果として生得的なものより後天的なものが圧倒的に大きい。
ヒトが人となるのにはこの時間の中で育て上げられねばならない宿命ともいえる。

そして、ヒトはヒトの共同体である村がそのことを担ってきた。
だから、村の共同体は村の成員として必要な事々を育む保育力をもたねばならなかった。
保育力があることでようやく様々なことの継承できたし、後年「文化」を形成できたに違いない。
保育力は類的な存在であるヒトの本質的な特徴といえる。

そして、人類史の尺度では、ほんの最近になって、学校が登場した。
市民(国民)意識の啓発だったり、出来上がってきた知識体系の伝達だったりを効率的に伝える機能的性格の強いものとして、従来の共同体とは違った性格の教育の場ができた。

そんな概観を経て、共同体の保育力、そして近代の知識体系を効率的に提供する学校とで近代以降の教育は成り立ってきている。

ところで学校は頭で考えた機能的集団である。
同一な学齢の子どもたちを一定人数ごとに教室に集めて、決まった教育内容を教えるというものだ。
日本では10年に一度教育内容の見直しがあり、今後はもっと変化が激しいと言われ、気ぜわしい。

一方、従来からの共同体の保育というものは元来自然なものだから、考えた所産ではない。
ヒトの変わらないものに寄り添いながら子どもたちの幹を太らせるような働きがあるイメージだ。
だた、問題は頭で考えた所産でないから、含まれている重要性を明示的に説明しにくいもののようである。

もちろんその保育の中にこそ、説明しにくい重要な事々がたくさんあることは確かである。
「何のために?」という問いに弱い。


そこで、一足飛びで恐縮だが、試みとして、保育所というところの制度的つくりから見ていきたい。
いわゆる学校教育と一線を画するところとして、機能的ではあるが、元来自然なものを包含しているにちがいない。

保育所には、

保育所保育指針(平成30年)

というものがある。
学校における学習指導要領に相当するものである。
保育所はご存じのとおり厚労省が所管している。
明治時代の学制以来の学校教育の流れと一線を画する。つまり児童福祉の流れの中にあっての制度である。
つくりは60頁程度とシンプルである。当然、「各教科」に相当するものはない。

次回は、学習指導要領と相対してみる。




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207 保育の歩(ほ)#3 保育の起源

2023年06月11日 | 保育の歩
間ノ岳から北岳へ 仙塩尾根の森林限界を超えて振り返ると、仙丈ケ岳が大きい

人類は直立で歩行することで、採取や狩猟の幅を格段に広げられようになった。道具を作り活用しはじめた。すると知能が発達して脳の容積を飛躍的に増加した。
胎児の段階ですでにその頭が大きいため、母親の産道を通れなくなる。そこで人類は体外での成長を期して未熟児として子どもを産むことになった。結果、他の哺乳動物と比べて極端に乳幼児期が長くなった。
一方、子を早産で産んだ母親は、すぐに次の子を産む体の準備ができる。そして短期間で次の子を妊娠する。
この多産は他の霊長類に比べても多いそうで、未熟児の死亡率を補うように、類としては多産によって種を守ってきたのである。

そして、次々に産まれる乳幼児は必然的に母親以外の人が抱き、子育ては村共同で行うものになった。原理的に親だけで子を育てることは困難で、子はコミュニティによっていろいろな人のてを借りて保育されつつ育つものなのである。

また、青年期を終え成熟した体にならないと成人としての村人になれかかったという。
実際、現在でも様々な慣例で成人儀礼を行うがそんなに若年時には行われない。
太古からヒトは乳児期から青年期まで、かなりの時間を子ども時代として過ごし、成長することが自然なこととして受けいられてきた。
共同保育をすることや、子ども時間が認めらえていることは、弱い人類が集住せざるを得ない事情や、早産による出生やゆるやかな成長といった身体の特徴を反映した必然といえる。

そして、そこには結果として、保護されながらも、急き立てられない子どもの時間があっただろうし、思いやりを育み、好奇心を発揮しつつ遊べる自由があっただろう。
そして、それは単に大人になるための準備期間になってのみならず、贅沢なモラトリアムとして、人類だけがもつ圧倒的な創造性をもこの時期に育んだはずである。

養老孟司さんのいう「かけがえのない時間」、平井信義さんのいう「「意欲的な生活」を送ることになる自発性」が育まれる時期ということになるのだろう。

以上のことは、時代を遡れと単純に言っているのではない。
ヒトという動物は数万世代で、こうした保育の共同性と子ども時代の特別な位置づけがあったことが、未熟児として出生するヒトを成人まで成長させる重要な条件であったことを述べているのである。
で、こうした普遍的な条件は今日やはり危うくなってきているように感じる。ことさら近未来から風の中で。

養老孟司さんが、近著でこのことに触れている。

個人の子育てではなく、社会的な問題として、子どものことを初めて心配だと思うようになったのは、昭和30年代の頃、私が大学生だった時期である。いわゆる高度成長に伴って、具体的には「子どもの遊び場がなくなる」という問題があちこちで生じた。当時の私が見ていた子どもたちとは、私より10歳ほど下の年齢、いわゆる団塊の世代だった。もちろんこの世代は、今では立派なお爺さん、お婆さんになっている。その後核家族が進展し、少子化が進み、子どもたちの騒がしさが日常からしだいに消えていった。
いったい何が起こったのだろうか、私はそれを脳化社会と表現した。意識中心の社会を作ると、そこから自然は排除される。ヒトの自然の典型は、身体と子どもである。脳化社会とは、具体的には都市化であり、都市と子どもとは折り合わない。
そんなことを論じているうちに、少子化の進展と同時に、自殺の問題が生じた。高校生くらの子どもを持つ親に聞くと、「なぜ死んじゃいけないの」と言われるという。私も高校生から同じ質問を受けた。自分の人生は自分のもの、それを自分で左右して何が悪いということらしい。まこと返答に困る状況である。10代から20代まで、若い世代の日本人の死因の1位を占めるのは、自殺である。

大人にできる事は、その環境を用意することであろう。とはいえ、ものが十分にあればいい、ということではない。オリーブの若木に十分な肥料を与えすぎると、樹齢数百年という老木にはならないという。思えば、当然で、わずかな栄養を必死で摂ろうとするからこそ、根が広く伸びる。


『子どもが心配』PHP新書

前回のシリーズでOECDの教育観を見た中で、切迫した近未来への性急さから、子どもが子どもであることの意味を思い出す時間が重要ではないかと感じた。
もちろん子どもが子どもいられる環境も意図的に仕立てすぎると、かえって居心地を損なってしまうというジレンマを持っている。

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