ある都立高定時制 ☆ 7人の答辞 ☆ その3(Eさん、Fさん) 2007年3月
☆ 「答辞」 ☆
僕は一年前まで全日制の生徒でした。自分で言うのもなんですが、成績もなかなかよろしく、先生方の覚えも良いという、随分な優等生ぶっていました。が。頑張りすぎちゃったんでしょうね、体調をおもいっきし崩して卒業目前で、ドロップアウト。んで、四年生からというなんとも中途半端な時期から、この○○高校にお世話になったのであります。
もともと個人主義というか、誰かと居るより一人で居る方が気楽な僕には、正に定時制はパラダイス。最初こそ何を思ったのか集団に埋没しようとしちゃいましたけど、やっぱり無理でした。人間できる事と出来ない事があるんですね。全日制時代は出来るだけ集団に入ろうと頑張ってました。普通とか一般とかいう言葉に憧れもしました。けど、○○に来て、そういうの全部がやっと吹っ切れたんです。
ほら、定時制って一人で居る時間を長くとれるじゃないですか。いろんなことを考えて、自分自身をみつめ直して。「ああ、僕ってこういう人間なんだ」って認めたら、今までズルズルズルズル未練がましく引き摺ってた物、捨てられたんです。
僕は僕、それ以上でもそれ以下でもそれ以外の何者でもない。
誰かと同じになる必要なんてない、誰かの指図を受ける必要もない。別に僕がゴウイングマイウエイに生きた所で、誰かを死なせるわけじゃないし、他人に迷惑さえかけなければ自分を貫いていいんですよね、実際。
というか、同じ価値観を持った人間なんていやしないんです。もしも、一から百まで同じ事を思う人間が居たとしたら、僕は正直気持ち悪いです。たとえ遺伝子を分け合った双子だろうと、すべてが一致することなど不可能なのですから。好きな物嫌いな物、出来ること出来ないこと、やりたい事やりたくない事。そういうのが個人個人違うのが当然で、それこそが当たり前で普通な事なんだ。僕はそう思っています。
が、世間はそうは思ってないみたいですね。転入する際に前の学校の先生にさんざん言われましたよ、「考え直せ」って。定時とかいうゴミの集積場なんて行ったら、もう取り返しがっかないぞ。いい大学にも行けないし、いい会社にも就職できないぞって。
…あのですね。学校なんて卒業出来りゃどこでも一緒だと思うんですが。別に全日でも定時でも、資格としては同じ物を貰うわけですし…。
ってか、全日から来た僕に言わせれば、良心的な先生の多い定時の方が、生徒の精神的苦痛は少ないと思うんですけど…どうなんでしょうね。
まあ何はともあれ、僕は僕らしく生きていこうと思う次第であります。別に異端でも非一般的でもいいじゃないですか。一度きりの人生です、楽しんでいきましょうや。
では、お世話になった諸先生方、在校生の皆さん、保護者の方々、並びにご来校の方々のご健康をお祈りして、僕からの答辞とさせて頂きます。ご静聴、ありがとうございました。
☆ 「答辞」 ☆
自分は、今日この○○定時制を卒業します。正直に言ってすごく嬉しいです。
自分は、高校に二回入学しました。初めは、△△工業を二年の終わる頃あと一年という時にやめてしまいました。元々「入れればいいや」という。中途半端な考えがあったことに加えて、いざ入ってみたら、工業の専門科目が好きになれなかったからです。四回目のタバコで停学になったのをきっかけに、深く考えることもなくやめてしまいました。
母は反対はしなかったが、祖母には「二年も行ってもったいない」といわれてしまいました。これから何をしょうとかも考えていませんでした。高校もやめて仕事を始めたけど長くは続かず、転職を繰り返していました。学校に行かなくなったことで、友達とかの付き合いも少なくなり、すごくつまらない生活になっちゃいました。
でもそんなとき、中学からの友達で自分と同じ、高校をやめて働いている、I君が、○○定時に入るきっかけをくれました。僕はI君の一言で、"やっぱり高卒は持っておいた方がいいかな"と思ったのです。今ではその時もう一回高校行こうと言ってくれたI君にめっちゃ感謝しています。
一年の時は、余り全日の時と変わらない生活をしていましたが、二年の夏にヘルパーの資格を取りました。そして今は老人介護施設で働いています。
自分が介護の仕事に興味を持ったのは、祖母が脳梗塞で倒れて、半身麻痺になってしまって、母が祖母の世話をしているのを見ていて、自分にも何かできることはないのかと思ったからです。
実際に働いてみるととてもきつい仕事でした。身内の汚物は処理できても、やっぱ他人のとなると抵抗がありました。こういう言い方はしてはいけないと思うげど、汚いし、臭いし、初めは気持ち悪かった。けどそんなのは、日に日に慣れて行きました。
僕が今見ている利用者は、五段階のある要介護度の内重い方の「3」から「5」の人達で、認知のある人、半麻痺の人、全麻痺の人です。
麻痺の人の介護は肉体的にもきついし精神的にも辛いです。けっこう大変です。だけどやりがいのある仕事だと思っています。介護度の低いおじいちゃんとかかわいいおばあちゃんとかいるし結構いやされます。
一番嬉しいのは、「ありがとう」とか感謝の言葉を言われた時です。そして一番辛いのは利用者が亡くなった時です。自分たちの働いている施設の入所者は、病院の患者さんとは達って悪<なっても良くはなりません。
僕は施設は最後に来る場所なのかなと思ってます。実際に施設に居る利用者が具合が悪くなって入院をして帰って来ても前よりも悪くなって帰ってきます。そういう時はとても辛くなります。ぼくは介護という仕事を出来る限り続け、将来は介護士の資格を取り、本格的にこの仕事につこうと考えています。
最後に在校生のみんなに言いたいことがあります。定時制は、全日とは違って、少し甘いとこがあるけど、全日制では学べないことがたくさんあります。
定時には年令の違う先輩や後輩がいます。Mずき君、Oっくん、T一やん、IしぢそしてJちゃんとは四年間同じクラスでがんばってきました。定時制の友達は年の差や経験の差もあるから、新鮮だったし、いろいろ勉強になった。
又、先生達も親切でタメロをきいてたけど心の中では信頼してました。先生を信頼できたのはこの学校が初めてだった。
そういう環境の中だったからこそ信頼関係を作ることができたのだと思います。それが介護の仕事にとても役立っています。
在校生の皆さん四年間は長いけど四年の聞に何かやりたいことを見つけて下さい。何もないまま卒業しても意味は無いと思うし、きっとやりたいことが見つかります。
ここの先生達はきっと応援してくれます。A先生、K先生、T先生、I先生、をはじめ先生方、四年間本当にお世話になりました。ありがとうございました。
≪連載≫7人の答辞(リンク)
※その1(Aさん、Bさん、Cさん)
※その2(Dさん)
※その3(Eさん、Fさん)
※その4(Gさん、教職員一同)
※「素晴らしい卒業式を発掘『日の丸・君が代』都立高校卒業式潜入ルボ」
池添徳明(ジャーナリスト)
☆ 「答辞」 ☆
卒業生代表 E
僕は一年前まで全日制の生徒でした。自分で言うのもなんですが、成績もなかなかよろしく、先生方の覚えも良いという、随分な優等生ぶっていました。が。頑張りすぎちゃったんでしょうね、体調をおもいっきし崩して卒業目前で、ドロップアウト。んで、四年生からというなんとも中途半端な時期から、この○○高校にお世話になったのであります。
もともと個人主義というか、誰かと居るより一人で居る方が気楽な僕には、正に定時制はパラダイス。最初こそ何を思ったのか集団に埋没しようとしちゃいましたけど、やっぱり無理でした。人間できる事と出来ない事があるんですね。全日制時代は出来るだけ集団に入ろうと頑張ってました。普通とか一般とかいう言葉に憧れもしました。けど、○○に来て、そういうの全部がやっと吹っ切れたんです。
ほら、定時制って一人で居る時間を長くとれるじゃないですか。いろんなことを考えて、自分自身をみつめ直して。「ああ、僕ってこういう人間なんだ」って認めたら、今までズルズルズルズル未練がましく引き摺ってた物、捨てられたんです。
僕は僕、それ以上でもそれ以下でもそれ以外の何者でもない。
誰かと同じになる必要なんてない、誰かの指図を受ける必要もない。別に僕がゴウイングマイウエイに生きた所で、誰かを死なせるわけじゃないし、他人に迷惑さえかけなければ自分を貫いていいんですよね、実際。
というか、同じ価値観を持った人間なんていやしないんです。もしも、一から百まで同じ事を思う人間が居たとしたら、僕は正直気持ち悪いです。たとえ遺伝子を分け合った双子だろうと、すべてが一致することなど不可能なのですから。好きな物嫌いな物、出来ること出来ないこと、やりたい事やりたくない事。そういうのが個人個人違うのが当然で、それこそが当たり前で普通な事なんだ。僕はそう思っています。
が、世間はそうは思ってないみたいですね。転入する際に前の学校の先生にさんざん言われましたよ、「考え直せ」って。定時とかいうゴミの集積場なんて行ったら、もう取り返しがっかないぞ。いい大学にも行けないし、いい会社にも就職できないぞって。
…あのですね。学校なんて卒業出来りゃどこでも一緒だと思うんですが。別に全日でも定時でも、資格としては同じ物を貰うわけですし…。
ってか、全日から来た僕に言わせれば、良心的な先生の多い定時の方が、生徒の精神的苦痛は少ないと思うんですけど…どうなんでしょうね。
まあ何はともあれ、僕は僕らしく生きていこうと思う次第であります。別に異端でも非一般的でもいいじゃないですか。一度きりの人生です、楽しんでいきましょうや。
では、お世話になった諸先生方、在校生の皆さん、保護者の方々、並びにご来校の方々のご健康をお祈りして、僕からの答辞とさせて頂きます。ご静聴、ありがとうございました。
☆ 「答辞」 ☆
卒業生代表 F
自分は、今日この○○定時制を卒業します。正直に言ってすごく嬉しいです。
自分は、高校に二回入学しました。初めは、△△工業を二年の終わる頃あと一年という時にやめてしまいました。元々「入れればいいや」という。中途半端な考えがあったことに加えて、いざ入ってみたら、工業の専門科目が好きになれなかったからです。四回目のタバコで停学になったのをきっかけに、深く考えることもなくやめてしまいました。
母は反対はしなかったが、祖母には「二年も行ってもったいない」といわれてしまいました。これから何をしょうとかも考えていませんでした。高校もやめて仕事を始めたけど長くは続かず、転職を繰り返していました。学校に行かなくなったことで、友達とかの付き合いも少なくなり、すごくつまらない生活になっちゃいました。
でもそんなとき、中学からの友達で自分と同じ、高校をやめて働いている、I君が、○○定時に入るきっかけをくれました。僕はI君の一言で、"やっぱり高卒は持っておいた方がいいかな"と思ったのです。今ではその時もう一回高校行こうと言ってくれたI君にめっちゃ感謝しています。
一年の時は、余り全日の時と変わらない生活をしていましたが、二年の夏にヘルパーの資格を取りました。そして今は老人介護施設で働いています。
自分が介護の仕事に興味を持ったのは、祖母が脳梗塞で倒れて、半身麻痺になってしまって、母が祖母の世話をしているのを見ていて、自分にも何かできることはないのかと思ったからです。
実際に働いてみるととてもきつい仕事でした。身内の汚物は処理できても、やっぱ他人のとなると抵抗がありました。こういう言い方はしてはいけないと思うげど、汚いし、臭いし、初めは気持ち悪かった。けどそんなのは、日に日に慣れて行きました。
僕が今見ている利用者は、五段階のある要介護度の内重い方の「3」から「5」の人達で、認知のある人、半麻痺の人、全麻痺の人です。
麻痺の人の介護は肉体的にもきついし精神的にも辛いです。けっこう大変です。だけどやりがいのある仕事だと思っています。介護度の低いおじいちゃんとかかわいいおばあちゃんとかいるし結構いやされます。
一番嬉しいのは、「ありがとう」とか感謝の言葉を言われた時です。そして一番辛いのは利用者が亡くなった時です。自分たちの働いている施設の入所者は、病院の患者さんとは達って悪<なっても良くはなりません。
僕は施設は最後に来る場所なのかなと思ってます。実際に施設に居る利用者が具合が悪くなって入院をして帰って来ても前よりも悪くなって帰ってきます。そういう時はとても辛くなります。ぼくは介護という仕事を出来る限り続け、将来は介護士の資格を取り、本格的にこの仕事につこうと考えています。
最後に在校生のみんなに言いたいことがあります。定時制は、全日とは違って、少し甘いとこがあるけど、全日制では学べないことがたくさんあります。
定時には年令の違う先輩や後輩がいます。Mずき君、Oっくん、T一やん、IしぢそしてJちゃんとは四年間同じクラスでがんばってきました。定時制の友達は年の差や経験の差もあるから、新鮮だったし、いろいろ勉強になった。
又、先生達も親切でタメロをきいてたけど心の中では信頼してました。先生を信頼できたのはこの学校が初めてだった。
そういう環境の中だったからこそ信頼関係を作ることができたのだと思います。それが介護の仕事にとても役立っています。
在校生の皆さん四年間は長いけど四年の聞に何かやりたいことを見つけて下さい。何もないまま卒業しても意味は無いと思うし、きっとやりたいことが見つかります。
ここの先生達はきっと応援してくれます。A先生、K先生、T先生、I先生、をはじめ先生方、四年間本当にお世話になりました。ありがとうございました。
≪連載≫7人の答辞(リンク)
※その1(Aさん、Bさん、Cさん)
※その2(Dさん)
※その3(Eさん、Fさん)
※その4(Gさん、教職員一同)
※「素晴らしい卒業式を発掘『日の丸・君が代』都立高校卒業式潜入ルボ」
池添徳明(ジャーナリスト)
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