◆ 定期テスト廃止した公立中学(上) (Japan In-depth)
平成の30年、日本は敗北の歴史を辿った。それを端的に物語る表がある。平成元年と30年を比較した、世界の企業の時価総額ランキングだ。
2018年8月20日のダイヤモンドオンラインより
平成元年には、日本企業が上位に名を連ねる。トップのNTTに続き、銀行や証券がずらりと並ぶ。ところが平成30年、アメリカ勢が圧倒的となる。GAFAと呼ばれるグーグル、アップル、フェイスブック、アマゾンなどのハイテクの新興企業が上位に並ぶ。
つまるところ、日本では、アップルのスティーブ・ジョブズ、アマゾンのジェフ・ベゾス、フェイスブックのマーク・ザッカーバーグらを生み出せなかった。
原因はさまざまあるが、私は、教育が大きく影響していると考えている。
日本では、点数至上主義だ。覚えたことを答案用紙にいかに、正確に書き込むことができるか。その能力が問われている。高度成長期にはそんな教育で通用した。右肩上がりなら、前例踏襲で、通用する。
しかし、時代は一変した。インターネットが普及し、人の営みも複雑さを増している。しかも、前例のない人口減少、デフレ経済に陥っている。答えは決して一つではない。
自分で考え、自分で行動を起こす。そんな力が問われている。
令和の時代、新たな教育こそが、日本の将来を左右する。具体的に何をどうすればいいのか。思案していた私は一人の教育者の考え方に衝撃を受けた。
麹町中学校長の工藤勇一だ。「学校の『当たり前』をやめた。」(時事通信)という本を出し、ベストセラーになった。
工藤は、宿題をなくし、定期テストを廃止した校長で知られている。また、クラス担任制度もなくした。
それらはすべて、子どもたちに「自律」する力を養ってもらうためだ。つまり、自ら考え、自ら判断し、自ら決定し、自ら行動する力だ。
工藤はさまざまな改革に踏み切った。
「定期テストはなくしましたが、単元テストはやります。例えば『数と式』が終わったらテスト、『比例・反比例』が終わったらテスト。単元が終わるごとにテストをやるのです。そうすると、生徒は、自分が分かるか分からないかが、分かるのです。60点を取った場合、40点わからなかったわけです」。
定期テストをなくした理由の一つは、一夜漬けの勉強の弊害だ。試験が終われば、すぐに忘れてしまうリスクもある。この時の点数は生徒にとって「瞬間最大風速」であり、それで成績をつけるは適切ではない。それが工藤の主張だ。
「子どもたちが何度でもテストを受けられたら、はやく記憶できた子でなくても、同じ結果が出るかもしれない。別に早い遅いというのは、関係がありません。ここで区切って、ここまでの記憶力を成績とするという方法ではなく、もっと細かく、複数回チャンスがあった方が、子どもがもっと自分で勉強したくなると思ったのです」。
麹町中学では、子どもたちが希望すれば、再び単元テストを受けるチャンスがある。60点だったら、子どもたちは分からなかった40点分を調べ直す。点数が上がれば、成績もアップする。その再チャレンジのための努力こそが大事だと、工藤は説く。
「参考書で調べる、先生に聞く、親に聞く、友達に聞く。分からないことを分かるようになるためには、自分で動かなければならない。これは、自分の人生のスタイルになる。この経験を積み重ねれば、問題を解決するときに、自分の力だけでなく、動くようになる」。
工藤の話を聞いて、私は膝を打った。これはまさに記者の取材と同じだ。事件が起きる。犯人はどうして犯行に及んだのか。犯人を知る人に一人ひとりに取材し、犯人像に迫る。現場に飛び出し、直接話を聞くことが不可欠である。
宿題をなくしたのも、定期テストを廃止したのと同じ意味だ。
「『分からないもの』を『分かる』ようにするのが、勉強です。その意味では、宿題は真逆です。分かることも出しているのです。宿題が山ほど出されれば、勉強時間が2時間で済んだのに4時間必要になるのです」
宿題は分かる子どもにとっては、時間の無駄である。一方、分からない子供にとっては、苦痛になる。工藤はそんな主張を繰り返す。それでは、こうした工藤のやり方に生徒はどう感じているのか。
ある生徒は語る。
「定期テストだと範囲が広くて勉強するのも大変で点数をあまり取れなかった。でも2年になって単元テストに変わったことで、範囲が狭いのでそれについて集中して勉強できる。点数も上がったし、成績も上がったのでよかった」。
テストを細かく切り分けるのは、生徒の理解向上に一役買っているようだ。麹町中の改革はそれだけにとどまらない。(敬称略)
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191104-00010001-jindepth-soci
(下につづく。全2回。)
◆ 定期テスト廃止した公立中学(下)
麹町中学の校長、工藤勇一は「民間出身の校長ですか」と聞かれることが多い。しかし、根っからの教育者だ。振り出しは、故郷、山形県での教員だった。その後、採用試験を受け直して、東京都の教員になった。そして、教育委員会なども経験した。
満を持して校長になったのが、この麹町中学だ。そこで改革を次々に実行した。宿題や定期テストの廃止だけではない。2018年度には「固定担任制」も打ち切った。弊害が大きすぎると判断したためだ。その代わり導入したのは「全員担任制」だ。
「固定担任制」とは、1人の教員が、クラス全体を受け持つシステムだ。学習だけでなく、生活に至るまで、生徒の面倒をみる。工藤は廃止した理由について話す。
「今の時代、教育に対して関心が高いのです。『もっといいサービスをしてくれ』という要求が出るのです。その要求はエスカレートします」。
その結果、教員の間では、「クラスの子どもに好かれたい」という意識が生まれる。学級王国をつくってしまう教員も出てくる。
「教員は、自分の学級を王国のように自分の価値観で染めていくのです。どうしても、自分の学級オンリーになりがちなのです。そして隣のクラスの子供よりも自分のクラスの子供が大事になるのです」。
教員の中で、「勝ち組」「負け組」が生まれる。
一方、保護者の間では、担任の「アタリ」「ハズレ」が話題になる。
工藤は「『ハズレ』で『負け組』になった生徒は、どんな気持ちになるでしょうか」と問いかける。
さらに重要な問題点として、子どもたちへの影響だ。
「自分のクラスがうまくいかないのは担任の教師のせいだ」。そんな意識が生まれるリスクがあるという。
「自分で物事を考えて自分で解決できなくなった子供たちは、特徴がある。人の批判ばかりします。うまく手をかけてくれない先生を恨みますし、うちの先生は全然ダメって。手のかけ方が悪いって批判します」。
勉強が分からなければ、「授業が分かりにくい」といい、忘れ物をしたら、「聞いていない」と言い返す。責任転嫁の子どもが育つというのだ。
結論は、こうなる。学校は社会の縮図だ。ここで起こる問題は自分たちで解決しなければならない。例えば、いじめ。起こった時に、学校がどう対応するかということばかりが問題になる。
しかし、本来は、いじめも子どもたち同士で解決できたほうがいい。「大人に依存するな。生徒も自律せよ」。
それが、工藤のメッセージと言えよう。
それでは工藤が掲げる「全員担任制」とは、いったいどのようなものなのか。「チーム医療」のようなものだという。チーム医療は、1人の患者に対して、複数の医療スタッフが連携して治療にあたる。麹町中学では、チーム医療の「患者」を「子ども」に置き換えた。子どもが抱えた問題に適切に対処するため、学年のすべての教員が生徒を見るやり方だ。
1人ひとりの教員には、それぞれ得意分野がある。生徒の気持ちを読み取るのがたけている教員もいれば、保護者とのコミュニケーションが上手な教員もいる。さまざまな個性を生かし、学年を運営する。これが「全員担任制」だ。
「子供にとっては、誰と相談してもよく、選択権があるのです。自分で選択ができるので人のせいにしなくなる」。「全員担任制」で大事なのは、教員同士の連携だ。
どの学年も週に1回会議を開き、情報共有を図っている。責任の所在があいまいになるのではないかとも懸念されるが、麹町中学では、学年主任と副学年主任が学年の生徒を把握し、コーディネーター役になっている。「学年主任や副学年主任が子供のことをベストで考えられる人物であることが大事だ」。
麹町中学では、服装や頭髪指導を行っていない。かつては厳しく規定されていた。スカートの長さは「ひざが隠れる程度」で、靴下は「白の無地」。頭髪も「パーマ、整髪料、脱色、髪染め」などを禁止していた。
工藤はこうした規則自体重要ではないと判断した。
「『服装頭髪の乱れが心の乱れ』なんて言いますけれども、心なんか乱れていません。関係ない。茶髪の子もいます。しかし、そこに誰も意識が行かないので、子供は悪いことをしていると思わない」
「問題だと言わなければそもそも問題にならないのです。スカートの長さを注意していると、スカートの長さを1センチでも短くしたい子供が育ちます。意識しなければ、子どもたちは、そんなことに時間も労力も使いません」。
工藤は、麹町中学に赴任した際、服装頭髪の注意ばかりしている教員を呼んだ。
「服装頭髪の注意が随分多いですね。もし服装頭髪の注意を取ったら、1日の中で生徒となんの会話をしているのですか」。痛烈な皮肉を込めた質問だった。
服装頭髪指導より大切なのは、「命を大切にすること」と「差別をしないこと」だと、工藤は考える。
その後、教員の意識も変わった。制服・頭髪の指導をやめた。
さらに、服装や頭髪のルールについては、その権限をすべてPTAに委譲した。
学校が縛り付けるやり方は変わったのだ。
冒頭でも申し上げたが、日本の最大の弱点は、ジョブズやザッカーバーグを生んでいないことだ。
それは国際的な競争力を意味するだけではない。衰退する地方でも、地域版のジョブズが現れれば、一気に熱気がみなぎるだろう。
「当たり前をやめる」。その姿勢こそが日本を救うと思う。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191105-00010000-jindepth-soci
(上の続き。全2回)
出町譲(経済ジャーナリスト・作家、テレビ朝日報道局勤務)
平成の30年、日本は敗北の歴史を辿った。それを端的に物語る表がある。平成元年と30年を比較した、世界の企業の時価総額ランキングだ。
2018年8月20日のダイヤモンドオンラインより
平成元年には、日本企業が上位に名を連ねる。トップのNTTに続き、銀行や証券がずらりと並ぶ。ところが平成30年、アメリカ勢が圧倒的となる。GAFAと呼ばれるグーグル、アップル、フェイスブック、アマゾンなどのハイテクの新興企業が上位に並ぶ。
つまるところ、日本では、アップルのスティーブ・ジョブズ、アマゾンのジェフ・ベゾス、フェイスブックのマーク・ザッカーバーグらを生み出せなかった。
原因はさまざまあるが、私は、教育が大きく影響していると考えている。
日本では、点数至上主義だ。覚えたことを答案用紙にいかに、正確に書き込むことができるか。その能力が問われている。高度成長期にはそんな教育で通用した。右肩上がりなら、前例踏襲で、通用する。
しかし、時代は一変した。インターネットが普及し、人の営みも複雑さを増している。しかも、前例のない人口減少、デフレ経済に陥っている。答えは決して一つではない。
自分で考え、自分で行動を起こす。そんな力が問われている。
令和の時代、新たな教育こそが、日本の将来を左右する。具体的に何をどうすればいいのか。思案していた私は一人の教育者の考え方に衝撃を受けた。
麹町中学校長の工藤勇一だ。「学校の『当たり前』をやめた。」(時事通信)という本を出し、ベストセラーになった。
工藤は、宿題をなくし、定期テストを廃止した校長で知られている。また、クラス担任制度もなくした。
それらはすべて、子どもたちに「自律」する力を養ってもらうためだ。つまり、自ら考え、自ら判断し、自ら決定し、自ら行動する力だ。
工藤はさまざまな改革に踏み切った。
「定期テストはなくしましたが、単元テストはやります。例えば『数と式』が終わったらテスト、『比例・反比例』が終わったらテスト。単元が終わるごとにテストをやるのです。そうすると、生徒は、自分が分かるか分からないかが、分かるのです。60点を取った場合、40点わからなかったわけです」。
定期テストをなくした理由の一つは、一夜漬けの勉強の弊害だ。試験が終われば、すぐに忘れてしまうリスクもある。この時の点数は生徒にとって「瞬間最大風速」であり、それで成績をつけるは適切ではない。それが工藤の主張だ。
「子どもたちが何度でもテストを受けられたら、はやく記憶できた子でなくても、同じ結果が出るかもしれない。別に早い遅いというのは、関係がありません。ここで区切って、ここまでの記憶力を成績とするという方法ではなく、もっと細かく、複数回チャンスがあった方が、子どもがもっと自分で勉強したくなると思ったのです」。
麹町中学では、子どもたちが希望すれば、再び単元テストを受けるチャンスがある。60点だったら、子どもたちは分からなかった40点分を調べ直す。点数が上がれば、成績もアップする。その再チャレンジのための努力こそが大事だと、工藤は説く。
「参考書で調べる、先生に聞く、親に聞く、友達に聞く。分からないことを分かるようになるためには、自分で動かなければならない。これは、自分の人生のスタイルになる。この経験を積み重ねれば、問題を解決するときに、自分の力だけでなく、動くようになる」。
工藤の話を聞いて、私は膝を打った。これはまさに記者の取材と同じだ。事件が起きる。犯人はどうして犯行に及んだのか。犯人を知る人に一人ひとりに取材し、犯人像に迫る。現場に飛び出し、直接話を聞くことが不可欠である。
宿題をなくしたのも、定期テストを廃止したのと同じ意味だ。
「『分からないもの』を『分かる』ようにするのが、勉強です。その意味では、宿題は真逆です。分かることも出しているのです。宿題が山ほど出されれば、勉強時間が2時間で済んだのに4時間必要になるのです」
宿題は分かる子どもにとっては、時間の無駄である。一方、分からない子供にとっては、苦痛になる。工藤はそんな主張を繰り返す。それでは、こうした工藤のやり方に生徒はどう感じているのか。
ある生徒は語る。
「定期テストだと範囲が広くて勉強するのも大変で点数をあまり取れなかった。でも2年になって単元テストに変わったことで、範囲が狭いのでそれについて集中して勉強できる。点数も上がったし、成績も上がったのでよかった」。
テストを細かく切り分けるのは、生徒の理解向上に一役買っているようだ。麹町中の改革はそれだけにとどまらない。(敬称略)
【まとめ】『Japan In-depth』(2019/11/4)
・点数至上主義の日本は世界的パイオニアを生み出せなかった。
・工藤勇一氏は学校の「当たり前」をやめ、新たな教育を試みた。
・その改革は生徒が問題解決の為に動く人生のスタイルを育む。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191104-00010001-jindepth-soci
(下につづく。全2回。)
◆ 定期テスト廃止した公立中学(下)
麹町中学の校長、工藤勇一は「民間出身の校長ですか」と聞かれることが多い。しかし、根っからの教育者だ。振り出しは、故郷、山形県での教員だった。その後、採用試験を受け直して、東京都の教員になった。そして、教育委員会なども経験した。
満を持して校長になったのが、この麹町中学だ。そこで改革を次々に実行した。宿題や定期テストの廃止だけではない。2018年度には「固定担任制」も打ち切った。弊害が大きすぎると判断したためだ。その代わり導入したのは「全員担任制」だ。
「固定担任制」とは、1人の教員が、クラス全体を受け持つシステムだ。学習だけでなく、生活に至るまで、生徒の面倒をみる。工藤は廃止した理由について話す。
「今の時代、教育に対して関心が高いのです。『もっといいサービスをしてくれ』という要求が出るのです。その要求はエスカレートします」。
その結果、教員の間では、「クラスの子どもに好かれたい」という意識が生まれる。学級王国をつくってしまう教員も出てくる。
「教員は、自分の学級を王国のように自分の価値観で染めていくのです。どうしても、自分の学級オンリーになりがちなのです。そして隣のクラスの子供よりも自分のクラスの子供が大事になるのです」。
教員の中で、「勝ち組」「負け組」が生まれる。
一方、保護者の間では、担任の「アタリ」「ハズレ」が話題になる。
工藤は「『ハズレ』で『負け組』になった生徒は、どんな気持ちになるでしょうか」と問いかける。
さらに重要な問題点として、子どもたちへの影響だ。
「自分のクラスがうまくいかないのは担任の教師のせいだ」。そんな意識が生まれるリスクがあるという。
「自分で物事を考えて自分で解決できなくなった子供たちは、特徴がある。人の批判ばかりします。うまく手をかけてくれない先生を恨みますし、うちの先生は全然ダメって。手のかけ方が悪いって批判します」。
勉強が分からなければ、「授業が分かりにくい」といい、忘れ物をしたら、「聞いていない」と言い返す。責任転嫁の子どもが育つというのだ。
結論は、こうなる。学校は社会の縮図だ。ここで起こる問題は自分たちで解決しなければならない。例えば、いじめ。起こった時に、学校がどう対応するかということばかりが問題になる。
しかし、本来は、いじめも子どもたち同士で解決できたほうがいい。「大人に依存するな。生徒も自律せよ」。
それが、工藤のメッセージと言えよう。
それでは工藤が掲げる「全員担任制」とは、いったいどのようなものなのか。「チーム医療」のようなものだという。チーム医療は、1人の患者に対して、複数の医療スタッフが連携して治療にあたる。麹町中学では、チーム医療の「患者」を「子ども」に置き換えた。子どもが抱えた問題に適切に対処するため、学年のすべての教員が生徒を見るやり方だ。
1人ひとりの教員には、それぞれ得意分野がある。生徒の気持ちを読み取るのがたけている教員もいれば、保護者とのコミュニケーションが上手な教員もいる。さまざまな個性を生かし、学年を運営する。これが「全員担任制」だ。
「子供にとっては、誰と相談してもよく、選択権があるのです。自分で選択ができるので人のせいにしなくなる」。「全員担任制」で大事なのは、教員同士の連携だ。
どの学年も週に1回会議を開き、情報共有を図っている。責任の所在があいまいになるのではないかとも懸念されるが、麹町中学では、学年主任と副学年主任が学年の生徒を把握し、コーディネーター役になっている。「学年主任や副学年主任が子供のことをベストで考えられる人物であることが大事だ」。
麹町中学では、服装や頭髪指導を行っていない。かつては厳しく規定されていた。スカートの長さは「ひざが隠れる程度」で、靴下は「白の無地」。頭髪も「パーマ、整髪料、脱色、髪染め」などを禁止していた。
工藤はこうした規則自体重要ではないと判断した。
「『服装頭髪の乱れが心の乱れ』なんて言いますけれども、心なんか乱れていません。関係ない。茶髪の子もいます。しかし、そこに誰も意識が行かないので、子供は悪いことをしていると思わない」
「問題だと言わなければそもそも問題にならないのです。スカートの長さを注意していると、スカートの長さを1センチでも短くしたい子供が育ちます。意識しなければ、子どもたちは、そんなことに時間も労力も使いません」。
工藤は、麹町中学に赴任した際、服装頭髪の注意ばかりしている教員を呼んだ。
「服装頭髪の注意が随分多いですね。もし服装頭髪の注意を取ったら、1日の中で生徒となんの会話をしているのですか」。痛烈な皮肉を込めた質問だった。
服装頭髪指導より大切なのは、「命を大切にすること」と「差別をしないこと」だと、工藤は考える。
その後、教員の意識も変わった。制服・頭髪の指導をやめた。
さらに、服装や頭髪のルールについては、その権限をすべてPTAに委譲した。
学校が縛り付けるやり方は変わったのだ。
冒頭でも申し上げたが、日本の最大の弱点は、ジョブズやザッカーバーグを生んでいないことだ。
それは国際的な競争力を意味するだけではない。衰退する地方でも、地域版のジョブズが現れれば、一気に熱気がみなぎるだろう。
「当たり前をやめる」。その姿勢こそが日本を救うと思う。
【まとめ】『Japan In-depth』(2019/11/5)
・学校は社会の縮図である。
・「全員担任制」は、チーム医療の様に「教員同士の連携」が重要。
・教員側も、本質的に大切な事を指導内容として理解する必要がある。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191105-00010000-jindepth-soci
(上の続き。全2回)
出町譲(経済ジャーナリスト・作家、テレビ朝日報道局勤務)
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