パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

(無題)

2005年02月14日 | たまにはまじめに?しっかりトーク
分かり易い! 投稿者:自由の敵は…  投稿日: 1月 2日(日)19時56分30秒

なまはげさんのは長文ながら,分かり易くて,すーっと理解できましたよ
 憲法は個人を尊重する「自由の基本法」です
 だから「公共の福祉」なんて言葉も,権力側の勝手な解釈を許してはいけません
 憲法が国の機関に権力を授けたのは,個人の尊重を全うするためです
 なんか変だぞ!?と感じたら,誰でも問題を指摘し,意見を述べ,是正を求めることができます
 その主張が正当てあっても,その個人が「社会の多数派」とは限らないので,多数決(民主主義)にも限界があります
 お上や与党は間違えない…こんな妄迷は,自由の放棄に繋がります



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12/31@@@殿2~公共の福祉 投稿者:なまはげ  投稿日: 1月 2日(日)18時20分36秒

①「公共の福祉」が、「基本的人権」を全面的に制約するわけではない。
 もし、この言葉で基本的人権が全面的に制約されるなら、旧憲法の「臣民としての権利(法律の定むる所に従ひ)」と、どこが変わるというのか。
 新憲法の「国民の権利」が、法律上の制限なく「国政上最大限尊重される」(第13条)、「犯すことの出来ない永久の権利」(第11条)であることは、中学校の教科書にも載っている基本常識だ。基本的人権が、まず先にある。

②ただし逆に、「基本的人権」は、「何をやっても良い」自由ではない。
 以前「自由の理」投稿で触れた通り、いかに「不可侵」「永久の権利」といっても、「他人の権利を侵害する自由」(殺人、泥棒、無免許運転など)は認められない。では、権利と放縦はどこで線引きされるのか。それを簡潔に表現する言葉が「公共の福祉」なのである。

③「公共の福祉(public welfare)」は、なぜ必要か、その正しい使い方。
 ワイマール憲法(1919独)が嚆矢。一例「所有権は憲法により保障される。…その行使は同時に公共の福祉に役立つものであるべきである。」(153条)
 大事なのは、財産所有者(強者)の権利行使に制限を加えることで、大多数(弱者)の最低限の生存権を守ろうとする視点。産業革命時の経済的「弱肉強食」の反省から生まれた歴史を持つ。(「王様」の無制限な自由が、人民の奴隷化を生んでいた→王権を制限することで、人民の自由を保障する、と同じ論理。)
 自由権はおろか生存権すら侵されがちな社会的弱者(労働者、女性、子ども、老人、障害者、少数民族…)の最低限の権利を保障するために、生まれた概念である。従って、社会的強者(一番は国家・政府)が、弱者の権利制限に使おうとするのは大きな誤用。(パブリック=公衆とは「お上」ではない)

④「公共」が「お上」の意味で使われると、憲法以前の絶対主義国家。
 ワイマール憲法の「公共の福利」〈Åffentliche Wohlfahrt〉が、ナチス時代に私益に優先する「公益」〈Gemeinnutz〉の意味で、全体主義のシンボルに衣替えしてしまう。
 こうなると、「公」は、権力が個人のいっさいの生活領域に介入する旗じるしになってしまい、これでは、基本的人権の全否定だ。2つは似た表現だが、意味するところは180°逆であることに要注意。

⑤「公共の福祉」で、何が制約され、何は制約されないか。
 制約例。他人の名誉を毀損する言論を犯罪として処罰することは、行為者の言論の自由を制限することにはなるが、この制限は、他人の名誉権を保護するためにはやむを得ないことであり、「公共の福祉」の考え方により説明することができる。
 非制約例。そもそも他人の人権との衝突の可能性のない人権については、「公共の福祉」による制限の余地はないと考えられている。これは「精神の自由」一般が該当する。
 判例は、営業の自由等の経済的自由を規制する法令については、立法府の裁量を比較的広く認めるのに対し、精神的自由を規制する法令等の解釈については、厳格な基準を用いている。(学会では「二重基準説」と言うらしい)

※最後に、日本の法律には、「公共の福祉」の適用に明確な線引きがない(法律による定め)。このことが、日本も批准している「国際人権B規約」に抵触するという勧告が、国際規約人権委員会からなされ、日本政府は、我が憲法では明確な規定がないことを認めた上で、判例により正しく運用されている旨の回答をしていることを付け加えておこう。(1997)

結論:私たちのちっぽけな「思想良心の自由」を守ってくれるのが憲法なのである。憲法を守ることが、「お上」に逆らう形になっていることが今の日本の不幸だが、「お上」に逆らうことと「公共の福祉」に反することとは全く別であり、「お上」こそ国の最高法規をしっかり守るべきなのである。

第15条(公務員は全体の奉仕者)については、
「全体」とは、当然主権者である「国民全体」(public)のことであり、国家権力とか政府(authority)のことではない、というのは近代立憲国家なら常識であろう。かつ公務員たるもの「憲法尊重擁護義務」(第99条)の義務を課せられているのであるから、一党一派一個人の政策やイデオロギーに左右されることなく、憲法の定めに従って行動するのは、公務員として最も正しく正義にかなった態度なのだ。

編集済



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> 12/31@@@殿1~お上に異を唱える権利 投稿者:なまはげ  投稿日: 1月 2日(日)18時19分26秒

正月三が日くらい、難しい議論は避けてのんびりしたいと思ったが、投稿規定によると私も管理者側(回答する側)に分類されるようなので、この土日を逃すと、来週の土日まで、登場の機会が認められていない。そんなわけで、取り急ぎ投稿させていただく。長文になるが、読んでいただければ、幸いである。

1,最初に、天皇発言に反応なさったが、
 天皇発言は、誰が言っても(身分、学歴、経済力等々)、「正しいことは正しい」の観点から引用させていただいただけだ。お気に召さなければ飛ばして読んでいただいても結構。論旨に変わりはない。
 ただ、もし、天皇発言に特別の重みを感じる天皇崇拝のお考えの方がおられたら、この発言に対し、どう身を処されるのか逆にお聞きしておきたい。天皇のご発言は全部正しいと受け止められるのか、それとも自分の判断の方を優先して時に天皇を無視することがあっても良いのかどうかを。

2,先に、結論部分から反論させていただく。
> そちらの主張は全て、学習指導要領や職務命令が明らかに違憲であってはじめて成立する。
 それは違う。「明らかに違憲」とはそんなに簡単なことか。100人が100人意見が一致する事例など存在するだろうか。司法判断の前に、「明らかに違憲」と断定できるなら、第32条(裁判を受ける権利)など不要になる。貴殿にも、私にも、素人には、「断定」できない。(もし貴殿が専門家だったら失敬)
 お上の決定だから「合憲」と推定して取り敢えず従っておこう、という態度がいかに危険か、一つの例をあげる。
 薬害エイズ問題は、国と製薬会社が責任を認めて和解(損害賠償)が成立した(刑事は進行中)。非加熱製剤が使われていた当時、多くの人は厚生省が認可する薬が「明白」に違法だとは認識していなかった。米国では既に危険が証明され使用禁止となっていたらしいが、国内では一部の少数者が使用中止を訴えていただけだった。その時点で、取り敢えず「明らかに違法だとは決められない以上それに従う」道を選んだ人たちは、悲惨にもエイズウィルスに感染し為す術なく命を縮める結果になってしまった。まさしく取り返しの付かない被害が生じてしまった。金銭の損害賠償で済む問題ではない。「お上」だって絶対ではない、間違えることもある。(間違った後の態度も問題だが)。所詮、不完全な人間がやってる仕事である。おかしいと思ったら、異を唱えても良いのだ。それは最初は、いつでも少数の声かもしれない。だが事の正否は数では決まらない。(特に科学では明解だ。「それでも地球は回っている」のガリレイは少数派だったが、教皇の権威とそれに阿る多数派が天動説をいくらエラソーに言い張っても、決して太陽の方が地球の周りを回ってくれることはないのだ。)
 思想や政治の問題は科学のように、100対0とはいかない。そこで、利害の調節を図るルールが作られて、それを民主主義という。ルールの中味が「法」であり、法の最高規定が「憲法」であり、万人がルールに従う約束が「法治主義」なのだ。

私たちは、文科相の学習指導要領運用や、都教委の通達・校長の職務命令が、憲法違反であることを、ルールに従って訴えている。「取り敢えずお上の命令は正しい」との無根拠の推定に従えと言うのは、思考能力を捨てて奴隷になれというに等しい。私たちは一茎の考える葦として、また一個の主体的な人格として、憲法に保障された「意見表明の自由」「思想良心の自由」を主張していく。

3,憲法を守ることについて
 貴殿に、私たちが憲法遵法者であることを理解してもらえたとしたら嬉しいし、貴殿にも憲法の尊重が国民にとって一番大切であることに同意していただけるならもっと嬉しい。
 その前提で、憲法のすべての条文を守れとおっしゃるなら、それこそ私たちの望むところである。憲法は一本の理念に貫かれており、憲法を尊重するとは、自分に都合の良い一部だけ利用することでは当然ない。私が限られた条文をあげたは、直接関わるものだけに絞ったわけで、憲法のすべてを尊重することは言うまでもない。
 さて、貴殿が疑問として、第12条、第13条を引用したのは、「公共の福祉」の文言があるからであろう。この言葉こそ、誤解して流布され、憲法論議の争点となるものだから、じっくり反論させていただこう。(続)

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