◆ JR西3社長 強制起訴 検審議決受け 2例目
乗客百六人が死亡した二〇〇五年四月の尼崎JR脱線事故で、神戸地裁から検察官役に指定された弁護士は二十三日、事故の危険性を予見できたのに安全対策を怠ったとして、業務上過失致死傷罪でJR西日本の井手正敬元相談役(75)、南谷昌二郎前会長(68)、垣内剛元社長(66)の歴代三社長を在宅起訴した。
『東京新聞』(2010/04/23)
《あの人に迫る》 高木慶子(上智大グリーフケア研究所長)
☆ 悲嘆に寄り添い 一緒に道を探す
(略)
■JR事故の遺族と接して思うことは。
病気や震災と違って、加害者がいるがためのつらさです。多くのご遺族が「JR西日本を殺したい」「役員の家族を皆殺しにして、どう感じるか味わわせてやりたい」と叫ぶように言われました。
大学一年の娘さんを亡くされたご夫妻は、家から駅の間が心配だからと、その日も娘さんを駅に見送られた。安全と疑わない公共交通で娘を失うとは思いもしなかった。あらゆることで自分を責めたと言われました。近所の大学に通わせていたら、もう一本早い電車だったら…。
■その方は今、どうされていますか。
悲嘆と怒りを抱えながらも、新しいご自分の姿を見いだされています。「娘が天国でみんなを見守ってくれている」。そうおっしゃって研究所のグリーフケア・ボランティアの養成講座にみえます。つらいけれど、事故後、人の役に立ちたいと思うようになったともおっしゃいました。
ご遺族は家族の死をなかなか認められない。それでもひたすらお話をお聞きして寄り添う中で、「天国で見守ってくれているのね」「そっちで待っていて」と故人の居場所を理解し、故人との関係をきちっと築かれる段階が来ます。
こうおっしゃるようになると、「ああここまで来られた」とほっとします。家族を失った時は目の前に絶望しかない。にもかかわらず、すぐにではなくても、必ず新しい自分が生まれる時は来ます。五年、十年とかかっても。
■昨年九月に発覚した山崎正夫前社長がかかわる事故報告書漏えい問題はショッキングでした。
遺族をケアし、悲嘆にある人に寄り添う専門職を養成する研究所が、JRの財団の寄付でできた半年後のことでした。
ご遺族は「最初に事故で命を奪われ、今度は魂を切り刻まれた。これは魂の殺人だ」と言われました。
一斉に電話やメールが来ました。「汚い金をもらうな」。一週間は「そうよね」と答えました。でも「ちょっと待って。研究所はJRはもちろん、ご遺族のためにしているわけでもありません」と言うことにしました。
■どういうことですか。
研究所は(運転士を含む)百七人の御霊の声なき声を形にしたものだからです。安全でなかったから、このようなひどい事故が起きた。自分は死に逝くけれども、残された家族の悲しみを社会全体で理解し、優しく寄り添ってあげてという声。それがためにグリーフケア・ワーカーの養成に立ち向かっているのです。
■高木さんはなぜ悲嘆に寄り添い続けるのですか。
アイルランド出身の女性グループ「ケルティック・ウーマン」の「ユー・レイズ・ミー・アップ」をご存じですか。
トリノ冬季五輪で荒川静香さんが使った曲です。私大好きなの。
「あなたが私を支えてくれるから、私は山の上にも立てる、荒ぶる海も渡っていける」というような歌詞なんです。
死期にある方、悲嘆にある方に寄り添うことは、決して簡単なことではない。それでも誰かが私を支えてくれるから続けられる。だから私も誰かを支え励ます「あなた」であり続けたい。
十三歳の秋、学校の帰り道で雷に打たれるような感覚を覚えました。男性の声で「あなたは修道女になる。つらい生活が待っているけれど、私があなたをこんなに大事にしていることを多くの人に伝えなさい」と聞こえた。
私がシスターになった原点です。ずっと口外しなかったけれど昨年から言うようになりました。あの体験はまさに「あなた」であることを実践しなさい、という教えだと思えるようになったから。
■高木さんの願いは。
悲しみ、苦しむ方がいたら寄り添ってあげてほしい。悲嘆は一人で歩くにはあまりに孤独。ともに歩く人が必要です。信頼する人に寄り添われ、悲しみを消化できた方は、他の方の悲しみにも寄り添うことができる。
時間はかかる。それでも苦しみを通り抜け、亡くなった家族から喜びを与えられる道を探すのです。私は一緒にその道を探す人でありたい。そして私がその立場になったら、今度は私と一緒に歩いてほしい。心からそう思います。
<たかき・よしこ> 1936(昭和11)年熊本市生まれ。父方母方とも先祖は江戸期に弾圧を受けた長崎市浦上地区のキリシタン。聖心女子大卒、上智大大学院神学研究科博士前期課程修了。聖トマス大教授を経て、尼崎JR脱線事故を機に2009年4月に設立された同大日本グリーフケア研究所の所長に就任。グリーフケア研究所は10年4月、上智大に移管された。上智大特任教授。「生と死を考える会」全国協議会長。著書に「死と向き合う瞬間夕一ミナル・ケアの現場から」(学習研究社)「喪失体験と悲嘆阪神淡路大震災で子どもと死別した34人の母親の言葉」(医学書院)。
『東京新聞』(2010/5/7 夕刊)
乗客百六人が死亡した二〇〇五年四月の尼崎JR脱線事故で、神戸地裁から検察官役に指定された弁護士は二十三日、事故の危険性を予見できたのに安全対策を怠ったとして、業務上過失致死傷罪でJR西日本の井手正敬元相談役(75)、南谷昌二郎前会長(68)、垣内剛元社長(66)の歴代三社長を在宅起訴した。
『東京新聞』(2010/04/23)
《あの人に迫る》 高木慶子(上智大グリーフケア研究所長)
☆ 悲嘆に寄り添い 一緒に道を探す
(略)
■JR事故の遺族と接して思うことは。
病気や震災と違って、加害者がいるがためのつらさです。多くのご遺族が「JR西日本を殺したい」「役員の家族を皆殺しにして、どう感じるか味わわせてやりたい」と叫ぶように言われました。
大学一年の娘さんを亡くされたご夫妻は、家から駅の間が心配だからと、その日も娘さんを駅に見送られた。安全と疑わない公共交通で娘を失うとは思いもしなかった。あらゆることで自分を責めたと言われました。近所の大学に通わせていたら、もう一本早い電車だったら…。
■その方は今、どうされていますか。
悲嘆と怒りを抱えながらも、新しいご自分の姿を見いだされています。「娘が天国でみんなを見守ってくれている」。そうおっしゃって研究所のグリーフケア・ボランティアの養成講座にみえます。つらいけれど、事故後、人の役に立ちたいと思うようになったともおっしゃいました。
ご遺族は家族の死をなかなか認められない。それでもひたすらお話をお聞きして寄り添う中で、「天国で見守ってくれているのね」「そっちで待っていて」と故人の居場所を理解し、故人との関係をきちっと築かれる段階が来ます。
こうおっしゃるようになると、「ああここまで来られた」とほっとします。家族を失った時は目の前に絶望しかない。にもかかわらず、すぐにではなくても、必ず新しい自分が生まれる時は来ます。五年、十年とかかっても。
■昨年九月に発覚した山崎正夫前社長がかかわる事故報告書漏えい問題はショッキングでした。
遺族をケアし、悲嘆にある人に寄り添う専門職を養成する研究所が、JRの財団の寄付でできた半年後のことでした。
ご遺族は「最初に事故で命を奪われ、今度は魂を切り刻まれた。これは魂の殺人だ」と言われました。
一斉に電話やメールが来ました。「汚い金をもらうな」。一週間は「そうよね」と答えました。でも「ちょっと待って。研究所はJRはもちろん、ご遺族のためにしているわけでもありません」と言うことにしました。
■どういうことですか。
研究所は(運転士を含む)百七人の御霊の声なき声を形にしたものだからです。安全でなかったから、このようなひどい事故が起きた。自分は死に逝くけれども、残された家族の悲しみを社会全体で理解し、優しく寄り添ってあげてという声。それがためにグリーフケア・ワーカーの養成に立ち向かっているのです。
■高木さんはなぜ悲嘆に寄り添い続けるのですか。
アイルランド出身の女性グループ「ケルティック・ウーマン」の「ユー・レイズ・ミー・アップ」をご存じですか。
トリノ冬季五輪で荒川静香さんが使った曲です。私大好きなの。
「あなたが私を支えてくれるから、私は山の上にも立てる、荒ぶる海も渡っていける」というような歌詞なんです。
死期にある方、悲嘆にある方に寄り添うことは、決して簡単なことではない。それでも誰かが私を支えてくれるから続けられる。だから私も誰かを支え励ます「あなた」であり続けたい。
十三歳の秋、学校の帰り道で雷に打たれるような感覚を覚えました。男性の声で「あなたは修道女になる。つらい生活が待っているけれど、私があなたをこんなに大事にしていることを多くの人に伝えなさい」と聞こえた。
私がシスターになった原点です。ずっと口外しなかったけれど昨年から言うようになりました。あの体験はまさに「あなた」であることを実践しなさい、という教えだと思えるようになったから。
■高木さんの願いは。
悲しみ、苦しむ方がいたら寄り添ってあげてほしい。悲嘆は一人で歩くにはあまりに孤独。ともに歩く人が必要です。信頼する人に寄り添われ、悲しみを消化できた方は、他の方の悲しみにも寄り添うことができる。
時間はかかる。それでも苦しみを通り抜け、亡くなった家族から喜びを与えられる道を探すのです。私は一緒にその道を探す人でありたい。そして私がその立場になったら、今度は私と一緒に歩いてほしい。心からそう思います。
<たかき・よしこ> 1936(昭和11)年熊本市生まれ。父方母方とも先祖は江戸期に弾圧を受けた長崎市浦上地区のキリシタン。聖心女子大卒、上智大大学院神学研究科博士前期課程修了。聖トマス大教授を経て、尼崎JR脱線事故を機に2009年4月に設立された同大日本グリーフケア研究所の所長に就任。グリーフケア研究所は10年4月、上智大に移管された。上智大特任教授。「生と死を考える会」全国協議会長。著書に「死と向き合う瞬間夕一ミナル・ケアの現場から」(学習研究社)「喪失体験と悲嘆阪神淡路大震災で子どもと死別した34人の母親の言葉」(医学書院)。
『東京新聞』(2010/5/7 夕刊)
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