パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

(無題)

2005年01月13日 | たまにはまじめに?しっかりトーク
その他の方々とダディクールさんへ 投稿日:12月30日(木)23時39分2秒

 その他の方々は別の方が応えているかその別の方とのやり取りですので、本日はこれでおしまいで~す。ところで、ダディクールさん、あなたの 同一内容を繰りかえし 大文字や色文字を使う表現はルール違反ですし、このteacup掲示板の特定の個人を誹謗中傷してはならないと言う利用規約にも抵触します。別の掲示板で、一人で誰も防止しようがない早朝の約1時間に54件もほぼ同一内容の投稿を繰り返し、貴重な過去ログを消してしまうなど、リモートホスト名から推してあなただと思われます。その他一人で数十のリモートホスト名を操るなど、個人で持てるソフトだとはとても思われません。いったい何者ですか。選挙事務の担当者ではありませんか。
 他の掲示板のセキュリティを変えざるを得なくなったほど、とにかくこのような投稿はきわめて迷惑ですので、見つけ次第削除しますし、出入り禁止措置をとるかもしれません。それでも止まない場合は、この掲示板もまた、きわめて不便なセキュリティ下に置かざるを得ません。とにかくおやめください。
編集済


地方公務員 さん と(・∀・)さんへ 投稿日:12月30日(木)23時22分38秒

投稿規定変更します。少しお待ちを。
(・∀・)さんへ。
正論なので、互いにこうゆうレッテル貼りはやめたほうがいいのですが、そういうあなただって「自分たちに批判的な人」、民主主義が好きな人に、アカイ人とか時代遅れとか何度も使いませんでしたか。単純にわかり易くてよいので「右翼」。前に書きましたが、私、祖父をはじめとして親兄弟親戚縁者地域そろってみんな昔からの右翼で差別主義者なんです。だから唯一の異端者として批判はしますが、憎んでいるわけでもないのです。わたしの中では、愛称に近いんですよ。当面は分かりやすさに免じてこらえてください。
編集済


@@@さんへ   投稿日:12月30日(木)23時05分26秒

「教員は辞職、欠席、エスケープ、いずれも選択せず、出席+起立拒否だった。」
「何の為にわざわざ卒業式に出席して起立を拒否するのかな?欠席すればそれで済むし、」
いやあ、良くぞ聞いてくれました。昨年度の都教委が出した10・23通達体制というのは、
1、教員の欠席を許さないものなんです。年休を申請すれば、時期変更権命令を出され認められませんし、減給覚悟で病欠申請(ですから通常の病気は年休を申請して取るので病欠休ではありません)するなら、診断書を提出させられ、あとに述べるように勤務評定に響きます。放送室など校内のどこにいようと、国歌斉唱の時には式場の指定された位置(一人一人その席・位置が指定され、起立しているかどうかの確認がされます)に急いで行き、起立していなければなりません(式を中断しても全員がそろうのを待たせます)。欠席もエスケープも許さない態勢なのです。
2、今年はそれに加えて、生徒の起立率まで、教員の勤務評定に響く体制に移行しつつあります。生徒の内心がどうあろうと、規律斉唱させるのが教員の職務、その結果が不充分なら、責任を取らせる、と言う態勢です。まさに戦前と同じ国家イデオロギーの手先として教員を使用し、生徒保護者の内心の自由を踏みにじろうとする態勢です。
3、1966年のILO・ユネスコによる、『教師の地位に関する勧告』もあって、教員の勤務評定体制は、政府権力による不当な支配と民主主義破壊につながるという全国的な反勤評運動の盛り上がりもあって、不発となっていたその体制が、東京都ではもうこの1~2年でほぼ完全に確立されてしまいました。その結果良心の自由をかけて誰にも迷惑をかけない45秒間の不起立を貫いた先生方は昇給延伸と言う事で、生涯賃金で数百万円(退職金・年金でさらに膨らむ)、のマイナスを受けることになりました。この様な経済的痛手を避けるためには、今後生徒の内心を無視し、逆らう生徒には強圧的に起立斉唱を迫らざるを得ないでしょう。
4、 この点に関して、主に後進国での人権問題への勧告が中心で、先進国に発せられること自体が、稀で恥ずかしいことなのですが、アムネスティから懸念を表明されています。
ぜひ、「(・∀・)さん(12月12日投稿)へ 」と以下をお読みください。
参考資料
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/11/09/990906i.htm (特に学校での取り扱いのところ)

アムネスティ日本 <info@amnesty.or.jp>
<http://www.amnesty.or.jp/>

アムネスティ・インターナショナル日本
「君が代」斉唱の強制に強い懸念を表明
http://www.incl.ne.jp/ktrs/aijapan/2004/0406090.htm

編集済


愛子様の弟 さん(12月27日投稿) へ 2  投稿者:在日地球人  投稿日:12月30日(木)23時02分30秒

下記の「一般納税者 さん(12月25日投稿)へ」で、ほぼ語りつくしていますので、一つだけ。ドイツの1年間にわたる第2次世界大戦の学習の要は、むしろ、どうして国家主義・全体主義であるナチス・ヒットラーの台頭を許してしまったのか、です。虐殺されたのはユダヤ人だけではありませんし、ユダヤ人虐殺だけが、学習の中心と言うわけでもありません。まして「人殺しを目的にしたために例外的に謝ってるだけ」ではありません


一般納税者 さん(12月25日投稿)へ 投稿日:12月30日(木)23時00分

1、携帯を所有していないので、おっしゃる改行の件がよくわからないんです。ただし、便利すぎる機械のほうに合わせる気も余りありません。この5年ほど、電車の中で本を読んでいる若者がすごく減って憂えています。
2、民主主義がまるで分からない日本人のために文部省が、1948年に刊行し、全国いっせいに中学校の副教材として使用したとても基本的で分かりやすい『民主主義』という本には、以下のような記述があります。『(民主主義者は)国家のためということを名として、国民の尊厳な自由や権利を踏みにじることに対しては、あくまで反対する。国家は、社会生活の秩序を維持し、国民の幸福を増進するために必要な制度であってこそ重んぜられるべきである。』『民主主義が最も尊ぶのは、個人生活の完成であり、すべての個人の連帯・協力によって発達していくところの社会生活である。国家は、さような社会生活の向上・発展を保護し、促進するために存在する政治上の組織にほかならない。』国家主義者にはとても理解できないでしょうが、これが、民主主義の常識というものです。「思想なんて新しければ良いってもんじゃないだろうに。ちょっと程度低いですね。」いい事おっしゃいますね、そのとおりです。戦後すぐに新渡戸稲造の弟子たちが参加して作り上げたこの副読本ですが、現代のユーロを主導しているハーバーマスらの思想とまるで変わるところはありません。本物は古びないのです。ちなみに、弱者にこそ政治は必要と考える私も、彼と同じで無政府主義ではありません。常識も「わきまえた方が宜しいかと思います。」
3、「命を賭けて戦った人と未来ある若者にカルト思想を吹き込む人をいっしょにする時点でナンセンスですね。糞味噌一緒にしてはいけませんよ。」このような右翼特有の独善性と幼稚性が、同じ日本人として恥ずかしいと言うのです。ヒットラーの手先となってユダヤ人を大虐殺した軍人は、ナチスにとって愛国者でしょう。彼らこそ亡国の徒(糞)であり、勇気を持ってナチスに反対し、職も年金も奪われついには家族ともどもガス室に送られた何万人もの思想犯たちこそ、真の愛国者だと見る見方もあるのがどうして理解できないのですか。ドイツの戦後補償は、このような人たちや空襲の被害者も対象にしています。高い軍人恩給を払うことしか念頭になくそれ以外の自国民への戦後補償をほとんどしていない日本とは雲泥の差です。さらに外国籍のナチスの犠牲者には探し出しても補償しています。従軍慰安婦他 門前払いの日本とはまるで違うでしょう。絶対的な国家元首であり軍の最高元帥でもあった人に責任すらとらせなかったの日本と、どちらが「あれほど卑怯なやり方は無い」と言えますか。どこにも通用しないような独善性で日本人を辱めるあなたこそ「まさに亡国の使徒ですね。」
4、「国家主義者・民族主義者が戦争や虐殺事件をおこします。」と申し上げたのは、思想の左右を問わず、組織性最優先で個々の人権を蹂躙し暴走する、考え方・あり方が、虐殺事件を主導していくのですが、それこそはもともと国家主義・全体主義の矛盾もない純粋な本質だからです。
ご口調をまねしてみたために、またまた表現がきつくなってしまったことを、お許しください。次回こそまともになろうと思います。

編集済


愛子様の弟さん(12/24の投稿) へ 1 投稿日:12月30日(木)22時56分

 「こんなことは評価の方法でいくらでも変わってしまうと思うのですが」とか「日本側に間違いや非も有りましたが」とも「誤りに対しての謝罪は必要としても」ときちんとおっしゃっているのですから、あなたはもう私のお友達です、と言って終わってもいいのですが、おっしゃることの大半が自国に甘すぎます。このお説をそのまま被害の相手国はおろかどこの外国で開陳なさっても、その国際感覚と道義性の低さが笑いものになるでしょう。「泥棒に入ってやったおかげで、御宅のセキュリティは万全になったんだ」というに等しいでしょうね。「我々のせいで不幸になった人たちより幸福なった人たちが多いのです」と幸福を数で図ろうとする発想がまずいのもお分かりですか。このような態度のすべてが、周辺国から尊敬されない原因です。12月23日投稿の「一般納税者 さんへ 」の2の記述をもう一度お読みください。
編集済


・∀・)さん(12/24の投稿) へ 投稿日:12月30日(木)22時54分1秒

(さっそくの反応で、インターネットでお調べとは、勉強家ですね、すばらしい。それにしても、「マルクス左派」とは。世界的に若者と新しい時代の展望を担う知識人たちの大半が左翼であった70年代前半までの、思想史の中で消費されていった今では死語のような懐かしい言葉ですね。この分類ならきっとスターリンは、マルクス極右派でしょうね。
マルクシズム・社会主義・共産主義が目指すのは、すべての人間の平等性と自由・権力からの解放・幸福のはずでした。当時確立された社会主義国家ソビエトを、歴史に矛盾は付き物 どんな犠牲を払ってもまず国家として存続させねばならない、こう考えたのがスターリンでした。この結果、マルクシストたちが否定していたナチス=ヒトラーの国家主義・民族主義とほとんど変わらない暴力的な圧政の情報を耳にしながら、(『右の頬をうたれたら左の頬を』とか『汝の敵を愛せ』と明言したキリストの名において、血なまぐさい戦争が起こってしまうように)「なぜ共産主義が?」と批判と疑問の目を向け始めた新左翼運動が出現し始めます。この中にマックス・ウエーバーの思想を核心にすえたフランクフルト学派がいました。当時、全体主義的社会主義の左翼の対極には、アナーキズムぐらいしかまだ考えられませんでしたし、批判はしても展望を未だはっきりと示せなかったフランクフルト学派が、マルクス左派に分類されたのは、以上の経緯によるものと思われます。西独で、すでに60年代後半から注目され始め、現代のドイツとユーロの民主主義政治思潮の思想的支柱といわれるほどの巨人となったハーバーマスは、このフランクフルト学派の最も新しい世代の旗手なのでした。彼の思想は、ほぼ今のドイツとユーロ体制の民主主義的側面に活かされています。彼自身は、丸山昌男の主張に似て、近代は(民主主義は)未完のプロジェクトだと言っています。彼が提唱しているのは、ナチスなどの全体主義体制と現代資本主義にも顕著な組織最優先の機能主義的合理性の暴走を、民主主義の根幹でもあるコミュニケイション的合理性によって、いかにコントロールするか、というのが近代以後の最大の課題である、ということです。

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