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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

連載 イギリスの「教育改革」 4

2006年12月08日 | 人権
連載 イギリスの「教育改革」 4
根拠のない「イギリス礼賛」に惑わされず
       批判的な検証を続けていこう!


<世界中で採用しなくなったバウチャー制度>

 バウチャー制は、先日亡くなったミルトン・フリードマンがバウチャーの最初の提唱者とされ、いわば教育用の小切手を保護者に配るというシステムである。多くの保護者の支持を得た学校には、これが沢山持ち込まれるので潤沢な予算が確保される。一方、不人気なところは予算が減り、経営の継続が危うくなるため、「企業努力」が進み、全体として学力向上となるという理屈である。
 しかし、これが提唱されてから既に50年近くが経過し、もっとも大規模にはチリが国家的な実験をし、アメリカではフロリダなどが採用したが、はっきりとした成果があがったというデータにおめにかかったことはない
 それどころか、近頃は「私立の教育は公立より優れている」という前提そのもの(フリードマンは、当時行われた全米調査の結果を前提としている)が、疑問視されるようになった。
 つまり、「私立の教育が良かった」というわけではなく、「私立(アメリカの場合は大半がミッション系)の教育を支える保護者たちの持つ教育環境が良かった」のであるという理解が一般的となっている。

<サッチャー政権でさえ採用しなかったバウチャー制度>
 ちなみに、バウチャー採用に突き進んでいると思われたサッチャー政権では、彼女の教育問題の「師匠」と言われていたキースジョセフが、周辺の期待を裏切り、これを断念するという最終判断をした。

 最大の理由は、この制度が教育を全面的に市場に委ねる道である事への懸念があったためであろう。政権を支える新自由主義者たちが抱くバウチャー導入への強い要望を押しとどめ、彼らの不満を押し切ってでも、教育の公共性を一定程度は維持することが必要性だ、というのがキースジョセフの「財政上ではなく政策上の問題だ」という発言の意味だと思われる。
 近ごろ突如として声高になった日本版バウチャー論者たちだが、彼らの誰が、これらの経緯を総括して議論を展開しているだろうか?まともな判断力をもってフリードマン以来の歴史的経過を振り返るならば、楽観的なバウチャー導入論を今どき大声で叫べるような根拠は全くないと私は思う。
 付け加えるなら、某居酒屋チェーンの社長が主張しているタイプのものは、格差を広げるとして、バウチャー論者の中でも支持が少ない。これは、トップアップとかアドオンと呼ばれるもので、公的に支給されるバウチャーに、経済力のある保護者は自分のお金を上乗せして学校へ持ち込んで良い(=授業料値上げ)という制度であるため、経済的弱者が「良い教育」を受ける可能性を無くしてしまうと懸念されている。

<業績給与制度>
 新たな給与制度は2000年秋より導入されている。大きく4分野(生徒の成績、教科の専門性、クラス展開能力、学校全体の改善)の観点から教職員の仕事ぶりを評価し、要件が満たされれば給与を40数万円増加するというものである。初年度は応募対象である教員の約80%が申請をし、そのうち97%が給与増を認められた。
 ブラックボックスと化し、校長の恣意的な人事政策の具となっている東京の人事考課とくらべれば、はるかにオープンであり、目標設定も上からの押し付けではなく評価担当者とのディスカッションで決められる。(N)

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