相変わらずにギターはコードでほとんどが止まっているのだけれど、オーバードライブのエフェクターを買ったことによってだいぶ私の頭の中のイメージが音で聞こえるようになってきた。
そうするとやはり大音量が出したいのでヘッドホンをしてやる。
物理的なヘッドホンの締め付けも手伝って、頭が割れそうになるのだけれど音量を下げられない。
頭の中で曲が流せる、歌ってもいいのだけれど歌うとギターがついていかないので、というだけで私は十分に青く熱くなれる。
コードのレベルがここまで来るのにも、私としてはかなりがんばった。
くるりの「男の子と女の子」のコードを今日初めて拾ってみたけれど、うまく弾けるかは別として、初見でほぼ拾えるのだから大したものだ。
と、自分で本気で思う。
私は、細かいことを言えば音や声にも打たれているけれど、結局多くを詞に打たれている。
だから私にとってそれが音楽である必要はもしかするとなかったのかもしれないけれど、その詞を発射するための音楽だったり付随するパフォーマンスは、最も分かりやすい発射装置なのだなと思う。
思いがけないところからまたスタジオに行けることになって、ギターが普通に弾ける人が来るようだから楽しみでならない。
私はギターを弾いているのも見るのも好きだ。
あわよくば教えてもらいたい。
とりあえず、ヘッドホンなしで大きな音が出せるだけでもとてもとても楽しみだ。
岡村靖幸、はっぴいえんど、ロバート・ジョンソン、ジェフベック、ガンズ・アンド・ローゼズ、ザ・キンクス、エクストリーム、をレンタル。
私は言ってもロックミュージックに対する造詣が深いなどとは言えないのだけど、なんだか最近新しく聴くものに対して「ふむふむ」と思ってしまう。
的確な言葉で「これはあの人の影響を受けていそうだ」とか「あの年代のあのジャンルだ」とは言い当てられることはごくわずかだけれど、サウンド感としてのばっくりとしたイメージの括りができてきたのかもしれない。
ジェフベックが超有名で偉大なギタリストであることも今日知ったにも関わらず。
そして別に「ふむふむ」となりたいわけでもないのだけれど。
前情報としてその聴きどころを聞いてしまったからなのか何なのか、エクストリームの「Decadence Dance」と「More than words」は良かった。
残っていた「More than words」の和訳を見てみると、恋愛ソングとしての良さは十二分だ。
ギターのヌーノ・ベッテンコートの音が青さのあるエモーショナルな美しい音色。
ヘヴィメタはメタリカを聴いて以来避けてきたけれど、所謂ヘヴィメタな曲以外にも色んな曲があると思えば掘れるかもしれない。
ついでに、パティ・スミスがいいよと勧められて、既にiTunesに入っているものを再び聴いてみる。
魂、のようなものは十分に感じる人なのだけれど、如何せん英語であるということと女性であるということと、やはりお茶目さに欠ける、という点でぎゅうっとはなれない。
お茶目であることは、表現においては時に真剣なことの逃げ道にもなるようなものだけれど、私が他人の人間性としてとても愛おしく惹かれる成分だ。
そして自分もお茶目でありたいと願うけれど、願ったり意識したりしてどうにかなるものでもない。
マスクなしで外出してしまったけれど、さほど花粉による症状が出ない。
今年は少ないとは思うけれど、いつもに比べるとあまりにも症状が軽い。
目薬も飲み薬も、今年は一度も使わずに済みそうである。
花粉症が治る、ということはあるのだろうか。

そうするとやはり大音量が出したいのでヘッドホンをしてやる。
物理的なヘッドホンの締め付けも手伝って、頭が割れそうになるのだけれど音量を下げられない。
頭の中で曲が流せる、歌ってもいいのだけれど歌うとギターがついていかないので、というだけで私は十分に青く熱くなれる。
コードのレベルがここまで来るのにも、私としてはかなりがんばった。
くるりの「男の子と女の子」のコードを今日初めて拾ってみたけれど、うまく弾けるかは別として、初見でほぼ拾えるのだから大したものだ。
と、自分で本気で思う。
私は、細かいことを言えば音や声にも打たれているけれど、結局多くを詞に打たれている。
だから私にとってそれが音楽である必要はもしかするとなかったのかもしれないけれど、その詞を発射するための音楽だったり付随するパフォーマンスは、最も分かりやすい発射装置なのだなと思う。
思いがけないところからまたスタジオに行けることになって、ギターが普通に弾ける人が来るようだから楽しみでならない。
私はギターを弾いているのも見るのも好きだ。
あわよくば教えてもらいたい。
とりあえず、ヘッドホンなしで大きな音が出せるだけでもとてもとても楽しみだ。
岡村靖幸、はっぴいえんど、ロバート・ジョンソン、ジェフベック、ガンズ・アンド・ローゼズ、ザ・キンクス、エクストリーム、をレンタル。
私は言ってもロックミュージックに対する造詣が深いなどとは言えないのだけど、なんだか最近新しく聴くものに対して「ふむふむ」と思ってしまう。
的確な言葉で「これはあの人の影響を受けていそうだ」とか「あの年代のあのジャンルだ」とは言い当てられることはごくわずかだけれど、サウンド感としてのばっくりとしたイメージの括りができてきたのかもしれない。
ジェフベックが超有名で偉大なギタリストであることも今日知ったにも関わらず。
そして別に「ふむふむ」となりたいわけでもないのだけれど。
前情報としてその聴きどころを聞いてしまったからなのか何なのか、エクストリームの「Decadence Dance」と「More than words」は良かった。
残っていた「More than words」の和訳を見てみると、恋愛ソングとしての良さは十二分だ。
ギターのヌーノ・ベッテンコートの音が青さのあるエモーショナルな美しい音色。
ヘヴィメタはメタリカを聴いて以来避けてきたけれど、所謂ヘヴィメタな曲以外にも色んな曲があると思えば掘れるかもしれない。
ついでに、パティ・スミスがいいよと勧められて、既にiTunesに入っているものを再び聴いてみる。
魂、のようなものは十分に感じる人なのだけれど、如何せん英語であるということと女性であるということと、やはりお茶目さに欠ける、という点でぎゅうっとはなれない。
お茶目であることは、表現においては時に真剣なことの逃げ道にもなるようなものだけれど、私が他人の人間性としてとても愛おしく惹かれる成分だ。
そして自分もお茶目でありたいと願うけれど、願ったり意識したりしてどうにかなるものでもない。
マスクなしで外出してしまったけれど、さほど花粉による症状が出ない。
今年は少ないとは思うけれど、いつもに比べるとあまりにも症状が軽い。
目薬も飲み薬も、今年は一度も使わずに済みそうである。
花粉症が治る、ということはあるのだろうか。

