2013年8月29日
最高裁判所第二小法廷 御中
子供の頃に、『二十四の瞳』を子供版で読んだときには“教師と児童との心温まる交流”、という印象を持ち、教師という仕事に心を動かされました。
小中学校時代には、平和教育を受けた記憶がありません。私が平和教育に出会うのは教員になってからでした。
先輩の教師からすすめられてあらためてこの本を読む機会がありました。すると、作者の強烈な反戦の思いが伝わってきました。
また、先輩たちに「教え子を再び戦場に送るな」という言葉を知らされ、深く考えさせられ、その後の教員としての自分の柱にして教員生活を送ってきました。
最近、あらためてこの本を読む機会がありました。その一節に「人のいのちを花になぞらえて、散ることだけが若人の究極の目的であり、つきぬ名誉であると教えられ、信じさせられていた子供たちである。日本じゅうの男の子を、すくなくともその考えに近づけさせ、信じさせようと方向づけられた教育であった」という箇所に目がとまりました。
ここで指摘されている「教育」は、70年前の戦前の様子ではなくなってきているのではないかと思わされたのです。
安倍自民党政権は、9条を最大のターゲットとした憲法「改正」、集団自衛権の行使の容認、「敵」基地攻撃、秘密保全法案、辺野古基地建設そして原発再稼働などなどを実現させようとしています。軍国主義、戦争をする国づくりへと歩を進めているとしか思えません。
これが安倍首相の唱える「取り戻す」べき日本であり、『二十四の瞳』で作者が訴えている治安維持法の時代の新たな姿ではないでしようか。
こうした動きを先取りしたのが「東京から日本を変える」と豪語した石原前知事の一連の施策です。
2003年の「1023通達」の発出をはじめ東京都の教育は安倍政権の推し進めつつある「教育再生」という名の教育破壊の先取りを行っていると感じます。
「日の丸・君が代」を強制し処分し、職員会議での挙手・採決を禁止するなど、もの言えぬ職場がつくられてきてしまいました。
成績主義の導入とあいまって、教職員は疲れきって、心身の病気になったり休職したり、早期退職したりしています。
さらに、ある特定の日本史の教科書を都教委の意に添わないとして「不適切」と決議し、各学校に通知しました。これは国定教科書づくりへの一歩ではないでしょうか。
また、全国的に問題になった『はだしのゲン』の閲覧制限についても、それを是とした文科大臣の発言を受けて、都教委は各学校の図書館に対して、本の有無、貸出方式等について「調査」を降ろしました。
この問題は「残酷」さを口実にし、中国での日本軍による加害の実態などの“犯罪”を打ち消すことや、天皇制への批判的見方を児童生徒に見せたくないという歴史認識に関わる問題です。
「調査」は『はだしのゲン』を「焚書」にしたいという目的を背景にしていることは明らかです。
2006年9月、東京地裁難波裁判長は、教職員に対する国歌の起立斉唱義務及びピアノ伴奏の強制を違憲・違法とする画期的な判決を出しました。
そのとき、私は傍聴席にいました。裁判長が退席した後、法定内は大きな歓声に包まれ、中には涙を流している原告もいました。私も、お腹の底からこみ上げてくる喜びを感じました。裁判にそれほど期待はしていなかったのですが、このときの地裁判決に信頼と、希望の光を見た思いです。これは原告だけでなく、東京都、いや全国の教職員に対しても、自らの力で教育現場の課題を解決していくための格別の力と勇気とを与えてくれました。
しかし、その後に出された判決は後退をしています。すでに判決日が伝えられていますが、前述した安倍政権の成立後の初めての判決となることを考えると、日本の平和をめぐる重要な歴史的判決になるのではないかと考えます。
これ以上都教委の暴走、教育破壊を許さないためにも、「10.23通達」の撤回・処分撤回を求めるとともに、あらためて、この問題は最高裁大法廷にて審理されるよう切に要請します。
最高裁判所第二小法廷 御中
〈事件番号〉平成25年行(ツ)第140号 平成25年行(ヒ)第180号
懲戒処分取消等請求事件 上告人 M
懲戒処分取消等請求事件 上告人 M
◎ 大法廷での公正な審理と判決を求める要請書
子供の頃に、『二十四の瞳』を子供版で読んだときには“教師と児童との心温まる交流”、という印象を持ち、教師という仕事に心を動かされました。
小中学校時代には、平和教育を受けた記憶がありません。私が平和教育に出会うのは教員になってからでした。
先輩の教師からすすめられてあらためてこの本を読む機会がありました。すると、作者の強烈な反戦の思いが伝わってきました。
また、先輩たちに「教え子を再び戦場に送るな」という言葉を知らされ、深く考えさせられ、その後の教員としての自分の柱にして教員生活を送ってきました。
最近、あらためてこの本を読む機会がありました。その一節に「人のいのちを花になぞらえて、散ることだけが若人の究極の目的であり、つきぬ名誉であると教えられ、信じさせられていた子供たちである。日本じゅうの男の子を、すくなくともその考えに近づけさせ、信じさせようと方向づけられた教育であった」という箇所に目がとまりました。
ここで指摘されている「教育」は、70年前の戦前の様子ではなくなってきているのではないかと思わされたのです。
安倍自民党政権は、9条を最大のターゲットとした憲法「改正」、集団自衛権の行使の容認、「敵」基地攻撃、秘密保全法案、辺野古基地建設そして原発再稼働などなどを実現させようとしています。軍国主義、戦争をする国づくりへと歩を進めているとしか思えません。
これが安倍首相の唱える「取り戻す」べき日本であり、『二十四の瞳』で作者が訴えている治安維持法の時代の新たな姿ではないでしようか。
こうした動きを先取りしたのが「東京から日本を変える」と豪語した石原前知事の一連の施策です。
2003年の「1023通達」の発出をはじめ東京都の教育は安倍政権の推し進めつつある「教育再生」という名の教育破壊の先取りを行っていると感じます。
「日の丸・君が代」を強制し処分し、職員会議での挙手・採決を禁止するなど、もの言えぬ職場がつくられてきてしまいました。
成績主義の導入とあいまって、教職員は疲れきって、心身の病気になったり休職したり、早期退職したりしています。
さらに、ある特定の日本史の教科書を都教委の意に添わないとして「不適切」と決議し、各学校に通知しました。これは国定教科書づくりへの一歩ではないでしょうか。
また、全国的に問題になった『はだしのゲン』の閲覧制限についても、それを是とした文科大臣の発言を受けて、都教委は各学校の図書館に対して、本の有無、貸出方式等について「調査」を降ろしました。
この問題は「残酷」さを口実にし、中国での日本軍による加害の実態などの“犯罪”を打ち消すことや、天皇制への批判的見方を児童生徒に見せたくないという歴史認識に関わる問題です。
「調査」は『はだしのゲン』を「焚書」にしたいという目的を背景にしていることは明らかです。
2006年9月、東京地裁難波裁判長は、教職員に対する国歌の起立斉唱義務及びピアノ伴奏の強制を違憲・違法とする画期的な判決を出しました。
そのとき、私は傍聴席にいました。裁判長が退席した後、法定内は大きな歓声に包まれ、中には涙を流している原告もいました。私も、お腹の底からこみ上げてくる喜びを感じました。裁判にそれほど期待はしていなかったのですが、このときの地裁判決に信頼と、希望の光を見た思いです。これは原告だけでなく、東京都、いや全国の教職員に対しても、自らの力で教育現場の課題を解決していくための格別の力と勇気とを与えてくれました。
しかし、その後に出された判決は後退をしています。すでに判決日が伝えられていますが、前述した安倍政権の成立後の初めての判決となることを考えると、日本の平和をめぐる重要な歴史的判決になるのではないかと考えます。
これ以上都教委の暴走、教育破壊を許さないためにも、「10.23通達」の撤回・処分撤回を求めるとともに、あらためて、この問題は最高裁大法廷にて審理されるよう切に要請します。
以上
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