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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

教員が何もしない・抵抗しないということは、それだけで文科省や都教委の戦争教育に加担していることになる

2015年07月23日 | 日の丸・君が代関連ニュース
  《河原井さん根津さんらの「君が代」解雇をさせない会ニュースから》
 ◆ 今春の卒業式・入学式のたたかいと今思うこと
根津公子

 私たちは、卒業式・入学式で「君が代」不起立等の闘いをする教員を支援し、教員や保護者・生徒に向けてチラシまきなどの行動をしてきた。今春も、田中聡史さんの勤務する学校前で式当日の朝、チラシ配りをした。
 根津及び田中さんが勤務したあきる野学園では、卒業式の数日前に教員に配った。また、都立高校の卒業式では、解雇をさせない会の事務局メンバーも10校近くの学校に行き、都教委包囲首都圏ネット作成のチラシを配った。10・23通達以前を知らない教員がかなりの割合を占めるようになった学校現場で、「日の丸君が代」を過去の問題にしない働きかけが大事と思うからだ。
 都教委に対する要請や抗議については、他の団体個人に広く呼びかけて行ってきた。以下、その報告と考えることを述べたい。
 ■ 卒業式・入学式ともに「君が代」不起立を貫いた田中聡史さんに2回の「減給1/10 1ヶ月」処分
 2011年入学式以降毎回不起立を現認されてきた田中聡史さんは、今年の卒業式(板橋特別支援学校)・入学式(石神井特別支援学校)の「君が代」不起立でそれぞれ、減給1/10 1ヶ月処分を受けた。2011年から2012年までは戒告を3回、2013年からは減給1/10 1ヶ月の処分を6回受け、累計9回の処分となった。
 この間、減給及び一時金の減額だけではなく、定期昇給も一切ない
 この4月、田中さんはたった3年で板橋特別支援学校から石神井特別支援学校に異動となった。当然、希望しての異動ではなく、「君が代」不起立に対する嫌がらせである。
 ■ 東京では卒業式・入学式ともに「君が代」不起立は1名
 「君が代起立・斉唱する義務は教員にはない」と判じた難波判決(2006年9月東京地裁)を受けて、田中さんは「君が代」起立命令を拒否してきた。しかし、毎年不起立を現認されずに来て、2010年卒業式でも不起立を現認されなかったので、彼は不起立した旨のメールを、各教員に貸与された学校のパソコンから都教委に送った。
 そして、2011年入学式で都教委の監視の下、不起立が副校長によって現認され、戒告処分を受けた(都教委にとっては田中さんだけでなく、校長・副校長に監視させることも大事な仕事なのだ)。
 「不起立をゼロにしてはいけない」。その思いが田中さんには強かった。予言したかのように、この時の不起立処分は、田中さん一人だった。以降、2012年、13年の入学式でも不起立は田中さんのみ。そして今年は、卒業式・入学式ともに不起立は田中さん一人だった。
 ■ 「不起立0」と「不起立1」の大きな違い
 今年の卒業・入学式まで「不起立0」にならなかったのは、田中さんの不起立があったからに他ならない。都教委にしてみれば、田中さんさえいなければ、「日の丸・君が代」に反対する教員は一掃できた、ということになる。「君が代」問題はほぼ片づいたはずだった。
 「日の丸・君が代」に反対し行動している私たちにとっては、現場に抵抗闘争がなくては「外野席」から訴えても、入々に受け止めてはもらえないのも事実だ。田中さん一人に「重荷」を背負わせることになってはいけない。そこには注意しつつ、現実を思う。
 抵抗する人が存在することで、人は考える機会を得る。そして、後に続こうとする人が現れる。「不起立1」と「不起立0」には大きな違いがあると思う。私はこのことを、特にこの1、2年強く感じてきた(ニュース52号「報告田中伸尚さん講演なぜ〈抵抗〉を書き続けるのか」を参照ください)。
 そして、2011年当時、「不起立をゼロにしてはいけない」と田中さんが言ったことの意味をいま、痛切に感じている。
 ■ 戦争に向かう政治状況の中、仕事の中でそれに抵抗することの意味
 日米防衛協力ガイドラインを改定し、戦争法案を成立させ、辺野古新基地建設を強行する安倍政権は、学校教育の乗っ取りにも猛スピードで突進している。
 社会科の教科書検定基準に「政府見解」を書くことを義務付け、また、2018年度からは道徳の教科化を始める。学習指導要領を改定し、教科書作成までに3年かかるため、教科化は18年度開始なのだが、文科省は先取り実施も検討していると聞く。
 「日の丸・君が代」について、「…指導するものとする」と1989年に改定した学習指導要領を、「3年後の実施」を待たずして89年から前倒し実施したのと同じだ。
 戦後一貫して国が行ってきた「日の丸・君が代」反対への攻撃と弾圧は、「教え子を戦場に送る」教育の第一歩であり、それに反対する闘いは「教え子を再び戦場に送らない」(注)闘いであった。ここに至って、そのことが一層鮮明になった。
 「君が代」不起立は、「日の丸・君が代」強制のもとで、その教員が考え選択した行動を子どもや保護者に目に見える形で示す、大事な一つの教育行為だと思う。
 仕事として戦争協力を求められることに、今こそ、仕事として抵抗し主張していくことが求められている。
 「日の丸君が代」攻撃のハードルを越えずして、これから矢継ぎ早に来るであろう攻撃の、高いハードルを越えることはできないのではないだろうか。
(注)「教え子を再び戦場に送らない」は、戦前戦中、子どもたちを戦争に駆り出す国策教育に加担してきた自責の念から、戦後その過ちを繰り返さないと決意した教員たち・日教組のスローガンである。日教組が闘わなくなった今もスローガン自体は、取り下げられてはいない。
 世取山洋介・新潟大准教授は、「日の丸君が代」を人々の間で意見の分かれる「論争的主題」と言い、教員が「君が代」不起立をすることについて次のように明快に言う。
 「子どもの非宗教的良心の形成を促進するという観点から見て、論争的主題を教える場合の教師の責任は、①論争的主題を子どもに提示するタイミングを見極め、②論争的主題を論争的主題足らしめている、基準の多様性と基準間の関係の複雑さを教え、③「良心」の機能が、論争的主題に直面してある特定の行為をとることを自らに命じることにあることを教え、かつ、④自らの判断の内容とそれに従ったヒ行動を子どもの目の前でとり、「良心」の機能を実物で子どもに示し、子どもに「良心」の機能の範例を示すということに求められる。」
 ④については、「人格的感銘を伴う教育となる」とも言う。

 私は「君が代」不起立を続ける中、私の不起立や校門前での停職出勤を見ることによって子どもたちが思想・良心の自由、表現の自由、抵抗権の行使を学んだことを実感してきたから、世取山さんのこの主張にまったく同感だ。
 間違っていると思うことを指示・命令された時に、指示命令に従ってしまうか、抵抗するかは人が生きる上で最も大事なことの一つ。子どもたちには学校教育の中でしっかり学ばせたいことだ。
 ■ 田中さんに対する「服務事故再発防止研修」に抗議の声を
 すでに4月3日に卒業式での、5月13日に入学式での「君が代」不起立に対する、教育センターに呼び出されての「服務事故再発防止研修」が田中さんに対して強行された。都教委は2012年最高裁判決直後から「服務事故再発防止研修」を内容、回数とともに異常なまでに悪質強化させ、半年間にわたり20回近くの「研修」に名を借りた思想転向・反省を迫る。
 一昨年は9月まで19回、昨年は10月まで18回の「服務事故再発防止研修」が田中さんに対し強行された。今年も6月からは毎月1回、都教委が田中さんの勤務校に来て行う「服務事故再発防止研修」(「訪問研修1」という)が強行されるはずだ。6月は12日に強行された。
 これに対しても私たちは都教委に中止を求め、あるいは抗議の行動を組んでいくつもりだ。「服務事故再発防止研修」は「センター研修」「訪問研修」のほかに、校長が講師となっての研修もあり、田中さんはこれも受講させられる。
 ■ 校長が揚げた「日の丸」を降ろした中学生のこと
 私の記憶から抜けていたことにはっとしたのは、2月に木村さん(大阪府立高校2013年度卒業生)(注)に来ていただいた当会の集会で、そこに参加された池添徳明さん(ジャーナリスト)の姿を目にしたときだった。突然に記憶が呼び戻されたのだ。
(注)ご自身の卒業式の朝、「君が代起立はできない」との思いを書いたチラシを配り、「君が代」不起立をした。詳細は9,10ページを参照ください。
 記憶から抜けていたこと、それは…。
 池添さんが書かれた「ルポ 教育の曲がり角ある少女の転校」(週刊金曜日1996.8,30)だ。神奈川県のある公立中学校で校長が揚げた「日の丸」を2年生の女生徒が降ろした。陰では、「僕たちがやらなかったことをよくやってくれた」「応援しているよ」などとこの生徒を励ます教員たちは、校長の前では沈黙したまま。何もしない先生たちの無責任さが彼女にはショックだった。「信頼できる先生が一人もいない。そんな先生に教えてもらうのはいやだ」。そして約1か月後、彼女は転校した。
 「信頼できる先生が一人もいない」からこの生徒は転校した。木村さんは、「一人ひとりの思いを考えてくれた先生がいたから『君が代』不起立ができた」と話された。
 この2事例から教員が学ぶことは大きい。いや、学ばなければいけないと思う。「日の丸君が代」強制の中で、教員はどうあるべきかを主張される世取山さん論とぴったり符合する。
 さらに先日、久しぶりに「ゆんたんざ沖縄」(西山監督)を観た。
 1987年、沖縄国体に合わせ、文部省が沖縄に『日の丸』掲揚をごり押したとき、読谷高校では一人の生徒が、校長が揚げる「日の丸」を奪った。その生徒に向かって校長は、「成年だったら犯罪だ」と言った。校門の前には「『日の丸・君が代』の強制反対(あるいは、「日の丸掲揚反対」)読谷高校分会」との立て看板が立っていた。にもかかわらず、教員たちは校長の行為を静観し追認したのだ。
 一方、「君が代」不起立停職処分を受ける中、私には「弾圧に負けずに行動する根津の姿から学んだ」と言ってくれる生徒たちがいた。
 翻って考えれば、教員が何もしない・抵抗しないということは、「抵抗するな」と子どもたちに教えることに等しい。それだけで、文科省や都教委の戦争教育に加担しているのだ。そのことを教員は意識してほしい。
 強い言葉とわかりつつ、「教え子を再び戦場に送らない」ように、率直な思いを記した。こう考える者もいると受け取ってほしい。
『河原井さん根津さんらの「君が代」解雇をさせない会ニュース No.54』(2015年6月24日)
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