◆ 「平和の像」恒久設置へ。
日本政府が決めてしまった「オウンゴール」
ドイツ・ベルリンのミッテ区に設置された「平和の像」
photo by SagaEremit via Wikimedia Commons (CC BY-SA 4.0)
2020年12月1日、ベルリン・ミッテ区の区議会は、同区に設置された「平和の像」の恒久設置に向けて、手続きを進める決議案を採択した。「平和の像」はアジア・太平洋戦争における日本軍「慰安婦」を象徴し、全ての戦時性暴力・性奴隷制に反対する意味が込められている。
この件は日本と韓国で注目を集めており、この決議は地元ドイツよりも早く、両国で報じられた。
「平和の像」は今年9月末、民間団体の「コリア協議会」の主導で、約1年間の期間限定で、ミッテ区のモアビート地区に設置された。
ベルリンでは2019年、「あいちトリエンナーレ」で展示されていた「平和の像」と同じ作者によるモニュメントが、期間限定で設置されている。女性芸術家グループGEDOKが主催するイベントで、ブランデンブルク門前に展示されていた。
◆ 「平和の像」設置と撤去命令、それへの抗議
日本政府の妨害を想定して、「平和の少女像」の設置計画は、可能な限り秘密裏に推進された。9月末、設置の事実が日本社会に知られるや否や、この戦時性暴力を記憶するモニュメントに対して、官民ぐるみでの排撃が始まった。
ミッテ区だけでなく、ベルリン州およびドイツ外務省にまで日本政府は抗議を伝えた。
これを受けて、ステファン・フォン・ダッセル区長は10月7日、像の撤去を命じた。外務省や州内閣などからの圧力があったのではないかといわれている。
しかし、この撤去命令は、ドイツにおいて政治的・社会的な反発を呼んだ。
像の設置を主導した「コリア協議会」は、像の前での反対集会や、区議会議員へのロビー活動を行った。代表のハン・ジョンヒによると、特に左翼党の議員は、戦時性暴力の問題として熱心に話を聞いてくれたという。
フォン・ダッセル区長の所属政党である緑の党の所属議員たちからも区長への批判が起こった。
韓国人女性をパートナーとするゲアハルト・シュレーダー前首相もこのモニュメントへの支持を表明した。
「コリア協議会」が効力停止の仮処分を裁判所に申請したことで、ひとまず即時撤去は回避された。区は妥協案を探ると発表した。
11月7日には区議会が撤去命令を撤回する決議案を採択し、当初の予定通り1年間は撤去されない見通しが高まっていた。
◆ ベルリン・ミッテ区の政治状況
ミッテ(Mitte=中心)区はその名の通りベルリンの中央部にあり、国会議事堂や連邦首相府などの政府の諸機関や、ベルリン中央駅が立地する中心地区である。
博物館島、ウンター・デン・リンデン、ポツダム広場のような世界的にもよく知られている名所も多い。
各国の大使館も集中している。森鴎外はベルリン滞在時にこの地に住んでおり、記念館もある。
以前「平和の像」の期間限定の展示が行われたブランデンブルク門もこのミッテ区にある。「平和の像」が設置されたモアビート地区は、ティーアガルテンの北側にある、シュプレー川沿いの住宅街である。
ベルリンは伝統的に左派が強い州であり、ミッテ区の議会構成も、緑の党・社会民主党(SPD)・左翼党で3分の2以上を占めている。前述のとおりフォン・ダッセル区長も緑の党出身だ。
撤去命令を撤回する決議でも、キリスト教民主同盟(CDU)、自由民主党(FDP)など右派系野党や、極右政党ドイツのための選択肢(AfD)は、日韓の係争に関与すべきではないなどとして反対に回っている。
ちなみに今回の決議でもAfDは反対したが、地元紙「ターゲスツァイトゥング」によれば、その理由は、「ドイツと日本は第二次大戦において同盟関係にあった」ことだという。
設置存続のための決議が通った背景には、こうした議会の力関係の影響もあるだろう。
◆ 日本からの抗議
以前の記事で、これまで「平和の像」がドイツで展示されるたび、必ず日本政府から抗議されていることを紹介した。
ベルリン・ミッテ区の「平和の像」に対しても、日本から激しい抗議活動が行われた。日本政府の正式な抗議だけでなく、与党自民党の有志議員や、姉妹都市である新宿区などの地方自治体、民間の右派団体からも個別に抗議の書簡やメールも送られた。
しかし、そうした日本側の抗議はほぼすべてが歴史修正主義的なもので、差別的なものである。そしてそれは現地の関係者に見抜かれていた。
前回の記事でも紹介した「なでしこアクション」がミッテ区の区長にあてた手紙は、正常な判断能力がある者からみれば怪文書としかいえないものであるが、その中では「嘘をつくことは韓国人の特徴」などの読むに堪えない記述が詰め込まれている。
今回、当初の予定だった一年間の設置のみならず、より踏み込んだ恒久的な設置を視野にいれることが決議されたのは、日本政府・右派のこうした歴史修正主義的・差別的な抗議を受けて、問題の深刻さが改めて認識されたせいもあるだろう。
地元紙「ターゲスシュピーゲル」の12月4日の記事によれば、区議会の議論で、CDUやFDPの議員は、碑文を広く戦時性暴力の問題全般を取り扱うものに書き換えることを提案したが、左翼党や緑の党の議員によって拒否された。
緑の党のイングリット・ベーターマン議員によれば、この問題は「戦時性暴力一般の問題だけには留まらない」のであり、日本が行っている歴史修正主義を受け入れてはならないという理由であった。
恒久設置推進の決議を受けて、12月2日、加藤勝信官房長官は、「我が国の立場とは異なる」決議だとして「残念だ」と述べ、これからも撤去に向けて動いていくことを表明した。
一方、地元紙「ターゲスツァイトゥング」は同日の記事で、以下のように評した。
「日本の右翼政治家が今日まで理解していないのは、彼らが政治的なオウンゴールを決めてしまったことだ。なぜなら、彼らが歴史的な事実に躍起になって抵抗したことによって初めて、この『平和の像』が注目されるようになったからである。その帰結が今日の、像のさらなる永続的な設置許可なのだ」
これまで「平和の像」に対する日本政府の抗議は、必ずといっていいほど現地の強い反発を生んでおり、日本軍「慰安婦」の問題がドイツでより知られるようになるきっかけをつくっている。ベルリン・ミッテ区の例も、そのパターンのひとつに数えられることになるだろう。
ここまで「日本側」と書いてきたが、日本人の中にも像の設置を支持し、署名活動など積極的に支援してきた人々もいることは言及しておかなければならない。また、像の設置には、現地日本人の協力もあった。
◆ ベルリン・ミッテ区への「平和の像」設置の意義
「平和の像」の恒久的設置が正式に決定された場合、これはヨーロッパで最初に「平和の像」が、公有地で、恒久的に設置される例となる。
2016年、フライブルク市での「平和の像」設置が頓挫して以来、私有地への設置や期間限定の展示はあったものの、公有地に恒久的に設置された例はこれまでなかった。ミッテ区のモニュメントも、当初は1年間の限定だった。
以前の記事でも指摘したが、日本の「歴史戦」は恥ずべき振舞いであり、一刻も早く止めなければならない。
戦時性暴力の記憶を継承するために、「平和の像」は日本にもつくられるべきだ。しかし現状でそれが叶わないなら、世界の様々な場所で日本軍「慰安婦」の記憶が継承されていくことは、とりあえずはよいことに違いないだろう。
※ 藤崎剛人 ふじさきまさと●非常勤講師&ブロガー。
ドイツ思想史/公法学。ブログ:過ぎ去ろうとしない過去 note:hokusyu Twitter ID:@hokusyu82
『ハーバー・ビジネス・オンライン』(2020.12.11)
https://hbol.jp/234050?cx_clicks_art_mdl=4_title
日本政府が決めてしまった「オウンゴール」
<文/藤崎剛人>(ハーバー・ビジネス・オンライン)
ドイツ・ベルリンのミッテ区に設置された「平和の像」
photo by SagaEremit via Wikimedia Commons (CC BY-SA 4.0)
2020年12月1日、ベルリン・ミッテ区の区議会は、同区に設置された「平和の像」の恒久設置に向けて、手続きを進める決議案を採択した。「平和の像」はアジア・太平洋戦争における日本軍「慰安婦」を象徴し、全ての戦時性暴力・性奴隷制に反対する意味が込められている。
この件は日本と韓国で注目を集めており、この決議は地元ドイツよりも早く、両国で報じられた。
「平和の像」は今年9月末、民間団体の「コリア協議会」の主導で、約1年間の期間限定で、ミッテ区のモアビート地区に設置された。
ベルリンでは2019年、「あいちトリエンナーレ」で展示されていた「平和の像」と同じ作者によるモニュメントが、期間限定で設置されている。女性芸術家グループGEDOKが主催するイベントで、ブランデンブルク門前に展示されていた。
◆ 「平和の像」設置と撤去命令、それへの抗議
日本政府の妨害を想定して、「平和の少女像」の設置計画は、可能な限り秘密裏に推進された。9月末、設置の事実が日本社会に知られるや否や、この戦時性暴力を記憶するモニュメントに対して、官民ぐるみでの排撃が始まった。
ミッテ区だけでなく、ベルリン州およびドイツ外務省にまで日本政府は抗議を伝えた。
これを受けて、ステファン・フォン・ダッセル区長は10月7日、像の撤去を命じた。外務省や州内閣などからの圧力があったのではないかといわれている。
しかし、この撤去命令は、ドイツにおいて政治的・社会的な反発を呼んだ。
像の設置を主導した「コリア協議会」は、像の前での反対集会や、区議会議員へのロビー活動を行った。代表のハン・ジョンヒによると、特に左翼党の議員は、戦時性暴力の問題として熱心に話を聞いてくれたという。
フォン・ダッセル区長の所属政党である緑の党の所属議員たちからも区長への批判が起こった。
韓国人女性をパートナーとするゲアハルト・シュレーダー前首相もこのモニュメントへの支持を表明した。
「コリア協議会」が効力停止の仮処分を裁判所に申請したことで、ひとまず即時撤去は回避された。区は妥協案を探ると発表した。
11月7日には区議会が撤去命令を撤回する決議案を採択し、当初の予定通り1年間は撤去されない見通しが高まっていた。
◆ ベルリン・ミッテ区の政治状況
ミッテ(Mitte=中心)区はその名の通りベルリンの中央部にあり、国会議事堂や連邦首相府などの政府の諸機関や、ベルリン中央駅が立地する中心地区である。
博物館島、ウンター・デン・リンデン、ポツダム広場のような世界的にもよく知られている名所も多い。
各国の大使館も集中している。森鴎外はベルリン滞在時にこの地に住んでおり、記念館もある。
以前「平和の像」の期間限定の展示が行われたブランデンブルク門もこのミッテ区にある。「平和の像」が設置されたモアビート地区は、ティーアガルテンの北側にある、シュプレー川沿いの住宅街である。
ベルリンは伝統的に左派が強い州であり、ミッテ区の議会構成も、緑の党・社会民主党(SPD)・左翼党で3分の2以上を占めている。前述のとおりフォン・ダッセル区長も緑の党出身だ。
撤去命令を撤回する決議でも、キリスト教民主同盟(CDU)、自由民主党(FDP)など右派系野党や、極右政党ドイツのための選択肢(AfD)は、日韓の係争に関与すべきではないなどとして反対に回っている。
ちなみに今回の決議でもAfDは反対したが、地元紙「ターゲスツァイトゥング」によれば、その理由は、「ドイツと日本は第二次大戦において同盟関係にあった」ことだという。
設置存続のための決議が通った背景には、こうした議会の力関係の影響もあるだろう。
◆ 日本からの抗議
以前の記事で、これまで「平和の像」がドイツで展示されるたび、必ず日本政府から抗議されていることを紹介した。
ベルリン・ミッテ区の「平和の像」に対しても、日本から激しい抗議活動が行われた。日本政府の正式な抗議だけでなく、与党自民党の有志議員や、姉妹都市である新宿区などの地方自治体、民間の右派団体からも個別に抗議の書簡やメールも送られた。
しかし、そうした日本側の抗議はほぼすべてが歴史修正主義的なもので、差別的なものである。そしてそれは現地の関係者に見抜かれていた。
前回の記事でも紹介した「なでしこアクション」がミッテ区の区長にあてた手紙は、正常な判断能力がある者からみれば怪文書としかいえないものであるが、その中では「嘘をつくことは韓国人の特徴」などの読むに堪えない記述が詰め込まれている。
今回、当初の予定だった一年間の設置のみならず、より踏み込んだ恒久的な設置を視野にいれることが決議されたのは、日本政府・右派のこうした歴史修正主義的・差別的な抗議を受けて、問題の深刻さが改めて認識されたせいもあるだろう。
地元紙「ターゲスシュピーゲル」の12月4日の記事によれば、区議会の議論で、CDUやFDPの議員は、碑文を広く戦時性暴力の問題全般を取り扱うものに書き換えることを提案したが、左翼党や緑の党の議員によって拒否された。
緑の党のイングリット・ベーターマン議員によれば、この問題は「戦時性暴力一般の問題だけには留まらない」のであり、日本が行っている歴史修正主義を受け入れてはならないという理由であった。
恒久設置推進の決議を受けて、12月2日、加藤勝信官房長官は、「我が国の立場とは異なる」決議だとして「残念だ」と述べ、これからも撤去に向けて動いていくことを表明した。
一方、地元紙「ターゲスツァイトゥング」は同日の記事で、以下のように評した。
「日本の右翼政治家が今日まで理解していないのは、彼らが政治的なオウンゴールを決めてしまったことだ。なぜなら、彼らが歴史的な事実に躍起になって抵抗したことによって初めて、この『平和の像』が注目されるようになったからである。その帰結が今日の、像のさらなる永続的な設置許可なのだ」
これまで「平和の像」に対する日本政府の抗議は、必ずといっていいほど現地の強い反発を生んでおり、日本軍「慰安婦」の問題がドイツでより知られるようになるきっかけをつくっている。ベルリン・ミッテ区の例も、そのパターンのひとつに数えられることになるだろう。
ここまで「日本側」と書いてきたが、日本人の中にも像の設置を支持し、署名活動など積極的に支援してきた人々もいることは言及しておかなければならない。また、像の設置には、現地日本人の協力もあった。
◆ ベルリン・ミッテ区への「平和の像」設置の意義
「平和の像」の恒久的設置が正式に決定された場合、これはヨーロッパで最初に「平和の像」が、公有地で、恒久的に設置される例となる。
2016年、フライブルク市での「平和の像」設置が頓挫して以来、私有地への設置や期間限定の展示はあったものの、公有地に恒久的に設置された例はこれまでなかった。ミッテ区のモニュメントも、当初は1年間の限定だった。
以前の記事でも指摘したが、日本の「歴史戦」は恥ずべき振舞いであり、一刻も早く止めなければならない。
戦時性暴力の記憶を継承するために、「平和の像」は日本にもつくられるべきだ。しかし現状でそれが叶わないなら、世界の様々な場所で日本軍「慰安婦」の記憶が継承されていくことは、とりあえずはよいことに違いないだろう。
※ 藤崎剛人 ふじさきまさと●非常勤講師&ブロガー。
ドイツ思想史/公法学。ブログ:過ぎ去ろうとしない過去 note:hokusyu Twitter ID:@hokusyu82
『ハーバー・ビジネス・オンライン』(2020.12.11)
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