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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

まつろわぬ東北より

2011年09月28日 | 日の丸・君が代関連ニュース
 《9・24「君が代」強制大阪府条例はいらん!全国集会・資料》
 ◇ まつろわぬ東北より
宮城県公立小学校教員 土屋 聡

 ● あの大きな雪が降る日、 大きな揺れに、日常を、仲間を奪われたことは辛かった。辛い。苦しい。整理などつかない。「頑張れ!」などと言われ、どうすればいいというのだ。津波にすっかり奪われた昨日・今日・そして明日。しんどい。けれども天災だと思うことができないことはない。今月の台風にも、自然のパワーの大きさを見せつけられた。敵わない。人間は、謙虚に暮らさなければならない。
 ● しかし、原子力発電所からの放射能汚染は、自然の業ではない。 人間がしたこと。犯罪だ。罪だ。過ちだ。津波の跡形は、10年努力すれば、回復するかもしれない。努力に値する。頑張ろうと思う。頑張ることが可能だ。けれども、ばらまかれた放射能は、どうすればいいのだ。爽やかな春風も、香しいヨモギ団子も、若鮎も、子どもたちと楽しむ昆虫採集、砂浜ではしゃぐ夏、素潜りした後の焚き火の暖かさ、秋のキノコ採り、初雪に空に大きな口を開ける喜び、つららをぺろりとなめる笑顔。みんなみんな奪われて、いつ還ってくるのか。いつ自然は、自然になるのか。
 ● 「原子力の平和利用」なんてうそだ! 原子力発電所はいらない!そういう声を大きく上げ、そして廃炉に導けなかったことを反省する。ヒロシマ・ナガサキ、第五福竜丸、そして水俣で、私たちは十分学んだはずだったのに、それを実際の世の中に生かしきれなかったことを反省する。2011年、まじめに生きることを新たに決意するときだ。子どもたちに、自然と共に生きる喜びを教えたい。屋外活動を禁じ、猛暑にも窓を閉め切ることを強いなければならない日々を続けさせるわけにはいかない。「安全だから大丈夫」とプールに入る友だちを、長袖長ズボンマスク姿で暑い教室から独り眺める辛さ。その孤独感に私は寄り添いたい。子どもたち誰一人として決して孤立させない。教職員は、どの子も孤立させてはならない。それが、職責だ。
 ● 「ただちに健康に被害はない」 と、その場限りの権力者たちの言葉。そのまま子どもたちに押し付けることはできない。ある学校で、こんなやりとりがあったという。プール清掃をどうするかという議論。放射線量の高い汚泥を子どもたちに触れさせるべきではないという意見。けれども、管理職は「安全だから大丈夫」と言う。モニタリングポストでの数値は安全だ。モニタリングポストは何十㎞も遠い地点ではないか。そもそも役場では測定していないではないか。すると、こう返答。国が安全と言っているから安全だ。隣の学校はもう子どもたちにプール掃除をさせた。教育委員会も安全だと言っている。教委が言っているんだから、責任は教委にある。大丈夫だ。このような学校現場(国)を、どう変えていくか
 ● 「東北の人は、我慢強い」 などとテレビの向こうで言われることが、とても腹立たしい。安全だ、考えすぎだ、騒ぐほうが異常だと言いながら、安全基準を変える狡さに、黙っていることはできない。「放射線を年間20ミリシーベルトまで浴びても大丈夫」という文科省の暫定基準を、放射線管理区同様「年間1ミリシーペルトまで」に押し返した「子ども福島」の皆さんを先頭とした市民の力は、素晴らしいもの。事無きを得たい権力者たちは、弱い者いじめを平気でする。私たちは、決して許さない。許さない行動を着実に歩もう。
 ● たとえば、飲料水の基準値。 1リットルあたり何ベクレルが、基準か。アメリカは、0.1ベクレル。ドイツは、0.5ベクレル。ウクライナは、2ベクレル。ベラルーシは10ベクレル。WHOも10ベクレル。そして、日本は300ベクレル(ヨウ素)・200ベクレル(セシウム)。
 ドイツ放射線防護協会による「日本における放射線リスク最小化のための提言」(2011.3.20.)は、3つの提言をあげている。
 1.放射性ヨウ素が現在多く検出されているため、日本国内に居住する者は当面、汚染の可能性のあるサラダ菜、葉物野菜、薬草・山菜類の摂取は断念することが推奨される
 2.評価の根拠に不確実性があるため、乳児、子ども、青少年に対しては、lkgあたり4ベクレル以上のセシウム137を含む飲食物を与えないよう推奨されるべきである。成人は、1kgあたり8ベクレル以上のセシウム137を含む飲食物を摂取しないことが推奨される。
 3.日本での飲食物の管理および測定結果の公開のためには、市民団体および基金は、独立した放射線測定所を設けることが有益である。ヨーロッパでは、日本におけるそのようなイニシアチブをどのように支援できるか、検討すべきであろう。
 ちなみに、宮城県産の原乳の放射線量検査の結果(結果判明日2011.8.18)は「ヨウ素不検出、セシウム9ベクレル」。原乳産地の隣町の小学校では、変わりなく給食で牛乳が並べられている。
 ● 「子ども福島」をはじめとする市民団体 と政府の交渉で、ある女性が親の立場で訴えていた。その言葉が、心に残る。「あなたは、自分の子どもを、100人に1人の確率のロシアンルーレットに入れることができますか」。ただちに健康に害はないという言葉に、誰がどんな「安心」をするのか。安心しなさいという命令形は可能なのか。これから起こるかもしれない、小さな不調、思春期の娘の脱毛、治まらない下痢、破談になるかもしれない結婚への不安...。原発が原因でないとは言いきれない呪縛の中で暮らし続けることは、全く「安心」や「幸せ」から、遠ざけられているのだ。このままでいいはずがない。
 ● 「ただちに平和への被害はない」 という考え方。私たちはそんなふうに過ごしてこなかっただろうか。「ただちに平和への被害はない」からと、幾多の呪縛となる法律を通させてしまい、幾重もの管理システムを構築させてしまったのではないか。長らく反対運動をしてきたと言っても、それは免罪符にはならない。通してしまったのだから。私は、反省している。心を新たにしている。
 ● 東京での「君が代」不起立の闘いに学ぶ。 ずっと警笛を鳴らし続けていること。それを諦めたり、緩めたならば、危惧した事態は、すぐに現れる。放射能に汚染されているのは、福島だけではない。同じように、教育基本条例に相対しているのは、大阪だけではない。全国の仲間と共に、この横暴を止めること。一つひとつ、全力で抗うこと。多様多彩な人間の営みとしての行動。拳をあげるも、文字で伝えるも、歌うも踊るも、集う仲間の持ち味を互いに発揮させつつ、しぶとく、したたかに、しなやかに、大らかに、にぎやかに、そして高らかに、もともとの人間の暮らしを築いていきたい。ここから始まる。私たちが始める。

 (つちやさとしTwitter:tanoshiro)

『ある小学校教員の毎日』
http://homepage.mac.com/tsuchiya_sat/diary/index.html

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