◆ 君が代不起立裁判、大阪高裁も元教諭の処分取り消さず
「起立強制は調教教育」認めず (金曜アンテナ)
卒業式で君が代を起立斉唱しなかったとして大阪市教育委員会から戒告処分を受けた元中学校教諭の松田幹雄(まつだみきお)さん(67歳)が処分の取り消しを求めた裁判(7月7日号参照)の控訴審判決が7月27日に大阪高裁(阪本勝(さかもとまさる)裁判長)であり、一審の大阪地裁判決を維持して処分取り消し請求を棄却した。
判決は原告側の「君が代の起立斉唱を強制する儀式は子どもの人権を侵害する『調教教育』だ」との主張を「調教教育と評価されるものでもない」として認めなかった。
「君が代強制は子どもの権利条約違反だ」
「君が代処分は国際自由権規約違反だ」。
控訴人(一審原告)の松田さんと支援者ら約30人は控訴審判決前、裁判所を1周するデモをしてシュプレヒコールで気勢を上げた。
だが判決では阪本裁判長が「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする」と主文を読み上げただけで、わずか数十秒で法廷から姿を消した。
原告の松田さんは2015年3月、勤務していた大阪市立中学校の卒業式で君が代の起立斉唱をしなかったため、教職員の起立斉唱を義務づけた大阪市国旗国歌条例や職務命令に違反したとして市教育委員会から戒告処分を受けた。
処分の取り消しを求める訴えを大阪地裁に起こしたが、同地裁は22年11月の判決で「市教委に裁量権の逸脱や濫用(らんよう)はなく、違法ではない」として原告の請求を棄却した。
原告側の主な主張は、君が代の起立斉唱を強制ずる市条例や職務命令が
①原告の思想に反する行動を命じるもので思想・良心の自由を侵害し、憲法に違反する、
②生徒に君が代の意味や歴史を教えず起立斉唱を命じるのは国歌を敬愛すべきだとの思想を刷り込む「調教教育」であり、子どもの権利条約に違反する、
③すべての人は思想・良心・宗教の自由についての権利を有するという国際目由権規約18条に違反する、
という3点。
◆ 国連所見への評価は回避
一審判決は①について、君が代の起立斉唱は「慣例上の儀礼的な所作」で思想・良心の自由を「間接的に制約する」ことはあっても許容されると述べ、最高裁判決を参照した。
これに対し原告側は控訴審で「直接制約であって許されない。原判決の依拠する判例理論は技巧的である」との主張を補充したが、二審判決は「技巧的であるとする主張は、最高裁判決の判示を正解しないもの」と退けた。
②の「調教教育」ついて一審判決は、原告が自らの法律上の利益と関係のない子どもの権利条約違反を主張するものであり「主張自体失当である」とし、「調教教育」についての判断を避けた。
二審判決は、式典での国歌の起立斉唱は「慣例上の儀礼的な所作」であり、このことは教員だけでなく式典に参加する生徒の立場に立っても同様に評価することができるから、生徒に対し特定の思想などを押しつける「調教教育と評価されるものでもない」との判断を示した。
③の自由権規約18条について一審判決は、職務命令が原告の思想・良心・宗教の自由を侵害するとはいえないから同条に違反するということはできないと判示した。だが、この一審判決が言い渡される直前の昨年11月、国連の自由権規約委員会は、君が代不起立不斉唱の教員が最長で6カ月の停職処分を受けたことを懸念し、自由権規約18条の内容を制限する行動を控えるべきだとする総括所見を公表。
今回の二審では同委員会の総括所見が出て初めての裁判所の判断が示されるかどうか注目されたが、判決は自由権規約18条に違反しないとした一審の判断をそのまま説示して「自由権規約委員会の総括所見によっても、この結論は左右されない」と述べ、総括所見そのものへの評価は避けた。
二審判決について松田さんは「起立斉唱は慣例上の儀礼所作だからそれを生徒に求めたからといって調教教育とは言えないとする判決だ。慣例上の儀礼所作を教員だけでなく生徒の起立斉唱の説明に用いたのは、君が代不起立裁判では初めてではないか。これまでの裁判所の見解を踏み越えたもので今後の重要な論点になる」と指摘。
8月8日に最高裁へ上告した。
平野次郎・フリーライター
『週刊金曜日 1437号』(2023.8.25)
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