=神奈川「学校に思想良心の自由を実現する会」(旧・「かながわこころの自由裁判」原告団)より=
◆ 日常化する「日の丸」「君が代」
スポーツの国際試合では、試合前や表彰式などに国歌(君が代)が流れ、ユニフォームには「日の丸」がついている。「日の丸を背負う」という言葉のように、国の代表という意味があるからだ。
国内試合の場合はどうか。サッカー(Jリーグ)では開幕戦や決勝戦などに限られ、通常の試合に国歌は流れない。
プロ野球の公式戦では、パリーグは昭和時代から原則毎試合、セリーグは2014年からカードの初戦のみ、「国歌斉唱」として「君が代」が流れる。その際球場では、「起立、脱帽の上、センターポールの『日の丸』に向かい『君が代』を唱和するように」との呼びかけがある。「起立、脱帽の上、唱和を求める」のは明らかに「日の丸」「君が代」の強制にほかならない。
最近では有名人の「国歌独唱」を試合前のイベントすることも多い。
観客の反応はどうか。以前は、着席している人もかなりいたが、最近はほぼ全員が起立し、着席している人はほとんど見かけない。中には歌っている人もいる。
彼らにはおそらく強制されているという意識はない。自国の国歌や国旗に敬意を払うのがマナーであり、「立つのは当然」と思っているのだろう。
そもそも、プロ野球の公式戦に国歌は必要なのか、はなはだ疑問である。私は、自己の思想信条に基づき、一貫して着席しているが、曲が流れている時間はとても居心地が悪くなってきた。この居心地の悪さは、入学式や卒業式での不起立以上かもしれない。
学校の場合、不起立は「自己の思想信条に基づき、日の丸・君が代の強制に反対している」というメッセージは周囲に多少なりとも伝わっていた。だから、「日の丸・君が代強制反対闘争」が成立した。
それに対して球場などではどうか。「起立は当然」と考える観客に、「思想信条に基づき、日の丸・君が代の強制に反対している」というメッセージが届かなければ、着席している人は奇異な存在である。
そして同調圧力が強い日本では、その思いは「非常識」「反日」「非国民」という思いに結び付きやすい。「不起立」の状況はSNSなどで可視化され、「不起立=反日」と拡散され、攻撃される危険性もある。
過去の侵略戦争の中で「日の丸・君が代」が果たした負の役割や、「国旗・国歌法」制定時に「強制はしない」とした政府見解などをしっかりと国民に知らせなければならない。
それは学校教育やジャーナリズムの責務であると思う。
今や、政府が強制しなくても、国民の間から「日の丸・君が代尊重」の思いが強まってきている。それは過剰な「愛国心」へ結び付き、戦前のように戦争遂行のための国民の精神的な支柱となりかねない。
「新たなる戦前」と言われる今、「日の丸・君が代の日常化」の動きに警戒を強めていく必要がある。
(な)
◆ 最近の「日の丸」「君が代」をめぐる話題
▼5月、大分市の中学校で昼食時間の校内放送で、広報委員会の生徒3人が、時間が余ったため自分たちの判断で『君が代』を流し、教師が「ふさわしくない」と指導した。
▼京都市の12歳の女性が、3月の市立小卒業式と4月の市立中入学式の国歌斉唱時、着席したままで「君が代」を歌わなかった。担任からも理由を聞かれ説得された。母親も、卒業式前に教頭らから「歌わせる義務がある」「教育委員会に逆らえない」と言われた。入学式前に母親が中学の校長と電話した折りには、「(歌わないと)いじめの対象になるかも知れない」などと言われた。
▼3月9日、大阪府吹田市教育委員会が全54校の市立小中学校長に対し、事務連絡文書を通知。入学式や卒業式での君が代と校歌の歌詞の暗記状況について回答を求めた。2月市議会の文教市民常任委員会で自民党市議から暗記状況を質問されたからだという。教職員組合は「国歌の強制につながりかねず、やり過ぎだ」と、4月に市教委に抗議文を提出した。
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