間ノ岳から北岳へ 深田久弥さんの「この北岳の高潔な気品は本当に山を見ることの好きな人だけが知っていよう。」という一節を思い出しつつ出発
伯父さんは農家である。
むかしから、東京で親戚が集まるとひときわ日焼けした顔で大きく笑いつつ、都市部に住む親戚のよもやま話を黙って聞いていた。
そして、いろいろな場面できりっとしめるネクタイが不思議に似合った。
夏休み、伯父さんの農場に遊びにいくことがあった。
子どもだった私は納屋とか作業小屋の周りで従兄弟と虫取りやボール投げに興じていると、ずっと伯父さんは玉ねぎの仕分けをしていた。
翌日は、早朝から石垣の隙間の雑草をとり、トラックにたくさんの重そうなコンテナを積んで泥のついた長靴のまま街の市場に向かっていった。朝食は叔母さんのにぎったおにぎりを車中で食べるのだという。
その後も、害虫のこと、卸の値崩れのこと、台風や日照り、JAや他の農家との付き合い、人手不足、怪我をしたこと、開発によって山から獣が下りてくる被害も父経由で聞いていた。
こうした苦労が伯父さんのあの日焼けと重なった。
「そりゃ、仕事さぁ」
とすら伯父さんは言わない。
ネクタイの伯父さんは「家の方針」で農業をやることになったらしい。
東京育ちの伯父が戦時中の疎開で数年いただけのこの地域で農業をせよ、というほど「方針」は強かった。旧家制度の雰囲気が残っていただろうし、戦後の混沌とした事情もあったのだろう。
当の伯父さんは、そのころ世田谷区の大学に通っていた。
野球部の名ショートだったと父は自慢の兄について時々話すが、この若い伯父が、山の向こうの山村で鍬をもつ生活に入ることになった。
「あの頃はまだ戦後でなぁ」
で、実際今では想像もできない苦労があったようだ。
その後、ずっとその土地で農業をしている。
テレビで、
「畑に足を運んで、野菜(作物)にたくさん足音を聞かせてやることだねぇ」
という農家の方があった。
そういうことなのだろうと思う反面、農家はつらい。
野菜はいろいろな条件と手間がなければ出荷までこぎつけられない。
それでいて、そんな「足音」を聞かせたトマトであっても、人はそれが特別なトマトであるとは思ってはくれない。足音の数が卸値に反映するとはかぎらない。
伯父さんも、そうしたことを「そういうものだ」と受けいれながらずっとやってきたにちがいない。否、何とかやってきた、のかもしれない。
私も学校勤めをするようになったころ。
伯父さんの話し中に気が付くことがあった。
「百姓」という言葉である。
「百姓はさぁ」
「だって百姓だもんな」
叔母さんも、
「最近お父さん偉いのよ、「俺は百姓だ」って言うの」
と笑った。
少しの変化、でもその中に(僭越ながら)伯父さんのきりっとした格好良さを感じた。
「とにかく手間かけねーとトマトにならねんだよ」
とは言わないが、「百姓」の気分の中には、作物を育てることへの強さがある。
子どもたちもいろいろな条件の中で生きている。
何とかしてやらないと、とぐっと力を入れる時、伯父さんの言葉を思い出す。
「俺は、百姓だからさあ」
伯父さんは農家である。
むかしから、東京で親戚が集まるとひときわ日焼けした顔で大きく笑いつつ、都市部に住む親戚のよもやま話を黙って聞いていた。
そして、いろいろな場面できりっとしめるネクタイが不思議に似合った。
夏休み、伯父さんの農場に遊びにいくことがあった。
子どもだった私は納屋とか作業小屋の周りで従兄弟と虫取りやボール投げに興じていると、ずっと伯父さんは玉ねぎの仕分けをしていた。
翌日は、早朝から石垣の隙間の雑草をとり、トラックにたくさんの重そうなコンテナを積んで泥のついた長靴のまま街の市場に向かっていった。朝食は叔母さんのにぎったおにぎりを車中で食べるのだという。
その後も、害虫のこと、卸の値崩れのこと、台風や日照り、JAや他の農家との付き合い、人手不足、怪我をしたこと、開発によって山から獣が下りてくる被害も父経由で聞いていた。
こうした苦労が伯父さんのあの日焼けと重なった。
「そりゃ、仕事さぁ」
とすら伯父さんは言わない。
ネクタイの伯父さんは「家の方針」で農業をやることになったらしい。
東京育ちの伯父が戦時中の疎開で数年いただけのこの地域で農業をせよ、というほど「方針」は強かった。旧家制度の雰囲気が残っていただろうし、戦後の混沌とした事情もあったのだろう。
当の伯父さんは、そのころ世田谷区の大学に通っていた。
野球部の名ショートだったと父は自慢の兄について時々話すが、この若い伯父が、山の向こうの山村で鍬をもつ生活に入ることになった。
「あの頃はまだ戦後でなぁ」
で、実際今では想像もできない苦労があったようだ。
その後、ずっとその土地で農業をしている。
テレビで、
「畑に足を運んで、野菜(作物)にたくさん足音を聞かせてやることだねぇ」
という農家の方があった。
そういうことなのだろうと思う反面、農家はつらい。
野菜はいろいろな条件と手間がなければ出荷までこぎつけられない。
それでいて、そんな「足音」を聞かせたトマトであっても、人はそれが特別なトマトであるとは思ってはくれない。足音の数が卸値に反映するとはかぎらない。
伯父さんも、そうしたことを「そういうものだ」と受けいれながらずっとやってきたにちがいない。否、何とかやってきた、のかもしれない。
私も学校勤めをするようになったころ。
伯父さんの話し中に気が付くことがあった。
「百姓」という言葉である。
「百姓はさぁ」
「だって百姓だもんな」
叔母さんも、
「最近お父さん偉いのよ、「俺は百姓だ」って言うの」
と笑った。
少しの変化、でもその中に(僭越ながら)伯父さんのきりっとした格好良さを感じた。
「とにかく手間かけねーとトマトにならねんだよ」
とは言わないが、「百姓」の気分の中には、作物を育てることへの強さがある。
子どもたちもいろいろな条件の中で生きている。
何とかしてやらないと、とぐっと力を入れる時、伯父さんの言葉を思い出す。
「俺は、百姓だからさあ」