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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

アベを倒そう!(38)

2015年12月02日 | 日の丸・君が代関連ニュース
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 ▲ <ファシズムと自由主義、立憲主義について~>

 私は前号で、
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 最近、安倍政権によるファシズム化が進行する中で、いわゆる知識人たちの「変調」が起きていると思います。
 それはこれまでの基本的な原則をいろいろな理由をつけて修正するものです。
 これは危険な兆候だと思います。
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 と書きました。

 ここにきてその「危険な兆候」が日々急速に進みつつあると思いますので、参考になればと思い、以下に戸坂潤の「自由主義・ファシズム・社会主義」(『日本イデオロギー論』1936、岩波文庫、408~422ページ)という論文から以下のような部分を紹介します。
 文中〔 〕は伏字です。

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 ・・・政治的自由主義は大体、民主主義(ブルジョア・デモクラシー)のことだと云っていい。
 大体というのは、デモクラシーの方は台頭期のブルジョアジーの政治的イデーであるとすれば、
 自由主義の方は主として資本主義の没落期や又は大きな抵抗に遭遇した場合の、受動的な政治的自由主義を指すことが往々だからである。・・・
 ・・・・・・
 だが気分的自由主義の何よりの強みは、社会の一部の常識を代表しているということだ。
 そういう限りの一種の大衆性を有っているということである。
 それが気分的であるのはつまりこの一種の大衆的常識を忠実に反映しているからだろう。
 そしてこの常識は明らかに小市民の一部のものの所有であり、主に言論能力を有った中間層の一部の政治常識に照応しているものだ。
 気分的自由主義者の大多数が、新聞記者出身であるのは決して偶然ではない。
 かつて自由民権時代に封建的な支配の残滓と命がけに闘争したのは新聞記者の内に多かったのである。
 処がより広範な政治常識、普通選挙の今日殆ど一切の平均値的な政治意識の所有者の常識、に相応するものは、この言論的自由主義ではなくて、
 この言論を中心とするかのように見えて併(しか)し皮肉にも夫(それ)とは何の実質的な関係もない処の現在の議会政治的デモクラシー(「立憲主義」)なのである。
 之(これ)もたしかに政治的自由主義でないのではない。
 自由主義が立憲的議会制度という政治制度を意味する限りはそうだ。
 独裁制に対する議会制度が、俗に自由主義だと考えられている。

 併し今日の日本の議会制度は、まだ議会制度としても事実上可なりの程度まで〔ファッショ〕化されていることに平行して、この制度そのものが政治的自由主義とは殆ど独立なものに転化して了(しま)っている。
 政府や官僚や軍閥が議会やブルジョア政党の自由主義を抑制しているばかりではなく、大事なことには、議会やブルジョア政党そのものが、議会制度の名目と、又実際には或る程度までの実質とにも拘らず、そういう政治形式とは独立に、自由主義ではなくて他のものになっている。
 之は云わば議会制度を採用した処の一種のファシズムなのである。
 ファシズムを独裁制という政治形式だけから考えることは許されないので、政治形式としての独裁制を取らない処のファシズムは、イギリスにもアメリカにもフランスにもあるのだ。
 にも拘らず現下の日本では、この立憲的ファシズム全般をなお「自由主義」のものだと考えている。
 そこに大きな錯誤があるのだ。
 自由主義の本質の認識を迷わせる通俗的な原因の大きな一つは之だ。
 のみならず、この立憲的ファシズムが部分的に現わす自由主義的な擬態も亦(また)、人を迷わせるものだ。・・・・
・・・一般に今日の自由主義は、資本制胎動期のデモクラシーとは異なって、小市民の、而(しか)も多少とも知的能力に富んだ小市民層の、イデオロギーなのだが、現在の所謂(いわゆる)「デモクラシー」の方は、自由主義とは異なって、露骨に、地主・ブルジョアジーのイデオロギーなのである。
 而も夫が、零細農の存在と又それのプロレタリアへの転化とを〔基本条件〕とする日本の資本制の特殊性に基いて、中農・小商人・其他の利害意識と連絡をつけることによって、一種のファシズム・イデオロギーとなるのである。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 勿論、この文章をそのまま現代に当てはめることはできませんが、現在起きている「危険な兆候」を考える上で参考になればと思い、紹介した次第です。
 なお、『戸坂潤全集』第五巻、157~165ページには・「その後の『朝日新聞』」(「その後」というのは「2・26事件後」ということです。)・「言論の自由と統制」という論文もあります。
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