諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

132 「ズレ」を考える #5 連合野の宿命

2021年04月25日 | 「ズレ」を考える
道! 有名な旧天城トンネル さすがに歩いて河内側に抜ける気はしません💦

脳の話が続き、素人として恐縮してます。
話を複雑にしたくなくないのですが、この話が次の前提になります。

感覚野と運動野の間にあるのが連合野ということを言った。
入力(感覚野)と出力(運動野)の間の評価・判断の装置といってもいいのだろう。

そして、この連合野の中でも、「思考、判断、情動のコントロール、コミュニケーションといった高度な分析・判断を司る。思考力、創造性、社会性といった人間らしさの源泉ともいえる部位」1)が、前頭連合野である。

ここが評価・判断の装置たる連合野の中核らしい。

そして、この部位の大きさこそがヒトの驚くべき特徴である。
「前頭連合野は脳の前方に位置する前頭葉の中で運動野・運動前野・補足運動野を除いた領域で,哺乳類では系統発生的に進化した動物の種ほど,良く発達した。例えば,哺乳類のネコでは,大脳皮質の中で,前頭連合野の占める割合は3.5%であり,イヌでは7%とその割合は低い。しかし,霊長類ではアカゲザルとニホンザルで12%,チンパンジーで17%とその割合は高くなり,ヒトでは30%と大脳皮質の3割を占めている。つまり,前頭連合野はヒトで最も発達した脳部位である。しかも, 個体発生的には,発達が最も遅い脳部位の一つである。一方,老化に伴い最も早く退化し,機能不全に陥る脳部位である。」2)

ちなみに、脳は脳そのもの大きさが違うので、ヒトの前頭連合野の絶対的な大きさは驚異的である。
(脳の重量:ネコ25g、イヌ64g、アカゲザル88g、チンパンジー330~430g、そして、ヒト1250~1450g)3)

脳の容量は体重と相関しているから単純には言えないが、”あそこでひなたぼっこをしている猫”と、”ここでキーボードを叩いている私”の脳は信じがたいほどの差がある。

見方を変えると、ヒトは、思考、判断、情動のコントロール、コミュニケーションといった高度な分析・判断をする脳を持たされているともいえる。
(だから、時々、あの猫の方が幸せなのではないか、と考える!)

そして、私たちは、論文2)にある一行
個体発生的には,発達が最も遅い脳部位の一つである。
ということに注目すべきなのである。
そして、いくつかの事例が示すとおり、前頭連合野(その部位だけではないだろうが)は環境との相互作用で成熟する。
つまり、この高性能な装置は、そのプログラミングをヒトに任せているのである。

そうしないと、誤学習した前頭連合野は誤った行動を促てして、当事者も取巻く社会をも、管理しきれなくなってしまう。

言い方をかえれば、ヒトは生物のnatureとして、前世代が責任をもって、次世代の前頭連合野を成熟させないといけないのである。そういう宿命をもっている。




※つぎのHPから考えました。
1)前頭葉 | 看護師の用語辞典 | 看護roo![カンゴルー]
https://www.kango-roo.com/word/14268
2)網野 ゆき子「主観経験の科学的分析は可能か ――思考と意識をめぐって―― 」
https://core.ac.uk/download/pdf/236344679.pdf
3)脳化指数
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%B3%E5%8C%96%E6%8C%87%E6%95%B0- Wikipediahttps://ja.wikipedia.org › wik

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131 「ズレ」を考える #4 自分と未来の自分

2021年04月18日 | 「ズレ」を考える
道! 日光男体山は中禅寺湖畔から直登。登山口は二荒山神社から。

前回、連合野について触れた。以下はあえて言えば”連合野の特性”の話である。

実存主義の哲学者サルトルが、人間の存在について、こんな捉えをしている。

「人間は現在もっているものの総和ではなく、彼がまだもっていないもの、これからもちうるものの合計である。」

「永遠であるという幻想が失われた時、人生は意味を持たなくなる。」

人間の実情は時間の先の自分観(感)がダブって存在するということだろう。
そして、未来の自分観(感)に向けて、今の自分を放り込んでいく。
その過程の動的な感触こそが存在感であると。

本シリーズの嗜好に合わせていうなら、
未来の自分とここにある自分ともズレを意識したとき、動的になり人生の意味が感じ取れるということであろう。

自転車を乗れるようになった(未来の)自分、掛け算九九がすらすらできるようになった自分、受験して〇〇高校の生徒になった自分、あのゲームソフトを手に入れた自分、一人旅で北海道に行った自分、運動部に入って「陽キャラ」になった自分…。
そのズレが原動力になって“生きる”のである。

未来の自分との平衡状態としての現在の存在がある。
サルトルは逆説的にこのことを言っている。

「ボートを漕がない人間だけが、ボートを揺らして波風を立てる時間がある。」

※英語の名言・格言【サルトル】 https://iyashitour.com/archives/37783 から引用。

 

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130 「ズレ」を考える #3 感覚野と運動野の間

2021年04月11日 | 「ズレ」を考える
道 皇居桜田門から続く国道20号線の終点(始点)塩尻市

(ところで、脳科学から教育を考えることなど不得手というより元来難しく、あくまで大原則を書きます。)

五感から入った信号は脳の「感覚野」というところで処理され次の部屋に伝えられる。そして、その部屋から伝わってきた情報は「運動野」によって具体的な命令にされ、筋肉によって出力される。

こういう見方で考えると、眼鏡補聴器は感覚器の機能を修正したり増補したりして、感覚野で処理しやすくするものである。動画で紹介した「ユーザーインターフェイス Ontenna」も感覚野の捉える情報を、人の特性に合わせて編成し直している。

また、各種のスイッチ類視線入力装置などは、「運動野」の指示を表現可能な筋肉を最大限に活用できるようにするテクノロジーである。

つまり、ヒトは感覚器によって得た信号を感覚野という部分が受けとめ、ある意志が運動野に伝えられ、筋肉を動かすことで表現されるのである。そしてその両端には装置があり、入出力のズレを補っていると言える。

そして、あることに気がつく。
「感覚野」と「運動野」の間にある部分、つまり今「ある意志」をもつと言った部分である。こここそ入力から出力を判断する部分であるといえる。別の言い方なら人格の部分といえるのだろう。

「連合野」というらしい。



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129 「ズレ」を考える #2 筋肉とテクノロジー

2021年04月04日 | 「ズレ」を考える
道 5月の南アルプス 鳳凰三山稜線

前回、脳の指示と筋肉の出来る範囲との「ズレ」は誰にでも多少なりともあるが、それが大きく自分の管理下に置きにくい状態になると「障害」と呼ばれ状況になる、と書いた。

考えて見ると、誰にでも「あるべき自分」と「ここにある自分」とがある。
この「ズレ」をどうするかは切実な問題である。
そして、従来それを人生の現実として各自の努力によって受け入れる指導をしてきたように思う。
「自己理解がすすんだ」とか「大人になった」といった内面の変化に期待してきたように思う。

しかし、この「ズレ」の課題をテクノロジーがまったく別の文脈から一挙に克服しようとする動きがここ10年間で目覚く進んできている。
まずは、次の動画を。

Apple – Accessibility – Sady
https://www.youtube.com/watch?v=XB4cjbYywqg&t=3s

「障害者が豊かに暮らせる環境を」(視線入力)
https://www.youtube.com/watch?v=B715Y83aJfg&t=111s

分身ロボットOriHime
https://www.youtube.com/watch?v=Y9Uewe9ZxUo

iPadタッチャー
https://www.youtube.com/watch?v=dJV5jhfBwjo

ユーザインタフェース Ontenna
https://www.youtube.com/watch?v=U-x5jB3GE5U&t=71s

「ズレ」を技術で解決する取り組みは、目覚ましい。採算を考えず大企業も開発に乗り出してきている。今までにない発想。

テクノロジーというと、その語感から少しドライな印象を受けるが、これらの動画を見ると技術者の心意気みたいなもの感じ、そういう意味からも嬉しい開発にでもある。

確かに、違う文脈というと、違和感のある人もあるかもしれないが、積極的に勧める価値は十分にある。
そして、そのためには、心意気のある技術者の他に、実際に子ども達に勧める紹介者がもっといていい。

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