出版目指して、夜を日に継いで目下執筆中の労作を、当ブログ来訪者にこっそりお目にかけて、ご意見をたまわろうという趣向。そのかわり、出版されたら、必ず買ってね。
★取材報告書続き
職員の椅子は、日の丸に正対させよという。
一人一人卒業証書授与で呼ばれて「ハイ」といい起立するごとに、教職員は「ああこの子か・・・」と感慨に耽ったものだ。
それが、常に視線の先には「日の丸」という。
これじゃ、「日の丸卒業式」だ。
★新聞はほとんどが当局の発表のみ
今回の件であらためて愕然としたのは、マスコミというのは、基本的に当局の発表のみを書くということだ。
そうすれば記者は安泰である。
記者クラブ制度という、とんでもないシステムが厳然と支配している。そこに入っていれば「特オチ」はない。大きな情報は伝えてくれるからである。
都庁の記者クラブは、第一庁舎五階にあってもちろん冷暖房完備、給料もよければ危険を冒すことはない。「一生一社」である。大部分の記者の話である。
なかには立派な記者もいるのは言うまでもない。
「フォーブス」アジア太平洋支局長、ベンジャミン・フルフォード氏の「日本マスコミ『臆病』の構造」という本は面白かった。
彼は書いている。
「これまでにも何度か書いてきたきたように、私はかって日経の英字紙「TheNikkei Weekly」で仕事をした経験がある。
だが、不良債権とヤクザに関する記事などに対し、「もうそのいうな記事は書かなくてもいい」という上司からストップをかけられるようになった。
「なぜお前はこのような記事を書かなければならないのか」と問われ、「正義のためです」と答えたとき、彼らは笑った。
「正義って何だ?」
私はその極度の「事なかれ主義」を軽蔑し、それ以来、日本の大手新聞、テレビの報道にかけるスピリッツをさほど信用しなくなった。
だからいまでは、日本で一番信頼できのは、まず右翼の街宣車。次に週刊誌と夕刊紙。
そして大手祇や民放テレビ、最後がNHKという、一般的日本人とはかなり異なる基準を持っている。」と。
右翼の街宣車にはとんでもないのもいるが、「石原は君が代を嫌いだと言った」と数寄屋橋で喚いていたのはそのテレビ番組を見ていなかっただけに印象的であった。
「産経」は都知事・石原、教育委員・米長らの広報紙である。今回の件でも都議・土屋のいいなりに紙面を提供した。
立川自衛隊官舎ビラ撒き「無罪判決」は他紙のいくつかが一面トップに比して、産経はベタ記事である。警察・検察の広報紙の面目躍如である。
「読売」も独自である。板橋高校卒業式事件については全くといっていいほど報道しない。
卒業生から電話が来るとまず、「何新聞とってるの」と聞くことにしている。読売というのが結構多い。この事件については何も知らない者が圧倒的だ。
本人の言い分を書いてくれるのは、裁判官の無罪判決のようなものだ。500分の1である。
第一、捕まっちまったら記者とコンタクトがとれっこない。
思いがけないあっという間の起訴を受けたのちの12月の弁護団会議、S弁護士がため息混じりに「ほんとに、捕まんなくてよかったなあ」と言った。
千葉の金髪先生の事件の時、A祇は「校長を車でひいた」と書いた。公安情報を垂れ流したのだ。こうなりゃもう終りだ。懲戒免職となり刑務所に放り込まれた。
本人の談話を載せる場合にも必ず警察・検察の言い分を書く。それが、ニュートラルということらしい。
それでも載せてくれるだけ幸せというもの。出来たら社として調査して「これは、こうなのだ」という記事を書いて欲しいが、多忙につき望むべきもなさそうだ。
松本サリン事件の河野さんなんか、滅茶苦茶書かれてさぞ悔しかったことであろう。
最近もひどいことをしたと散々書かれて間違っていた大学生のグループの事件があった。不起訴というニュースは流れたが謝罪した新聞はない。
毎日、多くの人が悔しい思いをしていることであろう。
特に公安事件は「こんなにも悪い奴だという」公安当局の宣伝がなされるから恐ろしい。でっち上げも多い。脛に傷もつ身、誰もまともに公安を批判しない。怖いのだ。
立川の事件の推移を見ていてつくづくそう思った。新聞受けのビラ撒きで2ヶ月を超える勾留が続いた。関係者が懸命に都議会議員、国会議員に議会で取り上げてくれるよう頼むが皆逃げてしまう。電車の中で居眠りできる国だが怖い国でもある。
(続)
この前に戻って読みたい方は、こちら→(7)
★取材報告書続き
職員の椅子は、日の丸に正対させよという。
一人一人卒業証書授与で呼ばれて「ハイ」といい起立するごとに、教職員は「ああこの子か・・・」と感慨に耽ったものだ。
それが、常に視線の先には「日の丸」という。
これじゃ、「日の丸卒業式」だ。
★新聞はほとんどが当局の発表のみ
今回の件であらためて愕然としたのは、マスコミというのは、基本的に当局の発表のみを書くということだ。
そうすれば記者は安泰である。
記者クラブ制度という、とんでもないシステムが厳然と支配している。そこに入っていれば「特オチ」はない。大きな情報は伝えてくれるからである。
都庁の記者クラブは、第一庁舎五階にあってもちろん冷暖房完備、給料もよければ危険を冒すことはない。「一生一社」である。大部分の記者の話である。
なかには立派な記者もいるのは言うまでもない。
「フォーブス」アジア太平洋支局長、ベンジャミン・フルフォード氏の「日本マスコミ『臆病』の構造」という本は面白かった。
彼は書いている。
「これまでにも何度か書いてきたきたように、私はかって日経の英字紙「TheNikkei Weekly」で仕事をした経験がある。
だが、不良債権とヤクザに関する記事などに対し、「もうそのいうな記事は書かなくてもいい」という上司からストップをかけられるようになった。
「なぜお前はこのような記事を書かなければならないのか」と問われ、「正義のためです」と答えたとき、彼らは笑った。
「正義って何だ?」
私はその極度の「事なかれ主義」を軽蔑し、それ以来、日本の大手新聞、テレビの報道にかけるスピリッツをさほど信用しなくなった。
だからいまでは、日本で一番信頼できのは、まず右翼の街宣車。次に週刊誌と夕刊紙。
そして大手祇や民放テレビ、最後がNHKという、一般的日本人とはかなり異なる基準を持っている。」と。
右翼の街宣車にはとんでもないのもいるが、「石原は君が代を嫌いだと言った」と数寄屋橋で喚いていたのはそのテレビ番組を見ていなかっただけに印象的であった。
「産経」は都知事・石原、教育委員・米長らの広報紙である。今回の件でも都議・土屋のいいなりに紙面を提供した。
立川自衛隊官舎ビラ撒き「無罪判決」は他紙のいくつかが一面トップに比して、産経はベタ記事である。警察・検察の広報紙の面目躍如である。
「読売」も独自である。板橋高校卒業式事件については全くといっていいほど報道しない。
卒業生から電話が来るとまず、「何新聞とってるの」と聞くことにしている。読売というのが結構多い。この事件については何も知らない者が圧倒的だ。
本人の言い分を書いてくれるのは、裁判官の無罪判決のようなものだ。500分の1である。
第一、捕まっちまったら記者とコンタクトがとれっこない。
思いがけないあっという間の起訴を受けたのちの12月の弁護団会議、S弁護士がため息混じりに「ほんとに、捕まんなくてよかったなあ」と言った。
千葉の金髪先生の事件の時、A祇は「校長を車でひいた」と書いた。公安情報を垂れ流したのだ。こうなりゃもう終りだ。懲戒免職となり刑務所に放り込まれた。
本人の談話を載せる場合にも必ず警察・検察の言い分を書く。それが、ニュートラルということらしい。
それでも載せてくれるだけ幸せというもの。出来たら社として調査して「これは、こうなのだ」という記事を書いて欲しいが、多忙につき望むべきもなさそうだ。
松本サリン事件の河野さんなんか、滅茶苦茶書かれてさぞ悔しかったことであろう。
最近もひどいことをしたと散々書かれて間違っていた大学生のグループの事件があった。不起訴というニュースは流れたが謝罪した新聞はない。
毎日、多くの人が悔しい思いをしていることであろう。
特に公安事件は「こんなにも悪い奴だという」公安当局の宣伝がなされるから恐ろしい。でっち上げも多い。脛に傷もつ身、誰もまともに公安を批判しない。怖いのだ。
立川の事件の推移を見ていてつくづくそう思った。新聞受けのビラ撒きで2ヶ月を超える勾留が続いた。関係者が懸命に都議会議員、国会議員に議会で取り上げてくれるよう頼むが皆逃げてしまう。電車の中で居眠りできる国だが怖い国でもある。
(続)
この前に戻って読みたい方は、こちら→(7)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます