初めて句会なるものに参加させていただく。
俳句は小中学校の頃に勉強として習ったくらいで、ド素人である。
短歌は書道で書いたりするけれど、そういえば私はあまり意味を捉えずに書いている。
参加メンバーは、句集も出している俳人の方や大学教授、大学の助手さん、フリーライターの方などで、こんなド素人がいきなりすみません、といったメンバーだ。
しかし言葉遊びは好きなので、大学の先生にお誘いいただいて参加させていただくことにした。
それにしても、句会、だなんて高尚で雅やかな遊びである。
句会の前に3句作って主催者に送り、それを当日誰の句かを無記名の状態で読んで、好きな句に天・地・人とランクを付ける。
そしてなぜそれを選んだのか、どんな風に思ったかなどについて意見を言い合う。
私は俳句の技巧的な面や文学的な面はあまり良くわからないけれど、私が今思うに俳句は、いかにその情景を広く豊かに、質感や空気感までを含めて想像させられるか、いかにその気持ちの芯を突けるか、によって「上手さ」が出るのではと思う。
これは、私が単に絵画的に情景が浮かぶ以外の俳句の見方ができないということかもしれないけれど。
五七五という短く限られた言葉の中で、もっともふさわしい言葉を選ばなければならない。
そして、やはりある程度人に正しく伝わってこそ、というところもある。
だから奇抜な言葉の組み合わせより、相性の良い言葉の組み合わせの方がスマートで伝わりやすい句になる。
しかしスマートになりすぎると、今度は無難であるということになって面白味に欠けることにもなりかねない。
俳句は、それのみでは解釈の自由度が高すぎるものでもある。
「解釈したいように解釈すれば良い」というのは何かしらの表現物すべてに言えることかもしれないけれど、やはり作り手の“正解”は独立して存在する。
俳句にはやはり説明があった方がより味わえるし、句会はその“正解”が事細かに知れるので、表現物について何かを根ほり葉ほり聞くことは野暮だと言われることもある中で、堂々とそれができて面白い。
表現物というのは、その人の目線だったり頭の中だったりするわけなので。
ちなみに、今回私が作ったのは以下の3句。
寒空(さむぞら)割る はだかの血管 落葉樹
寒々と 暖簾くぐりて 生ビール
凍空(いてぞら)に 喉もと過ぎる 肉まんかな
最近書を書くのに、歌詞を書くのが長過ぎてそこまで体力がないときのネタがないので、追ってこの俳句でも書こうかと思う。
句会が終わってみんなで食事をする。
それまであまり喋っていなかった方が、ロックと音楽の話になったときにろうそくの火を灯したようにあかあかと喋り出したのが印象的だった。
その後いつもの先生と一緒に、句会をやったカフェにまた戻ってお茶を飲む。
私は自分の話したいことを夢中で喋ってしまうと、すごく物質的にお腹がいっぱいになったような感じになる。
それを少し和らげたくて、あるいは体の一所にあるそれを体全体に充満させたくて、セックスピストルズやジャムやオアシスを聴きながらゆっくりと家路を歩く。
今日は出掛けに雨が降っていたから自転車ではない。
しかし家の前まで来てなお、まだお腹がいっぱいだったので、傘だけ入り口に立てかけて自転車で出発する。
この寒いのにランニングをしている人が多いのに驚く。
家の前は大通りで、確かに広く走りやすい道ではあるけれど、真冬の夜にも走っている人がこんなにもいるものなのか。
ランニングしている人は私の自転車のスピードとさほど変わらない感じで走っている。
追い越すことも追い抜かれることもなく、真っ直ぐの道をランナーと並走して走って行く。
「Tonight I'm a rock 'n' roll star」なんてデビューアルバムの1曲目で切ないまでに歌い上げているのを聴くと、ノエル・ギャラガーのものすごい決意を感じる。
こういうことを歌うことで、野次られることも、卑下されることも、たぶん分かっていたというか受け入れた上でのこれだったのだと思う。
この「Rock 'N' Roll Star」は、ある意味「リンダリンダ」よりも真面目で実直、もっと言うと愚直という気がする。
これらが人前に出たとき、「リンダリンダ」は挑発や攻撃性は一切なく、不可解な要素を含んだアート性があるという意味で、ちょっとした逃げ道がある。
しかし「Rock 'N' Roll Star」は、詞のみにおいて挑発的でもあるし解釈の幅は狭い。
ノエルはこの歌で「俺が書きたいことは全て、この曲に書いた」と言っているらしいけれど、ものすごい覚悟だったのだろうなと思う。
だから少しの逃げ道としての、「It's just rock n roll」なのかなと思うけれど。
これは良さの比較ではなくて。
30分ほど夜道をふらふらとして部屋に入ると、なんと暖かい。
今日の昼に私は確か暖房をつけなかった。
ということは、出かけるときに電気を全部消す癖で、ついでについていない暖房のスイッチをオンにして出て行ってしまったものを思われる。
なんたることか。
「リンゴばたけに」という詩。
「リンゴばたけに雨降りて銀のみどりのけむる時
リンゴたわわに枝おもく沈々として紅きかな」
高村光太郎
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/d1/a2cebc2f0364d1f3e193e3cad867cc9b.jpg)
俳句は小中学校の頃に勉強として習ったくらいで、ド素人である。
短歌は書道で書いたりするけれど、そういえば私はあまり意味を捉えずに書いている。
参加メンバーは、句集も出している俳人の方や大学教授、大学の助手さん、フリーライターの方などで、こんなド素人がいきなりすみません、といったメンバーだ。
しかし言葉遊びは好きなので、大学の先生にお誘いいただいて参加させていただくことにした。
それにしても、句会、だなんて高尚で雅やかな遊びである。
句会の前に3句作って主催者に送り、それを当日誰の句かを無記名の状態で読んで、好きな句に天・地・人とランクを付ける。
そしてなぜそれを選んだのか、どんな風に思ったかなどについて意見を言い合う。
私は俳句の技巧的な面や文学的な面はあまり良くわからないけれど、私が今思うに俳句は、いかにその情景を広く豊かに、質感や空気感までを含めて想像させられるか、いかにその気持ちの芯を突けるか、によって「上手さ」が出るのではと思う。
これは、私が単に絵画的に情景が浮かぶ以外の俳句の見方ができないということかもしれないけれど。
五七五という短く限られた言葉の中で、もっともふさわしい言葉を選ばなければならない。
そして、やはりある程度人に正しく伝わってこそ、というところもある。
だから奇抜な言葉の組み合わせより、相性の良い言葉の組み合わせの方がスマートで伝わりやすい句になる。
しかしスマートになりすぎると、今度は無難であるということになって面白味に欠けることにもなりかねない。
俳句は、それのみでは解釈の自由度が高すぎるものでもある。
「解釈したいように解釈すれば良い」というのは何かしらの表現物すべてに言えることかもしれないけれど、やはり作り手の“正解”は独立して存在する。
俳句にはやはり説明があった方がより味わえるし、句会はその“正解”が事細かに知れるので、表現物について何かを根ほり葉ほり聞くことは野暮だと言われることもある中で、堂々とそれができて面白い。
表現物というのは、その人の目線だったり頭の中だったりするわけなので。
ちなみに、今回私が作ったのは以下の3句。
寒空(さむぞら)割る はだかの血管 落葉樹
寒々と 暖簾くぐりて 生ビール
凍空(いてぞら)に 喉もと過ぎる 肉まんかな
最近書を書くのに、歌詞を書くのが長過ぎてそこまで体力がないときのネタがないので、追ってこの俳句でも書こうかと思う。
句会が終わってみんなで食事をする。
それまであまり喋っていなかった方が、ロックと音楽の話になったときにろうそくの火を灯したようにあかあかと喋り出したのが印象的だった。
その後いつもの先生と一緒に、句会をやったカフェにまた戻ってお茶を飲む。
私は自分の話したいことを夢中で喋ってしまうと、すごく物質的にお腹がいっぱいになったような感じになる。
それを少し和らげたくて、あるいは体の一所にあるそれを体全体に充満させたくて、セックスピストルズやジャムやオアシスを聴きながらゆっくりと家路を歩く。
今日は出掛けに雨が降っていたから自転車ではない。
しかし家の前まで来てなお、まだお腹がいっぱいだったので、傘だけ入り口に立てかけて自転車で出発する。
この寒いのにランニングをしている人が多いのに驚く。
家の前は大通りで、確かに広く走りやすい道ではあるけれど、真冬の夜にも走っている人がこんなにもいるものなのか。
ランニングしている人は私の自転車のスピードとさほど変わらない感じで走っている。
追い越すことも追い抜かれることもなく、真っ直ぐの道をランナーと並走して走って行く。
「Tonight I'm a rock 'n' roll star」なんてデビューアルバムの1曲目で切ないまでに歌い上げているのを聴くと、ノエル・ギャラガーのものすごい決意を感じる。
こういうことを歌うことで、野次られることも、卑下されることも、たぶん分かっていたというか受け入れた上でのこれだったのだと思う。
この「Rock 'N' Roll Star」は、ある意味「リンダリンダ」よりも真面目で実直、もっと言うと愚直という気がする。
これらが人前に出たとき、「リンダリンダ」は挑発や攻撃性は一切なく、不可解な要素を含んだアート性があるという意味で、ちょっとした逃げ道がある。
しかし「Rock 'N' Roll Star」は、詞のみにおいて挑発的でもあるし解釈の幅は狭い。
ノエルはこの歌で「俺が書きたいことは全て、この曲に書いた」と言っているらしいけれど、ものすごい覚悟だったのだろうなと思う。
だから少しの逃げ道としての、「It's just rock n roll」なのかなと思うけれど。
これは良さの比較ではなくて。
30分ほど夜道をふらふらとして部屋に入ると、なんと暖かい。
今日の昼に私は確か暖房をつけなかった。
ということは、出かけるときに電気を全部消す癖で、ついでについていない暖房のスイッチをオンにして出て行ってしまったものを思われる。
なんたることか。
「リンゴばたけに」という詩。
「リンゴばたけに雨降りて銀のみどりのけむる時
リンゴたわわに枝おもく沈々として紅きかな」
高村光太郎
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