パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

(無題)

2005年02月14日 | たまにはまじめに?しっかりトーク
ABA実行者 さん へ 投稿者:在日地球人  投稿日: 1月 6日(木)01時54分4秒

 障害の程度がよくわからないので一般的なことしかいえないのですが。
 たとえば、これもドイツの例ですが、非行少年の更生教育方針を大幅に改編して、一切の強制的訓練をやめ、個室を与え、毎日動物たちと遊ばせ、落ち着いた頃にマンションを借り切ってその子のためにしばらく擬似家族を作って毎日仕事に送り出す。これで更生させるが、困ったとき悩みがあったときはいつでも施設に戻って来てよい。そのための個室も用意してある。以上の方針に転換した後は、日本と同じように強制的な訓練に明け暮れていたときには、7割を超えていた再犯率が、2割以下に落ちたそうです。
 にもかかわらず、強制的な訓練の方で初めて立ち直れる人も必ず何割かいるはずだと、私も思います。教育の難しさはこんなところにもあります。個々に応じられるゆとりと、現場の判断を支援する教育が理想ではないでしょうか。
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(・∀・) さん( 1月 3日投稿)へ 投稿者:在日地球人  投稿日: 1月 6日(木)01時31分47秒

「権力は嫌いだが、弁護士や大学教授、ユネスコや国際規約人権委員会等の権威は大好き。上から決められると反発している先生達が、…」
あなたは何事についても上から押さえつけられるのは嫌いという、民主主義の申し子のような人ではないかと、常々私は感じていますが(勝手な誤解かな?)、そろそろチャカスのはやめて、自分のスタンスをはっきりさせたほうがいいと思いますよ。正しくなければ、ユネスコもへったくりもないでしょう。そして自分の生が向かう方向がはっきりしていなければ、何が正しいなんて言えないでしょう。それは、実は知識の多さでさえありません。「ソロモンの財宝を尽くしても、野に咲く一りんの花の美しさにかなわない。」「金持ちが天国に入るのは、駱駝が針の穴をくぐるよりも難しい。」というイエスの言葉が正しいと信じた人々は、知識の多さゆえにそう思ったわけではないのですから。

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@@@ さん(12月31日(金)07時投稿)へ 投稿者:在日地球人  投稿日: 1月 5日(水)23時32分36秒

1、現憲法は、基本的人権を(多数決によっても侵せない)不可侵の永久の権利としつつも、(多数決によって成立する)政府が、これに反する行為や憲法・法令・詔勅を発令しうることを予想して、これらを「排除する」と明言しています。「思想および良心の自由」などの基本的人権に反する法律および命令には「不服従の義務」が、公務員には負わされていると解せます(第十章)。
2、そもそも天皇制を象徴する日の丸の掲揚・君が代斉唱をともなう入学式卒業式は、明治以来の天皇神格化教育の要請の下、国民臣民化の教育上最も重要な儀式として、ギリシャ正教の儀式を模範として厳粛厳格なものに創リ上げられていったという経緯があリます。登壇する度にいちいち旗に向かって礼をするという異様さは、「私はあなた様の忠実な臣民であリますよ」というまことに情けない反民主主義的な天皇崇拝の宗教的儀礼として発案され、良心・信仰の自由を圧迫しつつ一律に強制されてきたわけです。アジアを中心としてこの上ない悲惨な不幸をもたらした先の大戦において、天皇個人には戦争責任はなかったという世界には通用しそうもない意見もあるようですが、少なくともそれが、あらゆる批判を封じ専制的に国民に「隷従」を強いてきた「偏狭」な天皇制がもたらした惨禍であったことだけは、現憲法の前文からも明らかでしょう。
3、当然のことではあリますが、http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/11/09/990906i.htm (特に学校での取り扱いのところ)にもあリますように、いわゆる西欧の民主主義先進諸国の間では、このような厳粛な卒業式入学式も国歌国旗の取扱いぶリもあリません。民主主義を象徴する国旗国歌であってもです。現憲法は、政府が再び国家主義的な過ち、「戦争の惨禍」をもたらすような間違いを犯しうることを警告し、民主主義や基本的人権を抑圧することがないように、またそのような時代状況の再来も予想して、表現や信条の自由を保障し、その前文ではこのような「人類普遍の原理」に反する「一切の憲法、法令および詔勅を排除する。」といい、これに基づく教育基本法では、憲法に基づく自主的で民主的な文化の創造は、「あらゆる場所で実現されなければならない。」ともあリます。また、民主主義と自発性を育てる場である教育現場に、「強制」がなじまないのは、国際的な常識として「ILO・ユネスコ勧告」や「子供の権利条約」「アムネスティの表明」でも明らかであリ、さらに、学習指導要領の法的拘束力は限定的なものであリ、それやそれに基づく通達よリも、当然憲法や教育基本法は守るべきよリ上位の法であリます。(学習指導要領で法的拘束力があるのは、科目履修時数などであリ、あとは大綱的で指導助言的なものに過ぎません。)

参考資料
アムネスティ日本 <info@amnesty.or.jp>
<http://www.amnesty.or.jp/>

アムネスティ・インターナショナル日本
「君が代」斉唱の強制に強い懸念を表明
http://www.incl.ne.jp/ktrs/aijapan/2004/0406090.htm

4、教育公務員はその本来の職責において、民主主義が危機的であるという状況の中でこそ憲法第99条に基づき、国家主義的な過ちを犯しうる行政の不当な支配に屈することなく、現憲法およびそれよリ更に上位の法でもある「人類普遍の原理」たる基本的人権を、市民とともに「尊重し擁護」し、この憲法の民主主義と徹底した平和主義の実現と発展の方途を積極的にもとめて、最大限の叡知を絞リ「不断の努力」をはらうべきだと思いますが、いかがでしょうか。

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(・∀・) さん(12月31日投稿)へ 投稿者:在日地球人  投稿日: 1月 5日(水)23時11分4秒

 共産主義者でも社会主義者でもないので、弁護する必要はないのですが、彼らの過ちに対して確かについ甘くなってしまう理由についてだけは、反省を含め、少し補足させてください。
 餓死者が出るほどの貧富の差を背景にして贅沢三昧の暮らしをしていた王政を、多くの流血を伴う武力革命によって打ち倒すことで、人類史上初めて誕生したのがフランス革命による近代民主主義でした。ここに初めて、すべての人間の自由と平等が宣言され、政治的制度として確立されたのでした。以後ほとんどの革命が流血を伴いながら成立し、各地で民主主義が確立されていきますが、「近代民主主義とその展望」(福田歓一・岩波新書)によると、その一方の極がアメリカであり、自由を重視して経済的強者による平等性の軽視という問題を残し、一方の極がソ連で平等性を重視する全体主義的体制によって個人の自由を軽視するという問題を残した、と言われています。
 すべての人間の自由と平等の確立のために、「能力に応じて働き、必要に応じて受けとる」社会の実現を目指す共産主義は、民主主義の一つの極の姿なのです。歴史的経緯からいって、それは流血を伴う武力革命以外には実現できない、と言う考えを克服できなかった点が、やがて人命を軽視して暴走する多くの間違いを生んできたのだと思います。ハーバーマスが言っているようなことも、70年代前半までだったら、左翼小児病と一笑されて終わったでしょう。多量の情報のグローバルな共有と言うまったく新しい状況によって、彼の言の正当性に光が当てられはじめたわけですが、実は世界的には貧しい国々の餓死者の数も南北の経済格差も小さくなっているわけではなく、むしろ大きくなっています(「地球環境報告」 石 弘之)。
 多量の(馬鹿げた)情報の氾濫という新しい支配構造の中で、私たちの政治的良識が力を失えば、暴力以外にどうやって貧しい人々が飢えから解放されるのだ、という問題に応え非暴力で民主主義を広く実現するのは、より難しくなるでしょう。これが私たちの21世紀の課題なのです。
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妄想は,独り日記にでも書いてろ 投稿者:自由の敵は眠らない  投稿日: 1月 3日(月)15時18分8秒

「論理的にモノを考えられない」と自ら認めてる人や
 議論の土俵である刑法234条の「威力」の意味を解せない人が
 懲りずにゴネています

まず,先生の「着席をお願いします」は,父兄に対し希望を述べたものであり,人の意思を制圧する「どう喝」とは異なる

この時に生徒は不在だよ!

信頼関係に乗じて生徒を操ろうとした…みたいな幻想の上に,空論を展開しているが,下らんからやめとけ

また先生は,失敬な教頭が腕を掴んだから,「離せ」と言ったまでで,始まってもいない式に向けた「妨害の故意」などない!

分かったかのう?
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