● 「教科用図書の補完教材に関する指示事項(通知)」に対する見解
府教委は、8月30日の教育委員会会議で「条件付き採択」として実教出版の日本史教科書に関わって、9月27日付で、府立高校の校長・准校長あてに「教科用図書の補完教材に関する指示事項(通知)」を発出しました。
「通知」は、当該の教科書を使用する生徒全員に、府教委が作成した「補完教材」を配布した上で、教員が「それを...使用し、その内容に従って指導を行うこと」を求めるものとなっています。また、全クラスでの授業終了後に「確認報告書」の提出を求め、「学年・組」「実施日時」「担当者」を報告させ、12月末に中間集計を行うとしています。
これは、行政が教育内容にまで踏み込んで、教育を不当に支配しようとするものであり、あってはならない権力による介入です。
第1に、そもそも、どのような教科書・教材を使うかは、直接教育を行う学校現場で、教職員が論議を通じて決定すべきことであり、学校が選択した教科書について、行政がそれを不採択としたり、採択に条件をつけること自体が不当です。
ILO・ユネスコの教員の地位勧告(1966年)が、第61項で「教員は生徒に最も適した教材及び方法を判断するための格別の資格を認められたものであるから、承認された計画の枠内で、教育当局の援助を受けて教材の選択と採用、教科書の選択、教育方法の適用などについて不可欠な役割を与えられるべきである」としていることからも明らかです。
第2に、教科書のどの部分をどのように使って授業をするか、どのように副教材を用いるか、具体的にどのように授業を進めるかなどは、もっぱら教職員の専門性に委ねられている事柄です。学校教育法第37条は「教諭は…教育をつかさどる」とし、「命令による教育」を排し、教育内容に関わる学校現場の自主的権限について明定しています。これに対して教育行政が、教科書の特定の箇所を取り上げ、副教材の使用や指導内容、指導方法についてまで具体的に指示し、「確認報告」を求めるなどは、こうした教育の条理を逸脱するものであり、学習指導要領を踏み越えるものです。
また、府立高校の生徒の状況は各校ごとにさまざまであり、教職員は、日ごろから目の前の生徒に応じた最適の方法について研究を深め、工夫しながら授業を行っています。一律的な授業の実施を求めることは、学校の教育課程編成権限を侵すものであり、生徒の「適切な授業を受ける権利」をも奪うことになります。
第3に、府教委が示した「補完教材」は、国歌斉唱時の起立斉唱に関わる「職務命令の合憲性」のみを一面的に強調するものとなっており、不適切です。
「補完教材」が取り上げている最高裁判決(2012年1月16日)は、職務命令については合憲とした上で、1名の停職処分、1名の減給処分について「処分の選択が重きに失するものとして社会通念上著しく妥当を欠き、懲戒権者としての裁量範囲を超える」として取り消しを命じた判決であり、「減給以上の処分については本件事案の性質等を踏まえた慎重な考慮が必要」と、処分の過重化に歯止めをかけたものです。これは、当時、社会的に問題となっていた大阪府の条例なども視野において、命令と処分による強制の方向に、司法として歯止めをかけようとしたものです。
また、これに先だつ2011年5月30日の最高裁判決では「思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることは否定し難い」と述べられていることに、その他の最高裁判決も含めて裁判官から多数の「反対意見」「補足意見」が付され、思想良心の自由について慎重に配慮すべきことが表明されていることについて、「補完教材」が一切触れていないことも問題です。
以上の点から、府高教は、府教委に対し、「通知」の撤回と、「補完教材」の押しつけを行わないことを求めるとともに、引き続き、教育への不当な介入を許さないたたかいに、全力をあげるものです。
『大阪府立高等学校教職員組合』(2013/9/30)
http://www.fukokyo.org/message/201309/post-246.html
http://www.fukokyo.org/data/docs/130930_kenkai.pdf
2013年9月30日
大阪府立高等学校教職員組合
大阪府立高等学校教職員組合
府教委は、8月30日の教育委員会会議で「条件付き採択」として実教出版の日本史教科書に関わって、9月27日付で、府立高校の校長・准校長あてに「教科用図書の補完教材に関する指示事項(通知)」を発出しました。
「通知」は、当該の教科書を使用する生徒全員に、府教委が作成した「補完教材」を配布した上で、教員が「それを...使用し、その内容に従って指導を行うこと」を求めるものとなっています。また、全クラスでの授業終了後に「確認報告書」の提出を求め、「学年・組」「実施日時」「担当者」を報告させ、12月末に中間集計を行うとしています。
これは、行政が教育内容にまで踏み込んで、教育を不当に支配しようとするものであり、あってはならない権力による介入です。
第1に、そもそも、どのような教科書・教材を使うかは、直接教育を行う学校現場で、教職員が論議を通じて決定すべきことであり、学校が選択した教科書について、行政がそれを不採択としたり、採択に条件をつけること自体が不当です。
ILO・ユネスコの教員の地位勧告(1966年)が、第61項で「教員は生徒に最も適した教材及び方法を判断するための格別の資格を認められたものであるから、承認された計画の枠内で、教育当局の援助を受けて教材の選択と採用、教科書の選択、教育方法の適用などについて不可欠な役割を与えられるべきである」としていることからも明らかです。
第2に、教科書のどの部分をどのように使って授業をするか、どのように副教材を用いるか、具体的にどのように授業を進めるかなどは、もっぱら教職員の専門性に委ねられている事柄です。学校教育法第37条は「教諭は…教育をつかさどる」とし、「命令による教育」を排し、教育内容に関わる学校現場の自主的権限について明定しています。これに対して教育行政が、教科書の特定の箇所を取り上げ、副教材の使用や指導内容、指導方法についてまで具体的に指示し、「確認報告」を求めるなどは、こうした教育の条理を逸脱するものであり、学習指導要領を踏み越えるものです。
また、府立高校の生徒の状況は各校ごとにさまざまであり、教職員は、日ごろから目の前の生徒に応じた最適の方法について研究を深め、工夫しながら授業を行っています。一律的な授業の実施を求めることは、学校の教育課程編成権限を侵すものであり、生徒の「適切な授業を受ける権利」をも奪うことになります。
第3に、府教委が示した「補完教材」は、国歌斉唱時の起立斉唱に関わる「職務命令の合憲性」のみを一面的に強調するものとなっており、不適切です。
「補完教材」が取り上げている最高裁判決(2012年1月16日)は、職務命令については合憲とした上で、1名の停職処分、1名の減給処分について「処分の選択が重きに失するものとして社会通念上著しく妥当を欠き、懲戒権者としての裁量範囲を超える」として取り消しを命じた判決であり、「減給以上の処分については本件事案の性質等を踏まえた慎重な考慮が必要」と、処分の過重化に歯止めをかけたものです。これは、当時、社会的に問題となっていた大阪府の条例なども視野において、命令と処分による強制の方向に、司法として歯止めをかけようとしたものです。
また、これに先だつ2011年5月30日の最高裁判決では「思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることは否定し難い」と述べられていることに、その他の最高裁判決も含めて裁判官から多数の「反対意見」「補足意見」が付され、思想良心の自由について慎重に配慮すべきことが表明されていることについて、「補完教材」が一切触れていないことも問題です。
以上の点から、府高教は、府教委に対し、「通知」の撤回と、「補完教材」の押しつけを行わないことを求めるとともに、引き続き、教育への不当な介入を許さないたたかいに、全力をあげるものです。
『大阪府立高等学校教職員組合』(2013/9/30)
http://www.fukokyo.org/message/201309/post-246.html
http://www.fukokyo.org/data/docs/130930_kenkai.pdf
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