◎ 東京・杉並、和田中学・夜間塾:報道されない諸問題 2008/02/06
「東京・杉並区立和田中学、進学塾と提携 -夜間塾問題を検証する-」(1月22日)以後、多くの報道が流されているのに、なぜか報じられていない問題が多くある。これらの点について、ここで取り上げたい。
■ 教育委員会に「口を出させない」
1月23日、杉並区教育委員会が開催された。多くの報道陣で委員会室は一杯になり、傍聴できなかった区民もいた。ここでは、議題の中心は夜間塾問題だった。
教育委員会庶務課の説明によれば、「地域本部(学校支援本部)」は、「地域社会が学校を支援する新たな仕組み」で、今回の夜間塾はこの地域本部が行う「学校外の教育活動」。「学校外の活動」は、「地域社会が学校を支援する新たな仕組み」で、今回の夜間塾はこの地域本部が行う「学校外の教育活動」であるという。
「学校外の取り組み」に、教育委員は疑義をはさむ余地はなく、「この(地域の)試みを尊重すると共に、状況を見守り、必要な指導、助言を行う」という。つまり、この実施そのものについての是非を教育委員会が審議するものではないということのようだ。
私には、学校を支援するために活動する意味であろう「学校支援本部」が、いつの間にか「学校外の教育活動」を行う主体へと、その意味がすりかわってしまったように思えた。学校支援本部の活動そのものの意味が、夜間塾の実施のために変更されてはいないだろうか。
■ 規定は「あとからついてくる」?
(略)
■ サピックスは公益団体か?
また、この教育委員会では、ある教育委員から「学校の教育外の活動ならば、学校施設を使うことはどうなのか?」という質問がでた。これについての庶務課の答えは、「教育財産使用規定により、公益団体が公益事業を行うことは問題ない」という答えだった。これには「サピックスは公益団体か?」と、傍聴席がどよめいた。
庶務課は「地域本部」が公益団体であるといいたいのだろうが、杉並区では、地域区民センターなどの施設を使う時でも、「公共施設で特定の企業による収益活動を行ってはならない」などと規定している。仮に主催者が「公益団体」だとしても、高額な授業料を取り、一企業が特定者を対象にした講座を持つとは、おかしな話である。(※ 今回の「夜スペ」の授業料が、サピックスの通常授業料の消費税5%引きに相当することは、「東京・杉並区立和田中学、進学塾と提携 -夜間塾問題を検証する-」で詳しく述べた)
この教育委員会の最後に、ある教育委員は次のような発言をした。「教育委員はパートタイムだ。大体は事務局の案を承認するだけ。根本的問題を自由に討議する機会はない。今回の件を機会に、特に『義務教育とは』等について考えたい。……(後略)」
この発言は、5名の教育委員による「教育委員会」が単なる追認機関に成り下がっていることを物語るのではないか。山田宏区長の推し進める教育改革の「成果」で、教育行政の基本方針は区長と直結した教育委員会の事務方ですべてを決めるという体制ができあがっていることを物語っていよう。
■ 最初の募集での希望者はゼロ
1月25日には、杉並区議会・文教委員会が開催された。朝日新聞の1月26日朝刊東京版には「『夜間塾』に質疑が集中」と報道されていたが、私の確認できた範囲では、他紙ではほとんど扱っていないようだった。この委員会では、自民党、公明党、民主党など与党区議から社民党、共産党、無所属諸派まで、だれ1人としてこの「夜間塾」に関して賛意を示すものはいなかった。委員会では次のようなやり取りがあった。
青木さちえ議員(公明党)
19人中15人が女子。これはどうしてか?
井手隆安教育長
男子は塾に行っている子が多い。夜道が心配で塾に通っていなかった女子が多かったため、たまたまそういう結果になったと聞いています。
すぐろ奈緒議員(みどり)
子どもたちが夜間塾をやってほしいと望んだのですか? 私の聞き取り調査によると、最初の募集での希望者はゼロ。2回、3回と募集を繰り返すことでようやく11人ほど。女子のある部活の顧問の先生からの勧誘で11名が加わってそうになったが、そのうち、成績が上位に至らない3名が担任の先生に説得されたため申し込まず、結局その部活から8名が参加した。これ(夜間塾)は、地域支援本部が望んでいるのであって、子どもが望んだものではないのではないでしょうか?
すぐろ議員の質問に対しては、教育委員会側はまともな回答ができず、「後日調査を……」とあいまいに答えるのみだった。
「夜スペ」は当初、参加希望者がゼロだったのである。しかも、特定の部活に声をかけ、ようやく人数を集めたというのだ。女子部であったために、結果として参加者も女子に偏ったわけだ。
さらに、私が問題だと思うことは、この時点で「学力がたりない」と思われる生徒が排除されていることである。その説得は「やめたほうがいいよ」程度のやさしい言い方だったというが、暗に辞退を促したわけだ。
この件は、杉並区議会に多数の報道陣が集まっていたのにもかかわらず、報道されていない。この報道のあり方にも疑問が残る。報道機関は「新自由主義教育改革」のプロパガンダの役割をはたし、教育委員会はただ追認するだけの機関と化し、杉並区議会も蚊帳の外に置かれたまま、「夜間塾」は実施されたのではないか。
■ 藤原校長にだけ「自由裁量」の特権
夜間塾のきっかけについても、サピックスがダイレクトメールを150校に送り、これに藤原校長が早速電話をして実現したと説明されている。この点については、複数の中学校の保護者がそれぞれの学校に確認した。
ある中学校の校長は「そんなもの来ていませんよ」という答えだったようだ。また、ある学校では、確かに11月にダイレクトメールを受け取ったそうだが、形だけのものと受け止めていたようだ。また、ある学校では、校長は「来ていない」といったものの、副校長が受け取り、すぐに捨てたということだったようだ。「すぐに捨てた」という理由は、「うちの学校がやると言って、杉並区が認めるわけない」ということだそうだ。
杉並区の他の学校にも確かにダイレクトメールは届いたようだが、ほとんどの校長・副校長らは、ダイレクトメールは形式的なものととらえており、場合によってはダイレクトメールの存在すら認識されない程度の受け止め方なのである。つまり、自分の学校には関係のないことなのだ。上意下達の教育行政が浸透しつつある杉並区の教育現場にとって、この管理職の反応は、ごく自然なものだと私には思える。
ならばなぜ、藤原校長だけが、杉並区教育委員会に相談もせずに「早速電話して」話を進めることができたのか? この間に山田区長が進めて来た、区長直結の教育委員会事務方によって教育行政を進めるという体制のなかで、藤原校長にだけ「自由裁量」の特権が認められているからこそ可能な行動だといえよう。しかも、すぐにサピックスに電話をして「話にのった」という速攻性は、それまでにすでに下準備が進んでいたことを物語っていないか。このような独断専行の中で始めたことと考え合わせれば、12月始めの最初の募集がゼロだったということもうなずける。
■ 宣伝のために利用か
(略)
■ 校長の意志で「地域本部」を動かした
杉並区では、教育基本条例(「人づくり」条例)案を議会に上程しようとする動きも出ている。
「教育基本条例等に関する提言」は、「地域ぐるみで可能な限り参画し、地域ぐるみで教育を進めるよう」努力するとしている。昨年10月の杉並区議会では、この「提言」についても疑義が集中し、区議会の賛同は得られていない。今回の和田中の動きはこの「提言」のさきがけの1つとも私には考えられる。昨年10月1日、文教委員会の答弁で教育委員会庶務課長は次のように語った。
「これからの時代、そういうさまざまな地域の力、これはマンパワーもそうですし、お金のほうもそうですけれども、そういうものを生かしながら、そのかわり地域の声としてそれも生かしていく、そういう取り組みがこれからの学校に必要だろうと。それでなければ、今後のニーズにどんどんどんどん応えていくということになれば、それは税の負担というものに求めていかざるを得ない。そういうことよりも、小さな政府の中で、地域の力を生かしていくほうが大切だろうというふうにとらえているところでございます」(平成19年10月1日、文教委員会議事録から)
ここでは、支出をできる限り抑えた行政システムに改編するという【小さな政府】づくり、という本音が明かされている。このような発想を前提に、「(行政は)現場のエネルギーを助長していきたい」(1月25日、文教委員会での井出教育長の発言)ということなのだろう。
しかし、新自由主義的に思えるこの教育改革の是非以前に、今回の夜間塾に関しては、設立に向けての手続きにおかしな点が多すぎないだろうか。【公立校が特定の塾の講師を招いて、一部の子ども向けに有料の授業をするわけににはいかない。だから、和田中を支援するボランティア組織「地域本部」が主催する】(朝日新聞2月3日「オピニオン」欄)と、藤原校長自身が語る。校長の意志で「地域本部」を動かしたのだ。これでは、自発的な地域の力とは言いがたい。
■ 子どもたちに必要なのは……
テレビのインタビューを見る限り、参加した子どもは「学校がやっているので安心」という発言をしていた。「学校外の活動」とすることで法的規制から抜け出たとしても、子どもたちは「学校がやっている」ととらえている。この認識のずれを藤原校長や、教育委員会庶務課はどのように説明するのだろうか? これでは子どもたちをだましているとも言えそうだ。しかも前述したが、「学校外の活動」を「地域本部(学校支援本部)」が行うという点に疑問を感じているのは、私だけではない。
子どもの学力低下を叫び(※)、改革をうたうのならば、まずは大人たちが矛盾のない理論的構築を示してほしいものだと思う。子どもたちに必要なのは、たっぷりと時間をかけた日常の授業時間の確保や、本を読んだり家族との時間をすごし、生活実感の中から学び、考える時間ではないだろうか。(※ ただし和田中はすでに「学力は向上している」と藤原校長は自画自賛している)
「学力向上」を錦の御旗に、朝の8時30分から授業、部活、そして夜の9時30分までを学校で過ごさせることが、果たして本当に子どもたちのためといえるのだろうか? 学力が高く、余裕のある子どもならば、自分の力で物事を見極めたり、発見する時間を持たせたほうが良いのだ、と私は思う。目先の受験だけではなく、10年、20年という長いスパンで教育を考えてほしいものだ。子どもにとっては、一度きりの中学時代である。実験台ではないのだから。
(石川梓)
『JANJAN』
http://www.news.janjan.jp/area/0802/0802040145/1.php
「東京・杉並区立和田中学、進学塾と提携 -夜間塾問題を検証する-」(1月22日)以後、多くの報道が流されているのに、なぜか報じられていない問題が多くある。これらの点について、ここで取り上げたい。
■ 教育委員会に「口を出させない」
1月23日、杉並区教育委員会が開催された。多くの報道陣で委員会室は一杯になり、傍聴できなかった区民もいた。ここでは、議題の中心は夜間塾問題だった。
教育委員会庶務課の説明によれば、「地域本部(学校支援本部)」は、「地域社会が学校を支援する新たな仕組み」で、今回の夜間塾はこの地域本部が行う「学校外の教育活動」。「学校外の活動」は、「地域社会が学校を支援する新たな仕組み」で、今回の夜間塾はこの地域本部が行う「学校外の教育活動」であるという。
「学校外の取り組み」に、教育委員は疑義をはさむ余地はなく、「この(地域の)試みを尊重すると共に、状況を見守り、必要な指導、助言を行う」という。つまり、この実施そのものについての是非を教育委員会が審議するものではないということのようだ。
私には、学校を支援するために活動する意味であろう「学校支援本部」が、いつの間にか「学校外の教育活動」を行う主体へと、その意味がすりかわってしまったように思えた。学校支援本部の活動そのものの意味が、夜間塾の実施のために変更されてはいないだろうか。
■ 規定は「あとからついてくる」?
(略)
■ サピックスは公益団体か?
また、この教育委員会では、ある教育委員から「学校の教育外の活動ならば、学校施設を使うことはどうなのか?」という質問がでた。これについての庶務課の答えは、「教育財産使用規定により、公益団体が公益事業を行うことは問題ない」という答えだった。これには「サピックスは公益団体か?」と、傍聴席がどよめいた。
庶務課は「地域本部」が公益団体であるといいたいのだろうが、杉並区では、地域区民センターなどの施設を使う時でも、「公共施設で特定の企業による収益活動を行ってはならない」などと規定している。仮に主催者が「公益団体」だとしても、高額な授業料を取り、一企業が特定者を対象にした講座を持つとは、おかしな話である。(※ 今回の「夜スペ」の授業料が、サピックスの通常授業料の消費税5%引きに相当することは、「東京・杉並区立和田中学、進学塾と提携 -夜間塾問題を検証する-」で詳しく述べた)
この教育委員会の最後に、ある教育委員は次のような発言をした。「教育委員はパートタイムだ。大体は事務局の案を承認するだけ。根本的問題を自由に討議する機会はない。今回の件を機会に、特に『義務教育とは』等について考えたい。……(後略)」
この発言は、5名の教育委員による「教育委員会」が単なる追認機関に成り下がっていることを物語るのではないか。山田宏区長の推し進める教育改革の「成果」で、教育行政の基本方針は区長と直結した教育委員会の事務方ですべてを決めるという体制ができあがっていることを物語っていよう。
■ 最初の募集での希望者はゼロ
1月25日には、杉並区議会・文教委員会が開催された。朝日新聞の1月26日朝刊東京版には「『夜間塾』に質疑が集中」と報道されていたが、私の確認できた範囲では、他紙ではほとんど扱っていないようだった。この委員会では、自民党、公明党、民主党など与党区議から社民党、共産党、無所属諸派まで、だれ1人としてこの「夜間塾」に関して賛意を示すものはいなかった。委員会では次のようなやり取りがあった。
青木さちえ議員(公明党)
19人中15人が女子。これはどうしてか?
井手隆安教育長
男子は塾に行っている子が多い。夜道が心配で塾に通っていなかった女子が多かったため、たまたまそういう結果になったと聞いています。
すぐろ奈緒議員(みどり)
子どもたちが夜間塾をやってほしいと望んだのですか? 私の聞き取り調査によると、最初の募集での希望者はゼロ。2回、3回と募集を繰り返すことでようやく11人ほど。女子のある部活の顧問の先生からの勧誘で11名が加わってそうになったが、そのうち、成績が上位に至らない3名が担任の先生に説得されたため申し込まず、結局その部活から8名が参加した。これ(夜間塾)は、地域支援本部が望んでいるのであって、子どもが望んだものではないのではないでしょうか?
すぐろ議員の質問に対しては、教育委員会側はまともな回答ができず、「後日調査を……」とあいまいに答えるのみだった。
「夜スペ」は当初、参加希望者がゼロだったのである。しかも、特定の部活に声をかけ、ようやく人数を集めたというのだ。女子部であったために、結果として参加者も女子に偏ったわけだ。
さらに、私が問題だと思うことは、この時点で「学力がたりない」と思われる生徒が排除されていることである。その説得は「やめたほうがいいよ」程度のやさしい言い方だったというが、暗に辞退を促したわけだ。
この件は、杉並区議会に多数の報道陣が集まっていたのにもかかわらず、報道されていない。この報道のあり方にも疑問が残る。報道機関は「新自由主義教育改革」のプロパガンダの役割をはたし、教育委員会はただ追認するだけの機関と化し、杉並区議会も蚊帳の外に置かれたまま、「夜間塾」は実施されたのではないか。
■ 藤原校長にだけ「自由裁量」の特権
夜間塾のきっかけについても、サピックスがダイレクトメールを150校に送り、これに藤原校長が早速電話をして実現したと説明されている。この点については、複数の中学校の保護者がそれぞれの学校に確認した。
ある中学校の校長は「そんなもの来ていませんよ」という答えだったようだ。また、ある学校では、確かに11月にダイレクトメールを受け取ったそうだが、形だけのものと受け止めていたようだ。また、ある学校では、校長は「来ていない」といったものの、副校長が受け取り、すぐに捨てたということだったようだ。「すぐに捨てた」という理由は、「うちの学校がやると言って、杉並区が認めるわけない」ということだそうだ。
杉並区の他の学校にも確かにダイレクトメールは届いたようだが、ほとんどの校長・副校長らは、ダイレクトメールは形式的なものととらえており、場合によってはダイレクトメールの存在すら認識されない程度の受け止め方なのである。つまり、自分の学校には関係のないことなのだ。上意下達の教育行政が浸透しつつある杉並区の教育現場にとって、この管理職の反応は、ごく自然なものだと私には思える。
ならばなぜ、藤原校長だけが、杉並区教育委員会に相談もせずに「早速電話して」話を進めることができたのか? この間に山田区長が進めて来た、区長直結の教育委員会事務方によって教育行政を進めるという体制のなかで、藤原校長にだけ「自由裁量」の特権が認められているからこそ可能な行動だといえよう。しかも、すぐにサピックスに電話をして「話にのった」という速攻性は、それまでにすでに下準備が進んでいたことを物語っていないか。このような独断専行の中で始めたことと考え合わせれば、12月始めの最初の募集がゼロだったということもうなずける。
■ 宣伝のために利用か
(略)
■ 校長の意志で「地域本部」を動かした
杉並区では、教育基本条例(「人づくり」条例)案を議会に上程しようとする動きも出ている。
「教育基本条例等に関する提言」は、「地域ぐるみで可能な限り参画し、地域ぐるみで教育を進めるよう」努力するとしている。昨年10月の杉並区議会では、この「提言」についても疑義が集中し、区議会の賛同は得られていない。今回の和田中の動きはこの「提言」のさきがけの1つとも私には考えられる。昨年10月1日、文教委員会の答弁で教育委員会庶務課長は次のように語った。
「これからの時代、そういうさまざまな地域の力、これはマンパワーもそうですし、お金のほうもそうですけれども、そういうものを生かしながら、そのかわり地域の声としてそれも生かしていく、そういう取り組みがこれからの学校に必要だろうと。それでなければ、今後のニーズにどんどんどんどん応えていくということになれば、それは税の負担というものに求めていかざるを得ない。そういうことよりも、小さな政府の中で、地域の力を生かしていくほうが大切だろうというふうにとらえているところでございます」(平成19年10月1日、文教委員会議事録から)
ここでは、支出をできる限り抑えた行政システムに改編するという【小さな政府】づくり、という本音が明かされている。このような発想を前提に、「(行政は)現場のエネルギーを助長していきたい」(1月25日、文教委員会での井出教育長の発言)ということなのだろう。
しかし、新自由主義的に思えるこの教育改革の是非以前に、今回の夜間塾に関しては、設立に向けての手続きにおかしな点が多すぎないだろうか。【公立校が特定の塾の講師を招いて、一部の子ども向けに有料の授業をするわけににはいかない。だから、和田中を支援するボランティア組織「地域本部」が主催する】(朝日新聞2月3日「オピニオン」欄)と、藤原校長自身が語る。校長の意志で「地域本部」を動かしたのだ。これでは、自発的な地域の力とは言いがたい。
■ 子どもたちに必要なのは……
テレビのインタビューを見る限り、参加した子どもは「学校がやっているので安心」という発言をしていた。「学校外の活動」とすることで法的規制から抜け出たとしても、子どもたちは「学校がやっている」ととらえている。この認識のずれを藤原校長や、教育委員会庶務課はどのように説明するのだろうか? これでは子どもたちをだましているとも言えそうだ。しかも前述したが、「学校外の活動」を「地域本部(学校支援本部)」が行うという点に疑問を感じているのは、私だけではない。
子どもの学力低下を叫び(※)、改革をうたうのならば、まずは大人たちが矛盾のない理論的構築を示してほしいものだと思う。子どもたちに必要なのは、たっぷりと時間をかけた日常の授業時間の確保や、本を読んだり家族との時間をすごし、生活実感の中から学び、考える時間ではないだろうか。(※ ただし和田中はすでに「学力は向上している」と藤原校長は自画自賛している)
「学力向上」を錦の御旗に、朝の8時30分から授業、部活、そして夜の9時30分までを学校で過ごさせることが、果たして本当に子どもたちのためといえるのだろうか? 学力が高く、余裕のある子どもならば、自分の力で物事を見極めたり、発見する時間を持たせたほうが良いのだ、と私は思う。目先の受験だけではなく、10年、20年という長いスパンで教育を考えてほしいものだ。子どもにとっては、一度きりの中学時代である。実験台ではないのだから。
(石川梓)
『JANJAN』
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