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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

国民の声のあと一押しで批准は実現する

2011年03月10日 | 人権
 《2月25日 今こそ個人通報制度の実現を!大集会(日弁連主催)》
 ◎ 国民の声のあと一押しで批准は実現する

花輪紅一郎(国際人権活動日本委員会会員)

 ■ 『選択議定書』批准への期待

 国際レベルから見て、日本の司法が大変立ち後れていることは、特に裁判を経験してみるとよく分かる。「藤田裁判」で、フォルホーフ教授に意見書を書いてもらったところ、「表現の自由」という権利について、『自由権規約』19条及びその判例は明らかに日本の『憲法』21条の解釈及び国内判例とは人権レベルが異なっていることに気付かされた。
 日の丸・君が代関連諸裁判も、『自由権規約』18条「思想・良心・宗教の自由」及びその判例のレベルで判断するなら、これまでの下級審とは全く違った結論になることは明らかと思われる。
 32年も前に批准済みの『自由権規約』が国内で*裁判規範性を発揮していないのは、『選択議定書』(通称:個人通報制度)の未批准によるところが大きい。もし批准されれば、裁判官の目がストレートに国際人権諸条約に向くことは間違いない。
 ■ 「メルボルン事件」とは? ~日本人が唯一経験した『自由権規約』審査
 著名な事件だが、具体的な経過や問題点を当事者と弁護士から直接聞いたのは初めてである。
 海外旅行中に、国際麻薬犯罪に巻き込まれ、オーストラリアで懲役20年前後の刑が確定してしまった5人の日本人が、個人通報制度への申立てを契機として、刑期が大幅に短縮され解放された事件である(1992~2006)。
 重要なポイントは、①オーストラリアは「選択議定書」を批准していた。②豪州は取り調べの「全面可視化」とビデオ録画を当然のこととして行っていた
 そこで日本の弁護団は全ての記録を入手し、大学研究室の手助けを借りながら厖大なビデオの翻訳と申立書面を作成して、国連に通報することが可能だったのだ。
 結論が出るまで8年かかったものの、申立が受理されてまもなく日本人被害者は解放され実質的にはそこで解決した(「通訳の不備」の主張は国内的救済手段を尽くしていない条項に触れて却下されてしまった)。
 これも相手国が選択議定書批准国だったからこそできたことで、逆のケース(オーストラリア人が日本国で冤罪被害)だったらあり得なかった。どちらが*人権先進国か?
 ■ 批准に向けた動き
 この集会には、弁護士だけでなく、行政(外務省・法務省)・立法(衆参議員)の当事者も多数参加していた。自民党以外の政党は、民主・公明・共産・社民とも「個人通報制度」の批准に「賛成」であることが分かった。
 「四審制になる」という間違った理解をしていたのは最高裁ではなかったということがはっきりしたそうだし、外務省には政権交代後に「人権条約履行室」が新設されて手続面の準備はほぼ整ったとも聞いた。
 それなのに今国会に提案されそうもないのはなぜか?バックラッシュの妨害活動に遠慮しているのだろうか。本当に国民の多くが望んでいるのは国際レベルの人権の実現であることを、本日の報告者であった公職選挙法違反事件や男女賃金差別事件の当事者と、全国の労働裁判・冤罪事件と闘う運動体などと共に、私たち教育裁判の当事者も声を大きくあげて伝えていくことが必要なのではないだろうか。もう手の届くところまで、『選択議定書』批准は来ている。
 ■ 学校に自由と人権を!
 置きビラコーナーに、「藤田裁判チラシ」と日の君の「共同アピール意見広告」「予防訴訟チラシ」を置かせてもらい、集会終了後にはお帰りの方々に配らせていただいた。通りかかった宇都宮健児日弁連会長に手渡すと振り返って「会長声明を出しましたよ」と声を掛けて下さった(予防控訴審不当判決を厳しく批判する日弁連会長声明は『予防訴訟HP』に転載されています)。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~yobousoshou/kousoshin/nitibenrenseimei20110209.htm
 この日私たちの仲間は30人以上参加していたろう。国際社会に私たちの声を届けたい。

 『藤田先生を応援する会通信』(第46号 2011/3/4)
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