パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

アベを倒そう!(165)<異常な国会風景が物語るもの>

2016年09月29日 | 日の丸・君が代関連ニュース
<転送歓迎>(重複ご容赦)
・「都教委包囲首都圏ネットワーク」、・「新芽ML」、・「ひのきみ全国ネット」、・「戦争をさせない杉並1000人委員会」の渡部です。
 9月26日、▲ 安倍首相が所信表明演説中
 「現場では夜を徹し、今この瞬間も海上保安庁、警察、自衛隊の諸君が任務に当たっている」「今この場所から、心からの敬意を表そうではありませんか」
 と呼びかけ、これに自民議員らが一斉に立ち上がって手をたたき続けるという「異常な現象」が起きました
 これについて少し述べたいと思います。

 私はメール(150)で、
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 日本社会は名実ともに<国家金融独占資本主義>段階にたどり着いたとも言えます。
 そして、安倍首相はまさにその代理人として、新たな世界再分割のために世界中を飛び回っています。
 <新たな再分割>が始まっているアフリカに自衛隊を派遣したがるのも、こうした<国家金融独占資本>からの要求だと言えるでしょう。
 そして犠牲になるのは、貧困にあえぐ人々、とくに若者たちです

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 この<国家金融独占資本主義>段階というのは、現代の帝国主義とも言えます。

 私は最近、村瀬裕也氏の『東洋の平和思想』(2003年、青木書店)という本を読みました。
 そこには、中国(墨子、孟子、荀子、杜甫)と、日本(伊藤仁斎、安藤昌益、幸徳秋水、木下尚江)の思想家らの平和思想が述べられていました。
 いずれも、広く深い学識に裏づけられた論説でした。
 その中で、特に感銘したのは<幸徳秋水>に関するものでした。
 以下、それを参考にして、今回の<異常現象>について述べてみたいと思います。

 幸徳秋水(1871~1911)は、1901年に『二十世紀之怪物帝国主義』を刊行しています。
 この中で秋水は、「第一章 諸言」の冒頭で、
   「盛んなるかな帝国主義の流行や、勢い燎原の火のごとく然(しか)り。
   世界万邦皆その膝下に慴伏(しょうふく:勢いに恐れてひれふすること)し、
   これを讃美し崇拝し奉持(ほうじ:ささげて持つこと)せざるなし。」
 と書いています。(引用文はできるだけわかりやすくしました。以下も同様)

 そうして、「第二章 愛国心を論ず」のところでは、
   「帝国主義はいわゆる愛国心を経(たていと)とし、
   いわゆる軍国主義を緯(よこいと)となして、もって織り成せるの政策に非ずや」
 と述べ、具体例をあげながら、かなり詳しく論述しています。

 村瀬氏はそのなかからいくつか引用していますが、以下のような引用もありました。
   「国民の愛国心は、一旦その好むところにさからうや、人の口を箝(かん:はさむ)するなり。
   人の信仰にすらも干渉するなり。歴史の論評をも禁じ得るなり。
   聖書の講究をも妨げ得るなり、すべての科学をも砕破(さいは:くだきこわすこと)することを得るなり。
   文明の道義はこれを恥辱とす。しかも愛国心はこれをもって栄誉とし功名とするなり。」
   「それ一面において五百金千金を恤兵(じゅっぺい:戦地への慰問)部に献せるの富豪は、
   一面おいて兵士に販(う)るに砂礫(されき)を混ずるの缶詰をもってす、
   一面において死を期せりと称するの軍人は、
   一面において商人の賄賂を収むること算なし、
   これを名づけて愛国心という。
   怪しむなきなり、野獣的殺伐の天性がその熱狂を極むるの時、
   多くの罪悪の行わるゝは必至の勢いなればなり。」

 「第三章 軍国主義を論ず」でも、秋水は古今東西の具体例を上げながら、論を展開していますが、村瀬氏は引用文を用いながら、以下のように述べています。
   「・・列強の軍備拡大は、しばしば口実とされるような外患内憂に対する
   防御の必要を遥かに超え、ほとんど極限に達している。
   その目的及び原因は、決して防衛や保護にあるのではなく、まったく別のところ、
   すなわち、『ただ武人の好事にしておおく韜略(とうりゃく:中国古来の兵書の「六韜」と「三略」の略)を弄する』
   好戦的愛国心の要求及び『武器糧食その他の軍需を供するの資本家』の『一獲千金の巨利を博せん』とする利己的要求にある。
   さらに問題なのは、これらの連中がその野心を逞しくすることが出来るのは、
   『実に多数人民の虚誇的好戦的愛国心の発越(発散)の機に投ずる』ことに依存するという点である。」
   「・・徴兵制のもとでの軍隊の教育的役割・・・しかし秋水によれば、
   殺人技術の習練のための規律や服従は決して品性や美徳の陶治にはつながらない
   兵営の内部で権力者に恭順を呈する人物は、一歩兵営を出れば立ちどころに弱者を虐待する粗暴な無頼漢となる。
   『統一を習うと言うことなかれ、人を殺すの統一は何の尊ぶべきか、
   規律に服すると言うことなかれ、財を糜(び:浪費)するの規律は何の敬すべきか、
   勇気を生ずと言うことなかれ、文明を破壊するの勇気は何の希(ねが)うべきか。
   否(い)なこの規律、統一、勇気すらも、茫(ぼう)としてその痕(あと)を止めざるなり
   、あます所は、ただ強者に盲従して弱者を凌虐(りょうぎゃく:ひどくはずかしめること)するの悪風のみ』」
 次に「第四章 帝国主義を論ず」については、村瀬氏は次のように述ています。
   「・・日露戦争と対決しつつ非戦論を展開するなかでは、
   帝国主義戦争の根本原因としての経済的側面の究明と、
   戦争の有する資本主義的性格の暴露とを一層重視している。」

   「彼はまず、いわゆる『極東問題』なるものの性格について、
   『英米独仏露列国が、互いに清国の天富利源を?取(かくしゅ:つかみとること)するがために相争うのみ、
   換言すれば政治的に清・韓を保全して、経済的にこれを分割せんとして、その配当の多きを競うのみ』、
   すなわちこれを政治的・経済的な植民地分割競争より発生した問題とみなし、
   同じ事態が極東のみならず南アジア・中央アジア・アフリカ・南米諸国など世界的規模において蔓延していると指摘する。」
   「上記のような帝国主義の性格は次の言葉によって簡潔に要約される。
   『彼らがいわゆる大帝国の建設や、
   必要に非ずして欲望なり、福祉に非ずして災害なり、
   国民的膨張に非ずして少数人の功名野心の膨張なり、
   貿易に非ずして投機なり、生産に非ずして強奪なり、
   文明の扶植(ふしょく:植え付け拡大すること)に非ずして他の文明の破壊なり。
   これ豈(あ)に社会文明の目的なるや。国家経営の本旨なるや』」

 秋水はその後の「第五章 結論」では次のように述べています。
   「ああ二十世紀の新天地、吾人(ごじん:わたくし)はいかにしてこれが経営を完く(まっとう)せんや。
   吾人は世界の平和を欲す、しかして帝国主義はこれを攪乱(かくらん)するなり、
   吾人は道徳の隆興を欲す、しかして帝国主義はこれを残害(ざんがい:損なう こと)するなり、
   吾人は自由と平等を欲す、しかして帝国主義はこれを破壊するなり。
   吾人は生産分配の公平を欲す、しかして帝国主義はこれが不公を激成するなり、
   文明の危険実にこれより大なるはなし。」

   「しからばすなわち何の計かもって今日の急に応ずべき。
   他なし、さらに社会国家に向かって大清法を施行せよ
   換言すれば世界的大革命の運動を開始せよ。
   少数の国家を変じて多数の国家たらしめよ、
   陸海軍人の国家を変じて農工商人の国家たらしめよ、
   貴族専制の社会を変じて平民自治の社会たらしめよ、
   資本家累積の社会を変じて労働者共有の社会たらしめよ。
   しかして後、正義博愛の心はすなわち偏僻(へんぺき:かたよること)なる愛国心を圧せんなり、
   科学的社会主義はすなわち野蛮的軍国主義を亡ぼさんなり
   ブラザーフード(兄弟愛)の世界主義はすなわち掠奪(りゃくだつ)的帝国主義を掃蕩(そうとう:完全に除き去ること)苅除(かいじょ:刈り除く)すること得べけんや。」
 そして、『二十世紀之怪物帝国主義』の「結論」は以下の言葉で締めくくられています。
   「よくかくのごとくにして、吾人ははじめて
   不正、非義、非文明的、非科学的なる現時の天地を改造し得て、
   社会永遠の進歩もって期すべく、人類全般の福利もって全くすべきなり。
   もしそれ然(しから)ず、長く今日の趨勢に放任してもって省みる所なくんば、
   吾人の四囲はだた百鬼夜行あるのみ、
   吾人の前途は唯だ黒闇々(真っ暗やみ)たる地獄あるのみ。」

 その後、20世紀には2度にわたる悲惨な世界大戦が起きました。
 秋水が述べていることが不幸にも現実になったわけです。

 村瀬氏は、この後「非戦論の展開」として、その後秋水が『平民新聞』などに発表した論説などを紹介しています。
 その中では、秋水が帝国主義戦争に駆り出される兵士たちがいかに悲惨な状況に置かれるかを述べているところ、を紹介しています。
   「まず眼を向けなければならないのは戦争に駆り出される兵士たちの悲惨である。
   兵士たちは『人を殺さんが為に行く、否(しか)らざれば人に殺されんが為に行く
   吾人は知る、これ実に諸君の希(ねが)う所にあらざることを』。
   しかしひとたび兵士となったからには、もはやこのような希望の容れられる余地はない。
   兵士とは一個の<自動機械>に過ぎず、思想の自由も身体の自由も認められぬ哀れな存在である。
   つまり彼らは『英霊なる人生を強(しい)て、自動機械と為せる現時の社会制度』の犠牲者である。
   しかも彼らが殺し、殺される相手は、彼らにとって何ら真実の敵ではない。
   『露国の兵士も又人の子なり、人の夫なり、人の父なり、諸君の同胞なる人なり』(「兵士を送る」)」
 あれから一世紀を超え、昨年9月日本では「戦争法」が強行され、そして、今年9月の臨時国会開会日には冒頭にあげたようなことが国会で起きたのです。
 戦後71年、まさに日本は再び帝国主義国として、新たな世界分割に乗り出そうとしていることを象徴するような出来事だったと思います。
 この出来事を知り、私は、村瀬氏の本に紹介されてる木下尚江の『火の柱』に描かれれている以下のようなシーンをも思い出さざるを得ませんでした。
   「(兵隊の)徴発に当たる小役人は、
   国のために死ぬので有り難いことだと言うが、そんな馬鹿なことはない。
   『近い例証(ためし)が十年前の支那(中国)の戦争で、村から取られた兵隊が一人死にましたが、
   ヤア村の誉になるなんて、鎮守の杜(もり)に大きな石碑建てゝ、役人など多数来て、
   大金使って、大騒ぎして、お祭りを行(や)りましたが、
   一人息子に死なれた年老(と)った両親(ふたおや)は、
   稼人(かせぎて)が無くなったので、地主から、田畑を取り上げられる、
   税を納めねいので、役場からは有りもせぬ家財を売り払われる、
   抵当に入れた馬小屋のよな家は、金主から遂(お)ったてられる、
   到頭(とうとう)村で建てゝ呉れた自分の息子の石碑の横で、
   夫婦が首を縊(くく)って終(しま)いましたよ
   爺(じじい)と娼(ばばあ)の情死だなんて、皆笑ひましたが・・・』。」

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 ① 戦争をさせない杉並1000人委員会の学習講演会
   『あれは侵略戦争ではない』という虚構
 <日時>2016年10月18日(火)18時30分開場、45分開会
 <会場>阿佐ヶ谷地域区民センター3階、第四~第五集会室
      (JR中央線・阿佐ヶ谷駅南口下車2分)
 <講師>池田佳代子さん
 <資料代>500円


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 ②都教委包囲ネットは、この秋、以下の取り組みをします。

 ★ 『10・20都教委包囲・要請行動』
 <日時>2016年10月20日(木) 15:30~17:30
 <場所>都庁第一庁舎前に集合、
 <内容>包囲・要請行動
 <スローガン>
   ・10・23通達撤回! ・「日の丸・君が代」強制・処分反対!
   ・道徳の教科化反対! ・国威発揚の「オリンピック教育」反対!
   ・教育の軍事化を許さない! ・若者を戦場に送るな!

 都教委や都に文句を言いたい方々、多数お集まりください。
 要請文、抗議文なども当日提出します。
 提出される方はそれもお持ち下さい。


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  【僕、国歌歌わないもん】(石原慎太郎)
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  東京五輪に 【国旗も国歌も必要ない】(ビートたけし)
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  対米従属で「世界征服」を夢想するデマゴギー政治家安倍首相を倒そう!
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「都教委包囲首都圏ネットワーク」のブログのアドレス
  http://houinet.blogspot.jp/
「千葉高教組『日の丸・君が代』対策委員会」のホームページ
 http://homepage3.nifty.com/hinokimi/
「ひのきみ全国ネット」のウェブサイト
 http://hinokimi.web.fc2.com/

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