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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

板橋高校卒業式事件・顛末記<28>

2011年01月10日 | 板橋高校卒業式
  ★ 立川、葛飾に続く「言論表現の自由」圧殺を許すな! ★
  最高裁は「表現そのものを処罰すること」の憲法適合性を判断せよ!

  ■□■ 第8回最高裁要請行動1月28日(金)10:15最高裁東門集合 ■□■
 ◎ 板橋高校卒業式事件・顛末記<28>

「オシドリとカモ」 《撮影:佐久間市太郎(北海道白糠定、札幌南定、数学科教員)》

 一審判決が出た。 罰金20万円である。
 検察の求刑は懲役8か月という異様なものであった。

 有罪の理由として、「教頭の制止にもかかわらず」との誤った事実認定が読みあげられていく。
 私は、「それは違う」と言った。
 裁判長・村瀬均は一瞬読み上げを中断しすぐに続けた。
 私は、再度、「それは違う」と言った。
 彼は、無視して読み上げて行く。
 三度目、「それは違う」と言った時、村瀬は、「退場させますよ」とこっちを向いた言った。
 卒業式会場を来賓で行って退場させられ、今度は地裁法廷に被告で行って退場させられる。
 「聞くに耐えない」と言って、「退場」しようかとの考えが一瞬頭を過ぎったが、黙然と着座を続けた。
 我ながら、情けなくなったものだ。

 「退場命令」に抗議し続けたら、どうなっていたのであろうか。
 廷吏によって、力づくで退場させられどこかに留置されるのであろうか。
 出廷しないと暴力的に法廷に出され、裁判途中で「退場」を命じられ抗うと暴力的に退場させられる、
 これが裁判というものなのであろう。

 法廷秩序維持法というような名の法律があるという。
 法秩法とでも言うのか。 この場合、裁判長がすべてを即決で決定する権限を有する。
 反論もできない、弁護士もつけられない、即決裁判での拘置の決定であるようだ。
 啓蟄なら趣あるが、法秩とは恐ろしきものよ。

 公判当初からから裁判の進行に興味を失せてしまっていた。
 真剣に考えるとノイローゼになる。 不眠に陥る。

 第一回冒頭、沢藤弁護士は警備の過剰さを問題として発言した。
 尾山弁護士は、「検察の言う、威力業務妨害の時間は、いつからいつまでか?」との質問を浴びせた。
 裁判長は黙して無視した。 検察はもとより何も答える様子を見せなかった。
 尾山氏はひとり切り込んで、誰からも反撃・援護なく無視されてしまったのである。
 法廷闘争は最初の瞬間に消滅したと考えるのが、この裁判の特色であったと思う。

 検察は、起訴することによって、卒業式で何らかの形で抵抗すると懲役にするぞと、「F」を「みせしめ」として世間に晒したのである。
 その意味では検察は求刑することによってすでに勝利を収めていた。
 まして「無罪」でないなら、御の字である。
 彼らは、一審無罪であっても控訴審でひっくり返す絶対の構造的自信を有している。

 何のために地方出張の際に、地元の銘酒を購入して裁判官に贈っているのか、何のために検察の裏金で裁判官を接待しつづけているのか、結果が明瞭に示しているではないか。
 後の控訴審では、検察官はまったくやる気がなかった。
 職務怠慢も限りなしの感で、高裁の検事なら市民誰でも、明日からでも勤まる。

 荒川氏に聞いたら、葛飾事件でも滅茶苦茶であったという。
 検察官やる気全く見せないで、3,4回の審理で一審無罪を逆転させた。
 検察バッジ「秋霜烈日」が聞いて呆れる。 「暖衣飽食」バッジでもデザインして今後身につけるべしとの感慨を抱く。
 裁判長・村瀬均は前述したように直近で新宿のホームレスの威力業務妨害罪で「無罪」を出して、高裁・最高裁により掣肘されているだけに、「無罪判決」を出す余地はまったくなかったのである。
 罰金、20万円とはそれなりの彼の良心の表明ではあるが、人を罪に落して良心も糞もない。
 地裁・次席らしいが出世していくのであろう。

 裁判でさらしものにし、判決も出たので、ネットの世界では大量の誹謗中傷が書き込まれた。
 2ちゃんねるの世界である。
 この掲示板は基本的に対象を批判、揶揄、中傷、晒しあげ、リンチ・・・をする情念を持っている者の多くが書き込んでいる。
 それと同時に、自民党ネット対策班、公安、右翼関係者、宗教組織・・・が組織的に書きこんでくる。
 いわゆる工作員である。

 別に、専門領域の意見交換の場でもある。
 わたしは、約3000の書き込みを読んだ。 
 その中で記憶に残っているのは、「懲役 8月」の求刑について、「おー、夏の8月だけ刑務所に入れるんだ! 暑いだろう!」なる主旨の書き込みがあった。
 検察は、「懲役8か月」とは言わない。 8か月を、「はちつき」と言い、「8月」と書く。
 「なに格好つけてんじゃねえよ」と思う。

 ほかにも、何ページと言わずに、何丁という。 実にくだらない。
 検察官を志望する連中の性格分析を誰か試みてくれないだろうか。
 聴取した人が自殺でもしたら、気の弱い私なんかすぐ辞めたくなるがどうなのだろうか。
 判決言い渡しが何事も無く終了して、弁護士会館の一室に被告と弁護団が集合した。
 私は言った。 「もうやめた」と。 控訴しないと言うことである。
 O女史が沢藤氏に言った。 「ここはきちんと言わなければなりませんよ」と。
 沢藤氏はこう言った。 「やめることは、日本の民主主義に対する裏切りになる」「やめるのは、いつだって出来る」と。
 私は、この公判を通してなかば腑抜けとなっていた。 「どうでもいいや」という感じである。
 かくして、「即日控訴」が決定された。

 今にして思うと、「懲役」だろうと何だろうと構うことなく、徹底的に証人を糾弾し、多くの証人申請をし、「ICレコーダー」の偽造を主張し戦った方がすっきりしたと思う。
 なにせ初体験というのは、無様なものだ。
 のちに2回目以降法廷に来なくなった尾山氏が、「何で、土屋を呼ばなかったの?」と聞いてきたとき、そうだ、奴を証人に喚問して徹底的に吊るしあげるべきだったと臍を噛んだのである。
 われながら、自分が自己確立のないお粗末君であったと総括するしかない。

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