<いじめからあなたを守りたい>(TOKYO Web)
◆ 信頼こそ教育の要 夜回り先生・水谷修さんに聞く
大津市のいじめ自殺事件など、今年はいじめ問題に揺れた年だった。今の学校教育に必要なことは何か。十月に出版された「夜回り先生 いじめを断つ」(日本評論社)の著者で教育評論家の水谷修さん(56)に聞いた。 (砂本紅年)
-著書で、学校で対応すべきいじめと、それ以外のいじめの区別を明確に示した。
「悪口、無視、いたずらなどは倫理的、道徳的な問題で、不健全な人間関係といえる。教員で対処可能だ。だが、今、問題とされているものの大半は犯罪か人権侵害。暴力でけがをさせた、お金や物をとった、ネット上に死ねと書き込んだ-などだ」
「一般社会で誰かを殴ったら傷害罪。犯罪は警察に通報する義務がある。人権侵害があれば、法務省人権擁護局に通報する。だが、学校では『いじめ』とされ、通報は間違いか恥だとして関係機関の介入を拒む。できないことまでやろうとするが、結局何もしないから『生徒の自殺』という悲劇を招く。今、必要なのは、学校ができることと、できないことを理解することだ」
-いじめを学校だけの問題としてとらえることが間違い?
「文部科学省は閉鎖性を捨て、他の省庁との連携を進めるべきだ。いじめ対策として、校内に人権擁護局の分室をつくり、人権擁護委員による校内巡回やいじめ調査ができるようにしてほしい」
「人権擁護委員は高齢者が多いが、スキルが高く、いじめがあれば法的な対応もできる。今はさまざまな立場の人でつくる『いじめ対策委員会』の設置が検討されているが、単独組織の方が迅速に動けるはずだ」
-いじめの背景に、バブル崩壊以降の社会の攻撃性があると指摘している。
「大人のイライラの連鎖が、子どもたちにぶつけられている。否定されて育ち、自己肯定感のない子が多い。追い詰められた子どもが学校で仲間を傷つけている」
「ささいなことでいい、子どもたちをほめてほしい。僕は生徒を叱ったことはない。怒鳴りもしない。どんな子にも光っているところが見える。いいところを見つけられて自信が出ると、子どもは生き返ってくる」
-大人の責任は大きい。
「人には二通りの生き方がある。信じる生き方と疑う生き方だ。ぼくは信じるところから始める。裏切られても裏切られても信じる。だから多くの子どもたちとともに生きてこられた。教育と子育ての基本は、信じて待つことだ。信じられている人間は、それに応えようとする」
-今の教育で一番必要なのは「信頼」だと。
「国などがやろうとしている教育改革は、疑う教育。『教員は管理しないとまじめにしないから管理しろ』『子どもは休ませたら勉強せずに遊ぶだけだから、管理して休日も登校させろ』と。そんなことでいい教育なんか生まれない。先生だって尊敬され、信じられていたら裏切らない。教員の不祥事が多いのは、信じられていないからだ」
「ただ、教員に心にとめてほしいのは、学校は教育の場であると同時に、子どもの笑顔と命を預かる場であること。笑顔を失ったり、亡くなったりした子がいれば、責任を取るべきだ。今は、事件になっても、誰も責任を取らない。信頼のないところに教育は存在しえない。そこから立て直さないと、いじめ問題も解決しない」
みずたに・おさむ 1956年、横浜市生まれ。上智大卒業後、同市立高校の教諭に。2004年に退職。在職中に、子どもたちの非行防止や薬物汚染の拡大防止のため「夜回り」と呼ばれる深夜パトロールを始め、現在も続けている。メールや電話による相談にも応じ、全国各地で講演もしている。
『東京新聞』(2012年12月28日【暮らし】)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/living/life/CK2012122802000118.html
◆ 信頼こそ教育の要 夜回り先生・水谷修さんに聞く
大津市のいじめ自殺事件など、今年はいじめ問題に揺れた年だった。今の学校教育に必要なことは何か。十月に出版された「夜回り先生 いじめを断つ」(日本評論社)の著者で教育評論家の水谷修さん(56)に聞いた。 (砂本紅年)
-著書で、学校で対応すべきいじめと、それ以外のいじめの区別を明確に示した。
「悪口、無視、いたずらなどは倫理的、道徳的な問題で、不健全な人間関係といえる。教員で対処可能だ。だが、今、問題とされているものの大半は犯罪か人権侵害。暴力でけがをさせた、お金や物をとった、ネット上に死ねと書き込んだ-などだ」
「一般社会で誰かを殴ったら傷害罪。犯罪は警察に通報する義務がある。人権侵害があれば、法務省人権擁護局に通報する。だが、学校では『いじめ』とされ、通報は間違いか恥だとして関係機関の介入を拒む。できないことまでやろうとするが、結局何もしないから『生徒の自殺』という悲劇を招く。今、必要なのは、学校ができることと、できないことを理解することだ」
-いじめを学校だけの問題としてとらえることが間違い?
「文部科学省は閉鎖性を捨て、他の省庁との連携を進めるべきだ。いじめ対策として、校内に人権擁護局の分室をつくり、人権擁護委員による校内巡回やいじめ調査ができるようにしてほしい」
「人権擁護委員は高齢者が多いが、スキルが高く、いじめがあれば法的な対応もできる。今はさまざまな立場の人でつくる『いじめ対策委員会』の設置が検討されているが、単独組織の方が迅速に動けるはずだ」
-いじめの背景に、バブル崩壊以降の社会の攻撃性があると指摘している。
「大人のイライラの連鎖が、子どもたちにぶつけられている。否定されて育ち、自己肯定感のない子が多い。追い詰められた子どもが学校で仲間を傷つけている」
「ささいなことでいい、子どもたちをほめてほしい。僕は生徒を叱ったことはない。怒鳴りもしない。どんな子にも光っているところが見える。いいところを見つけられて自信が出ると、子どもは生き返ってくる」
-大人の責任は大きい。
「人には二通りの生き方がある。信じる生き方と疑う生き方だ。ぼくは信じるところから始める。裏切られても裏切られても信じる。だから多くの子どもたちとともに生きてこられた。教育と子育ての基本は、信じて待つことだ。信じられている人間は、それに応えようとする」
-今の教育で一番必要なのは「信頼」だと。
「国などがやろうとしている教育改革は、疑う教育。『教員は管理しないとまじめにしないから管理しろ』『子どもは休ませたら勉強せずに遊ぶだけだから、管理して休日も登校させろ』と。そんなことでいい教育なんか生まれない。先生だって尊敬され、信じられていたら裏切らない。教員の不祥事が多いのは、信じられていないからだ」
「ただ、教員に心にとめてほしいのは、学校は教育の場であると同時に、子どもの笑顔と命を預かる場であること。笑顔を失ったり、亡くなったりした子がいれば、責任を取るべきだ。今は、事件になっても、誰も責任を取らない。信頼のないところに教育は存在しえない。そこから立て直さないと、いじめ問題も解決しない」
みずたに・おさむ 1956年、横浜市生まれ。上智大卒業後、同市立高校の教諭に。2004年に退職。在職中に、子どもたちの非行防止や薬物汚染の拡大防止のため「夜回り」と呼ばれる深夜パトロールを始め、現在も続けている。メールや電話による相談にも応じ、全国各地で講演もしている。
『東京新聞』(2012年12月28日【暮らし】)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/living/life/CK2012122802000118.html
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