パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

赤川次郎作『日の丸あげて』

2008年10月31日 | 日の丸・君が代関連ニュース
 10・25集会で創作集団「憲法寄席」が演じた「赤川次郎作『日の丸あげて』」を取り上げているHPがあると教えてくれた人がいたのでその一部を紹介しよう。中程で「板橋高校卒業式事件」についての言及、後半で鈴木邦男氏が藤田勝久氏と会話した場面も出てくる。思いの外、意気投合している?

 『鈴木邦男をぶっとばせHP』から <今週の主張9月5日>
   ● 愛国殺人事件


(1)近いうちに、ありうるよ、これは

 ウーン、これはありうるかもしれないな、と思った。赤川次郎の「日の丸あげて」という小説だ。実をいうと、赤川次郎は昔、読みまくった。そして卒業したと思った。だから、お金を出して本屋で買うことはない。でも、図書館で借りた本の中に、たまたま、この小説が入っていたのだ。
 「推理作家になりたくて」というシリーズの本がある。文藝春秋から出ている。いろんな人が、自分の作品を紹介し、又、自分が尊敬し、好きな作家の作品を紹介している。さらに、推理小説を書く上での心構えを語る。一冊で、6、7人だ。それが8巻ほどある。その第四巻「謀」だった。赤川の他には、高橋克彦、夏樹静子、西村京太郎、松本清張、森村誠一が書いている。まず、巻頭の赤川の小説を読んで、ビックリした。これは「政治小説」だし、近未来を予言する小説だ。「うん、これはありうるぞ」と、思ったのだ。
 元刑事が娘と共に団地に住んでいた。元刑事だけあって、曲がったことは大嫌いだ。それに愛国者だ。最近の人間は、政治に関心がないし、愛国心がない。と、いつも怒っている。テレビを見ては、ブツブツと言っている。祝祭日には日の丸を掲げるべきなのに、掲げない家がある。日教組教育のせいだ。嘆かわしい。
 まぁ、普通なら、こうして嘆き、怒り、それで終わりだ。あとは、産経新聞に投書したり、「正論」や「諸君」を読んで、「そうだ!そうだ!」と叫ぶくらいだ。ところが、この元刑事は、黙っていられない。自らの信念を実行に移す。

団地の中で、日の丸を掲げない家を回って、「日本人として日の丸を掲げるのは当然でしょう」「日の丸、君が代は国旗、国歌として法制化されたんですよ」と、穏やかに言って回った。戦時中や戦前ならば、町内会の人が来て、「何だ!非国民!」と怒鳴りつけたんだろう。今は民主主義の時代だから、そんなことは出来ない。だから元刑事も、穏やかに注意する。
 穏やかに言って回っても、元刑事の迫力があるし、団地の人々も、次第に、日の丸をあげるようになる。ズラリと日の丸が出ていると、実に気持ちがいい。元刑事も、満足だ。ところが、どうしても言うことをきかない家がある。きっと、左翼だろう。こいつは国賊だ。
 何度も何度も足を運び、日の丸の大切さ、愛国心の大切さを訴える。しかし、そのAさんの家はガンとして聞かない。祝祭日の日、団地の一棟全体が日の丸をあげている。しかし、たった一軒、出てない家がある。これじゃ、統一性がとれない。ジグソーパズルの最後のピースが空いている。そんな感じだ。何とも気持ちが悪い。調和がとれん。
 そのうち、団地の中に、奇妙な噂が出回る。「Aさんは痴漢だ」という噂だ。だって、現職の刑事が団地に来て、Aさんのことを聞き回っているんだ。電車の中で、痴漢があり、Aさんが容疑者らしい。あるいは、駅のエスカレーターで手鏡で女子高生のスカートの中を見たらしい…と。変質者だ…と。
 Aさんは、いたたまれなくなる。勿論、元刑事が後輩に頼んでやらせたことだ。動機は「愛国的」だ。いくらいっても分からんから、団地から〈害虫〉を駆除しようとしたのだ。Aさんは、皆の冷たい視線に耐えられず、団地から出てゆくだろう。そうすると、一棟全体が、日の丸をあげる。きれいだ。美しい。これぞ、日本の国民だ。そういう、「純粋」な、愛国的な動機だった。
 ところが、噂に悩んだAさんは、自殺してしまう。元刑事が殺したわけではないが、結果的には彼が殺したのだ。「愛国殺人」だ。奇妙なことに、主のいないAさんのところに日の丸がたつ。団地の一棟全体が、きれいに日の丸がはためく。メデタシ、メダタシだ。
 ところが今度は、愛国者の元刑事が殺される。それも、日の丸に包まれて。(実は、死体に白い布をかけられただけだが、血がひろがって、日の丸に見えたんだ)。さて、犯人は?あとは、各自、読んでみなせえ。
 殺人事件ではないだろうが、ここまでおせっかいな人はいる。今は、多い。一人じゃ言えなくても、集団になると言う。新聞、週刊誌、雑誌なんて、こんな、「おせっかいな愛国者」ばかりじゃないか。僕も、祝祭日に日の丸をあげないから、と言って放火された。(別の理由だったかな。いや、きっと、この元刑事がやったんだろう)。

(2)君が代を歌ってるかどうか調べて回る。こいつが一番、不敬じゃ!
 赤川次郎は、この小説のあとに、自ら「解説」を書いている。「二つの『血』の物語」と題して。
 〈「愛」や「尊敬」は、いくら法律や銃口で強制されても、持てるものではない。そんな当り前のことが、二言目には「愛国心」と言い出す政治家や知識人の方々には、一向に分からないようだ〉
 そうだよね。三島由紀夫だって、「愛国心という言葉は嫌いだ」と36年前に言っていた。国民の一員でありながら、そこからポンと飛び出して、おもちゃでも愛玩するように、この国をかわいがるなんて変だ、と言っていた。又、それが〈強制〉につながることに反対したのだ。
 慶応大学の小林節先生は、改憲論者だが、自民党のアホな改憲論議には愛想がつきたと言っていた。「憲法に愛国心を盛り込もうとしている。それが不満だ」と言っていた。「愛国心」という言葉を入れれば、それで、国民が愛国者になるのか。この国をいい国にし、愛せる国にするのが政治家の務めだろう。それを忘れて、ただ、一言、「愛国心」と書けばいいと思ってる政治家は許せん、と言う。その通りだわな。赤川次郎は、さらに自分の体験を踏まえて、こんなことを言う。
 〈その点、私は恵まれていたとも言えるだろう。幼いころから父は外に女を作り、ほとんど家にいなかった。こういう人間を「父だから」というだけで、愛することも尊敬することも、私にはできなかった。子供心に、私は「血のつながり」を妙に強調するような大人は信用しない、という信念ができてしまったのだ。相手が「国」だろうが、「国旗」だろうが、「国歌」だろうが同じだ。
 強制してはならないものを法律で強引に押し付ける。その法律が通ったとき、私は小説の形で何か言わなくてはならない、と思った。
 「日の丸あげて」はその思いが生み出した一編である。こんなことが、いつかは現実の出来事にならないように、という祈りは、しかし空しいものになりつつある〉
 なかなか、示唆的な小説だ。日本はこのままでいいのか。という、憂国小説でもある。私なら、この小説のタイトルに『憂国』とつけるね。三島の『憂国』にならって。逆説的だけど、これも憂国だ。国旗・国歌が法制化された時、「これは強制するものではない」と政府は言った。又、天皇陛下も、「日の丸、君が代を広めたい」と言う将棋さしの言葉に、「強制にならないように」と言って、たしなめられた。
 でも、教育現場では、ちょっとでも反対したり、起立しないだけで処分されている。最近出た、『おかしいぞ!警察・検察・裁判所』(創出版)を読んでたら、元板橋高校教諭の藤田勝久氏が、「板橋高校事件」について発言していた。「日の丸・君が代強制に反対して家宅捜索そして起訴」というタイトルだ。これもひどい話だ。
 なんでも、03年以降に教育現場にすさまじい強制がされてるという。赤旗が立ち、左翼が強い時はこんなことはしない。今、左翼がいないとなると、かさにきて、徹底的につぶそうとするんだ。又、法律が出来たし、世の中は、どんどん右傾化だ。〈強制〉もやりやすいのだろう。
 03年10月23日には、都教委から「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について」という通達、いわゆる「10.23通達」が出た。反抗する奴は許さないという通達だ。それまでは、ほとんどの公立高校で内心の自由を語ったりして、「君が代」斉唱では板橋高校もほとんど生徒は立っていなかった。と言う。さらに、藤田さんはこんな衝撃的な事実を告発する。
 〈03年の秋の周年行事では、都教委は反抗した教員を10人戒告処分しました。そして脅しをきかせて、戒告が3回続けば免職だという噂を流しました。高島高校なんか、広い範囲に教員が散らばっているもんだから、都教委の役人は国歌斉唱時、歩いてチェックして回ったということです。国歌斉唱中にうろつき回るなんて、不敬罪じゃないですかね(笑)〉

(3)「偽装」を見破るために「音量測定器」を…
 たしかにその通りだ。この藤田さんには7月4日(月)に、文京シビックセンターで「おかしいぞ!警察・検察・裁判所」の集会をやった時に会った。僕の『公安警察の手口』を読んでいて、面白かったと言っていた。
 都教委や、さらに右派系の都議などが来て、国歌斉唱の時は、「ちゃんと口を開いて歌っているかどうか」をチェックして回ったという。それも、携帯でパシャパシャと写して回りながら…。これもひどい。写真を撮ってる奴らは、少なくとも歌ってないんだ。じゃ、そいつらを写真に撮って、訴えたらいいだろうよ。「強制してる連中が一番、愛国心がないし、君が代を侮辱している」と。
 8月15日(月)、4時から牛込神楽坂の箪笥区民センターで、喜納昌吉さん主催のシンポジウムに出た。その時、元社民党国会議員の保坂展人さんが言っていた。
 都教委はさらに凄いことを考えている。君が代斉唱の時、仕方なく起立して、仕方なく口を開けていても、「偽装」かもしれない。処分を免れるために、起立して、歌うふりをしてるだけかもしれない。写真を撮られてもいいように、口をパクパクしている。しかし、実際は歌っていない。「良心」は売り渡さないぞ。という抵抗の印かもしれない。
 これでは困る。心から、本当に歌わなくてはダメだ。それで、「声量測定器」を使って、本当に声を出して歌っているかどうかを測定しようとしている。「エッ?本当ですか?」と思わず聞いちゃった。当日、会場に来た人は知ってるだろう。「本当ですよ」と保坂元議員は言っていた。
 しかし、嫌だな。こんなふうに「形」だけが、先行する。皆、いやいや歌っている。これじゃ、「君が代」もかわいそうだよ。いい歌なのに。大体、中学、高校なんて、反抗期のガキたちに無理に歌わそうというのがイカン。校歌があるんだから、それだけ歌ってりゃいい。20才になったら、初めて「君が代」を歌う権利を与える。それでいい。いいかげんに歌われ、強制されて歌われ、これじゃ「君が代」がかわいそうだよ。
 その点、私なんか、高校はミッションスクールだったから、一度も君が代なんて歌ったことはない。日の丸だって一度もあげたことがない。でも、校歌、校旗はあったし、讃美歌ばっかり毎日、歌っていた。日の丸、君が代を強制されなかった。だから、こんな立派な愛国者になった。強制されたら、反抗して、左翼になってたよ。
 日の丸も君が代も、平和的で、実にいい旗だし、歌だ。それなのに、そのことを教えずに、ムリに強制しようとする。「賛成」派と「反対」派も間違っていると思う。今年、日教組委員長と『論座』(6月号)で話し合った。ガッチリとかみ合って、いい話が出来たと思う。

(以下略。全文は『鈴木邦男をぶっとばせ』から<リンク>

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