◆ 最低賃金 大幅UPなぜできない?
二〇〇七年度の最低賃金(時給)引き上げの目安額が、十日の「中央最低賃金審議会」で正式決定される。「ワーキングプア」(働く貧困層)の増大などで格差問題が参院選の争点にもなったが、全国平均で約十四円の引き上げで、貧困解消にはほど遠い内容。地域間の賃金格差も拡大の兆しで、地方で働く人からは「やっていけない」の大合唱だ。最低賃金が上がらないのはなぜなのか。
◆ 地方悲鳴、格差拡大の兆し
「地方は物価が安いから生活は楽だと思うでしょうが、とんでもない。私の年間の手取り額は約百二十万円。実家暮らしだから何とかなるけど、これでアパート借りるなんてことになったら生活できない。『何とかなるさあ』とでも思わないとやっていけないのよ」
沖縄県の女性タクシー運転手(三四)は、生活実感は苦しくなるばかりと嘆いた。
八日に出された〇七年度の地域別最低賃金の引き上げ額の目安では、大都市圏ほど上げ幅が大きく、地方ほど小さいのが特徴。
物価の違いも上げ幅の差の背景にありそうだが、今月、日本銀行那覇支店がまとめたリポート「最近の沖縄県における物価動向の特徴点」を見ると、むしろ地方の方が生活は苦しいようだ。
リポートは、全国各地の消費者物価指数を所得指数で割った数字を「生活体感物価倍率」として表現。この数字が大きいほど生活は苦しいことを示すが、関東(首都圏)は○・八九、好景気といわれる中部は○・九四なのに対し、沖縄は一・四三、北海道や東北、四国、九州は一・二前後だ。
調査を担当した加来孝宏主査は「確かに沖縄の物価は一般的には安く、理髪料や学生服、靴などは全国平均より三割以上安い。ただし、住宅は台風が多いため割高な鉄筋コンクリート造りが多く、電気代も原油高の影響を受けやすい火力発電に頼り、島ごとに発電所を置くため割高。物価が下がった部分も、小売りやレストランなど本土からの沖縄進出が相次ぎ、地元業者が価格競争にさらされた面が大きい」と指摘する。
◆ 『仕事そのもの少ない』
沖縄県と同じく生活実感の苦しさが指摘される青森県。弘前市の小売業の男性従業員(四五)は「景気回復してきたというが、都内と違ってこちらは全然感じられない。ボーナスもほとんど出ない。公共交通があまりないから車通勤だが、ガソリン代の高騰はきつい」。
となると、最低賃金の上げ幅を地方ほど大きくし、地域間格差を少しでもなくすべきだとの議論が出てきてもおかしくない。
報告をまとめた小委員会でも、労働者側の委員はまずは平均五十円を引き上げ、さらに抜本的な引き上げを行うよう強く主張した。
ただ、この点については働く人の中も複雑な思いが交錯しそうだ。前出の女性運転手は「沖縄では仕事そのものが少ないことが問題」とし、「たとえ時給が上がったとしても、今度は企業がフルタイムで人を雇わなくなるか、雇う人を減らすだけ。その方が心配だ」。
小売業の男性も「うちの会社も人件費を抑えるためにパート従業員の割合を増やしてきたが、(最低賃金改定で)パートの賃金が上がると、ますます正社員への風当たりが厳しくなるかも」と不安を口にした。
◆ 企業や経済界を優先
最低賃金の大幅アップはなぜ、実現しないのか。「企業や経済界に配慮しているからだ」と、識者は口をそろえる。
今回の引き上げで労働側は五十円の引き上げ幅を主張していたが、五円を主張する経営側が「地方や中小企業に影響が大きい」と押し戻した格好。いわば「賃金アップすれば中小企業はつぶれる」という論法だ。
これに対し、関西大学の森岡孝二教授(政治経済学)は「発想が間違っている」と断じる。
「今、日本には、年間二千時間以上働いても年収が二百万円に満たない、いわゆるワーキングプアがたくさんいる。彼らの所得が増えれば消費は活性化し、企業も潤う。大幅アップは企業のためにも必要なはずだ」
今回の引き上げで最低ランクには青森や沖縄などが並んだが、地方と都市の最低賃金の平準化も必要だという。
「地方ほど最低賃金で働く人の割合は多く、都市と格差があれば労働者が流出する。法の強化により流出を食い止め、地方経済を底上げする必要がある」
経済ジャーナリストの荻原博子氏も「中小企業は最低賃金にかかわらず、つぶれている。引き合いに出すのはおかしい」と矛盾を指摘する。
帝国データバンクの集計では、今年上半期の倒産件数は五千三百九十四件で、前年同期比16.6%。増。件数を押し上げている大きな要因が「中小・零細企業の倒産増加」だ。
「今回の最低賃金引き上げの目安額を現行の平均最低賃金に上乗せすると六百八十七円。月収に直せば約十二万円(一日八時間、二十二日働いた場合)。条件によっては十四、五万円もらえる生活保護費を下回る。これでは労働意欲はわかず、憲法にうたわれた『健康で文化的な最低限度の生活』もできない」と荻原氏。
◆ 「経営圧迫、中小倒産」は言い訳
企業合併・買収を長年手がけてきた外資系投資銀行OBも「最低賃金が上がれば倒産する」というのは「無能な経営者の言い訳にすぎない」と切って捨て、こう続ける。
「資金繰りが苦しいといっている経営者の多くが、銀座の高級クラブで豪遊している実態を、私はさんざん見ている。従業員を大切にする会社だけが生き残ればいい」
「最低賃金レベルの給与で働く非正規社員が増えているが、最低賃金では食べていけない。従来の議論を繰り返すのでなく大幅アップを実現すべき時期だ」と指摘するのは、同志社大の橘木俊詔教授(労働・公共経済学)だ。
中小企業の圧迫への懸念については「一方で中小企業に対する支援策をすればいい」として、経営者の取り分などを削減し、引き上げに回すことなどを提案する。さらに、「最低賃金は政党が提出する法案でも変わりうる」として、今後の各党の動向に注目する。
先の通常国会では、罰則の強化や生活保護の支給額との逆転解消を目指す政府の最低賃金法改正案が先送りされた。
先の参院選で共産党は「最低賃金を千円以上」、民主党は「三年をめどに千円まで引き上げる」と公約。民主党は社民党や国民新党と秋の臨時国会に最低賃金を引き上げる法案を仕同提出する方向だ。
一方で自民党も、明確な金額は打ち出していないものの、適切な引き上げの実現を目指す。
◆ 先進国に比べても低い
日本の最低賃金水準は、他の先進国に比べても低い。森岡教授によると、英国やフランスなどでは既に千二百円時代に突入。
日本と低さを競っていた米国でも今年に入り、最低賃金を五・一五ドル(約六百二十円)から七・二五ドル(約八百七十円)に引き上げる法律が成立したという。
先進諸国の中でも最低レベルの日本の最低賃金。こうした現状を踏まえ、森岡教授はこう提言する。
「これまでの格差拡大の背景には、政府による企業と財界への優先主義がある。現在の貧困問題の解消に必要なのは、こうした企業優先からの脱却だ」
※最低賃金
原則すべての労働者に支払われる賃金の最低限度額。
生計費や事業者の支払い能力などを基に、厚生労働省の中央最低賃金審議会で引き上げ額の自安を公表後、各都道府県の審議会で水準を決め、10月1日に改定する。
2006年度の全国平均は673円。政府は先の通常国会に最低賃金法改正案を提出し、生活保護を下回らない水準の確保養を目指したが、継続審議となった。
※デスクメモ
北九州市で生活保護を打ち切られた男性が餓死したニュースは記憶に新しいが、実態は生活保護以下の賃金で働く人も少なくない。
参院選の一人区で自民党が大敗したのも当然で、景気回復の果実が庶民に届かないのは、明らかに政治の貧困。
安倍首相が責任を取って潔く退陣することが最初の格差是正策だ。(吉)
『東京新聞』(2007年8月10日【特報】)
二〇〇七年度の最低賃金(時給)引き上げの目安額が、十日の「中央最低賃金審議会」で正式決定される。「ワーキングプア」(働く貧困層)の増大などで格差問題が参院選の争点にもなったが、全国平均で約十四円の引き上げで、貧困解消にはほど遠い内容。地域間の賃金格差も拡大の兆しで、地方で働く人からは「やっていけない」の大合唱だ。最低賃金が上がらないのはなぜなのか。
◆ 地方悲鳴、格差拡大の兆し
「地方は物価が安いから生活は楽だと思うでしょうが、とんでもない。私の年間の手取り額は約百二十万円。実家暮らしだから何とかなるけど、これでアパート借りるなんてことになったら生活できない。『何とかなるさあ』とでも思わないとやっていけないのよ」
沖縄県の女性タクシー運転手(三四)は、生活実感は苦しくなるばかりと嘆いた。
八日に出された〇七年度の地域別最低賃金の引き上げ額の目安では、大都市圏ほど上げ幅が大きく、地方ほど小さいのが特徴。
物価の違いも上げ幅の差の背景にありそうだが、今月、日本銀行那覇支店がまとめたリポート「最近の沖縄県における物価動向の特徴点」を見ると、むしろ地方の方が生活は苦しいようだ。
リポートは、全国各地の消費者物価指数を所得指数で割った数字を「生活体感物価倍率」として表現。この数字が大きいほど生活は苦しいことを示すが、関東(首都圏)は○・八九、好景気といわれる中部は○・九四なのに対し、沖縄は一・四三、北海道や東北、四国、九州は一・二前後だ。
調査を担当した加来孝宏主査は「確かに沖縄の物価は一般的には安く、理髪料や学生服、靴などは全国平均より三割以上安い。ただし、住宅は台風が多いため割高な鉄筋コンクリート造りが多く、電気代も原油高の影響を受けやすい火力発電に頼り、島ごとに発電所を置くため割高。物価が下がった部分も、小売りやレストランなど本土からの沖縄進出が相次ぎ、地元業者が価格競争にさらされた面が大きい」と指摘する。
◆ 『仕事そのもの少ない』
沖縄県と同じく生活実感の苦しさが指摘される青森県。弘前市の小売業の男性従業員(四五)は「景気回復してきたというが、都内と違ってこちらは全然感じられない。ボーナスもほとんど出ない。公共交通があまりないから車通勤だが、ガソリン代の高騰はきつい」。
となると、最低賃金の上げ幅を地方ほど大きくし、地域間格差を少しでもなくすべきだとの議論が出てきてもおかしくない。
報告をまとめた小委員会でも、労働者側の委員はまずは平均五十円を引き上げ、さらに抜本的な引き上げを行うよう強く主張した。
ただ、この点については働く人の中も複雑な思いが交錯しそうだ。前出の女性運転手は「沖縄では仕事そのものが少ないことが問題」とし、「たとえ時給が上がったとしても、今度は企業がフルタイムで人を雇わなくなるか、雇う人を減らすだけ。その方が心配だ」。
小売業の男性も「うちの会社も人件費を抑えるためにパート従業員の割合を増やしてきたが、(最低賃金改定で)パートの賃金が上がると、ますます正社員への風当たりが厳しくなるかも」と不安を口にした。
◆ 企業や経済界を優先
最低賃金の大幅アップはなぜ、実現しないのか。「企業や経済界に配慮しているからだ」と、識者は口をそろえる。
今回の引き上げで労働側は五十円の引き上げ幅を主張していたが、五円を主張する経営側が「地方や中小企業に影響が大きい」と押し戻した格好。いわば「賃金アップすれば中小企業はつぶれる」という論法だ。
これに対し、関西大学の森岡孝二教授(政治経済学)は「発想が間違っている」と断じる。
「今、日本には、年間二千時間以上働いても年収が二百万円に満たない、いわゆるワーキングプアがたくさんいる。彼らの所得が増えれば消費は活性化し、企業も潤う。大幅アップは企業のためにも必要なはずだ」
今回の引き上げで最低ランクには青森や沖縄などが並んだが、地方と都市の最低賃金の平準化も必要だという。
「地方ほど最低賃金で働く人の割合は多く、都市と格差があれば労働者が流出する。法の強化により流出を食い止め、地方経済を底上げする必要がある」
経済ジャーナリストの荻原博子氏も「中小企業は最低賃金にかかわらず、つぶれている。引き合いに出すのはおかしい」と矛盾を指摘する。
帝国データバンクの集計では、今年上半期の倒産件数は五千三百九十四件で、前年同期比16.6%。増。件数を押し上げている大きな要因が「中小・零細企業の倒産増加」だ。
「今回の最低賃金引き上げの目安額を現行の平均最低賃金に上乗せすると六百八十七円。月収に直せば約十二万円(一日八時間、二十二日働いた場合)。条件によっては十四、五万円もらえる生活保護費を下回る。これでは労働意欲はわかず、憲法にうたわれた『健康で文化的な最低限度の生活』もできない」と荻原氏。
◆ 「経営圧迫、中小倒産」は言い訳
企業合併・買収を長年手がけてきた外資系投資銀行OBも「最低賃金が上がれば倒産する」というのは「無能な経営者の言い訳にすぎない」と切って捨て、こう続ける。
「資金繰りが苦しいといっている経営者の多くが、銀座の高級クラブで豪遊している実態を、私はさんざん見ている。従業員を大切にする会社だけが生き残ればいい」
「最低賃金レベルの給与で働く非正規社員が増えているが、最低賃金では食べていけない。従来の議論を繰り返すのでなく大幅アップを実現すべき時期だ」と指摘するのは、同志社大の橘木俊詔教授(労働・公共経済学)だ。
中小企業の圧迫への懸念については「一方で中小企業に対する支援策をすればいい」として、経営者の取り分などを削減し、引き上げに回すことなどを提案する。さらに、「最低賃金は政党が提出する法案でも変わりうる」として、今後の各党の動向に注目する。
先の通常国会では、罰則の強化や生活保護の支給額との逆転解消を目指す政府の最低賃金法改正案が先送りされた。
先の参院選で共産党は「最低賃金を千円以上」、民主党は「三年をめどに千円まで引き上げる」と公約。民主党は社民党や国民新党と秋の臨時国会に最低賃金を引き上げる法案を仕同提出する方向だ。
一方で自民党も、明確な金額は打ち出していないものの、適切な引き上げの実現を目指す。
◆ 先進国に比べても低い
日本の最低賃金水準は、他の先進国に比べても低い。森岡教授によると、英国やフランスなどでは既に千二百円時代に突入。
日本と低さを競っていた米国でも今年に入り、最低賃金を五・一五ドル(約六百二十円)から七・二五ドル(約八百七十円)に引き上げる法律が成立したという。
先進諸国の中でも最低レベルの日本の最低賃金。こうした現状を踏まえ、森岡教授はこう提言する。
「これまでの格差拡大の背景には、政府による企業と財界への優先主義がある。現在の貧困問題の解消に必要なのは、こうした企業優先からの脱却だ」
※最低賃金
原則すべての労働者に支払われる賃金の最低限度額。
生計費や事業者の支払い能力などを基に、厚生労働省の中央最低賃金審議会で引き上げ額の自安を公表後、各都道府県の審議会で水準を決め、10月1日に改定する。
2006年度の全国平均は673円。政府は先の通常国会に最低賃金法改正案を提出し、生活保護を下回らない水準の確保養を目指したが、継続審議となった。
※デスクメモ
北九州市で生活保護を打ち切られた男性が餓死したニュースは記憶に新しいが、実態は生活保護以下の賃金で働く人も少なくない。
参院選の一人区で自民党が大敗したのも当然で、景気回復の果実が庶民に届かないのは、明らかに政治の貧困。
安倍首相が責任を取って潔く退陣することが最初の格差是正策だ。(吉)
『東京新聞』(2007年8月10日【特報】)
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