《教科書ネット21ニュースから》
◆ 中学校教科書検討資料集
~この内容を教科書展示会まで広げ、これからにつなげよう
◆ 平和と子どもの権利の視点から
はじめに~子どもを尊重するということ
2月末、安倍首相の独断により全学校の休業要請が突如出されてからおよそ2ケ月半余の間、教師は子ども達に課題を出し、マスコミ等は子ども達へ室内で身体を動かす遊びや運動の動画を配信し、子どもを励ましてきた。
やがて、自分だけではできない課題がある、家に一日中居る場所がない等々、困っている子どもの様子も聞こえてきた。最近では、「子どもの学力が心配」という声も大きくなりつつある。
元気に過ごそうと呼びかけたり、平時に扱ってきた学力を求めることが、本当に、子どもを尊重していることなのだろうか、
新型コロナ災害(以下コロナ災害)の当事者でもある子どもを災害の外においているのではないか、子どもの学習の権利を保障するというその内実はどういうことなのか考え始めるようになった。
◆ 自分の思い・考えを伝えるカー民主主義の土台
今度のコロナ災害について、子どもはどう思い、何を知りたいと思っているか、子どもの考えを聞こうという声はあまり聞こえてこなかった。おそらく、これからなのかもしれない。
コロナ災害についての子どもの声に耳を傾け、コロナに関する自然科学や、感染の歴史などの諸社会科学や心理学等々の知見を踏まえて、今起きている問題とこれからの自分達の課題を、大人と共に考えることが子どもを尊重することであり、避けてはいけない教育の課題ではないかと思うようになった。
しかし、一方に、それは小学生では無理、そんな難いことに子どもはのってこないという意見もある。そうだろうか。
これは、3.11を取りあげた教師たちの実践を引き継ぐことでもあり、数値で計れない人間としての生きた知性・教養、真正の学力になると思う。
以前、筆者はフランスのフレネ学校の幼稚園で、幼児が、一日の終わりに今日何をしたかを発表しあう場面を見学する機会があった。
教師達は落ち着かない子どもを両手に抱きょせながら、話す・聞く体制になるまでひたすら待つ。
やがて、子どもの話と応答がゆっくり始まっていく。その積み重ねが小学校中学年以降には見事に開花していた。
どんなことでも、話し方は拙くても、自分の思いを人に伝える・受けとる、この経験が、自分の意見を持って対話できる力となり、自治の力、市民としての力、そして民主主義の土台をつくるのだと思い知る機会であった。
これは今、教科書も、このような力を引き出すものであって欲しいと思う。
ここでは新検定教科書について「中学校教科書検討資料」(「社会科」と「特別の教科道徳」)と筆者の私見を交えて若干述べてみたいと思う。
◆ 道徳の教科書一子どもの思考の自由を尊重しているか
学習指導要領が、「価値を押し付けない・考える道徳」と強調しても、内容項目(徳目)は、「○○すること」と価値をおしつけ、教科書がそうなっているかを検定するのだから、教科書は徳目の枠内で考えさせているにすぎない。
道徳の教科書を改めて読んでみて、読み物題材の内容はもとより、それに付記した発問、学習後の自己評価欄、この3点セットが、子どもから思考と意見表明の自由を奪う装置としてあることを思い知らされた。
題材では、吉田松蔭、加納治五郎、陸奥宗光などを日本のために尽くした人物として取り上げ、“伊勢神宮~こころのふるさと~”として、神道の説明?と思ってしまうような内容に1頁を割く教科書もある(日本教科書)。
一方に、学習指導要領の制約のなかでも、子どもによりそう編集者の努力がみえる教科書もある。
いじめ問題で、個人と個人の関係の問題としてとりあげているのは2社(学研教育みらい・日本教科書)、個人間の間題に加えて、いじめを「する側」「される側」「周辺にいる側」と集団のあり方まで含めて考えさせているのは4社(東京書籍・教育出版・日本文教出版・あかつき)。
さらに人権や差別・偏見を生む原因などに目をむけさせているのは2社(教育出版・日本文教出版。東京書籍は人権という文字はあるがやや内容が薄い)である。
いじめを生む原因まで深めさせようとする視点は重要である。
発問の例は、全7社がとりあげている題材「二通の手紙」をみることにする(この題材は、動物園の入園終了時間や保護者同伴という決りを破って2人の子どもを入園させた元さんに停職処分が下される、元さんは、はじめ処分に疑問も感じたが、自分をみつめなおし、数十年働いてきた職場をはればれした気持ちで去るという話)。
この題材の核心は、「元さんがはればれした気持ちで職場を去る」にある。この行為への賛否等を話し合うことであれば考える価値がある。が、「元さんがはればれした気持ちで職場を去ることができた(去った)のは、なぜだろう」を4社(日本教科書・東京書籍・教育出版・あかつき)が発問の一つにしている。
この発問は、決りを守れなかったら職場を去ることは潔い行為・善であるという枠をはめた問題発問であると筆者は思う。
自己評価については、22の徳目ごとに、自分の態度や行動の達成度を4段階で記入させるという徳目の2重の押し付けに等しい評価項目を設けたり、さらに、「あなたの理想とする人間はどんな人ですか。現在何%近づいていますか」など、愚問ともいえる問いを記載している教科書(日本教科書)もある。
◆ 社会科の教科書=民主主義の学習になっているか
民主主義を学ぶ教科書は、客観的な科学が明示されていること、異なる見解がある事を知りそれを吟味すること、さらに、それと自分の関心や課題とつなげること、どこに問題があるかを探求しこれからの課題を発信していく等々の工夫がある教科書でありたいと筆者は考えている。
「日本国憲法の制定」の個所について歴史的分野(7社)の記述をみると、GHQの押しつけ論を記述したのは1社(育鵬社)で、他6社全ては、日本の民間の意見をとりいれてGHQがまとめた草案を議決したことを記述している。
できれば、押しつけ論も記述し思考を深める工夫が欲しかった。ただ、1社(学び舎)には、「この中で,国民主権が明記され、生存権が定められるなど、重要な修正が加えられ」と憲法の内容へ橋渡しをする貴重な記述がある。
「国民主権」の公民的分野の記述をみると“ふだんから政治に関心をもち、さまざま意見を検討し、自分なりに判断できるようになっておく、投票だけでなく、行政に意見をおくる”など、具体例をあげて意見表明を促す記述がある(東京書籍・帝国書院・日本文教出版にはあるが、教育出版・自由社・育鵬社にはない)。
できれば,自分達の関心ある自治や政治課題を例に、主権者として民主主義を実際、経験するしかけがあってもいいのではないかと思う。
「領土問題」について公民的分野では、相手国の主張も記載し平和的解決を記述しているのは3社のみ(東京書籍・帝国書院・日本文教出版)。
歴史的分野では4社(教育出版・帝国書院・日本文教出版・学び舎)が対話や平和的解決などを付記しているが他の3社(東京書籍・山川出版社・育鵬社)は政府見解のみ。
地理的分野では全4社(東京書籍・教育出版・帝国書院・日本文教出版)は政府見解のみ。
これは学習指導要領で、領土問題は政府見解を取りあげる事と規定し、厳密な検定が行なわれる事項であるからである。
子どもから多面的・多角的思考を奪うものでしかない。
学習指導要領で、政府見解の記述を指示し検定でそれを強制することは、学問の自由および教育基本法の「教育は不当な支配に服することなく」(第16条)に反する、非民主主義の典型である。
一方、2005年度以降、中学校の教科書で書けなくされた「慰安婦問題」は、2社(山川出版社・学び舎)が記述するという大きな変化があった。
今後、各授業で、そして全ての教科書で「慰安婦」について、異なる見解を吟味し子ども達が判断していく力にしたいものと思う。
◆ 今は採択に集中、その後は本質的課題の議論へ
今、コロナ災害による困難は縷縷あるが、当面は、最大限、民主的な教科書が採択される取組みに力を注いでいきたいものである。しかし、そこで止まってはならないと思う。
編集者の努力が尽くされている優れた教科書もあるが、学習指導要領の拘束と検定制度が邪魔をして、総じて、民主主義を学ぶ教科書としては多くの課題があるように思う。
そのためには、子ども・教師・教科書編集者・市民・研究者等を交えて日頃から教科書の検討に取り組んでいく必要があると思う。
『子どもと教科書全国ネット21NEWS 132号』(2020年6月15日)
◆ 中学校教科書検討資料集
~この内容を教科書展示会まで広げ、これからにつなげよう
鶴田敦子(つるたあつこ・子どもと教科書全国ネット21代表委員)
◆ 平和と子どもの権利の視点から
はじめに~子どもを尊重するということ
2月末、安倍首相の独断により全学校の休業要請が突如出されてからおよそ2ケ月半余の間、教師は子ども達に課題を出し、マスコミ等は子ども達へ室内で身体を動かす遊びや運動の動画を配信し、子どもを励ましてきた。
やがて、自分だけではできない課題がある、家に一日中居る場所がない等々、困っている子どもの様子も聞こえてきた。最近では、「子どもの学力が心配」という声も大きくなりつつある。
元気に過ごそうと呼びかけたり、平時に扱ってきた学力を求めることが、本当に、子どもを尊重していることなのだろうか、
新型コロナ災害(以下コロナ災害)の当事者でもある子どもを災害の外においているのではないか、子どもの学習の権利を保障するというその内実はどういうことなのか考え始めるようになった。
◆ 自分の思い・考えを伝えるカー民主主義の土台
今度のコロナ災害について、子どもはどう思い、何を知りたいと思っているか、子どもの考えを聞こうという声はあまり聞こえてこなかった。おそらく、これからなのかもしれない。
コロナ災害についての子どもの声に耳を傾け、コロナに関する自然科学や、感染の歴史などの諸社会科学や心理学等々の知見を踏まえて、今起きている問題とこれからの自分達の課題を、大人と共に考えることが子どもを尊重することであり、避けてはいけない教育の課題ではないかと思うようになった。
しかし、一方に、それは小学生では無理、そんな難いことに子どもはのってこないという意見もある。そうだろうか。
これは、3.11を取りあげた教師たちの実践を引き継ぐことでもあり、数値で計れない人間としての生きた知性・教養、真正の学力になると思う。
以前、筆者はフランスのフレネ学校の幼稚園で、幼児が、一日の終わりに今日何をしたかを発表しあう場面を見学する機会があった。
教師達は落ち着かない子どもを両手に抱きょせながら、話す・聞く体制になるまでひたすら待つ。
やがて、子どもの話と応答がゆっくり始まっていく。その積み重ねが小学校中学年以降には見事に開花していた。
どんなことでも、話し方は拙くても、自分の思いを人に伝える・受けとる、この経験が、自分の意見を持って対話できる力となり、自治の力、市民としての力、そして民主主義の土台をつくるのだと思い知る機会であった。
これは今、教科書も、このような力を引き出すものであって欲しいと思う。
ここでは新検定教科書について「中学校教科書検討資料」(「社会科」と「特別の教科道徳」)と筆者の私見を交えて若干述べてみたいと思う。
◆ 道徳の教科書一子どもの思考の自由を尊重しているか
学習指導要領が、「価値を押し付けない・考える道徳」と強調しても、内容項目(徳目)は、「○○すること」と価値をおしつけ、教科書がそうなっているかを検定するのだから、教科書は徳目の枠内で考えさせているにすぎない。
道徳の教科書を改めて読んでみて、読み物題材の内容はもとより、それに付記した発問、学習後の自己評価欄、この3点セットが、子どもから思考と意見表明の自由を奪う装置としてあることを思い知らされた。
題材では、吉田松蔭、加納治五郎、陸奥宗光などを日本のために尽くした人物として取り上げ、“伊勢神宮~こころのふるさと~”として、神道の説明?と思ってしまうような内容に1頁を割く教科書もある(日本教科書)。
一方に、学習指導要領の制約のなかでも、子どもによりそう編集者の努力がみえる教科書もある。
いじめ問題で、個人と個人の関係の問題としてとりあげているのは2社(学研教育みらい・日本教科書)、個人間の間題に加えて、いじめを「する側」「される側」「周辺にいる側」と集団のあり方まで含めて考えさせているのは4社(東京書籍・教育出版・日本文教出版・あかつき)。
さらに人権や差別・偏見を生む原因などに目をむけさせているのは2社(教育出版・日本文教出版。東京書籍は人権という文字はあるがやや内容が薄い)である。
いじめを生む原因まで深めさせようとする視点は重要である。
発問の例は、全7社がとりあげている題材「二通の手紙」をみることにする(この題材は、動物園の入園終了時間や保護者同伴という決りを破って2人の子どもを入園させた元さんに停職処分が下される、元さんは、はじめ処分に疑問も感じたが、自分をみつめなおし、数十年働いてきた職場をはればれした気持ちで去るという話)。
この題材の核心は、「元さんがはればれした気持ちで職場を去る」にある。この行為への賛否等を話し合うことであれば考える価値がある。が、「元さんがはればれした気持ちで職場を去ることができた(去った)のは、なぜだろう」を4社(日本教科書・東京書籍・教育出版・あかつき)が発問の一つにしている。
この発問は、決りを守れなかったら職場を去ることは潔い行為・善であるという枠をはめた問題発問であると筆者は思う。
自己評価については、22の徳目ごとに、自分の態度や行動の達成度を4段階で記入させるという徳目の2重の押し付けに等しい評価項目を設けたり、さらに、「あなたの理想とする人間はどんな人ですか。現在何%近づいていますか」など、愚問ともいえる問いを記載している教科書(日本教科書)もある。
◆ 社会科の教科書=民主主義の学習になっているか
民主主義を学ぶ教科書は、客観的な科学が明示されていること、異なる見解がある事を知りそれを吟味すること、さらに、それと自分の関心や課題とつなげること、どこに問題があるかを探求しこれからの課題を発信していく等々の工夫がある教科書でありたいと筆者は考えている。
「日本国憲法の制定」の個所について歴史的分野(7社)の記述をみると、GHQの押しつけ論を記述したのは1社(育鵬社)で、他6社全ては、日本の民間の意見をとりいれてGHQがまとめた草案を議決したことを記述している。
できれば、押しつけ論も記述し思考を深める工夫が欲しかった。ただ、1社(学び舎)には、「この中で,国民主権が明記され、生存権が定められるなど、重要な修正が加えられ」と憲法の内容へ橋渡しをする貴重な記述がある。
「国民主権」の公民的分野の記述をみると“ふだんから政治に関心をもち、さまざま意見を検討し、自分なりに判断できるようになっておく、投票だけでなく、行政に意見をおくる”など、具体例をあげて意見表明を促す記述がある(東京書籍・帝国書院・日本文教出版にはあるが、教育出版・自由社・育鵬社にはない)。
できれば,自分達の関心ある自治や政治課題を例に、主権者として民主主義を実際、経験するしかけがあってもいいのではないかと思う。
「領土問題」について公民的分野では、相手国の主張も記載し平和的解決を記述しているのは3社のみ(東京書籍・帝国書院・日本文教出版)。
歴史的分野では4社(教育出版・帝国書院・日本文教出版・学び舎)が対話や平和的解決などを付記しているが他の3社(東京書籍・山川出版社・育鵬社)は政府見解のみ。
地理的分野では全4社(東京書籍・教育出版・帝国書院・日本文教出版)は政府見解のみ。
これは学習指導要領で、領土問題は政府見解を取りあげる事と規定し、厳密な検定が行なわれる事項であるからである。
子どもから多面的・多角的思考を奪うものでしかない。
学習指導要領で、政府見解の記述を指示し検定でそれを強制することは、学問の自由および教育基本法の「教育は不当な支配に服することなく」(第16条)に反する、非民主主義の典型である。
一方、2005年度以降、中学校の教科書で書けなくされた「慰安婦問題」は、2社(山川出版社・学び舎)が記述するという大きな変化があった。
今後、各授業で、そして全ての教科書で「慰安婦」について、異なる見解を吟味し子ども達が判断していく力にしたいものと思う。
◆ 今は採択に集中、その後は本質的課題の議論へ
今、コロナ災害による困難は縷縷あるが、当面は、最大限、民主的な教科書が採択される取組みに力を注いでいきたいものである。しかし、そこで止まってはならないと思う。
編集者の努力が尽くされている優れた教科書もあるが、学習指導要領の拘束と検定制度が邪魔をして、総じて、民主主義を学ぶ教科書としては多くの課題があるように思う。
そのためには、子ども・教師・教科書編集者・市民・研究者等を交えて日頃から教科書の検討に取り組んでいく必要があると思う。
『子どもと教科書全国ネット21NEWS 132号』(2020年6月15日)
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