◎ 「日の丸」の揚げ降ろし事件に関する同僚と保護者の証言
本件一審判決は、2012年1月の最高裁判決の私に関する判示部分をそのまま踏襲し、私の「君が代」不起立について、「過去の処分歴」の理由となった諸行為は積極的妨害であり、「学校の規律と秩序」を害したとして停職6か月処分を適法としました。
結審にあたり、過去の処分歴の中でも特に問題とされた、1994年3月の卒業式の朝、校長が職員会議の決定を反故にして揚げた「日の丸」を私が降ろした件について、人事委員会審理における同僚と保護者の証言(1995年7月5日甲483号証)を紹介して事実を述べます。
裁判官の皆様には、真の事実をしっかり把握し、「学校の規律と秩序」を害したのは私なのか校長なのかを再考していただきたいと思います。
まず、経過を簡単に述べます。
卒業式当日の朝、私を含む数人の教員が職員会議の決定を守るように校長に最後の説得をしていた中、校長は聞く耳を持たず「日の丸」を抱え自席を立って走り出し、校庭のポールに「日の丸」を揚げ始めました。
校長が揚げていることに気づいた生徒たちが、教室の窓から「校長先生揚げないで」「校長先生、降ろして」と叫んでいるのに、校長はそれが聞こえないかのようにして「日の丸」を揚げ、揚げ終わると校舎に入って行ってしまったので、生徒たちは「根津先生、降ろして」と言いました。この間、私たちは校長の後を追い説得を続けていたのです。
私は、生徒たちの声を無視するわけにはいかない、私が降ろさなければ生徒が降ろしてしまうだろうと思い、「日の丸」を降ろしました。生徒たちから「根津先生、ありがとう」の声がたくさん返ってきました。
降ろした「日の丸」を校長室に届けると、校長は再び「日の丸」を揚げに走り、揚げて校舎に入ってしまいました。生徒たちの「校長先生ひどい」「鬼だ」「降ろせよ」という怒号の中を、です。私は再び「日の丸」を降ろさざるを得ませんでした。
その「日の丸」は、校庭に出てきた3年生の男子生徒がその場で破いてしまいました。
ここで、私と同じ学年所属であった同僚のAさんと卒業生の保護者であったBさんの人事委員会での証言を、3点にわたり紹介します。証言録は一審で証拠に出しています。
まず1点目。校長が「日の丸」を揚げたときの生徒の様子について、Aさんは次のように証言しました。Aさんは、組合には所属していない人でした。
「生徒たちはみんな窓から顔を乗り出して、鈴なりというような状態で、校長先生、やめてくれとか、日の丸をおろしてとか、校長、やめうとか、根津先生、おろしてとか、中には、泣いているような、叫び声のような声に聞こえました。」
Bさんはお子さんから聞いた話として、次のように証言されました。
「日の丸についてはいろいろ子供達も真剣に考えておったようで、日の丸を外で揚げたときに、各教室ではかなり強い抗議の声が飛んでいたようです。うちの息子のクラスからも、それからほかの教室からも抗議の声が飛んでおりまして、うちの息子も無理して日の丸を揚げるべきじゃないというふうに考えておったようです。」
2人の証言から、校長が「日の丸」を揚げたことに対し、生徒たちの抗議の声が大きかったことがお分かりかと思います。
2点目。生徒たちが「日の丸」についてどう考えているかについて、Aさんは次のように証言しました。
「卒業式のときの子供たちの様子とか、…校長先生、揚げるのやめてとか、おろしてとか、根津先生おろしてとか、あとは、私が学活へ行ったときに、先生はなぜおろさないのとか、…子供たちから聞かれますし、そういう様子から、日の丸についてはいろいろ考えているんじゃないかというふうに思います。」「(石川中では)3年生の修学旅行は広島に行くことになっています。そのための準備として、1年生のときから、被爆された方とか、いろんな方に来てもらって、講演会をしたり、あといろいろな資料をもとに勉強会とかをしてます。そういう・・・勉強を通して子供たちは平和ということについて自分なりの考えを、私なんかよりもずっと深く考えているように思います。」
校長に対する生徒たちの抗議は、一時的な興奮や群集心理からのものではなく、歴史の事実をもとに考え判断した結果であったことがわかると思います。
3点目。校長が職員会議の決定を反故にしたこと、及び、それについて事前にも事後にも生徒や保護者に説明し理解を求めなかったこと、生徒たちを大事にしなかったことについては、次のように証言しています。
まずは、Aさん。「1つは、…校長さんは『あげたいから揚げる』、それでもし混乱したならば、PTAの人にやってもらうから揚げます。混乱が起きても揚げるといったこと・・・教育者として、一番大切に考えなきゃいけないことは生徒のことだと思うんですが、・・・そのことよりもとにかくあげるんだということを優先したことが残念でした。/2つ目は、いまだに子どもたちは校長さんがなぜああまでして日の丸をあげるんだろうという意味がわかっていないようです。学校ですから、何かするには必ず教育的な意味がないといけないんですが、それが子供たちには全く伝わってなく、そういう状況はよくないと思ってたんで、校長さんに何度か(生徒に説明をしてほしいと)お願いはしたんですが、それがされないまま、・・・ということがとても残念です。」と。
次にBさんの証言です。「職員会議で日の丸は揚げないということが決まっておったというふうに聞いております。当然、そういう決定が行われたことに対して、揚げるわけですから、そこまでのことをやるんでしたら、事前に私どもにも、・・・しかるべき説明があって当然だろうなというような感じを持っております。・・・職員会議の多数の決定がありながら、なお校長先生が日の丸を揚げるとすれば、何らかの混乱が発生するということは、校長先生として想像できただろうと思います。/だとすれば、当然当該卒業生を抱える僕らに対して、それなりの説明が事前にあってしかるべきと…思っております。」
証言に立たれたBさんだけでなく、ほかの保護者も多数が校長に対し同じような疑問や批判を持っていました。
その点について、Aさんは次のように証言しました。
「このことがあった年の…1学期の終わりの保護者会(で)、・・・卒業式のことについて聞かれました。・・・学校ではちゃんと子供たちに説明があったのですかと・・・。それで、私としては、校長さんにお願いしたこともあるんですが、全校生徒に対する説明はまだされていないんです・・・というふうに保護者の方には話しました。/そういう話をしたところ、やっぱり大切なことなんで、校長さんにはちゃんと話をしてもらいたいという親からの強い要望を受けました。」
Aさんが証言したことは、石川中職員の共通した思いでした。
Aさんが証言台に立ったのは、ややもすると、「日の丸・君が代」に反対するのは教職員組合員と捉えられがちな状況にあって、組合員ではない人の証言の方が石川中職員の共通した思いを伝えることができるのではないかと、同僚たちが考えたからでした。
2人の証言を見れば、石川中の職員及び保護者は、校長の行為が事後指導を含めて教育に反する行為、民主主義に反する行為であると受け止めていたことがわかると思います。このことからも、「石川中学校の規律と秩序」を壊したのは校長であることが導き出されます。
私が「日の丸」を降ろしたのは、「日の丸」に反対だからではありませんでした。教育委員会の「指導」に従うことを最優先し目の前にいる生徒は犠牲にする、そのような校長の行為を看過したら、石川中の民主主義、生徒を大事にする学校が壊れると思ったからです。
子どもたちの声を聴き、教職員みんなが真剣に考え、議論した結果に基づいて教育に当たるという、「石川中学校の規律と秩序」を護るためでした。
一審判決が言う「学校の規律と秩序」とは、職員会議の決定と子どもたちの気持ちを無視てして「日の丸」掲揚に走った校長の行為を絶対視するものです。
また、一審判決は、「子どもの教育が教師と子どもとの直接の人格的接触を通じ、その個性に応じて行われなければならないという本質的要請」(旭川学テ事件最高裁判決)を正しく理解していないと思います。
裁判官の皆様にこの2点をしっかり見ていただきたく、以上、陳述しました。
2015年3月26日
控訴人 根津公子
控訴人 根津公子
本件一審判決は、2012年1月の最高裁判決の私に関する判示部分をそのまま踏襲し、私の「君が代」不起立について、「過去の処分歴」の理由となった諸行為は積極的妨害であり、「学校の規律と秩序」を害したとして停職6か月処分を適法としました。
結審にあたり、過去の処分歴の中でも特に問題とされた、1994年3月の卒業式の朝、校長が職員会議の決定を反故にして揚げた「日の丸」を私が降ろした件について、人事委員会審理における同僚と保護者の証言(1995年7月5日甲483号証)を紹介して事実を述べます。
裁判官の皆様には、真の事実をしっかり把握し、「学校の規律と秩序」を害したのは私なのか校長なのかを再考していただきたいと思います。
まず、経過を簡単に述べます。
卒業式当日の朝、私を含む数人の教員が職員会議の決定を守るように校長に最後の説得をしていた中、校長は聞く耳を持たず「日の丸」を抱え自席を立って走り出し、校庭のポールに「日の丸」を揚げ始めました。
校長が揚げていることに気づいた生徒たちが、教室の窓から「校長先生揚げないで」「校長先生、降ろして」と叫んでいるのに、校長はそれが聞こえないかのようにして「日の丸」を揚げ、揚げ終わると校舎に入って行ってしまったので、生徒たちは「根津先生、降ろして」と言いました。この間、私たちは校長の後を追い説得を続けていたのです。
私は、生徒たちの声を無視するわけにはいかない、私が降ろさなければ生徒が降ろしてしまうだろうと思い、「日の丸」を降ろしました。生徒たちから「根津先生、ありがとう」の声がたくさん返ってきました。
降ろした「日の丸」を校長室に届けると、校長は再び「日の丸」を揚げに走り、揚げて校舎に入ってしまいました。生徒たちの「校長先生ひどい」「鬼だ」「降ろせよ」という怒号の中を、です。私は再び「日の丸」を降ろさざるを得ませんでした。
その「日の丸」は、校庭に出てきた3年生の男子生徒がその場で破いてしまいました。
ここで、私と同じ学年所属であった同僚のAさんと卒業生の保護者であったBさんの人事委員会での証言を、3点にわたり紹介します。証言録は一審で証拠に出しています。
まず1点目。校長が「日の丸」を揚げたときの生徒の様子について、Aさんは次のように証言しました。Aさんは、組合には所属していない人でした。
「生徒たちはみんな窓から顔を乗り出して、鈴なりというような状態で、校長先生、やめてくれとか、日の丸をおろしてとか、校長、やめうとか、根津先生、おろしてとか、中には、泣いているような、叫び声のような声に聞こえました。」
Bさんはお子さんから聞いた話として、次のように証言されました。
「日の丸についてはいろいろ子供達も真剣に考えておったようで、日の丸を外で揚げたときに、各教室ではかなり強い抗議の声が飛んでいたようです。うちの息子のクラスからも、それからほかの教室からも抗議の声が飛んでおりまして、うちの息子も無理して日の丸を揚げるべきじゃないというふうに考えておったようです。」
2人の証言から、校長が「日の丸」を揚げたことに対し、生徒たちの抗議の声が大きかったことがお分かりかと思います。
2点目。生徒たちが「日の丸」についてどう考えているかについて、Aさんは次のように証言しました。
「卒業式のときの子供たちの様子とか、…校長先生、揚げるのやめてとか、おろしてとか、根津先生おろしてとか、あとは、私が学活へ行ったときに、先生はなぜおろさないのとか、…子供たちから聞かれますし、そういう様子から、日の丸についてはいろいろ考えているんじゃないかというふうに思います。」「(石川中では)3年生の修学旅行は広島に行くことになっています。そのための準備として、1年生のときから、被爆された方とか、いろんな方に来てもらって、講演会をしたり、あといろいろな資料をもとに勉強会とかをしてます。そういう・・・勉強を通して子供たちは平和ということについて自分なりの考えを、私なんかよりもずっと深く考えているように思います。」
校長に対する生徒たちの抗議は、一時的な興奮や群集心理からのものではなく、歴史の事実をもとに考え判断した結果であったことがわかると思います。
3点目。校長が職員会議の決定を反故にしたこと、及び、それについて事前にも事後にも生徒や保護者に説明し理解を求めなかったこと、生徒たちを大事にしなかったことについては、次のように証言しています。
まずは、Aさん。「1つは、…校長さんは『あげたいから揚げる』、それでもし混乱したならば、PTAの人にやってもらうから揚げます。混乱が起きても揚げるといったこと・・・教育者として、一番大切に考えなきゃいけないことは生徒のことだと思うんですが、・・・そのことよりもとにかくあげるんだということを優先したことが残念でした。/2つ目は、いまだに子どもたちは校長さんがなぜああまでして日の丸をあげるんだろうという意味がわかっていないようです。学校ですから、何かするには必ず教育的な意味がないといけないんですが、それが子供たちには全く伝わってなく、そういう状況はよくないと思ってたんで、校長さんに何度か(生徒に説明をしてほしいと)お願いはしたんですが、それがされないまま、・・・ということがとても残念です。」と。
次にBさんの証言です。「職員会議で日の丸は揚げないということが決まっておったというふうに聞いております。当然、そういう決定が行われたことに対して、揚げるわけですから、そこまでのことをやるんでしたら、事前に私どもにも、・・・しかるべき説明があって当然だろうなというような感じを持っております。・・・職員会議の多数の決定がありながら、なお校長先生が日の丸を揚げるとすれば、何らかの混乱が発生するということは、校長先生として想像できただろうと思います。/だとすれば、当然当該卒業生を抱える僕らに対して、それなりの説明が事前にあってしかるべきと…思っております。」
証言に立たれたBさんだけでなく、ほかの保護者も多数が校長に対し同じような疑問や批判を持っていました。
その点について、Aさんは次のように証言しました。
「このことがあった年の…1学期の終わりの保護者会(で)、・・・卒業式のことについて聞かれました。・・・学校ではちゃんと子供たちに説明があったのですかと・・・。それで、私としては、校長さんにお願いしたこともあるんですが、全校生徒に対する説明はまだされていないんです・・・というふうに保護者の方には話しました。/そういう話をしたところ、やっぱり大切なことなんで、校長さんにはちゃんと話をしてもらいたいという親からの強い要望を受けました。」
Aさんが証言したことは、石川中職員の共通した思いでした。
Aさんが証言台に立ったのは、ややもすると、「日の丸・君が代」に反対するのは教職員組合員と捉えられがちな状況にあって、組合員ではない人の証言の方が石川中職員の共通した思いを伝えることができるのではないかと、同僚たちが考えたからでした。
2人の証言を見れば、石川中の職員及び保護者は、校長の行為が事後指導を含めて教育に反する行為、民主主義に反する行為であると受け止めていたことがわかると思います。このことからも、「石川中学校の規律と秩序」を壊したのは校長であることが導き出されます。
私が「日の丸」を降ろしたのは、「日の丸」に反対だからではありませんでした。教育委員会の「指導」に従うことを最優先し目の前にいる生徒は犠牲にする、そのような校長の行為を看過したら、石川中の民主主義、生徒を大事にする学校が壊れると思ったからです。
子どもたちの声を聴き、教職員みんなが真剣に考え、議論した結果に基づいて教育に当たるという、「石川中学校の規律と秩序」を護るためでした。
一審判決が言う「学校の規律と秩序」とは、職員会議の決定と子どもたちの気持ちを無視てして「日の丸」掲揚に走った校長の行為を絶対視するものです。
また、一審判決は、「子どもの教育が教師と子どもとの直接の人格的接触を通じ、その個性に応じて行われなければならないという本質的要請」(旭川学テ事件最高裁判決)を正しく理解していないと思います。
裁判官の皆様にこの2点をしっかり見ていただきたく、以上、陳述しました。
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