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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

「君が代」裁判一次訴訟の控訴審が結審

2010年12月02日 | 日の丸・君が代関連ニュース
 ◎ 「君が代」裁判一次訴訟の控訴審が結審
安藤節子

 「君が代」裁判一次訴訟は、2009年4月控訴(169名)以来一年半有余、口頭弁論開始から一年、10月15日に結審しました(傍聴席は満席、30名余りの人たちが入れず)。
 一次訴訟は、10・23通達に起因する2004年の被処分者173名が提訴した裁判です。05・06年の二次訴訟、07・08・09年の三次訴訟が続いています(これらの控訴人・原告総数は288名)。
 訴訟の請求内容は処分取り消しと損害賠償(国賠)の二点で、これまで10・23通達と各職務命令、それに基づく処分の違憲性と違法性が争われてきました。
 結審の法廷で、最初に証人として登場した浦部法穂さん(憲法学・神戸大学名誉教授)は、憲法19条の解釈とその意義を明らかにし、10・23通達の強行実施が「民主主義」そのものを否定する危険性を強調しました。

 ★思想及び良心の自由とは、人の内心のものの考え方・見方を保障することで、これは絶対的自由である。
 ★そのための具体的内容は、①権力による特定の「思想」の強制の禁止、②特定の思想を持つ、持たないことへの弾圧の禁止、③権力が個々人の思想を知ろうとすることの禁止(調査の禁止)である。
 ★どんな場合に違反となるか
 ①本来、個々人の自立的判断に委ねられる事柄に、法が特定の義務を科す場合例・・・南九州税理士事件
 ②従うことが当人の人間性の核心部分を損なう、否定する場合例・・・神戸高専剣道拒否事件、良心的兵役拒否も該当
 ★思想の表明としての行為が他者の権利を害する場合は規制が認められるが、特定の思想を否定することを意図する運用は、内心の自由の規制(19条)になる。
 ★本件では、起立することを強制されている。そもそも国旗・国歌の意義は国民国家という一元的権力に国民を統合する機能である。起立・斉唱という行為は国家への統合を自ら積極的に認めていくことを表明する行為である。個人が国家とどう向きあって生きるかという根本問題であり、個人の自立的判断に委ねられるべき事柄である。憲法では個人の尊重理念を根本においており、国家が個人にこう生きるべきだというのは19条違反。
 ★「儀礼的所作」「教職員に期待される行為」という下級審の判決があるが、19条は絶対的保障であり、規制は許されない。
 ★生徒の「学習権の侵害」の主張について、適切な発達を保障することが学習権であるが、国旗・国歌の強制は国家を積極的に認めていく方向で教育することを意味する。現代では国家の枠組みを絶対化出来ず、むしろ多様な生き方考え方を教える必要がある。国旗・国歌の強制は逆に生徒の学習権の侵害となる
 ★個人としてどう生きるかの領域に権力が介入してはならず公務員か否かは無関係。

 ★「踏み絵」は絶対的禁止。権力に都合の悪い思想をあぶり出す・調査することの禁止。その意図を持っていなくても、様々な対立がある場合に特定の考え方を行為することの強制を拒否した場合、その人の思想が推知され、萎縮効果を生む。そのような状況であれば違反に該当する。本件でもあぶり出し効果がある。思想の推知は19条違反である。
 ★国旗・国歌の扱いは国によって様々であるが、先進諸国の中でこのような強制の例を知らない。アメリカ連邦最高裁は強制が行き過ぎれば全体主義に行き着くとしている。
 ★本件について極めて異常・異様と感じた。この民主主義の時代にこんなことが許されていいのか、これは民主主義そのものを否定することになりかねない。

 他に原告二人(蒲生正久さん、山口俊典さん)の陳述、弁護士5人の弁論をもって結審し、大橋寛明裁判長は「判決日は追って連絡する」と述べて閉廷しました。
『藤田先生を応援する会通信』第44号(2010/11/10)より

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