=日本会議系教授創設の教科書出版社=
◆ 「日本教科書」による愛国心刷り込み策謀 (紙の爆弾7月号)
文部科学省は二〇一五年に〝官報告示〟した中学校道徳を教科化する改訂学習指導要領の一九年四月一日からの施行に向け、今年三月二十七日初の中学校道徳教科書検定結果を報道関係者に公開した。五月二十九日から東京会場で一般公開も始まった(採択は今夏、全国の教育委員会)。
改憲政治団体の日本会議系・日本教育再生機構理事長の八木秀次・麗澤大学教授が作成・発行に関わった〝教科書〟を中心に、その問題点を明らかにする。
◆ 「日本教科書」に全検定意見の三六%が集中
文科省に検定申請した八社・三〇冊(一~三年の計。二社が別冊)は、全てが合格した。だが合格に際し、「受け入れ修正する」条件である検定意見の総数一八四件中、約三六%に当たる六七件もの意見が付いたのが「日本教科書株式会社」(以下、日本教科書)である。
八木氏は、安倍首相の諮問機関・教育再生実行会議の委員として一三年二月、道徳の教科化を提言した中心人物。八木氏が一六年四月、代表取締役社長に就任し設立したのが、日本教科書だ(同社の当初の所在地は日本教育再生機構と同じ。八木氏は執筆者ではないが、関与はしている)。
日本教科書の代表取締役は一七年九月一日、八木氏から武田義輝氏に交替(今年三月二十八日付の朝日新聞によれば「『一人以上の役員が出版に関する相当の経験を有する』という教科書会社に求められる要件に合わない」ため)。そして同社の所在地も東京・神田神保町のビルに移した。その武田氏は、同じビルにある「晋遊舎」の代表取締役会長でもある(郵便受も共有)。
その晋遊舎は、韓国を誹謗中傷する『マンガ嫌韓流』など、民族差別や排外主義を煽る、いわゆるヘイト本を多く出版。一三年六月十六日、東京・新大久保で「反韓デモ」を行なった際、反対するグループと乱闘となり、警視庁に逮捕されたことのある、いわゆる在特会初代会長・桜井誠(本名・高田誠)氏の著書も、『反日韓国人撃退マニュアル』など四冊、発行している。
このため、多くの教育関係の市民団体が「彼らに『道徳』を語る資格があるのか」などと批判している。
日本教科書の道徳教科書は白木みどり金沢工業大学教授が監修。著者一八名のうち、日本教育再生機構や育鵬社(改憲を主張する社会科〝教科書〟を発行)が後援し、道徳教育推進研究会が主催した〝全国大会〟(一三年十一月十六日、於・倫理文化センター)で発表したり、同大会の資料に氏名が数回出たりしているのは、渡邊毅皇學館大学准教授、山本崇之麗澤中学・高校教諭、山田誠筑波大学附属小学校教諭の三名だ。
◆ 日本教科書の〝愛国心〟教材
中学校学習指導要領・道徳の〝国を愛する態度〟の項は、「優れた伝統の継承と新しい文化の創造に貢献するとともに、日本人としての自覚をもって国を愛し、国家及び社会の形成者として、その発展に努めること」だ。
筆者は本誌四月号でほぼ同内容の小学校指導要領を採り上げた際、この後段「日本人としての」以降に当たる文言は、国家主義色が濃く、〝国防〟や自己犠牲につながる危険性があり、削除させる必要がある旨、指摘した。
日本教科書の〝愛国心〟教材は、この後段に当たるものが多い。以下、同社版の〝愛国心〟教材を分析する。
一年生
一年用の「環境先進国江戸」は、「食品廃棄物が非常に多い」というニュースを見て、「歴史に詳しいお父さん」が「僕とお兄ちゃん」に「江戸時代は、世界も驚くエコ時代=循環型社会だった」と、滔々と語る話だ。
お父さんは「鋳物直しや下駄の歯交換等、壊れたりすり減っても廃棄せず修理し使用。灰まで肥料にし再利用していた」と話す。
だが、子どもたちの「江戸時代って、ずっと平和が続いていたんでしょ。身分階級もはっきりしていた時代だって、学校で習った」という発言に対し、お父さんは「織り職人・染め職人が作製する着物」が「呉服屋から上級武家や富裕層の手へと渡る。さらに、古着屋や古着市へと送られる。そうして、いよいよ庶民の手元へと渡ってくる」と語るだけ。
「お父さん」には、身分階級なるものが差別だという問題意識はなく、江戸幕府が幕藩体制を維持するため、武士階級に苗字帯刀とともに、特権を認めてしまっていた〝斬り捨て御免〟、さらにはキリシタンへの踏み絵=弾圧など、負の歴史には一切触れない。
自民党の下村博文衆院議員(日本会議所属)は文部科学相在任時、「これまで歴史教科書では、光と影のうち、影の部分が多かった」という発言を連発し一四年一月、社会科の教科書検定基準を一層政権政党寄りに改悪した。
この「環境先進国江戸」は下村氏同様、影を隠蔽し、光の部分だけ教え、〝愛国心〟を教え込む意図がある。
二年生
二年用の〝愛国心〟教材は、コラム的教材を含め三つもある。
一つ目の「日本にオリンピックを呼んだ男」は、日系二世のフレッド・和田勇氏が、日本の当局から要請され、一九六四年の東京大会に投票するよう中南米に「決死の工作の旅」をし、「圧倒的多数」で招致決定。
競技でも「日本選手はよく健闘。十六種目で金メダルをとり、米国・ソ連に次ぐ堂々たる成績だった。日本の復興を世界に印象づける晴れ舞台となった」―という話。
二〇年東京五輪を控え、〝愛国心〟を高める目的の教材だ。
二つ目の「ウズベキスタンの桜」は、第二次世界大戦後、ソ連の「捕虜となった約二万五千人の日本人」がウズベキスタンに送られ、ダムや運河、水力発電所、劇場などの建設に使われ、ナヴォイ劇場建設では、「絶望の中でも誇りを失わずまじめに働き続ける日本人の姿」に、ウズベキスタンの人たちの心が揺さぶられる。二年に及んだ工事で七九名が栄養失調や過労で亡くなった日本人は、「日本に帰って、もう一度、桜が見たかったなぁ」と口々に言った。
九一年に独立したウズベキスタンの初代大統領は「極東から強制移送された数百名の日本国民が、劇場建設に参加し、その完成に貢献した」という記念プレートを劇場入り口に掲げた。「一九九九年に赴任した日本の大使」は、亡くなった日本人兵士たちの墓地整備のために、日本で集まった寄付金およそ二千万円を大統領に渡そうとしたが、大統領は「日本人墓地の整備は、ウズベキスタン政府が責任を持って行う」と断り、墓地を美しい公園として整備し、日本は千九百本もの桜の苗木を植えた。―というストーリー。
筆者が傍点を付した二箇所は注意を要する。初出の「記念プレート」の後にわざわざ改行し、「このプレートには『捕虜』という言葉は使われず、『日本国民』と刻まれています」という一文を一行入れており、目立つ。〝愛国心〟を教化する意図が明白だ。
もう一つの傍点「日本の大使」は〇七年に自民党公認で参院議員当選後、日本のこころ等を経て、分党後の希望の党に所属する中山恭子氏(日本会議国会議員懇談会所属)である。中山氏はこの教材と同名の著書を〇五年十一月、KTC中央出版から出版している。
だが日本教科書は、さすがに現職の政治家の名前は出しにくいからか、この教材本文の最後、〈参考〉欄に「白駒妃登美『こころに残る現代史』角川書店ほか」と、出典を記載している(正式な書名は『日本人の知らない日本がある こころに残る現代史』)。
しかし、白駒氏が日本会議主催の会合で、ネット検索だけでも複数回(一六年七月広島、一七年六月兵庫)講演している事実はもちろん伏せている。
三つ目のコラム的教材「台湾に遺のこしたもの」(二頁もの)の著者も白駒氏だ。同じ著者の作品を一冊に二つも載せる肩入れはさて置いて、この教材の問題点は、日本が「台湾の教育に…情熱を注いでいた」とし、襲撃され死去した「六士(六氏)先生」が「台湾の人々から尊敬され続け」ていると強調し、〝愛国心〟を強制していることだ。
この教材は、日本が「一八九五年から…一九四五年まで…台湾を統治してい」た事実は、確かに記載しているものの、たとえば「三五年四月の台湾大地震で、徳坤(とくこん)少年が重傷を負い、手術を受ける最中も、決して台湾語を口に出さず、不自由でも国語(日本語)を使い通し、さらに弱っていく中、〝君が代〟を心を込め最後まで〝立派〟に歌い通し、死んでいく」という、戦前の文部省国定教科書『初等科国語三』に載っていたような、台湾はじめアジア諸国への皇民化教育・同化政策強制の異常さに一切、言及していない。
三年生
三年用の「小泉八雲が見た出雲の国」は、まず、パトリック・ラフカディオ・ハーン(一八九六年、日本国籍を取得し小泉八雲を名乗る)が「日本に惹かれた要因は…『古事記』だった」とし、「八雲にとって、日本は…神話の国。目には見えないものを信じ、自然と共に暮らす人々の国。神が開いた日本を、この目で見てみたいと願っていた」と記述している。
そして、「かつて八雲が、『日本には熱帯地方のような夕日はない。光は夢の光のように穏やかである』と書いた宍道湖この夕焼けを見に行くと、…あっという間に沈んでしまう!と、ただ太陽を慈しむ時間。これが神々の国の信仰の形なのだ。八雲もきっと、夕日を見ながら、そう思ったことだろう」と結ぶ。
「神」という語が多出し神秘性を強調するあまり抽象的で、生徒に何を考えてもらいたいのか、不明だ。
三年用のもう一つの〝愛国心〟教材「不揃いでなくちゃあかんのや」の方は、法隆寺の宮大工・西岡常一棟梁の唯一の内弟子である小川三夫氏の技と知恵、つまり指導要領前段の「伝統・文化」を考える内容であり、国家主義思想の押し付けはなく、適切といえる。
しかしこの後の、「伊勢の神宮―こころのふるさと―」と題する一頁建てコラム的教材は、
(1)…その年の清らかな新穀の恵みに感謝を捧げる神嘗祭(かんなめさい)は、私たちのくらしの平安と活力の証しであり、栄えゆく豊かなくらしを約束する、喜びと希望に満ちたお祭りです。なかでも、…年に一度の「大神嘗祭」。それが「式年遷宮」です。
(2)「式年遷宮」とは、…我が国にとって第一の儀式と重んじられ、約1300年という、世界でも例を見ない、かけがえのない歴史と伝統を有しています。―と記述。
これにはさすがの文科省も、「生徒が誤解するおそれのある表現である(断定的に過ぎる)」という検定意見を付けた。
しかし、(1)は「なかでも、」以下を全部削除し、前段も大幅に削ったものの、文末を「…最も重要なお祭りとされています」と、婉曲表現にすることでパスしてしまった。また(2)は、「我が国にとって第一の儀式と重んじられ」「世界でも例を見ない」を削除する修正はしたが、文末表現はそのままである。
◆ 安倍首相の演説を掲載
日本教科書の〝愛国心〟以外の教材の問題点を、二つに絞り記述する。
一つ目は二年生用。新潟県長岡市が姉妹都市提携しているハワイ・ホノルル市の真珠湾で、戦後七十年の一五年八月十五日に花火三発を打ち上げたという〝国際理解〟教材「白菊」の直後に、安倍首相の真珠湾演説(一六年十二月二十七日)を、「和解の力」と題して一頁を使い載せている。
今年四月から使用の小学校道徳教科書のうち、日本教育再生機構理事らが作った、教育出版五年生用教材が安倍首相の写真を載せたのに批判の声が多く出たのと同様、社会的評価の定まらない現職政治家を出すのは不適切だ。
二つ目は一年の、〝希望と勇気、克己と強い意志〟がテーマの教材。「一向に気分が乗らない、山口県の中学生の僕」が陸上部の走り込み練習中、立ち寄った松下村塾で「志」という看板を見て、早く練習に戻ろうとする、という話だ。
だがこの教材は、「父に志の大切さを教えられたのを思い出した」とあるだけで、自身にどういう「心の葛藤」が生じ克己心・向上心を高めたかは見えず、「考え議論する道徳」にならない。
前述の著者・山本氏の勤務校のHPには、写真キャプションで「山本先生が師と仰ぐ吉田松陰先生の生涯」と出ている。このため「著者好みの〝偉人〟を載せる意図で、松陰の話をムリに入れたのでは」と指摘する人もいる。
◆ 「生徒による数値での自己評価容認」にノーを
最後に全八社中五社が、生徒に「四~五段階の数値で道徳の自己評価をさせる欄」を設けた問題。
この五社のうち、日本教科書は「国を愛し、伝統や文化を受け継ぎ、国を発展させようとする心」など内容項目ごとに四段階で○印を付け、教育出版は「我が国の伝統と文化の尊重、国を愛する態度」など内容項目を掲げた横に書いてある教材名ごとに、三段階の「☆マーク」のいずれかを黒く塗りつぶす方式だ。
本誌五月号で詳述した通り、教員による道徳の評価については、指導要領が「数値などによる評価」を禁じ、一六年七月二十九日の文科省・藤原誠初等中等教育局長名通知が観点別評価も不適切とし「大括りなまとまりを踏まえた評価とすること」としている。
しかし文科省は、「生徒が数値などにより自己評価するのは問題ない」との見解を示している。
国家権力に対し「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」と命じている日本国憲法第一九条に則り、保護者や地域住民が「生徒が数値などにより自己評価する欄」は使用させないよう、教員や校長・教委等に求めていく取組が必要だ。
※ 永野厚男 (ながのあつお) 文科省・各教委等の行政や、衆参・地方議会の文教関係の委員会、教育裁判、保守系団体の動向などを取材。平和団体や参院議員会館集会等で講演。
『紙の爆弾』(2018年7月)
◆ 「日本教科書」による愛国心刷り込み策謀 (紙の爆弾7月号)
取材・文 永野厚男
文部科学省は二〇一五年に〝官報告示〟した中学校道徳を教科化する改訂学習指導要領の一九年四月一日からの施行に向け、今年三月二十七日初の中学校道徳教科書検定結果を報道関係者に公開した。五月二十九日から東京会場で一般公開も始まった(採択は今夏、全国の教育委員会)。
改憲政治団体の日本会議系・日本教育再生機構理事長の八木秀次・麗澤大学教授が作成・発行に関わった〝教科書〟を中心に、その問題点を明らかにする。
◆ 「日本教科書」に全検定意見の三六%が集中
文科省に検定申請した八社・三〇冊(一~三年の計。二社が別冊)は、全てが合格した。だが合格に際し、「受け入れ修正する」条件である検定意見の総数一八四件中、約三六%に当たる六七件もの意見が付いたのが「日本教科書株式会社」(以下、日本教科書)である。
八木氏は、安倍首相の諮問機関・教育再生実行会議の委員として一三年二月、道徳の教科化を提言した中心人物。八木氏が一六年四月、代表取締役社長に就任し設立したのが、日本教科書だ(同社の当初の所在地は日本教育再生機構と同じ。八木氏は執筆者ではないが、関与はしている)。
日本教科書の代表取締役は一七年九月一日、八木氏から武田義輝氏に交替(今年三月二十八日付の朝日新聞によれば「『一人以上の役員が出版に関する相当の経験を有する』という教科書会社に求められる要件に合わない」ため)。そして同社の所在地も東京・神田神保町のビルに移した。その武田氏は、同じビルにある「晋遊舎」の代表取締役会長でもある(郵便受も共有)。
その晋遊舎は、韓国を誹謗中傷する『マンガ嫌韓流』など、民族差別や排外主義を煽る、いわゆるヘイト本を多く出版。一三年六月十六日、東京・新大久保で「反韓デモ」を行なった際、反対するグループと乱闘となり、警視庁に逮捕されたことのある、いわゆる在特会初代会長・桜井誠(本名・高田誠)氏の著書も、『反日韓国人撃退マニュアル』など四冊、発行している。
このため、多くの教育関係の市民団体が「彼らに『道徳』を語る資格があるのか」などと批判している。
日本教科書の道徳教科書は白木みどり金沢工業大学教授が監修。著者一八名のうち、日本教育再生機構や育鵬社(改憲を主張する社会科〝教科書〟を発行)が後援し、道徳教育推進研究会が主催した〝全国大会〟(一三年十一月十六日、於・倫理文化センター)で発表したり、同大会の資料に氏名が数回出たりしているのは、渡邊毅皇學館大学准教授、山本崇之麗澤中学・高校教諭、山田誠筑波大学附属小学校教諭の三名だ。
◆ 日本教科書の〝愛国心〟教材
中学校学習指導要領・道徳の〝国を愛する態度〟の項は、「優れた伝統の継承と新しい文化の創造に貢献するとともに、日本人としての自覚をもって国を愛し、国家及び社会の形成者として、その発展に努めること」だ。
筆者は本誌四月号でほぼ同内容の小学校指導要領を採り上げた際、この後段「日本人としての」以降に当たる文言は、国家主義色が濃く、〝国防〟や自己犠牲につながる危険性があり、削除させる必要がある旨、指摘した。
日本教科書の〝愛国心〟教材は、この後段に当たるものが多い。以下、同社版の〝愛国心〟教材を分析する。
一年生
一年用の「環境先進国江戸」は、「食品廃棄物が非常に多い」というニュースを見て、「歴史に詳しいお父さん」が「僕とお兄ちゃん」に「江戸時代は、世界も驚くエコ時代=循環型社会だった」と、滔々と語る話だ。
お父さんは「鋳物直しや下駄の歯交換等、壊れたりすり減っても廃棄せず修理し使用。灰まで肥料にし再利用していた」と話す。
だが、子どもたちの「江戸時代って、ずっと平和が続いていたんでしょ。身分階級もはっきりしていた時代だって、学校で習った」という発言に対し、お父さんは「織り職人・染め職人が作製する着物」が「呉服屋から上級武家や富裕層の手へと渡る。さらに、古着屋や古着市へと送られる。そうして、いよいよ庶民の手元へと渡ってくる」と語るだけ。
「お父さん」には、身分階級なるものが差別だという問題意識はなく、江戸幕府が幕藩体制を維持するため、武士階級に苗字帯刀とともに、特権を認めてしまっていた〝斬り捨て御免〟、さらにはキリシタンへの踏み絵=弾圧など、負の歴史には一切触れない。
自民党の下村博文衆院議員(日本会議所属)は文部科学相在任時、「これまで歴史教科書では、光と影のうち、影の部分が多かった」という発言を連発し一四年一月、社会科の教科書検定基準を一層政権政党寄りに改悪した。
この「環境先進国江戸」は下村氏同様、影を隠蔽し、光の部分だけ教え、〝愛国心〟を教え込む意図がある。
二年生
二年用の〝愛国心〟教材は、コラム的教材を含め三つもある。
一つ目の「日本にオリンピックを呼んだ男」は、日系二世のフレッド・和田勇氏が、日本の当局から要請され、一九六四年の東京大会に投票するよう中南米に「決死の工作の旅」をし、「圧倒的多数」で招致決定。
競技でも「日本選手はよく健闘。十六種目で金メダルをとり、米国・ソ連に次ぐ堂々たる成績だった。日本の復興を世界に印象づける晴れ舞台となった」―という話。
二〇年東京五輪を控え、〝愛国心〟を高める目的の教材だ。
二つ目の「ウズベキスタンの桜」は、第二次世界大戦後、ソ連の「捕虜となった約二万五千人の日本人」がウズベキスタンに送られ、ダムや運河、水力発電所、劇場などの建設に使われ、ナヴォイ劇場建設では、「絶望の中でも誇りを失わずまじめに働き続ける日本人の姿」に、ウズベキスタンの人たちの心が揺さぶられる。二年に及んだ工事で七九名が栄養失調や過労で亡くなった日本人は、「日本に帰って、もう一度、桜が見たかったなぁ」と口々に言った。
九一年に独立したウズベキスタンの初代大統領は「極東から強制移送された数百名の日本国民が、劇場建設に参加し、その完成に貢献した」という記念プレートを劇場入り口に掲げた。「一九九九年に赴任した日本の大使」は、亡くなった日本人兵士たちの墓地整備のために、日本で集まった寄付金およそ二千万円を大統領に渡そうとしたが、大統領は「日本人墓地の整備は、ウズベキスタン政府が責任を持って行う」と断り、墓地を美しい公園として整備し、日本は千九百本もの桜の苗木を植えた。―というストーリー。
筆者が傍点を付した二箇所は注意を要する。初出の「記念プレート」の後にわざわざ改行し、「このプレートには『捕虜』という言葉は使われず、『日本国民』と刻まれています」という一文を一行入れており、目立つ。〝愛国心〟を教化する意図が明白だ。
もう一つの傍点「日本の大使」は〇七年に自民党公認で参院議員当選後、日本のこころ等を経て、分党後の希望の党に所属する中山恭子氏(日本会議国会議員懇談会所属)である。中山氏はこの教材と同名の著書を〇五年十一月、KTC中央出版から出版している。
だが日本教科書は、さすがに現職の政治家の名前は出しにくいからか、この教材本文の最後、〈参考〉欄に「白駒妃登美『こころに残る現代史』角川書店ほか」と、出典を記載している(正式な書名は『日本人の知らない日本がある こころに残る現代史』)。
しかし、白駒氏が日本会議主催の会合で、ネット検索だけでも複数回(一六年七月広島、一七年六月兵庫)講演している事実はもちろん伏せている。
三つ目のコラム的教材「台湾に遺のこしたもの」(二頁もの)の著者も白駒氏だ。同じ著者の作品を一冊に二つも載せる肩入れはさて置いて、この教材の問題点は、日本が「台湾の教育に…情熱を注いでいた」とし、襲撃され死去した「六士(六氏)先生」が「台湾の人々から尊敬され続け」ていると強調し、〝愛国心〟を強制していることだ。
この教材は、日本が「一八九五年から…一九四五年まで…台湾を統治してい」た事実は、確かに記載しているものの、たとえば「三五年四月の台湾大地震で、徳坤(とくこん)少年が重傷を負い、手術を受ける最中も、決して台湾語を口に出さず、不自由でも国語(日本語)を使い通し、さらに弱っていく中、〝君が代〟を心を込め最後まで〝立派〟に歌い通し、死んでいく」という、戦前の文部省国定教科書『初等科国語三』に載っていたような、台湾はじめアジア諸国への皇民化教育・同化政策強制の異常さに一切、言及していない。
三年生
三年用の「小泉八雲が見た出雲の国」は、まず、パトリック・ラフカディオ・ハーン(一八九六年、日本国籍を取得し小泉八雲を名乗る)が「日本に惹かれた要因は…『古事記』だった」とし、「八雲にとって、日本は…神話の国。目には見えないものを信じ、自然と共に暮らす人々の国。神が開いた日本を、この目で見てみたいと願っていた」と記述している。
そして、「かつて八雲が、『日本には熱帯地方のような夕日はない。光は夢の光のように穏やかである』と書いた宍道湖この夕焼けを見に行くと、…あっという間に沈んでしまう!と、ただ太陽を慈しむ時間。これが神々の国の信仰の形なのだ。八雲もきっと、夕日を見ながら、そう思ったことだろう」と結ぶ。
「神」という語が多出し神秘性を強調するあまり抽象的で、生徒に何を考えてもらいたいのか、不明だ。
三年用のもう一つの〝愛国心〟教材「不揃いでなくちゃあかんのや」の方は、法隆寺の宮大工・西岡常一棟梁の唯一の内弟子である小川三夫氏の技と知恵、つまり指導要領前段の「伝統・文化」を考える内容であり、国家主義思想の押し付けはなく、適切といえる。
しかしこの後の、「伊勢の神宮―こころのふるさと―」と題する一頁建てコラム的教材は、
(1)…その年の清らかな新穀の恵みに感謝を捧げる神嘗祭(かんなめさい)は、私たちのくらしの平安と活力の証しであり、栄えゆく豊かなくらしを約束する、喜びと希望に満ちたお祭りです。なかでも、…年に一度の「大神嘗祭」。それが「式年遷宮」です。
(2)「式年遷宮」とは、…我が国にとって第一の儀式と重んじられ、約1300年という、世界でも例を見ない、かけがえのない歴史と伝統を有しています。―と記述。
これにはさすがの文科省も、「生徒が誤解するおそれのある表現である(断定的に過ぎる)」という検定意見を付けた。
しかし、(1)は「なかでも、」以下を全部削除し、前段も大幅に削ったものの、文末を「…最も重要なお祭りとされています」と、婉曲表現にすることでパスしてしまった。また(2)は、「我が国にとって第一の儀式と重んじられ」「世界でも例を見ない」を削除する修正はしたが、文末表現はそのままである。
◆ 安倍首相の演説を掲載
日本教科書の〝愛国心〟以外の教材の問題点を、二つに絞り記述する。
一つ目は二年生用。新潟県長岡市が姉妹都市提携しているハワイ・ホノルル市の真珠湾で、戦後七十年の一五年八月十五日に花火三発を打ち上げたという〝国際理解〟教材「白菊」の直後に、安倍首相の真珠湾演説(一六年十二月二十七日)を、「和解の力」と題して一頁を使い載せている。
今年四月から使用の小学校道徳教科書のうち、日本教育再生機構理事らが作った、教育出版五年生用教材が安倍首相の写真を載せたのに批判の声が多く出たのと同様、社会的評価の定まらない現職政治家を出すのは不適切だ。
二つ目は一年の、〝希望と勇気、克己と強い意志〟がテーマの教材。「一向に気分が乗らない、山口県の中学生の僕」が陸上部の走り込み練習中、立ち寄った松下村塾で「志」という看板を見て、早く練習に戻ろうとする、という話だ。
だがこの教材は、「父に志の大切さを教えられたのを思い出した」とあるだけで、自身にどういう「心の葛藤」が生じ克己心・向上心を高めたかは見えず、「考え議論する道徳」にならない。
前述の著者・山本氏の勤務校のHPには、写真キャプションで「山本先生が師と仰ぐ吉田松陰先生の生涯」と出ている。このため「著者好みの〝偉人〟を載せる意図で、松陰の話をムリに入れたのでは」と指摘する人もいる。
◆ 「生徒による数値での自己評価容認」にノーを
最後に全八社中五社が、生徒に「四~五段階の数値で道徳の自己評価をさせる欄」を設けた問題。
この五社のうち、日本教科書は「国を愛し、伝統や文化を受け継ぎ、国を発展させようとする心」など内容項目ごとに四段階で○印を付け、教育出版は「我が国の伝統と文化の尊重、国を愛する態度」など内容項目を掲げた横に書いてある教材名ごとに、三段階の「☆マーク」のいずれかを黒く塗りつぶす方式だ。
本誌五月号で詳述した通り、教員による道徳の評価については、指導要領が「数値などによる評価」を禁じ、一六年七月二十九日の文科省・藤原誠初等中等教育局長名通知が観点別評価も不適切とし「大括りなまとまりを踏まえた評価とすること」としている。
しかし文科省は、「生徒が数値などにより自己評価するのは問題ない」との見解を示している。
国家権力に対し「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」と命じている日本国憲法第一九条に則り、保護者や地域住民が「生徒が数値などにより自己評価する欄」は使用させないよう、教員や校長・教委等に求めていく取組が必要だ。
※ 永野厚男 (ながのあつお) 文科省・各教委等の行政や、衆参・地方議会の文教関係の委員会、教育裁判、保守系団体の動向などを取材。平和団体や参院議員会館集会等で講演。
『紙の爆弾』(2018年7月)
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