ある都立高定時制 ☆ 7人の答辞 ☆ その4(Gさん) 2007年3月
☆ 「旅立ちの言葉」 ☆
今年の成人式では懐かしい友と再会し、同窓会の語らいの中で、良い大学に入った奴もいれば、もう立派に就職した奴も多<、結婚した奴だってそう珍しくない中で、何と高校生は自分ただ一人だった。皆の前では笑っていた。でも「取り残された」という気持ちを感じざるを得なかった。俺は同窓会の後の二次会にも行かず家に帰った。
でも○○での四年間は、最高だった。生徒会なんかも楽しかったと思う。何と言っても生徒会長だから、行事の成功を願い度重なる会議と準備、この頃から自分自身の変化にも気付きつつあった。
誰に対しても自分の考えを伝え、共有したり、他人を洞察し、それに応じた配慮が出来るようになったのもこの頃からだ。
友人関係も充実していた。定時制故なのだろうか。同い年というだけでこれほどまでに親近感を覚えるのは。そいつらと仲良くやっている度に、自分は○○に入って良かった、心から恵まれていると思う。
全日の時からの友達もいる訳だから、余計にそう思うことがある。
最近では考え方にも変化が生まれた。仕事への意欲も変わり、人当たりも良くなった。
在学中に両親の離婚や再婚なんかもあったけど、物事を冷静に見極め、より良い判断ができたのも、自分の成長の賜物だと思っている。
これから俺は専門に行って自らの輝ける未来に向かって、歩いて行こうと思っている。
今日、この瞬間から、○○校の担い手は自分たちから君たちになる。そのことを忘れないで欲しい。
これで俺達卒業生からの答辞はおわりです。最後まで静かに聴いてくれた在校生ありがとう。
まだまだ伝えきれない事はいっぱいある気がするけど俺が自信を持って言えることは卒業する第五十九期生の全員が「○○定時に来て良かった!卒業できてホントにうれしい!良かった!」と思っていることです。
俺達は今日の卒業式でその実感をより深くしています。
ここに列席して下さった全ての皆さん今日は本当にありがとうございました。
☆ 「教職員一同より校長への要請文」 ☆ から
過日、挙行された本校での卒業式は、初めからから終わりまで卒業生への祝意に満ちた、あたたかい素晴らしい式となりました。
とくに7人もの卒業生が、自らの言葉で‘4年間の思いのたけ’を語った答辞の時は、1時間にも及ぶ長時間にもかかわらず、会場が静まりかえりました。
小中学校での不登校や全日制退学などの挫折を乗り越えて入学した定時制での4年間の葛藤と成長を赤裸々に語った答辞、既に老人介護の仕事に就き、そこでの大変さも喜びも全てやりがいと感じて、卒業後介護の仕事にかける決意をカ強く語った答辞、15年戦争中、満蒙開拓団の一員として満州に渡った母親、その母親が夫の戦死後、中国人との再婚を余儀なくされた中国人との間に生まれ、それ故2才で母親に置き去りにされ、中国人の父をも7才で失った中国残留孤児、彼女が中国で味わった辛酸と戦争への思いをつづった答辞、次から次に続くこれらの答辞に、卒業生は自らの4年間を重ね、在校生はこれからの定時での何年間かに思いをはせ、本当に静かに聞き入っていました。
文字通り"これぞ定時制の卒業式"といえる感動的な卒業式でした。
現に全参会者が一輪ずつ手にしたバラを、胸に押し当てられつつ退場した卒業生の顔ははじけるように晴れやかで、列席してくださったPTA会長、役員の方々、旧職員、そして準備した椅子を埋め尽くす程多かった卒業生の保護者・知人のどなたもが、その感動を教職員に伝えてくださいました。"私も卒業するときには読みたい"と担任に言ってくる生徒までいました。
卒業式は4年間の集大成、日頃の教職員の姿勢を感じて下さっている方、生徒の全てが共感してくれたのです。
しかしこの卒業式において卒業生の答辞を間近に聞き、答辞を読んだ卒業生と握手までした校長が、国歌斉唱時その生徒を含む一定数の卒業生が「起立しなかった」ことをもって、担任団を「3,13通達」(「学習指導要領に基づいて適性に指導する。」)違反とみなし、(それもろくな事情聴取もしないまま)その処分を都教委に申請しようとしている。
生徒は思春期の純粋な感性を十二分に働かせ、自分の頭で考え、思いのたけを答辞に綴り、自分の頭で判断し、ある者は起立しある者は起立しなかった、ああいう答辞を書く生徒だから、斉唱時の判断も自分でした、自主的に判断する生徒だから卒業を‘自己の節目’となる答辞を読んだのです。
それを問題視するなどということは、例え未熟であれ本校で成長を遂げてきた生徒の人格への冒涜であり、生徒1人1人を大切にと、その考えを尊重しつつ生徒1人1人を受けとめてかかわってきた担任団の教育活動を冒涜する以外の何物でもない。
担任団は、謂わばドロップアウトして本校定時制に辿り着いた全ての子供連が逞しく生きていけるよう、その自立を助けるために、"自分で考え、自分で行動を"と4年間定時制教育にとっては当たり前のことをやってきたに過ぎない。
文字通り「人間の尊厳」を詠った憲法の精神に基づいて生徒に接し、その一方で、憲法の意義と共に、沖縄への修学旅行をはじめ平和学習を通年の授業・HRを通して行い、平和の大切さを考えさせてきた。
卒業式に先立って、4学年担任は生徒に対し、一言たりとも「起つな唱うな」と言わないどころか、「起立して斉唱するよう指導することが求められている」ことをありのままに伝え、指導してきた。「他国を尊重するためにも起立を」という校長の言葉も伝え、指導した。
その4学年団の指導を「職命違反」などとして、その処分を要請することは定時制教育が成り立たなくてもよいというに等しい、自殺行為である。学年団の指導の何を問題として、「職務命令」違反などというのか、校長こそ教育者として自分の感性と頭で判断されるよう強く要請する。
(略)
学校長 ○○ 殿
≪連載≫7人の答辞(リンク)
※その1(Aさん、Bさん、Cさん)
※その2(Dさん)
※その3(Eさん、Fさん)
※その4(Gさん、教職員一同)
※「素晴らしい卒業式を発掘『日の丸・君が代』都立高校卒業式潜入ルボ」
池添徳明(ジャーナリスト)
☆ 「旅立ちの言葉」 ☆
卒業生代表 G
今年の成人式では懐かしい友と再会し、同窓会の語らいの中で、良い大学に入った奴もいれば、もう立派に就職した奴も多<、結婚した奴だってそう珍しくない中で、何と高校生は自分ただ一人だった。皆の前では笑っていた。でも「取り残された」という気持ちを感じざるを得なかった。俺は同窓会の後の二次会にも行かず家に帰った。
でも○○での四年間は、最高だった。生徒会なんかも楽しかったと思う。何と言っても生徒会長だから、行事の成功を願い度重なる会議と準備、この頃から自分自身の変化にも気付きつつあった。
誰に対しても自分の考えを伝え、共有したり、他人を洞察し、それに応じた配慮が出来るようになったのもこの頃からだ。
友人関係も充実していた。定時制故なのだろうか。同い年というだけでこれほどまでに親近感を覚えるのは。そいつらと仲良くやっている度に、自分は○○に入って良かった、心から恵まれていると思う。
全日の時からの友達もいる訳だから、余計にそう思うことがある。
最近では考え方にも変化が生まれた。仕事への意欲も変わり、人当たりも良くなった。
在学中に両親の離婚や再婚なんかもあったけど、物事を冷静に見極め、より良い判断ができたのも、自分の成長の賜物だと思っている。
これから俺は専門に行って自らの輝ける未来に向かって、歩いて行こうと思っている。
今日、この瞬間から、○○校の担い手は自分たちから君たちになる。そのことを忘れないで欲しい。
これで俺達卒業生からの答辞はおわりです。最後まで静かに聴いてくれた在校生ありがとう。
まだまだ伝えきれない事はいっぱいある気がするけど俺が自信を持って言えることは卒業する第五十九期生の全員が「○○定時に来て良かった!卒業できてホントにうれしい!良かった!」と思っていることです。
俺達は今日の卒業式でその実感をより深くしています。
ここに列席して下さった全ての皆さん今日は本当にありがとうございました。
二〇〇七年三月○日
第五十九期卒業生一同
第五十九期卒業生一同
☆ 「教職員一同より校長への要請文」 ☆ から
過日、挙行された本校での卒業式は、初めからから終わりまで卒業生への祝意に満ちた、あたたかい素晴らしい式となりました。
とくに7人もの卒業生が、自らの言葉で‘4年間の思いのたけ’を語った答辞の時は、1時間にも及ぶ長時間にもかかわらず、会場が静まりかえりました。
小中学校での不登校や全日制退学などの挫折を乗り越えて入学した定時制での4年間の葛藤と成長を赤裸々に語った答辞、既に老人介護の仕事に就き、そこでの大変さも喜びも全てやりがいと感じて、卒業後介護の仕事にかける決意をカ強く語った答辞、15年戦争中、満蒙開拓団の一員として満州に渡った母親、その母親が夫の戦死後、中国人との再婚を余儀なくされた中国人との間に生まれ、それ故2才で母親に置き去りにされ、中国人の父をも7才で失った中国残留孤児、彼女が中国で味わった辛酸と戦争への思いをつづった答辞、次から次に続くこれらの答辞に、卒業生は自らの4年間を重ね、在校生はこれからの定時での何年間かに思いをはせ、本当に静かに聞き入っていました。
文字通り"これぞ定時制の卒業式"といえる感動的な卒業式でした。
現に全参会者が一輪ずつ手にしたバラを、胸に押し当てられつつ退場した卒業生の顔ははじけるように晴れやかで、列席してくださったPTA会長、役員の方々、旧職員、そして準備した椅子を埋め尽くす程多かった卒業生の保護者・知人のどなたもが、その感動を教職員に伝えてくださいました。"私も卒業するときには読みたい"と担任に言ってくる生徒までいました。
卒業式は4年間の集大成、日頃の教職員の姿勢を感じて下さっている方、生徒の全てが共感してくれたのです。
しかしこの卒業式において卒業生の答辞を間近に聞き、答辞を読んだ卒業生と握手までした校長が、国歌斉唱時その生徒を含む一定数の卒業生が「起立しなかった」ことをもって、担任団を「3,13通達」(「学習指導要領に基づいて適性に指導する。」)違反とみなし、(それもろくな事情聴取もしないまま)その処分を都教委に申請しようとしている。
生徒は思春期の純粋な感性を十二分に働かせ、自分の頭で考え、思いのたけを答辞に綴り、自分の頭で判断し、ある者は起立しある者は起立しなかった、ああいう答辞を書く生徒だから、斉唱時の判断も自分でした、自主的に判断する生徒だから卒業を‘自己の節目’となる答辞を読んだのです。
それを問題視するなどということは、例え未熟であれ本校で成長を遂げてきた生徒の人格への冒涜であり、生徒1人1人を大切にと、その考えを尊重しつつ生徒1人1人を受けとめてかかわってきた担任団の教育活動を冒涜する以外の何物でもない。
担任団は、謂わばドロップアウトして本校定時制に辿り着いた全ての子供連が逞しく生きていけるよう、その自立を助けるために、"自分で考え、自分で行動を"と4年間定時制教育にとっては当たり前のことをやってきたに過ぎない。
文字通り「人間の尊厳」を詠った憲法の精神に基づいて生徒に接し、その一方で、憲法の意義と共に、沖縄への修学旅行をはじめ平和学習を通年の授業・HRを通して行い、平和の大切さを考えさせてきた。
卒業式に先立って、4学年担任は生徒に対し、一言たりとも「起つな唱うな」と言わないどころか、「起立して斉唱するよう指導することが求められている」ことをありのままに伝え、指導してきた。「他国を尊重するためにも起立を」という校長の言葉も伝え、指導した。
その4学年団の指導を「職命違反」などとして、その処分を要請することは定時制教育が成り立たなくてもよいというに等しい、自殺行為である。学年団の指導の何を問題として、「職務命令」違反などというのか、校長こそ教育者として自分の感性と頭で判断されるよう強く要請する。
(略)
学校長 ○○ 殿
2007年3月○日
○○高校(定)教職員一同
○○高校(定)教職員一同
≪連載≫7人の答辞(リンク)
※その1(Aさん、Bさん、Cさん)
※その2(Dさん)
※その3(Eさん、Fさん)
※その4(Gさん、教職員一同)
※「素晴らしい卒業式を発掘『日の丸・君が代』都立高校卒業式潜入ルボ」
池添徳明(ジャーナリスト)
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