《再雇用拒否撤回2次訴訟第11回口頭弁論(2012/2/16)陳述》<4>
◎ 第4章 旧教育基本法10条「教育に対する不当な支配」論(1)
原告ら代理人柿沼です。私からは、教育基本法の「教育に対する不当な支配の禁止」に関する本書面第4章について、準備書面の要旨の陳述をいたします。
旧教育基本法第10条第1項は、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。」と規定します。
同条項に関して、原告らは、準備書面(7)において、「『10.23通達~職務命令~処分~採用拒否』という一連の『仕組み』は、旧教育基本法10条1項によって禁止されている教育に対する「不当な支配」に該当し、同条項に反するものとして違法となる。」と主張しました。
その内容は、総論部分として、同条項の趣旨が、①教師による、生徒の個性に応じた人格的な接触による弾力的な教育を実現、そして②公権力による教育に対する介入・思想統制を排除し、教育の自主性の確保、にあること、を示し、
各論において、同条項の基準として、まず、①地方教育行政機関が設定する教育内容の基準が最低限,大綱的基準としての性格を維持するものでなければならないこと、次に②同基準が,教師による創造的かつ弾力的な教育の余地を残さなければならないこと、そして,③同基準が,教師に対して,一方的な一定の理論ないし観念を生徒に教え込むことを事実上強制するものないこと、の3つの要件を示しました。
これに対し、被告は、準備書面(12)において、縷々反論を述べています。そこで、これに対する再反論を行います。
まず、被告の準備書面(12)における反論は、その総論部分において、教育基本法に認められる高位の価値を制限する解釈を行っていることが挙げられます。即ち、被告の主張は、旧教基法10条の解釈に当たって、前述の2つの趣旨という、重要な要素を殊更に、あるいは、意図的に触れないようにすることによって、旧教基法10条の解釈を歪曲化しています。
さらには、旧教基法には、③教育分野における憲法的性格が存在するが、この点についても被告は触れていません。
その結果として、それ以降の旧教基法10条に関する被告の主張は、地方教育委員会の権限・役割を不当に拡張して認めてしまう「地方教育委員会万能論」とでも言うべき論に堕してしまっているのです。
次に、各論ですが、
■ 大綱的基準論について
被告は、「地方公共団体の教育委員会が教育内容及び方法に関して基準を設定する揚合、国の場合とは異なり大綱的基準の範囲にとどめなければならないものではない」と反論します。
そして、その根拠として、被告は、地方教育行政の組織及び運営に関する法律(以下、「地教行法」という。)の23条、32条などの条文、地方自治の原則、旭川学テ事件最高裁判決などを引用しながら、地方の教育委員会の権限・役割の大きさを強調して、「必要的かつ合理的なものであれば、たとえそれが教育内容・方法に関する関与・介入であっても旧教基法10条の禁止するところではないのである。」としています。
しかし、地教行法上の権限を持って教育基本法の条文を制限的に解釈することは、前述した旧教基法の教育分野における憲法的性格を無視した主張です。
すなわち、教育基本法の教育分野における憲法的性格からするならば、むしろ地教行法上の教育委員会及び教育長の権限が、旧教基法10条によって規制されるのであるのに、被告の主張では、逆に、本来、旧教基法の規定、その趣旨、目的への配慮を要求される地教行法の規定をもって、旧教基法の条文の解釈を緩めようとするものであり、旧教基法の憲法的性格を害するものです。
また、被告は、前述のように、地方の教育委員会の権限・役割の大きさを強調するために、地教行法の条文(23条、35条など)を列挙します。しかし、これらの条文は、いずれも、地方の教育委員会に「教育内容」について決定権限を与えたものではなく、被告によるこれらの条文の引用は、恣意的なものと言わざるをえません。
まず、23条の柱書きは、その文言上、あくまでも「事務」についてのみ、教育委員会に権限を与えているに過ぎないのである。決して同条が、教育委員会に、教育内容の決定自体について具体的に介入する権限を認めているものではない。被告による上記反論中の23条5号の引用は、同条柱書きの「事務」という文言を、自己の主張に沿うよう殊更に削除した恣意的なものと言わざるをえません。
むしろ、地教行法25条は、教育委員会の上記23条の権限について、「法令、条例、地方公共団体の規則並びに地方公共団体の機関が定める規則及び規程に基づかなければならない」と法律による規制を受けることを規定しており、さらに、地教行法14条1項は、教育委員会が規則を定めるに際しても「法令又は条例に違反しない限りにおいて」という留保をつけています。
このように、地教行法上の教育委員会及び教育長の権限は、「法令」によって規制を受ける存在なのであって、旧教基法10条によっても規制されるのです。
また、被告は、地方の教育委員会の権限について、32条を挙げますが、同条は、その文言にあるように「所管」に関する規定に過ぎません。決して、「教育内容」の決定権限を与えたものではありません。
特に、32条は、大学についても規定しており、仮に被告主張を前提とすると、大学における教育内容の決定について、地方公共団体の長が、権限を持っことになってしまい、憲法23条の学問の自由、及び、大学の自治の保障を害することになってしまいます。
よって、32条をもって、地方教育委員会の教育内容決定権限を導こうとする被告主張は、認められません。
そもそも、教育の分野においては、教育の自由の保障、教育基本法の趣旨・目的の観点から、教育の内容の決定の問題と、その他学校施設の管理・運営の問題(原告が引用する地教行法23条5号、32条など)は、厳に区別して考慮すべきであるが、被告主張は、これらの問題を混同した上で、地教行法の条文を恣意的に引用したものであり、失当です。
(続)
◎ 第4章 旧教育基本法10条「教育に対する不当な支配」論(1)
代理人弁護士 柿沼真利
原告ら代理人柿沼です。私からは、教育基本法の「教育に対する不当な支配の禁止」に関する本書面第4章について、準備書面の要旨の陳述をいたします。
旧教育基本法第10条第1項は、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。」と規定します。
同条項に関して、原告らは、準備書面(7)において、「『10.23通達~職務命令~処分~採用拒否』という一連の『仕組み』は、旧教育基本法10条1項によって禁止されている教育に対する「不当な支配」に該当し、同条項に反するものとして違法となる。」と主張しました。
その内容は、総論部分として、同条項の趣旨が、①教師による、生徒の個性に応じた人格的な接触による弾力的な教育を実現、そして②公権力による教育に対する介入・思想統制を排除し、教育の自主性の確保、にあること、を示し、
各論において、同条項の基準として、まず、①地方教育行政機関が設定する教育内容の基準が最低限,大綱的基準としての性格を維持するものでなければならないこと、次に②同基準が,教師による創造的かつ弾力的な教育の余地を残さなければならないこと、そして,③同基準が,教師に対して,一方的な一定の理論ないし観念を生徒に教え込むことを事実上強制するものないこと、の3つの要件を示しました。
これに対し、被告は、準備書面(12)において、縷々反論を述べています。そこで、これに対する再反論を行います。
まず、被告の準備書面(12)における反論は、その総論部分において、教育基本法に認められる高位の価値を制限する解釈を行っていることが挙げられます。即ち、被告の主張は、旧教基法10条の解釈に当たって、前述の2つの趣旨という、重要な要素を殊更に、あるいは、意図的に触れないようにすることによって、旧教基法10条の解釈を歪曲化しています。
さらには、旧教基法には、③教育分野における憲法的性格が存在するが、この点についても被告は触れていません。
その結果として、それ以降の旧教基法10条に関する被告の主張は、地方教育委員会の権限・役割を不当に拡張して認めてしまう「地方教育委員会万能論」とでも言うべき論に堕してしまっているのです。
次に、各論ですが、
■ 大綱的基準論について
被告は、「地方公共団体の教育委員会が教育内容及び方法に関して基準を設定する揚合、国の場合とは異なり大綱的基準の範囲にとどめなければならないものではない」と反論します。
そして、その根拠として、被告は、地方教育行政の組織及び運営に関する法律(以下、「地教行法」という。)の23条、32条などの条文、地方自治の原則、旭川学テ事件最高裁判決などを引用しながら、地方の教育委員会の権限・役割の大きさを強調して、「必要的かつ合理的なものであれば、たとえそれが教育内容・方法に関する関与・介入であっても旧教基法10条の禁止するところではないのである。」としています。
しかし、地教行法上の権限を持って教育基本法の条文を制限的に解釈することは、前述した旧教基法の教育分野における憲法的性格を無視した主張です。
すなわち、教育基本法の教育分野における憲法的性格からするならば、むしろ地教行法上の教育委員会及び教育長の権限が、旧教基法10条によって規制されるのであるのに、被告の主張では、逆に、本来、旧教基法の規定、その趣旨、目的への配慮を要求される地教行法の規定をもって、旧教基法の条文の解釈を緩めようとするものであり、旧教基法の憲法的性格を害するものです。
また、被告は、前述のように、地方の教育委員会の権限・役割の大きさを強調するために、地教行法の条文(23条、35条など)を列挙します。しかし、これらの条文は、いずれも、地方の教育委員会に「教育内容」について決定権限を与えたものではなく、被告によるこれらの条文の引用は、恣意的なものと言わざるをえません。
まず、23条の柱書きは、その文言上、あくまでも「事務」についてのみ、教育委員会に権限を与えているに過ぎないのである。決して同条が、教育委員会に、教育内容の決定自体について具体的に介入する権限を認めているものではない。被告による上記反論中の23条5号の引用は、同条柱書きの「事務」という文言を、自己の主張に沿うよう殊更に削除した恣意的なものと言わざるをえません。
むしろ、地教行法25条は、教育委員会の上記23条の権限について、「法令、条例、地方公共団体の規則並びに地方公共団体の機関が定める規則及び規程に基づかなければならない」と法律による規制を受けることを規定しており、さらに、地教行法14条1項は、教育委員会が規則を定めるに際しても「法令又は条例に違反しない限りにおいて」という留保をつけています。
このように、地教行法上の教育委員会及び教育長の権限は、「法令」によって規制を受ける存在なのであって、旧教基法10条によっても規制されるのです。
また、被告は、地方の教育委員会の権限について、32条を挙げますが、同条は、その文言にあるように「所管」に関する規定に過ぎません。決して、「教育内容」の決定権限を与えたものではありません。
特に、32条は、大学についても規定しており、仮に被告主張を前提とすると、大学における教育内容の決定について、地方公共団体の長が、権限を持っことになってしまい、憲法23条の学問の自由、及び、大学の自治の保障を害することになってしまいます。
よって、32条をもって、地方教育委員会の教育内容決定権限を導こうとする被告主張は、認められません。
そもそも、教育の分野においては、教育の自由の保障、教育基本法の趣旨・目的の観点から、教育の内容の決定の問題と、その他学校施設の管理・運営の問題(原告が引用する地教行法23条5号、32条など)は、厳に区別して考慮すべきであるが、被告主張は、これらの問題を混同した上で、地教行法の条文を恣意的に引用したものであり、失当です。
(続)
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