《早川裁判 東京高裁判決》
☆ 公務員の労災申請 「証明印」無しで受理
東京都文京区立第七中学校の教諭だった早川由紀子さん(63歳)が、公務災害の認定手続きを校長と都教委、地方公務員災害補償基金に放置されたのは不当だとして賠償を求めた訴訟で、東京高裁(鈴木健太裁判長)は9月14日、昨年の地裁判決のうち、都への慰謝料50万円の支払い命令を維持する判決を出した。
早川さんは大田区立羽田中学校教諭だった1973年、過重勤務で職業病の頚肩腕障害を発症。異動した文京区立中では歴代校長の療養妨害により症状が悪化。退職強要を受ける中で1992年1月、公務災害認定請求書を提出した。
しかし久川茂夫校長(以下、当時)は、「労災ではない」として所属長印を拒否。早川さんが基金に直接、請求手続きをすると、都教委や基金は「校長の証明印がない」と、受付を拒否し続けた。
同年4月に着任した小林宗忠校長も証明の押印は拒否したが、「校長預りとする」と受け取った。だが、長年にわたり認定請求手続きを進めようとせず、都教委は「適格性欠如」とし分限免職処分まで強行。
早川さんは06年8月に提訴。地裁係争中の08年4月、請求書類が校長室のロッカーに16年間も放置されていた事実が判明し、裁判所の指揮で10年2月、基金に送達。
判決は、この放置行為について、「公務災害認定請求権を侵害された。不作為行為による不法行為は継続する」と断じ、都への損害賠償請求を認めた。
また、基金の業務規程にある「補償を受けるべき人に、任命権者(都教委)が請求手続で助力し、速やかに証明する義務」も明記。地裁判決より前進した。
一方、判決は「基金は賠償責任を負わない」とし、地裁判決の勝訴部分の一部は取り消した。
1974年5月の衆院社会労働委員会では、「労災申請書類は雇用主の証明印なしでも受理すること」という渡邊健二・労働省労働基準局長(当時)の答弁がある。
だが公務では、基金と多くの地方自治体が拒否し、「所属長印なし」では公務災害の審査を受けられなかった。公務員に「民間並みの労災審査権」を勝ち取った今回の判決は、画期的である。
『週刊新社会』(2011/10/11)
☆ 公務員の労災申請 「証明印」無しで受理
東京都文京区立第七中学校の教諭だった早川由紀子さん(63歳)が、公務災害の認定手続きを校長と都教委、地方公務員災害補償基金に放置されたのは不当だとして賠償を求めた訴訟で、東京高裁(鈴木健太裁判長)は9月14日、昨年の地裁判決のうち、都への慰謝料50万円の支払い命令を維持する判決を出した。
早川さんは大田区立羽田中学校教諭だった1973年、過重勤務で職業病の頚肩腕障害を発症。異動した文京区立中では歴代校長の療養妨害により症状が悪化。退職強要を受ける中で1992年1月、公務災害認定請求書を提出した。
しかし久川茂夫校長(以下、当時)は、「労災ではない」として所属長印を拒否。早川さんが基金に直接、請求手続きをすると、都教委や基金は「校長の証明印がない」と、受付を拒否し続けた。
同年4月に着任した小林宗忠校長も証明の押印は拒否したが、「校長預りとする」と受け取った。だが、長年にわたり認定請求手続きを進めようとせず、都教委は「適格性欠如」とし分限免職処分まで強行。
早川さんは06年8月に提訴。地裁係争中の08年4月、請求書類が校長室のロッカーに16年間も放置されていた事実が判明し、裁判所の指揮で10年2月、基金に送達。
判決は、この放置行為について、「公務災害認定請求権を侵害された。不作為行為による不法行為は継続する」と断じ、都への損害賠償請求を認めた。
また、基金の業務規程にある「補償を受けるべき人に、任命権者(都教委)が請求手続で助力し、速やかに証明する義務」も明記。地裁判決より前進した。
一方、判決は「基金は賠償責任を負わない」とし、地裁判決の勝訴部分の一部は取り消した。
1974年5月の衆院社会労働委員会では、「労災申請書類は雇用主の証明印なしでも受理すること」という渡邊健二・労働省労働基準局長(当時)の答弁がある。
だが公務では、基金と多くの地方自治体が拒否し、「所属長印なし」では公務災害の審査を受けられなかった。公務員に「民間並みの労災審査権」を勝ち取った今回の判決は、画期的である。
『週刊新社会』(2011/10/11)
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