☆ 判決期日指定 2015年1月16日(金)13:10 東京地裁103号法廷
<東京「君が代」第3次訴訟結審>
◎ 「10.23通達」は都立学校の教育そのものを破壊しました
原告のYです。10.23通達は卒業式・入学式だけでなく、都立学校の教育そのものを破壊しました。教育行政が生徒の内発的な成長には関心を向けず、支配の道具として教育を利用していることに、大きな不安と怒りを覚えます。
通達が出た翌年の3月、長い時間をかけて作り上げてきた伝統や校風、式の主役である卒業生たちの願いさえも無視した画一的卒業式が強行され、200人近い教職員が処分されました。
それは、「都教委の決定は絶対に覆らない。逆らったらどうなるのか、思い知れ。」という強烈なメッセージでした。以来、重要な事柄は全て学校の外で決まり、校長先生さえ蚊帳の外です。まして、一般の教職員など都教委の眼中にはありません。私たちは専門職としての誇りを深く傷つけられ、数値化できる成果を競わされ、虚しい多忙化の中でもがいています。
例えば、2012年度から、全日制都立高校には学校で一泊する防災訓練が義務づけられました。目的は生徒の安全確保ではありません。この年の4月、教育再生・東京円卓会議の席で、石原知事は、今の日本は刷り込みが足りないから、兵役や消防・警察などでの長期の奉仕体験が必要だと唱え、猪瀬副知事は「高校生に、とにかく体育館で泊まらせる。クーラーの効かない体育館に泊まらせるということを、今年やります。」と発言しています。生徒を、自分の考え1つで勝手に動かせる「物」としか見ていない言い方です。防災に名を借りて苦役を体験させ、号令に機敏に反応する身体、即ち、集団として統制しやすい生徒を作る意図が明白です。
やむを得ず、各学校は他の行事をやり繰りして、宿泊訓練の日程を組みました。職員室に貼り出された全校の実施日をまとめた1枚の紙は、まるで、学校が都教委に差し出した降伏文書のようでした。都立高校が都教委の植民地になったことを痛感させられた瞬間です。植民地の悲劇は、支配の凶暴さだけではなく、支配される側が支配者の顔色を窺い、迎合していくことです。やがては、支配される痛みさえ忘れ、偽りの自分を生きることになります。
さらに、この年の夏、都教委は各学校の教科書選定に介入し、国旗・国歌に関して「一部の自治体で公務員への強制の動きがある。」と記述した日本史教科書を都立高校から完全に排除しました。わずか20文字の記述を理由に、戦前・戦中に行われた伏せ字どころか、1冊丸ごと葬り去ったのです。昨年は通知まで出して徹底し、今年6月には、記述が変わらない限り、毎年協議するまでもなくこの方針は変えないと決定しました。
来年度からは、都立高校共通の生活指導統一基準による指導が計画されています。生徒が問題を起こした時、私たちは、なぜそんなことをしたのか、どんな悩みを抱えているのか、どんな指導や支援が必要なのかを考えますが、都教委が示した特別指導の指針は、問題行動毎に訓告・停学・退学などの懲戒処分を機械的に当てはめています。「教育に『なぜ?』という疑問や探究は要らない。要るのは、有無を言わさず形を守らせることだ。」という姿勢です。ある先生の言葉を借りれば、これは生徒版10.23通達です。
言われるままに行動し、なぜ?という疑問を封印された人間は、民主主義の担い手とはなり得ません。選挙権だけあてがわれても、主権者とは言えません。この10年で、学校は、物言わぬ臣民を大量生産する工場に変えられつつあります。これを黙って見過ごすことは生徒への裏切りです。この裁判が、教育と民主主義という日本の未来に関わる重大な問題を投げかけていることをご理解の上、公正な判決を下されることを心からお願い致します。
<東京「君が代」第3次訴訟結審>
◎ 「10.23通達」は都立学校の教育そのものを破壊しました
2014年7月18日
原告 Y
原告 Y
原告のYです。10.23通達は卒業式・入学式だけでなく、都立学校の教育そのものを破壊しました。教育行政が生徒の内発的な成長には関心を向けず、支配の道具として教育を利用していることに、大きな不安と怒りを覚えます。
通達が出た翌年の3月、長い時間をかけて作り上げてきた伝統や校風、式の主役である卒業生たちの願いさえも無視した画一的卒業式が強行され、200人近い教職員が処分されました。
それは、「都教委の決定は絶対に覆らない。逆らったらどうなるのか、思い知れ。」という強烈なメッセージでした。以来、重要な事柄は全て学校の外で決まり、校長先生さえ蚊帳の外です。まして、一般の教職員など都教委の眼中にはありません。私たちは専門職としての誇りを深く傷つけられ、数値化できる成果を競わされ、虚しい多忙化の中でもがいています。
例えば、2012年度から、全日制都立高校には学校で一泊する防災訓練が義務づけられました。目的は生徒の安全確保ではありません。この年の4月、教育再生・東京円卓会議の席で、石原知事は、今の日本は刷り込みが足りないから、兵役や消防・警察などでの長期の奉仕体験が必要だと唱え、猪瀬副知事は「高校生に、とにかく体育館で泊まらせる。クーラーの効かない体育館に泊まらせるということを、今年やります。」と発言しています。生徒を、自分の考え1つで勝手に動かせる「物」としか見ていない言い方です。防災に名を借りて苦役を体験させ、号令に機敏に反応する身体、即ち、集団として統制しやすい生徒を作る意図が明白です。
やむを得ず、各学校は他の行事をやり繰りして、宿泊訓練の日程を組みました。職員室に貼り出された全校の実施日をまとめた1枚の紙は、まるで、学校が都教委に差し出した降伏文書のようでした。都立高校が都教委の植民地になったことを痛感させられた瞬間です。植民地の悲劇は、支配の凶暴さだけではなく、支配される側が支配者の顔色を窺い、迎合していくことです。やがては、支配される痛みさえ忘れ、偽りの自分を生きることになります。
さらに、この年の夏、都教委は各学校の教科書選定に介入し、国旗・国歌に関して「一部の自治体で公務員への強制の動きがある。」と記述した日本史教科書を都立高校から完全に排除しました。わずか20文字の記述を理由に、戦前・戦中に行われた伏せ字どころか、1冊丸ごと葬り去ったのです。昨年は通知まで出して徹底し、今年6月には、記述が変わらない限り、毎年協議するまでもなくこの方針は変えないと決定しました。
来年度からは、都立高校共通の生活指導統一基準による指導が計画されています。生徒が問題を起こした時、私たちは、なぜそんなことをしたのか、どんな悩みを抱えているのか、どんな指導や支援が必要なのかを考えますが、都教委が示した特別指導の指針は、問題行動毎に訓告・停学・退学などの懲戒処分を機械的に当てはめています。「教育に『なぜ?』という疑問や探究は要らない。要るのは、有無を言わさず形を守らせることだ。」という姿勢です。ある先生の言葉を借りれば、これは生徒版10.23通達です。
言われるままに行動し、なぜ?という疑問を封印された人間は、民主主義の担い手とはなり得ません。選挙権だけあてがわれても、主権者とは言えません。この10年で、学校は、物言わぬ臣民を大量生産する工場に変えられつつあります。これを黙って見過ごすことは生徒への裏切りです。この裁判が、教育と民主主義という日本の未来に関わる重大な問題を投げかけていることをご理解の上、公正な判決を下されることを心からお願い致します。
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