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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

◆ 広島市の職員研修資料で『教育勅語』を使用していることへの「ひのきみ全国ネット」抗議声明

2023年12月15日 | 「日の丸・君が代」強制反対

 ◆ <声明>松井一実広島市長による広島市職員研修資料・講話での軍国主義教育の要であった「教育勅語」使用に抗議する!

2023年12月13日
「許すな!『日の丸・君が代』強制、止めよう!改憲・教育破 全国ネットワーク」
(連絡先;代表世話人・小野政美 FAX 052 - 916 -7655 メール gorillaono@gmail.com)

 私たち、全国各地の教員・退職教員・保護者・市民の全国的ネットワークである、「許すな!『日の丸・君が代』強制、止めよう!改憲・教育破 全国ネットワーク」は、満腔の怒りを込めて宣言する。

 ◆ 松井一実広島市長による広島市職員研修資料・講話での軍国主義教育の要であった「教育勅語」使用に抗議する!

 ◆ 松井市長は、職員研修で講話に「教育勅語」を肯定的に使用したことを職員・市民に釈明・謝罪し、講話内容を撤回せよ!今後は「教育勅語」を使用しないことを確約せよ!

1.2023年12月12日の複数の新聞報道によれば、広島市の新規採用職員研修で松井一実広島市長が、「心の持ち方」などとして、戦後、日本国憲法と相いれないとして国会で排除・失効が決議されている、戦前・戦中の「教育勅語」の一部を研修資料に引用していたことがわかった。広島市長就任翌年の2012 2012 2012 2012 年から毎年使用していたという。

2.2022年4月の広島市新人研修で配布された資料は、全19ページのうち「生きていく上での心の持ち方」と題した6ページ目で、「我々の先輩が作り上げたもので良いものはしっかりと受け止め、また、後輩に繋ぐ事が重要」と記述。教育勅語の一節として「爾(なんじ)臣民兄弟(けいてい)に友に博愛衆に及ぼし学を修め業を習い知能を啓発し進んで公益を広め世務(せいむ)を開き」との文言を英訳とともに掲載している。「先輩が作り上げたもので良いものはしっかりと受け止め、後輩につなぐことが重要」とし、教育勅語を英訳付きで掲載した。広島市によると、松井市長は研修資料への引用を市長就任翌年の2012年から毎年続けている。2023年の研修でも前年と同じ部分を資料として使い講話をしたという。

 松井市長は使用の意図について、市研修センターを通じて、「全体を画一的に捉えて良い悪いと判断するのではなく、中身を見て多面的に物事を捉えることが重要。その一例として教育勅語を紹介した」、「教育勅語そのものを再評価すべきとは考えていないが、その中に評価してもよい部分があったという事実を知っておくことは大切だ。今後も使用を続けることにしております」とのコメントを出し、また「全体を画一的に捉えて判断するのではなく、中身をよく見て多面的に捉えることが重要」とし、今後も使用を続ける考えを示したという。
 また、今回の松井一実広島市長による広島市職員研修資料・講話での軍国主義教育の要であった「教育勅語」使用は、広島市教育委員会が、今年度から使われている「広島市平和教育副教材」から、これまで長年使われてて来た「はだしのゲン」や「はだしのゲン」や「第五福竜丸」の記述を削除したことにも繋がっている重大な問題です。

3.「「教育勅語」は、1890年に発布され、明治天皇の名で国民道徳の根源や教育の基本理念を明示したもので、父母への孝行、夫婦の和、博愛などを示しつつ、緊急事態には皇室国家に尽くすよう求める記述もある。「教育勅語」は、1948年に、日本国憲法や教育基本法に反するとして、「軍人勅諭」とともに、衆参両院はそれぞれ「教育勅語の排除に関する決議-衆議院」「教育勅語の失効確認に関する決議-参議院」を可決した。
 衆参両院の決議文は、趣旨もほぼ同じで、「わが国家及びわが民族」を中心とした教育の誤りを徹底的に払拭し、真理と平和を希求する人間を育てる民主主義的教育理念を厳かに宣言したものである。これによって教育勅語は国民の代表である衆・参両院の議員によって排除・失効を決議され、その意義を称賛するものが再び現れないよう法的にとどめが刺されたのである。
 1948年5月の参議院では、羽仁五郎議員(歴史家)が、「たとえ完全なる真理を述べていようともそれが君主の命令によって強制されたというところに大きな間違いがあった」と述べた。

4.「教育勅語」に関しては、2017年3月31日、安倍内閣は民進党初鹿明博衆議院議員の質問趣意書に答える形で、「排除や失効の確認を決議した教育勅語について、先の閣議で教育の唯一の根本とするような指導を行うのは不適切だ」とする一方、「憲法や教育基本法に反しないような形で教材として用いることまでは否定されることではない」との閣議決定を行った。この閣議決定は、衆・参両院の決議との整合性がとれず、憲法違反の決定であることは明らかである。
 「朕惟フニ」で始まり「朕カ忠良ノ臣民タル」と呼びかけ、「朕爾臣民トモニ拳々服膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ」で終わる教育勅語は、主権在君の明治憲法下のものであり、主権在民の日本国憲法の理念に反することは自明の理である。
 「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」との文言が、国家への忠誠を強要し、徴兵制の下で戦争遂行の基となった。「教育勅語」排除・失効決議が「軍人勅諭」とともに行われたことの意味をも考えなければならない。この答弁書は、政府が個別の教材の位置づけを明示することになり教育に対する政治介入に等しい。
 国民を戦争へ駆り立てた教育勅語は、1890年、明治天皇が国民に守るべき徳目を説いた言葉として発布された。自由民権運動や欧化主義と儒教主義や皇国主義との対立を収め、教育の基本理念を定める狙いがあった。学校での「教育勅語」朗読が強制され神聖化が進んだ。
 「教育勅語」は、天皇制の精神的支柱の役割を果たし、昭和期の軍国主義教育と結びついた歴史がある。「教育勅語」は、国民に国家への忠誠を誓わせるために使われた戦前、戦中の教育規範であり、軍国主義教育の支柱とも言える。その内容は、自由や平等、個人の尊厳など、日本国憲法が掲げる理念とは大きくかけ離れている。「教育勅語」は、友達と仲良くし人々に優しくするなど、守るべき徳目を「臣民」に説いている。その上で、いざというときはお国のために身をささげ、「天壌無窮ノ皇運(永遠の皇室の運命)」を助けるよう求めている。このような徳目を守るのは、すべて皇室国家を守るために行うべきだとしているのが「「教育勅語」である。「「教育勅語」は日本国憲法の理念と相いれるものではないからこそ、戦後、国会が衆参両院でそれぞれ「排除決議」と「失効決議」を行い、「教育勅語」と決別したのである。

5.安倍政権は、2017年4月18日、憲法や教育基本法に反しない形で教育勅語の教材活用を容認した先の答弁書に関連し、「どのような使い方が憲法や教基法に反するかの判断や、不適切な使用があった場合の対応を、学校の設置者や自治体の教育委員会などに委ねる」とした新たな答弁書を決定した。答弁書は「まずは学校の設置者や所轄庁で、教育を受ける者の心身の発達などの状況に即して、憲法の理念などに反しないような適切な配慮がなされているか、さまざまな事情を総合的に考慮して判断されるべきものだ」としている。
 菅官房長官は、これに関連し記者会見で、「教育勅語には、親を大切にするとか、兄弟姉妹が仲よくするなどの項目もあることも事実で、憲法や教育基本法に反しないような適切な配慮のもとで取り扱うことまで否定することはない」と述べた。「教育勅語は、日本国憲法や教育基本法の制定等をもって、法制上の効力は喪失している。したがって学校で教育勅語がわが国の唯一の根本となるような指導を行うことは不適切だ」と述べ、記者団からの「「今回の閣議決定で教育勅語を教育現場で使うことにお墨付きを与えるのではないか」と質問したのに対し、「教育基本法の制定によって政治的、法的効力を失った経緯がある。ご指摘のような懸念は生じない」と述べた。

 2017年4月3日、松野文部科学大臣は衆議院決算行政監視委員会で、戦後、衆参両院が排除や失効の確認を決議した教育勅語について、「戦前の教育の間違いの例として用いることはありうるが、それ以外なら問題だ」と指摘されたのに対し、「憲法や教育基本法に内容自体が反するものでも『教え方がどうか』がポイントだ」と述べ、「教育勅語」を歴史的事実として学ぶため、中学校の社会科や、高校の歴史や公民の教科書には、全文または一部を参考資料として掲載している例があると説明した。そのうえで、松野大臣は、「わが国の歴史の理解を深める観点から使っており、そのように教育勅語を教材として用いることには問題がないというのが答弁書の趣旨だ」と述べた。さらに、4月7日には、義家弘介文科副大臣が、「教育基本法に反しない限り、学校の朝礼で教育勅語を朗読することは問題ない」と答弁した。これらは、「日本会議」とともに新たな戦前をめざす安部政権の本質が象徴的に表れていた。
 また、2017年3月8日予算委員会で、稲田防衛相は「親孝行だとか友達を大切にするとか、そういう核の部分は今も大切なものとして維持しているところだ」と発言した。

6.しかし、「「教育勅語」は、下賜の段階での解釈では、「「夫婦相和し」は夫唱婦随であり、「兄弟に友に」は長幼序あり……である。稲田大臣らの発言は、馴染みやすい徳目を取り上げて妥当性を示すことによって教育勅語を導入させ、ひいては教育勅語を復活させようという狙いがある。
 『第三期国定教科書修身巻六』の解説によれば、「……教育の淵源亦実に此に存す」までを第一段として「皇室の御祖先が広大な規模でいつまでも動かない国を始め、臣民は忠孝の美を全うしてきた。これが我が国体の生粋な所で教育の基づくところでもある」という。
 徳目「「爾臣民……彰するに足らん」を第二段として、臣民の務めるべきことをのべ「皇室典範・大日本帝国憲法を重んじ……もし国に事変が起こったら、勇気を奮い一身をささげて、君国のために尽くさなければなりません。かようにして天地と共に窮まりない皇位の御盛運をお助け申し上げるのが、我らの務めであります」とすべての徳目は「一身をささげて」も包括して神勅にいう「窮まりない皇運」とつながっているのであり、個別な徳目として取り出すことはできない。
 最後の第三段の「斯の道は……其徳を一にせんことを庶幾う」では「皇祖皇宗のご教訓であって、皇祖皇宗のご子孫も臣民も共に守るべき……」と天皇と臣民であればこそ守るべくというのであるから、「父母に孝に」などの徳目を天壌無窮の皇運と別次元でつまみ出すわけにはいかない。このことは1930年、文部省図書局「教育に関する勅語」全文通訳を読むとよくわかる。
 文部省が1945年9月に発表した「新日本建設の方針」には、今後の教育には一層国体主義の堅持に努めとあり、当時の国際政治情勢において、政府の要人たちの発想は「天皇制」すなわち「国体護持」ばかりか「教育勅語」の擁護にまで及んでいる。「教育勅語」は日本の教育理念を国体主義にもとづく天皇・天皇制に求めるものであるが、それが日本国憲法における象徴天皇制においても連綿と生き続けている。

7.2006年の第1次安倍内閣で成立した「改正教育基本法」には、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」とする教育目標が挿入され、その後の政府・文科省も愛国心教育・教育政策・教科書行政の土台になっている。そして、東京と大阪など全国の学校の「卒業式・入学式」「周年行事」の場などでの「日の丸・君が代」強制が現在も続いている。
 教育は、戦前・戦中を通じて、天皇制にもとづく国民統治を最大限に機能させる手段として、一貫して権力の側に重視されてきた。戦後も、戦前からの連続性を巧みに利用して、国家主義・愛国心教育を強化する政策は揺らぐことはない。第1次安部政権以来の「「教育改革」は、子どもたちをアジア・太平洋戦争による侵略戦争と植民地支配の時代、明治憲法下の天皇制の時代へと誘うものである。国家主義的な教育は、国家や「公」なるものに対する個人の犠牲を強要し、美化し、個人主義を否定するものである。
 日本の戦前・戦中の教育は、国家が教育を全面支配し、学校は「教育勅語」に基づく教育により忠君愛国の精神で天皇のために命を捧げる「少国民」を育成する場として、子どもたちと人々を侵略戦争に動員する上で決定的な役割を果たした。

8.安倍政権・菅政権に続く岸田政権による「安保3文書」による「大軍拡」・「敵基地攻撃」は、沖縄・琉球弧などの軍事基地増強・日米韓などの共同軍事訓練を進め、自民族優越主義・民族排外主義に基づく画一的な価値観を植え付け、多様な個性と多様な価値観を認めず、愛国心教育体制に突き進んでいる。
 私たち、全国各地の教員・退職教員・保護者・市民の全国的ネットワークである、「許すな!『日の丸・君が代』強制、止めよう!改憲・教育破 全国ネットワーク」は、満腔の怒りを込めて宣言する。

 松井一実広島市長による広島市職員研修資料・講話での軍国主義教育の要であった「教育勅語」使用に抗議する!
 松井市長は、職員研修で講話に「教育勅語」を肯定的に使用したことを職員・市民に釈明・謝罪し、講話内容を撤回せよ!今後は「教育勅語」を使用しないことを確約せよ!

 


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