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変わる「教育の憲法」

2006年12月20日 | 平和憲法
 変わる「教育の憲法」
  ■北海道新聞(2006/12/16~17)

<変わる「教育の憲法」>上 首相の狙い 国家重視の先に改憲


 「教育の憲法」と言われ、戦後民主主義を支えてきた教育基本法が一九四七年の制定以来初めて改正され、安倍晋三首相の「長年の悲願」が実現した。教育の目的として「国と郷土を愛する態度」など、新たな表現が盛り込まれた改正基本法。安倍政権にとっての政治的意味と、教育行政に与える影響を探る。
                       ◇
 「まさに教育再生がスタートする。だれもが高い水準の学力と規範を身に付けられる学校になるよう全力を挙げたい」
 改正教育基本法成立を受け、安倍晋三首相は十五日夜、官邸で記者団にこう語った。郵政民営化造反組の復党や「やらせ質問」のタウンミーティング問題で支持率低下に苦しむ中で、悲願を成就させ、安堵(あんど)の表情を浮かべた。
*脱・戦後体制
 戦後体制からの脱却を掲げる首相は就任前から、「二十一世紀にふさわしく憲法、教育基本法を私たちの手で書き換えていく精神が大切」と主張し、戦後民主主義の象徴である憲法と教育基本法の改正の必要性をセットで力説してきた。
 今国会で法案の審議が始まってから一カ月半、与野党の攻防が続く中で、首相は早期成立にこだわった。最大のヤマ場は沖縄県知事選が目前に迫った十一月十六日の衆院通過だった。首相側近は「知事選の影響を考慮し、与党は衆院の単独採決を避けようとしたが、首相は『ぜひやってくれ』と押し通した」と振り返る。
 首相の執念で教育基本法改正は実現し、大目標である改憲への第一歩を踏み出した。
 その道筋は、昨年十一月に策定した自民党の新憲法草案と重ね合わせると、明確に浮かび上がる。

 改正基本法が教育目的に「公共の精神」や「伝統と文化の尊重」「国と郷土を愛する態度」などをうたい、自民党新憲法草案には「国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る」「常に公益及び公の秩序に反しないように自由を享受し、権利を行使する責務を負う」との文言が盛り込まれる。その底流は「国の関与」という点で符合する。
 これまでの教育基本法は、個人の尊厳や基本的人権の尊重を掲げた現行憲法の理想の実現を「根本において教育の力に待つべきものである」と規定したが、その役割を終えた。改正教育基本法は公共性や道徳心を重視し、首相の「美しい国づくり」の思想とも共鳴しながら、改憲への地ならしの空気を漂わせる。
*にじむ統制色
 国家統制の色合いを持つ法制定。この流れは、小渕恵三政権時代の一九九九年に成立した国旗国歌法から強まった。
 学校現場での日の丸掲揚・君が代斉唱について、「義務づけはしない」とした野中広務官房長官(当時)の答弁も風化している。
 こうした国家重視路線の究極にある憲法改正について、安倍首相は九日、外遊先のマニラ市内のホテルで記者団に「国民の機運を盛り上げる努力をしていかなくてはならない」と国民論議の高まりに期待感を示した。
 そこにはナショナリズム(国家主義)を鼓舞しながら、改憲に前のめりの姿勢を示して求心力を高め、政権の再浮揚を図る思惑も見え隠れする。

<変わる「教育の憲法」>下 文科省の思惑 悲願の脱「組合主導」

 ある文部科学省元事務次官は、教育基本法改正の目的をストレートにこう解説する。「戦後は組合主導で学校が運営されてきた。今回の改正で、そのような教育現場は完全に正すことができる」
*幹部に高揚感
 戦後すぐに制定された同法の改正は実に五十九年ぶり。しかも、改正案の国会審議は、いじめ、必修科目の未履修、タウンミーティングのやらせ質問と次々と発覚した難題で大きく揺れた。そんな中での悲願達成。「ようやく大きな仕事ができた」。十五日夕、参院本会議場前の廊下。改正法の成立を待ち受けた文科省の結城章夫事務次官ら同省幹部には、高揚感すら漂った。
 改正論議が本格化したきっかけは二○○○年、森喜朗首相(当時)の私的諮問機関「教育改革国民会議」が、同法の見直しを提言したことだった。だが、法改正を目指す動きの源流は一九五○年代にさかのぼる。
 それは日本教職員組合(日教組)対策だった。日教組は五○年代、教員への勤務評価への反対闘争を通じて、国による教育統制の強化に対抗してきた。その後も「子どもが主人公の教育」を旗印に、全国学力テストや教科書検定、日の丸・君が代問題など、ことごとく対決姿勢を示してきた。
 これに法的な根拠を与えた柱の一つが、旧教育基本法が「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」と定めたいわゆる「不当な支配」条項だ。このため同法の改正は、教育行政をつかさどる文部省(当時)や文科省にとって悲願であり続けた。
 改正法では同条項を「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり」と変えた。伊吹文明文科相は「法律で行われる教育は不当な支配にあたらないことを明記した」と断言する。
 こうした狙いに危惧(きぐ)を抱くのは日教組だけではない。教育学者などの専門家を中心に、今回の法改正に反対する意見は根強い。藤田英典・国際基督教大教授(教育社会学)は「教育現場の統制が進み、創意工夫をする教師が排除されるだろう。同時に(愛国心など)子供の態度を日常的にチェックし、規律を重んじる教育が浸透し、教育現場の荒廃が一層進みかねない」と心配する。
*重み増す責任
 戦後六十年たち、日本の教育をめぐる状況が大きく変化した-。伊吹文科相や同省幹部が、教育基本法改正の必要性を強調する際の枕ことばだ。確かに、いじめや不登校、学力低下、教育格差など教育をめぐる問題は山積している。
 改正された同法を基にこうした問題に対する処方せんを示すことができるのか。「組合から主導権を取り戻した」とする文科省の責任は極めて重い。

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