◎ 「教育の自由」は「教育活動の命」です
(1)「教育の自由」を実践していた校長の発言:
「私は職務命令は出しません。学校に教育に職務命令はなじまない。議論して議論してお互いに結論をみつけていきましょう。」
私は、卒業後、「知的障がい」のある子どもたちが生活する施設労働者として3年間働き、1975年都立高島養護学校(現在高島特別支援学校)の教員になりました。これは、教員なりたての4月の職員会議での校長の発言です。
「教育の自由」を排してひとつの価値観を命令で強行し教え子や我が子を戦場に送ってしまった過去の反省を、校長とも共有していました。35年間さまざまな「障がい」のある子どもたちや青年たちが学ぶ学校で、憲法や子どもの権利条約を大切にしながら、精一杯子どもたちや青年たちと向き合ってきました。
「教育の自由」は「教育活動の命」です。「子供たちや青年たち教員たちの命」です。「生命ある全てのものの命」です。「教育の自由」を奪うことは全ての命を抹殺することです。決して許すことはできません。
2003年に、石原教育行政のもとで「教育の自由」や「教育活動の命」「論議すること」を根底から崩壊させる激震が走りました。都立七生養護学校(現在都立七生特別支援学校)の「こころとからだの学習」「保健・性教育」へのパワハラ攻撃と、「2003年10・23通達」の有無を書わせぬ強行です。
私はこれらの暴挙に驚き、「教育の自由」「教育活動の命」を奪われてはならないと、静かに“不服従”を決意しました。
校長に「教育についてもっと話し合いをしませんか。」と迫ると論議することを拒否され、東京都教育委員会に何度も何度も「処分より対話を」と訴えましたが弾き返され、「処分」だけが累積されていきました。
学校現場・教育現場が「教育の自由」「教育活動の命」である「論議する」ことを排除して、「命令と服従そして処分の場」になってしまいました。その後、日々、戦後の教育最大の危機的状況が深化しています。今、さまざまな分野の人たちと全国規模で、原点に立ち返って「学校とは何か」「教育とは何か」を論じ合い、動き出すことが必須です。一刻も早くです。
(2)全国からも届く疑問の声:3・24地裁判決「国家賠償法に基づく損害賠償請求棄却」は2013年7月12日の最高裁決定を踏みにじる
私は決意して「不服従」を貫きましたが、都立八王子東養護学校(現在都立八王子東特別支援学校)での停職3カ月処分は、精神的にも経済的にも重たく厳しいものでした。
学年のスタートの大切な1学期、高等部の青年たちと触れ合うこともできず、教育実践は一方的に断絶されたままでした。
やっと学校に戻れた7月2日、青年たちと手を取り合って涙したことは、今でも鮮明です。この奪われた3ヶ月は、何をもってしても慰謝されることはありません。この3ヶ月を返してください。
悪質極まりない「3・24地裁判決」(原判決)について述べたいと思います。損害賠償請求を棄却した原判決は、次のとおり述べています(89頁)。
「最高裁24年1月判決がなされるまでは下級審の裁判例も分かれていたところである。本件対河原井停職処分は・・・積極、消極の見解がわかれ、これに関する最高裁の判決が示される前に、都教委により上記諭点に関する積極説に基づいて行われたものであるから、上記の論点のうち一方の見解に立ってこの処分の遂行に関与した公務員に国賠法上の過失があるということはできず、また、都教委によるこの処分が国賠法上違法であるということもできない。」
この判決について全国からも疑問の声が届いています。「なぜこんな判決が可能なのか?論理理的におかしい」「最高裁決定は尊重されないのか?」「停職1カ月で損害賠償請求を認めて、それより重たい処分の停職3か月がどうして棄却できるのか?」等々です。
この棄却理由は、ただ当時の裁判と処分発令の状況説明をしているだけのものです。どこにも棄却の根拠が見当たらず納得できません。意識的に2013年7月12日の最高裁決定(都側の上告受理申立ての不受理決定)を無視した、無法きわまりない非情なものでした。
ここで再び、国家賠償法による損害賠償を認めた2012年11月7日の東京高裁の差戻審判決と、それを維持した2013年7月12日の最高裁の決定に真摯に注目していただきたいと思います。
控訴人の叫びに耳を傾けてください。差戻審の南敏文裁判長は、国家賠償法上の違法と東京都教育委員会の過失を認定しました。そして、さらに「教諭と児童の人格的触れ合いが教育活動に欠かすことのできないものである」として、「控訴人(河原井)は児童・生徒との触れ合いを特に重視していたと認められることを考慮すると、財産的損害の回復のみによっては、控訴人の精神的損害が慰謝されるものではないことは明らかである」と、保護者と控訴人「河原井」の陳述書を証拠として引用し判示しました。
この内容は全国の人たちに喜びと勇気を届け、「司法が動いた!」と「司法への不信」を少し和らげた人もいました。判決文から多くのことを学び、「後続裁判に最大限活かしていこう」と確認していました。
私は、今まで門前払いであった「教育の自由」「教育活動の命」とも言うべき「教育活動に欠かすことのできない教諭と児童・生捷との人格的怯触れ合い」を明示して確定したことは、教育裁判上、歴史に残る人権判決のひとつと今でも確信しています。
(3)さいごに:学校に「教育の自由を!」教室に「教諭と児童・生徒との人格的な触れ合いを」
私は、社会や学校や教室は「多種多様な雑木が共生共存する雑木林でありたい」と願っています。「雑木林の命」は「教育の自由」であり「教諭と児童・生徒との人格的触れ合い」であり、「とことん諭議」することです。
提出している私の2冊の本(白澤社発行)『学校は雑木林』と絵本『雑木林の決意』もを是非読んでください。
「職務命令」はそれらの命たちの息を止め根絶させてしまいました。
裁判官の皆様
私たちの主張、私の2冊の本を含めた証拠を丁寧に審理していただき「教育の自由」と照らし合わせて「10・23通達」と「職務命令」の違憲違法の憲法判断と全ての処分の取り消しをここに強く切望いたします。
2015年3月26日
控訴人 河原井純子
控訴人 河原井純子
(1)「教育の自由」を実践していた校長の発言:
「私は職務命令は出しません。学校に教育に職務命令はなじまない。議論して議論してお互いに結論をみつけていきましょう。」
私は、卒業後、「知的障がい」のある子どもたちが生活する施設労働者として3年間働き、1975年都立高島養護学校(現在高島特別支援学校)の教員になりました。これは、教員なりたての4月の職員会議での校長の発言です。
「教育の自由」を排してひとつの価値観を命令で強行し教え子や我が子を戦場に送ってしまった過去の反省を、校長とも共有していました。35年間さまざまな「障がい」のある子どもたちや青年たちが学ぶ学校で、憲法や子どもの権利条約を大切にしながら、精一杯子どもたちや青年たちと向き合ってきました。
「教育の自由」は「教育活動の命」です。「子供たちや青年たち教員たちの命」です。「生命ある全てのものの命」です。「教育の自由」を奪うことは全ての命を抹殺することです。決して許すことはできません。
2003年に、石原教育行政のもとで「教育の自由」や「教育活動の命」「論議すること」を根底から崩壊させる激震が走りました。都立七生養護学校(現在都立七生特別支援学校)の「こころとからだの学習」「保健・性教育」へのパワハラ攻撃と、「2003年10・23通達」の有無を書わせぬ強行です。
私はこれらの暴挙に驚き、「教育の自由」「教育活動の命」を奪われてはならないと、静かに“不服従”を決意しました。
校長に「教育についてもっと話し合いをしませんか。」と迫ると論議することを拒否され、東京都教育委員会に何度も何度も「処分より対話を」と訴えましたが弾き返され、「処分」だけが累積されていきました。
学校現場・教育現場が「教育の自由」「教育活動の命」である「論議する」ことを排除して、「命令と服従そして処分の場」になってしまいました。その後、日々、戦後の教育最大の危機的状況が深化しています。今、さまざまな分野の人たちと全国規模で、原点に立ち返って「学校とは何か」「教育とは何か」を論じ合い、動き出すことが必須です。一刻も早くです。
(2)全国からも届く疑問の声:3・24地裁判決「国家賠償法に基づく損害賠償請求棄却」は2013年7月12日の最高裁決定を踏みにじる
私は決意して「不服従」を貫きましたが、都立八王子東養護学校(現在都立八王子東特別支援学校)での停職3カ月処分は、精神的にも経済的にも重たく厳しいものでした。
学年のスタートの大切な1学期、高等部の青年たちと触れ合うこともできず、教育実践は一方的に断絶されたままでした。
やっと学校に戻れた7月2日、青年たちと手を取り合って涙したことは、今でも鮮明です。この奪われた3ヶ月は、何をもってしても慰謝されることはありません。この3ヶ月を返してください。
悪質極まりない「3・24地裁判決」(原判決)について述べたいと思います。損害賠償請求を棄却した原判決は、次のとおり述べています(89頁)。
「最高裁24年1月判決がなされるまでは下級審の裁判例も分かれていたところである。本件対河原井停職処分は・・・積極、消極の見解がわかれ、これに関する最高裁の判決が示される前に、都教委により上記諭点に関する積極説に基づいて行われたものであるから、上記の論点のうち一方の見解に立ってこの処分の遂行に関与した公務員に国賠法上の過失があるということはできず、また、都教委によるこの処分が国賠法上違法であるということもできない。」
この判決について全国からも疑問の声が届いています。「なぜこんな判決が可能なのか?論理理的におかしい」「最高裁決定は尊重されないのか?」「停職1カ月で損害賠償請求を認めて、それより重たい処分の停職3か月がどうして棄却できるのか?」等々です。
この棄却理由は、ただ当時の裁判と処分発令の状況説明をしているだけのものです。どこにも棄却の根拠が見当たらず納得できません。意識的に2013年7月12日の最高裁決定(都側の上告受理申立ての不受理決定)を無視した、無法きわまりない非情なものでした。
ここで再び、国家賠償法による損害賠償を認めた2012年11月7日の東京高裁の差戻審判決と、それを維持した2013年7月12日の最高裁の決定に真摯に注目していただきたいと思います。
控訴人の叫びに耳を傾けてください。差戻審の南敏文裁判長は、国家賠償法上の違法と東京都教育委員会の過失を認定しました。そして、さらに「教諭と児童の人格的触れ合いが教育活動に欠かすことのできないものである」として、「控訴人(河原井)は児童・生徒との触れ合いを特に重視していたと認められることを考慮すると、財産的損害の回復のみによっては、控訴人の精神的損害が慰謝されるものではないことは明らかである」と、保護者と控訴人「河原井」の陳述書を証拠として引用し判示しました。
この内容は全国の人たちに喜びと勇気を届け、「司法が動いた!」と「司法への不信」を少し和らげた人もいました。判決文から多くのことを学び、「後続裁判に最大限活かしていこう」と確認していました。
私は、今まで門前払いであった「教育の自由」「教育活動の命」とも言うべき「教育活動に欠かすことのできない教諭と児童・生捷との人格的怯触れ合い」を明示して確定したことは、教育裁判上、歴史に残る人権判決のひとつと今でも確信しています。
(3)さいごに:学校に「教育の自由を!」教室に「教諭と児童・生徒との人格的な触れ合いを」
私は、社会や学校や教室は「多種多様な雑木が共生共存する雑木林でありたい」と願っています。「雑木林の命」は「教育の自由」であり「教諭と児童・生徒との人格的触れ合い」であり、「とことん諭議」することです。
提出している私の2冊の本(白澤社発行)『学校は雑木林』と絵本『雑木林の決意』もを是非読んでください。
「職務命令」はそれらの命たちの息を止め根絶させてしまいました。
裁判官の皆様
私たちの主張、私の2冊の本を含めた証拠を丁寧に審理していただき「教育の自由」と照らし合わせて「10・23通達」と「職務命令」の違憲違法の憲法判断と全ての処分の取り消しをここに強く切望いたします。
以上
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