=「日の丸・君が代」再雇用拒否訴訟=
◆ 最高裁が安倍に忖度“結論ありき”の逆転判決 (週刊新社会)
「日の丸・君が代」(以下「日の君」)強制に従わず都教委から懲戒処分を受けたことを理由に定年後の再雇用を拒否された事件は、一審二審の下級審では原告側が全面勝訴であったが、本年7月19日に最高裁第一小法廷で逆転敗訴の判決を受けた。
判決は、下級審での緻密で論理的な判旨には全く触れることなく、結論だけを逆転敗訴にしたものであった。
判決を出した最高裁第一小法廷では5人の判事の内、安倍の意向で昨年2月に最高裁判事に就任した山口厚や、本年1月就任の深山卓也、そして加計学園監事であった木澤克之が判事として鎮座している。
言うならばこの判決は、安倍忖度による政治判決であったと言ってもよいのである。
そして同じ第一小法廷に係属している、同種の後続訴訟である再雇用拒否の三次訴訟と大阪のSさんの再雇用拒否事件についても、7月19日付けで棄却「決定」文書が送達された。
このように、準備周到の状況からみても、最初から結論ありきの判決であったと言ってよいのである。
◆ 「蝦疵ある判決」の最高裁
わずか7頁の判決文は、一審原告敗訴の理由を「当時の再任用制度等の下において、著しく合理性を欠くものではない」として、都の大幅な裁量権を認めている。
しかし、一審原告には再任用申込者は1人もいない。再雇用制度は改変され、2007年度に教育職の独自制度として再任用職と非常勤教員職との二重制度になった。再任用は合格率が低く、非常勤教員は95%前後であったことから、前者の不合格者は原告にはならなかった経緯がある。
この経緯については下級審判決では詳述されているが、最高裁でこの重要点が無視されている。
もし、最高裁判決で示された「再任用制度」に非常勤教員も含まれるならば、その旨が記述されるべきであり、「等」だけでは「瑕疵ある判決」と言わざるをえない。
また今日、高齢者雇用の問題は社会問題化しており、これを安易に否定することはできない状況だ。そのためしの判文では「当時は」と限定して、今日には波及しないようにしている。その意味では「日の君」のみを狙い撃ちにした政治的な不当判決だと言える。
◆ 「内心」を裁く司法の状況
本件最属裁判決ではもう一つ重要な判決文がある。
一審原告らを「採用した場合に被上告人らが同様の非違行為に及ぶおそれがあることを否定し難いものとみることも、必ずしも不合理であるということはできない」がそれである。
ここでは、行為する前にその内心自身を裁こうとする予防拘禁を是とする司法判断がなされているといえる。
つまり、行為ではなくその「内心」を持つこと自身を裁こうとしているのである。この傾向は、大阪なども含めて最近の司法判断の一つの傾向なのである。
戦前の治安維持法と同じ、司法と政治の危険な傾向であると言える。憲法19条で保護された「内心の自由」が、直接的に制約されているといえるのである。
ここで指摘されるのは、「日の君」関係以外の懲戒処分者もこのような再雇用に際して非違行為が指摘されているのかということである。この問題は、訴訟の当初より原告側が指摘してきた重要点であった。
実際、暴力行為やセクハラなど他事件の懲戒処分者は再雇用が実現してきているのである。
このために「日の君」関係処分者のみが、処分の時点で将来の再雇用拒否が決まっていたのではない…かとする「一連の仕組み」を主張してきたのである。
この主張は下級審勝訴判決に大きな影響を与えてきた。
控訴審では法的期待権は「公正な選考を受ける権利である」とした。「日の君」処分者は最初から合格できないことが暗黙に決められていたならば、それは「公正な選考」とは言えないのである。
しかし、今回の最高裁判決が特定の内心を持った者のみを排除する趣旨ならば、これは重大な憲法違反と言えるのである。
※ 「日の丸・君が代」再雇用拒否第2次訴訟では、2015年12月10日、東京高裁(柴田寛之裁判)は、一審東京地裁判決(2015年5月)を支持して、再雇用拒否撤回を求めた原告の「期待権の侵害」を認め、「裁量権の逸脱・濫用で違法」として、東京都の控訴を棄却し、1審同様損害賠償を原告らに支払うよう命じていた。
同第3次訴訟は、3人の元教員らが14年1月同主旨で東京地裁に提訴して、地裁、高裁で敗訴して、上告していた。
『週刊新社会』(2018年8月21日)
◆ 最高裁が安倍に忖度“結論ありき”の逆転判決 (週刊新社会)
第二次再雇用拒否訴訟原告 永井栄俊
「日の丸・君が代」(以下「日の君」)強制に従わず都教委から懲戒処分を受けたことを理由に定年後の再雇用を拒否された事件は、一審二審の下級審では原告側が全面勝訴であったが、本年7月19日に最高裁第一小法廷で逆転敗訴の判決を受けた。
判決は、下級審での緻密で論理的な判旨には全く触れることなく、結論だけを逆転敗訴にしたものであった。
判決を出した最高裁第一小法廷では5人の判事の内、安倍の意向で昨年2月に最高裁判事に就任した山口厚や、本年1月就任の深山卓也、そして加計学園監事であった木澤克之が判事として鎮座している。
言うならばこの判決は、安倍忖度による政治判決であったと言ってもよいのである。
そして同じ第一小法廷に係属している、同種の後続訴訟である再雇用拒否の三次訴訟と大阪のSさんの再雇用拒否事件についても、7月19日付けで棄却「決定」文書が送達された。
このように、準備周到の状況からみても、最初から結論ありきの判決であったと言ってよいのである。
◆ 「蝦疵ある判決」の最高裁
わずか7頁の判決文は、一審原告敗訴の理由を「当時の再任用制度等の下において、著しく合理性を欠くものではない」として、都の大幅な裁量権を認めている。
しかし、一審原告には再任用申込者は1人もいない。再雇用制度は改変され、2007年度に教育職の独自制度として再任用職と非常勤教員職との二重制度になった。再任用は合格率が低く、非常勤教員は95%前後であったことから、前者の不合格者は原告にはならなかった経緯がある。
この経緯については下級審判決では詳述されているが、最高裁でこの重要点が無視されている。
もし、最高裁判決で示された「再任用制度」に非常勤教員も含まれるならば、その旨が記述されるべきであり、「等」だけでは「瑕疵ある判決」と言わざるをえない。
また今日、高齢者雇用の問題は社会問題化しており、これを安易に否定することはできない状況だ。そのためしの判文では「当時は」と限定して、今日には波及しないようにしている。その意味では「日の君」のみを狙い撃ちにした政治的な不当判決だと言える。
◆ 「内心」を裁く司法の状況
本件最属裁判決ではもう一つ重要な判決文がある。
一審原告らを「採用した場合に被上告人らが同様の非違行為に及ぶおそれがあることを否定し難いものとみることも、必ずしも不合理であるということはできない」がそれである。
ここでは、行為する前にその内心自身を裁こうとする予防拘禁を是とする司法判断がなされているといえる。
つまり、行為ではなくその「内心」を持つこと自身を裁こうとしているのである。この傾向は、大阪なども含めて最近の司法判断の一つの傾向なのである。
戦前の治安維持法と同じ、司法と政治の危険な傾向であると言える。憲法19条で保護された「内心の自由」が、直接的に制約されているといえるのである。
ここで指摘されるのは、「日の君」関係以外の懲戒処分者もこのような再雇用に際して非違行為が指摘されているのかということである。この問題は、訴訟の当初より原告側が指摘してきた重要点であった。
実際、暴力行為やセクハラなど他事件の懲戒処分者は再雇用が実現してきているのである。
このために「日の君」関係処分者のみが、処分の時点で将来の再雇用拒否が決まっていたのではない…かとする「一連の仕組み」を主張してきたのである。
この主張は下級審勝訴判決に大きな影響を与えてきた。
控訴審では法的期待権は「公正な選考を受ける権利である」とした。「日の君」処分者は最初から合格できないことが暗黙に決められていたならば、それは「公正な選考」とは言えないのである。
しかし、今回の最高裁判決が特定の内心を持った者のみを排除する趣旨ならば、これは重大な憲法違反と言えるのである。
※ 「日の丸・君が代」再雇用拒否第2次訴訟では、2015年12月10日、東京高裁(柴田寛之裁判)は、一審東京地裁判決(2015年5月)を支持して、再雇用拒否撤回を求めた原告の「期待権の侵害」を認め、「裁量権の逸脱・濫用で違法」として、東京都の控訴を棄却し、1審同様損害賠償を原告らに支払うよう命じていた。
同第3次訴訟は、3人の元教員らが14年1月同主旨で東京地裁に提訴して、地裁、高裁で敗訴して、上告していた。
『週刊新社会』(2018年8月21日)
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